7、コンビニ店員、長口上に辟易して勇者に説教をかます
思い起こせば、俺が《門》の見学ツアーに赴く直前、ちょうど魔王夫妻が出立する数日前のことだった。
「今回の、魔王ファッカーバノ・ギターロの要請を受けるにあたって、ヨダに伝え忘れていた事がある」
メィダ・マーノ親父との初対面後、ネィコさんの伝言で足を運ぶなり、勇者は俺に向かってそう言った。
場所は勇者にあてがわれた客室で、他に人の姿はない。ちなみに俺はやっぱりここの続き部屋を貸し与えられていたりする。
「俺にか? こっちのことは気にしないで、お前の好きにしていいぜ」
特に興味のない俺は、茶受けとしてテーブルに置かれていたサブレ的な菓子を頬張りながら、適当に言葉を返した。
バターがたっぷり使ってあって、さくさくと美味しいがちょっと喉が渇く。お茶や珈琲の類が欠かせないようだ。
ちなみにこのサブレ的な菓子の包装には、『銘菓・魔界の門』と書かれていた。どうやら魔界につながる『門』の形を模しているらしいが、いったいどこに需要があるんだ。観光名所か。
遠路遥々魔王退治の旅に出るからついて来い、などと言われたら断固として拒否する心積もりが俺にはあったが、勇者がこの地で仕事をこなすことに文句を言うつもりはない。と言うか、そもそも俺には関係がない話だと思うんだが。
「まさか別に俺に手伝えとか言う話じゃないんだろ?」
「ああ。『魔界の門』の開閉も、そこから現れる魔物の処理も私が行う」
「じゃあ、なおさらどうでもいいし」
俺は肩をすくめて、質問を投げやった。
俺のような一般人は、魔物をおびき寄せるための餌ぐらいの役にしか立たないだろうし、そんなことをしていたら命がいくつあっても足りない。
くどいようだが俺は単なるコンビニ店員であって、勇者様どころか勇者様の従者様でもない。エキストラにすらなれない、巻き込まれただけの被害者なのだ。
義務も義理もないのに俺の保護を買って出てくれたシオンに感謝する気持ちがないとは言わないが、できればこいつの勇者稼業には完全ノータッチでお願いしたかった。
「それで済むなら、何も問題ないのだがな」
「何だよ。言いたいことがあるなら、さっさと言えよ」
思わせぶりなことを言うシオンに、俺は眉を顰めて視線を向ける。
それでもなかなか口を開こうとしない勇者に俺は額に青筋を立てると、三本の指を突きつけた。
「よーし、じゃあ今から三秒以内に言わないと、今後一切、この話は聞いてやんねえから。さーん、にーい……」
「分かった分かった。そう急かさないでくれ」
時間制限付きで催促しようやく、勇者は降参だと言わんばかりに苦笑して首を振った。
「少し言い辛いことでな」
「知るか。格好をつけて勿体ぶってる方が悪いんだろ」
「そういじめないでくれ」
「人聞き悪ぃな!」
俺はひくりと頬を引きつらせる。
てか、この程度で勇者がいじめられてるとか、片腹痛いわ。
勇者は、ポットに入っていたお茶をカップに注ぐと、一口それを含んで、息を吐いた。
「これまでいくつもの世界を渡り歩いて来た私の経験上、超常的な力と言うのは大まかに二種類に分けられる」
おいおい、なんかいきなり小難しい講義が始まったぞ。
「一つは魔術、妖術、神術、仙術――呼び名は世界によってそれぞれだが、物体や生き物の精神等も含め、物質面から現象に作用する力だ。もう一つは呪い、祝福、まじない、祟りなどこちらも言い方はいくつもあるが、そのものの存在値、あるいは俗に魂と呼ばれるものに作用する力だ」
「……なあ、これって関係ある話なのか?」
耳の滑る長口上に、俺が若干げんなりしながら尋ねると、勇者は生真面目な顔をして頷いた。
「大いにあるから、少し我慢して聞いていてくれ。――この二つには術の効力以上に、大きな違いがある。それは維持に世界の法則を必要とするか否かの違いだ。世界というのはそれぞれ異なった法則に従って動いている。もちろん物理法則のように、大半の世界で共通しているものもあるし、ある種の魔法則のようにまったく同じではなくともある程度の類似性を持っているものもある。私が魔法を初めての世界でも使えるのも、そうした法則の類似性を利用しているからに他ならない。だが基本的にまったく同じ法則を持っている世界は存在しないと考えていい。つまりどういう事かというと、世界を跨ぐことで前者の力は必ず一度リセットされる。複数の世界に跨って発動した力を持続することは不可能なのだ。しかし後者はその限りではなく――、」
ぶちんと、俺の勘忍袋が緒ごと爆発四散した。
「長い長い長いぃぃっ! 人をおちょくってんのか、要点だけ言え!」
襟首を掴んでぶんぶんと揺すると、勇者は分かったと沈着冷静な面構えのまま頷いた。
「簡潔に言うとだな、私には呪いが掛かっている」
今日のファッションについて語るかのような至極あっさりとした物言いに、俺はつい今までの激昂も忘れてぽかんとする。
「十三回目に召喚された世界での話だ。私を召喚した一派の中に敵対組織の人間が紛れ込んでおり、召喚陣に呪いが組み込まれていた。以来、私には呪いが掛かり続けている」
呪いは異なる世界に移動しても効果が失われないので、勇者には呪いが掛かったままだという事らしい。
「……それって、解くことはできないのか?」
根本的な事を俺が尋ねると、勇者はうむと一つ頷いた。
「不可能ではない。事実、別の世界で呪いを解除する機会もあった。だが、私に掛けられている呪いは利用できる部分もあるため、私は自らの意思で呪いに掛かり続けている」
「随分と物好きなんだな」
「否定はしない」
揶揄するような俺の言葉に、勇者はあっさりと答えて再び茶を口にした。
「呪いの影響で、私は月に一度行動を制限する日がある。朔月の日だ。この日、私は人前に出ない」
その言葉に、俺ははたと思い出すことがあった。
一つ前の世界において、旅立つ前に執拗なまでに調べ物をしていた勇者。言われてみれば確かに一度、部屋にこもったきり丸一日出てこない日があった。
「月の満ち欠けのない世界なら関係ないのだが、この世界には月がある。ゆえに魔王ファッカーバノ・ギターロの代わりを担っている間、一日だけだが私が不在となる日が生じる」
つまり、何があっても勇者を宛てにできない日があるということか。
そんなの初耳だぞとは思ったが、まあ、呪われてるなんて自分から言いたいことでもないだろうしなぁ。
俺はうーんと思案する。
「お前が役立たずになる日があるという事実は、お前が魔王の代わりをやる上で問題ないのか?」
俺の疑問に、勇者は答える。
「基本的にはないと考えてもらって構わない。門を開ける日は、該当日に当たらないよう調節する。またこの城は要塞としての面もあるから、万が一のことがあっても一日程なら余裕をもって籠城できるだろう」
その言葉に、俺は気を抜いた。
「ふうん。じゃあ、特に問題はなさそうじゃん。お前の言う事はいちいち大げさなんだよ」
「隠しておくことは、不誠実かと思ったのでな」
「気の回しすぎなんだよ。あんまり神経質だと、禿げるぞ」
「禿げるのは困る」と、生真面目な顔をしてうなずく勇者をちゃかしていた俺は、それ以上その告白を深く考えることはしなかった。
「全部お前に任せるわ」
すこーんと丸投げにした俺はよもや、生真面目誠実を形にしたような勇者が、その裏で小賢しくも重大な事実を隠していただなんて、想像もしていなかったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「滅多な事なんて、そうそう起こらないってお前言ったよな!」
一週間ほど前の会話を思い出しながら詰め寄る俺の顔を、シオンはすかした表情で見下ろしている。
「基本的には問題がなく、万が一の場合でも立て直しが利くとは言ったな」
「同じことじゃねえか!」
怒り心頭な俺を見て、勇者は首を傾げる。
「いったい、何をそんなに怒っているんだ? 確かに、魔王城に対して敵愾心を抱いている組織があるという事は伝えてはいなかったが、魔王自身がいない今、この場所が標的になる可能性は低い。また標的となった場合でも、一日は籠城できる事実は揺らがないぞ」
「心構えの問題があんだよ!」
村で唯一の駐在さんが一日留守にするとして、そこが現代日本の平和な過疎地なのか、モヒカンがひゃっはーしている世紀末なのかによって、持つべき覚悟がだいぶ違うのは当然だろう。
「何が『隠しておくことは、不誠実かと思った』だよ。この詐欺勇者め!」
「なるほど、理解した。すまなかったな。可能性としては僅かだったため、余計な負担を掛けない方が良いと判断していた」
ぷんすこ怒る俺に、申し訳なさそうな表情で視線を下げる。そんな情けない勇者の顔に、俺は少しだけ溜飲を下げた。
俺は溜め息をつくと、指を突きつけて勇者に指図する。
「お前、解けるんだったらさっさとその呪いとやらを解いちまえよ。わざわざ弱点を残しておくなんて、どうかしてるぞ」
好き好んで呪いに掛かり続けるのは本人の勝手だが、今はそれによって不利益を被る俺のような存在がいることを、忘れて貰っては困る。
だが、勇者はそうした俺の要求を、あっさり拒んだ。
「断る」
「はあ!? なんでだよ。いくら天下無敵の勇者様だからってリアルに縛りゲーとか、ちょっと調子に乗っちゃってんぞ?」
いくら何十体もの魔王を退治し続けたベテラン勇者だとしても、呪いに掛かった状態で攻略なんて上級者向けのプレイは、ぜひとも俺のような足手まといがいない時にやって欲しい。
いや、もしやお荷物がいる状態という多重に縛りをかけた状況でのクエストに挑戦してるのかも知れないが、それに巻き込まれる俺の方はそんなマゾい趣味はない。
俺のいない所でだったら、呪いのアイテムを装備しようが全裸で戦いに挑もうが好きにしろと言いたいが。
「いくらお前が優秀すぎて、普通に勇者をやるのに飽き飽きだったとしても、俺の方は単なる一般人なんだよ。そこのところをきちんと考慮に入れてだなぁ――」
「違うよ、ヨダ」
懇々と説教をかます俺に、ふっとシオンが笑みを漏らした。
「私は勇者と呼ばれてはいるが、神に愛されている訳でもなければ、万能な存在な訳でもない。ただ人より少し多く経験を積んでいるだけの人間だ」
謙遜も過ぎると嫌味だぞ、と感じたが俺は思わず口を閉ざす。
「だから、呪いだろうと何だろうと、使えるものは利用しないといけないんだ」
私も、ただの一般人だからな――そう呟いたシオンは、普段のすかしたまでの清廉潔白な態度に不釣り合いの、皮肉な笑みをその口元に浮かべていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
結局、勇者は最後まで意見を曲げなかった。
もっとも何十年も勇者稼業に勤しんでいるシオンに、ぽっと出の俺が意見するというのも、烏滸がましい話だったかもしれない。
勇者の仕事に手出しをしないつもりなら、口出しもしないのが被扶養者として正しい姿勢だろう。
そんな訳で、俺は勇者不在の間は何も起きないことを祈りつつ、おかしなフラグを立てないよう大人しく日々を過ごしていた。
具体的には、メィダ・マーノ親父やその孫、ジジ・コナックとお茶をしたり、城内を探索したり、探索してたらうっかり大昔の罠を作動させて紐なし室内バンジーをしちゃったり、そこで謎の地下迷宮を発見してしまったり、地下迷宮で迷子になって勇者に助け出されたりしてた。
……いや、俺としては大人しくしていたつもりだったんだよ。それがなぜこんな一大スペクタクルになったのかは謎だ。
そんな感じで意外とぐったり疲れて迎えた勇者不在の日。
引きこもる勇者に習ってがっつり二度寝の体勢に入ったところ、廊下に繋がる扉が勢いよく叩かれた。
普段なら全部勇者に任せているのだが、今日ばかりは俺が対応しなければならない。
欠伸を漏らしながら扉を開けると、そこには顔面を蒼白にしたジジがいた。
「すみません! あの、勇者様は……っ!」
「シオンなら、今日は完全休業日だぜ」
そのことなら、もうすでに何日も前に全員に伝えてあったはずだ。もちろんジジも覚えていないはずはなく、俺の見えない妖怪アンテナが危険な信号を受信する。
「そこをなんとか、お話だけでも」
「無理だとは思うけど、何があったんだよ」
時期をずらせるものなら、勇者はそうしていただろう。
それでもこの日に確定していたという事は、動かすことができない絶対的なものだという証に他ならない。
「聖霊教会から、勇者が一人こっちに向かっているとの情報がありまして――、」
「よし、じゃあ今日はみんなで引きこもるしかないなっ」
「ま、待ってくださいっ!」
そのまま踵を返し、完全なる二度寝体勢に戻ろうとする俺の裾をジジは慌てたように掴む。
どちらにしても誰も勇者の代理はできない訳だから、シオンの言っていた一日籠城可能という言葉を信じて、みんなで布団にくるまっているぐらいしかやることがないと思うのだが。
「ですが、子供が三人城の外に出てしまっているんです!」
「どこのどいつだ、フラグなんて立てやがったのはっ!」
俺は頭を抱えると、天を仰いだ。