零-20 離別
「……だめ。私は、嫌。二人が争うのは嫌。どっちかがどっちかを殺すのなんて嫌」
「……紗雪」
「嫌よ、どかない」
「紗雪」
鋭い視線に息を詰めた。それでも紗雪は首を振った。
紫呉の視線は悠一に据えられている。紗雪は上目に紫呉の様子を窺いながら、背後の悠一に語りかけた。
「……悠一の言ってた通りよ。私は、悠一が如月の次男様だって思ったから仲良くなりたいって思った。けど、最初はそうだったけど、話してるうちに、そんなの関係無しに楽しいって思ってた」
悠一の支えになりたいと思っていた。
『ぼくもね、兄の、役に立ちたいって思う気持ちは本当なんだよ。この瑠璃を、少しでも良くできたら、って。でも、役に立たなくて……。考え方が合わなかったり、ね。それに、何をしても、比べられて……。……兄の事は尊敬しているけれど、兄の役に立ちたいけれど、そんな時は少し、兄が疎ましくなる、かな……』
困ったね、と悠一は悲しげに苦笑していた。
何をしても比べられる。その苦しみを知っているからこそ、彼の支えになりたいと、そう思っていた。
「……私を結果的に騙してたんだとしても、……愚痴とかの内容まで全部嘘なわけじゃないでしょう? ……私は、嬉しかった。そうやって本音言ってくれるのが。悠一のでまかせの理由だったとしても、私とは苦しいところが一緒で、……それを分け合えるのは、嬉しかった」
紗雪は言葉を切って、溜まった唾を飲み込んだ。
「……嬉しかったし、楽しかったのよ。全部聞いた今でも」
紗雪は目を伏せ、ゆっくりと言った。
「私は、悠一の事が…………好きよ」
背後から驚く気配が伝わってきた。
紫呉は不可解な物を見る顔をしている。
「……紗雪ちゃん」
「……って」
「え?」
「言うわけないでしょ、おバカ!」
紗雪は思い切り右手を振り上げ、悠一目がけて振り下ろした。
ばちこーんと良い音がした。
赤くなった頬を押さえた悠一が、呆然と目を見開く。
「さっきから話聞いてたら……。同情はするけれども! 基本的にはあんたの逆恨みじゃない! 救ってくれないって言うけれど、じゃああんたは何かしたの? 破天として青官の人攫って迷惑かけただけじゃないの! 力で捻じ伏せるどうこう言ってたけど、結局あんたもじゃない。あんたも、力で言う事聞かせようとしてるんじゃないの!」
ヒリヒリと痛む右手を抱え、紗雪は一気にまくしたてた。
「それにねえ、神様でもないのに? 神様以外裁いちゃ駄目っていうんだったら、里はどうなるのよ。無法地帯もいいとこよ! それこそ誰かが苦しい思いをしてても、誰も救ってくれないのよ? 誰も裁いてくれないのよ?」
黙っていたところ急に大声を出したものだから、喉が痛い。
「それから『君は特に有益な情報を持っているわけでもなし』ですって? 当たり前でしょ、あの父さんが家族にベラベラ内部事情話すわけないじゃない! 高官がそんなおバカなわけないじゃないの! そんな事すら分かんないの? はっ、そりゃ昼行灯とも呼ばれるわよ!」
鼻で笑い飛ばし、腰に手を当てる。
「あんたに優しくしてたのはね、そうよ、あんたの言うとおりあんたが如月の次男様だと思ってたからよ。それ以外理由なんて無いんだから! あるわけない! ああ、あるとすればあんたの顔が好みだったから!」
ぜえぜえと荒い呼吸で、紗雪は肩を上下させた。
「あんたは出来の良いお兄さんに劣等感感じてるみたいだけどね、一緒にしないでくれる? そりゃあ私だって比べられるのは嫌だけど、あんたみたいに卑屈になったりしないんだから。私の事親の七光りだって目で見る奴らの方が哀れだって周りの人が思うような、立派な人間になるんだから」
声が震えた。
悔しい。
紗雪は俯いて、震える声を絞り出す。
「……あんたと会って話すの楽しかったとか、嬉しかったとか、全然思ってないんだから。そんな風に思ってたなんて、私の恥! 恥部!」
吐き捨てて、顔を背ける。
「ああもう……最悪……。あんたたちが暴れるから目にゴミ入ったじゃない」
滲んだ涙を手の甲で拭う。
「首も痛いし。痕残ったらどうしてくれるのよ……」
最悪、ともう一度呟いた。
「……それでも、あんたが死ぬのは嫌よ。ものすごく腹が立つけど……」
鼻を啜り、流れる涙を両手で拭う。
悠一が肩を揺らして笑っている。
咽元だけだった笑いが、堪えきれないといったように大笑いに変わった。
「何を笑ってるのよ……」
紗雪は笑う悠一をじっとりと睨んだ。
「……はは……。ごめん、笑いすぎたね」
「全くよ」
「ごめんって」
同じやり取りをしたのは、つい先日だ。
悠一の顔が歪む。
無理に作り出した笑みを張りつけ、悠一は髪をかき上げて呟いた。
「……まいったなぁ」
何がまいっただ。
それはこっちの台詞だ。騙されて利用されて首に傷つけられて。
そっと、喉元を袖口で拭われる。
「ぼくも、言っておこうかな……。紗雪ちゃんと、会って、話すのが楽しかったなんて、これっぽっちも思っちゃいないから」
と、悠一は小指の爪の先を示した。
「だから……。まあ良いか。君なら分かるだろう?」
「言ってよ。また勘違いしたら面倒くさいじゃないの」
くすりと悠一が笑う。
笑って、揃えた両手を紫呉に差し出した。
「忘れてしまえば良いよ」
ぼくを。
紫呉は慣れた手つきで、悠一の手に縄を巻きつけた。
「……ぼくが、昼行灯なんかじゃないって、そう、言ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」
紗雪は悠一の笑顔から顔を背けた。
震える声を絞り出す。
「……そうね。役立たずどころか、疫病神だもの」
「はは、そうだね」
さよなら。
小さく悠一が漏らす。
足音が遠ざかっていく。
「ねえ次男殿。まだ息の有る皆は殺さないでやってくれないかな。組頭としてのお願いだ。皆に、認められていないにしてもね」
声が遠ざかる。
紫呉の返答はこちらまで届かなかった。
零れた涙が下生えを揺らす。
喉が自分の意思に反して音を立てる。
紗雪は膝をつき、必死で嗚咽を噛み殺した。