6、コンビニ店員、騙されていたことに気付く
公園の隅っこ。人目に付きにくい樹木の陰の壁際に、数人の子供たちが固まっている。
この年頃の子供というのは自分たちだけの秘密基地を作っては、やくたいもない遊びに熱中しているものだが、それにしては様子が妙だった。
見た所、子供は一人対複数人に分かれて対峙しており、楽しげな会話どころかギスギスした言葉が一方的に投げつけられているのが分かる。
遠目の段階ですでに、これは恐らく喧嘩か苛めだな、と目星をつけていた俺だったが、近付くとどうやらそうとも限らないことに気付いた。
もし、複数で一人を虐めようとしているのならば、一人は複数人によって壁際に追い詰められているのがセオリーだろうに、追い詰められているのは逆に三人の子供たちのようなのである。
「そんなことばかりしていると、教会から勇者がやってきますよっ」
「――勇者?」
勇者と言って俺の脳裏に思い浮かぶのはシオンのことだが、別に俺たちは教会という場所から来た覚えはない。
立ち聞きをして様子を伺おうとしていたが、ついうっかり声を出してしまったせいで壁際の三人の相手をしていた一人が振り返る。小柄な坊主頭の少年だった。
だが小坊主が振り返った隙に、三人がここぞとばかりに逃亡を図った。走って逃げたのではない。文字通り、飛んで逃げたのだ。
彼らは捨て台詞とばかりに、口々に子供っぽい憎まれ口を叩いて行く。
「ジジのバァカ!」
「石頭の分からず屋!」
「お前の魔王様、でーべーそ!」
ちょ、おま、最後のはブーメランだろ。真偽はともかくお前の魔王だってでべそじゃん、それじゃ?
「あっ、待ちなさい! まだ話は終わってませんよ! タンモ! イッタ! メーェン!」
そんな事を考えていた俺を尻目に、奴らは静止の声を振り切るように、昆虫のように薄い翼肢を羽ばたかせて飛んで行く。
羽の生えてないらしい小坊主には追いつく術はないようで、その姿を見送って溜め息をついていた。
「あー、なんというか。すまんかったな」
彼の気を引いて逃亡の切っ掛けを与えてしまったのは明らかに自分である為、俺は謝罪の言葉を口にする。
しかし少年はその幼い容姿に不釣り合いな、大人びた口調で首を振った。
「いえ、良いんです。お気になさらず」
そして茂みを掻き分け、苦労しながらこちらに来ようとするのを見て、俺はひょいっと少年を抱え上げる。大変そうだから手伝ってやろうという、その程度の軽い気持ちだった。しかし――、
「うおおっと!?」
ずっしりと腕に掛かる、まるで鋼鉄の塊でも掴んだような重さに、予想を覆された俺はバランスを崩し顔面から茂みにつっこんだ。
「だ、大丈夫ですか!? 私は見た目よりずっと重いんですっ」
少年が慌てたように声を張り上げる。
この重量感。ただの少年に見せかけておいて、実は黄金の鉄の塊でできていたりするのか。とんでもない初見殺しもいたものである。
「大丈夫だ、問題ない。そっちこそ、怪我とかしてないか?」
葉っぱにまみれたままの顔で、俺はむっくり起き上がる。
枝で顔に若干の擦り傷を作ってしまったようだが、これくらい男の勲章である。てか、枝が鼻の穴に突き刺さらなくて良かった本当に。それはさすがに遠慮したい。
むしろこっちこそ、余計なおせっかいで怪我でもさせていないか心配だったが、彼はふるふると首を振った。
「はい、ありがとうございます。ヨダ様」
その言葉に、俺は首を傾げる。
この数日間で城の中に幾人かの顔見知りは作ってはいるが、こんな子供の知り合いは作っていなかったはずだ。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。子供はしっかりとした口調で笑みを浮かべる。
「確かに私はヨダ様と初対面です。ですが、勇者様とヨダ様のことをこの城で知らぬ者はおりませんし、何より私は祖父からよく話を聞いておりましたので」
「祖父、と言うと……」
「メィダ・マーノが私の祖父です」
なるほど、と俺は手を叩く。彼は普通の見た目だが、確かにこのちまっとした感じはあのステテコ爺さんと共通のものがあった。
「申し遅れました。私はジジ・コナックと申します」
孫なのに爺とはこれいかに。
そんなことを考えながら、俺は差し出されたモミジのような手を握り返す。
「知ってるらしいが、依田一誠だ。お前、子供の割にずいぶんとしっかりしてるんだな」
俺がこれくらいの年の頃は、鼻水を垂らしながら友達と馬鹿な遊びに耽っていた記憶しかない。すると、ジジは困ったような苦笑を浮かべる。
「実は私は、年も見た目よりずっと取っているんです。どうやらこれも、瘴気の影響らしいのですが」
「へえ、いくつなんだ?」
見た目通りの年でないのなら、チグハグなまでの冷静さにも納得がいく。俺が何の気なしに年を尋ねると、彼はいたずらっ子のような顔で笑った。
「二十三歳です」
「同い年かよ!」
俺は思わず、声を張り上げた。俺がこのくらいの年の頃は、勇者にくっついて暇をしてたわ。
先ほどの光景は、城内で教師のような役割を担っているジジが、三人の問題児に説教をしていた場面だったらしい。
タンモ、イッタ、メーェンの三人はこの城きっての悪たれ坊主で、何かと騒ぎを起こしたり、大人に悪戯を仕掛けたりと、日頃からなかなかの悪童ぶりを発揮しているのだという。
そんな彼らであるから、魔王夫妻が新婚旅行に出て行ったことでできた隙を見逃すはずがない。ここぞとばかりに悪戯は悪化し、ついにはこっそりと城を抜け出そうとした所をジジに見つかって大目玉を食らっていた最中とのことだった。
個人的に、生意気な糞ガキには痛い目を見せるべしというのが理念である俺としては、ますます邪魔をしてしまったことに申し訳なさを覚える。
「そういえば、さっきお前が言っていた『教会の勇者』って何だ?」
俺は説教の邪魔してしまった原因でもある言葉をふと思い出し、ジジに聞いてみた。
勇者と言われれば俺にはシオンのことしか浮かばないが、やはり奴のことではないのだろう。
彼は一瞬言いよどむような素振りを見せたが、隠す事でもないと思い直したのか口を開く。
「実は私たちには昔から、敵対視をしてくる『聖霊教会』という組織がいるのです」
そう話を切り出したジジは、困惑を隠し切れない表情で深々と溜め息をついた。
この世界の魔王は、地下階層世界から溢れる瘴気をコントロールする管理人であり、ゲームや漫画に出てくるような分かりやすい悪の親玉なんかではない。
もちろん周辺諸外国もそれを知っているからこそ、積極的な交流はなくても迫害はなく、また多少の協力も行っている。
しかし、それを理解していない者たちも少なからず存在していた。その代表とも言えるのが、光の聖霊を信仰する『聖霊教会』という宗教団体である。
この宗教団体は、この世の邪悪はすべて『魔界の門』から生じており、それを開く魔王は世界を滅ぼそうとしている諸悪の根源だと主張している。それゆえに、教会内で修練を積んだ聖人や聖女を、『光の勇者』に任じ、しばしば魔王討伐に向かわせてくるというのだ。
もちろん、それはでたらめも良い所なのだが、実際に『魔界の門』から逃げ出した魔物が人里に害を与えてしまうことも多々あり、その主張を鵜呑みにしてしまう人間はどうしても一定数出てきてしまうというのが現状だった。
「また私たちの見た目も、それを助長する要因の一つになっていまして、……悪循環ですね」
ジジは大人びた諦観の表情で、ほろ苦い笑みを浮かべた。
奇妙な見た目を持つジジたち城の住民は、事情を知らないに人間からは大抵バケモノ扱いを受けてしまう。
故に彼らは、日頃から城から出ることがほとんどなく、それがまた無知からの偏見を助長するようになってしまっているのだった。
「まあ、差別や偏見なんて、どこ行ったってなくならないもんだしなぁ」
俺は頭の後ろで指を組み、四方を壁に囲まれた灰色の空を見上げる。
そこらへんは、人間が人間である限り、どこの世界に行っても付いて回るものだろう。
俺が同意するようにそうぼやくと、ジジは寂しげな表情で頷いた。
「もちろん『聖霊教会』が行っているのは、歴然とした犯罪行為です。ですが宗教組織としての活動は真っ当であること、各地に信者、支援者が存在していること、そして被害を蒙っているのが我々魔王城だけであることから、各国の動きも鈍いのです」
教義として勝手に敵対視された方としては溜まったものではないが、反目し合わない分には無害。それどころか慈善活動として自国では追いつかない弱者への救済――炊き出しや孤児の保護なども行っているため、処罰に向けてなかなか積極的にはなれないのが現実だった。
「おいおい、それって大丈夫なのかよ」
その言葉に、俺は顔をしかめる。
孤立無援とまでは行かないが、実質的に自分で何とかしろとばかりに放置されているにも等しい。
そもそも、『門』から発生する魔物の退治で手一杯の状況下で、組織だって攻撃を受けることに、問題がないとは思えない。
直に被害を受けているにしては、魔王城民の対応はあまりに悠長すぎると俺は感じた。
「聖霊教会のことはこれまで魔王様がすべて対処して下さいましたから、我々は不安を覚えずに済んでおりました」
「でも今はその肝心の魔王も新婚旅行中だろ」
盲目的な信頼感のみに裏付けされた言葉に、俺は現実的な突込みを返す。上手く言葉にできないのだが、何だか非常にこう、モヤモヤとした気持ちがして落ち着かないのだ。
「代わりに、ヨダ様と界渡りの勇者様がいて下さってますでしょう」
安心し切ったようにこちらを見て笑ってみせるジジの、純粋無垢な期待と信服に満ちた答えは、さらに俺の中でそのモヤモヤを増幅させてくれた。
「いや、それは勇者はそうかも知れないけどさぁ……」
俺は腕を組んで首を傾げる。言葉にならないモヤモヤをどうにか形にしようと、あやふやな思考を捏ねくり回していた。
だがそこで、俺はふいに口を閉ざす。あることに気が付いてしまった俺の頬が、ひくりと引きつった。
「……つうか、そこらへんの事情は、もちろんシオンも知ってやがるんだよな」
「もちろん、そのはずですが」
ジジはそれを不思議そうな目で見ているが、俺はそんなことに構っている場合ではなかった。
ふるふると拳が震えるのは、抑制できない感情が身体にまで影響を及ぼしているからだろう。
何日か前に勇者と交わした言葉の数々が、俺の頭の中で鮮明に蘇る。
八つ当たりも含め、俺の憤りは余す事なく一気に、どこぞの勇者様に向けられた。
「あんの……大ウソつきめぇっ!」
メェ……メェ……メェ……
声を大にして叫んだ俺の声は、平和な公園の四方の壁にまるで呑気な羊の鳴き声のように反響するのであった。