3、コンビニ店員、男の浪漫を語る
「おお」
俺は眼前の光景に圧倒される。
「おおお」
目は見張られ、声が自然と溢れ出た。
「おおおおおおっ!!」
「何を叫んでいるんだ、ヨダ?」
感動に胸を震わせている俺の横で、シオンは不思議そうな顔をしている。
「おまっ、これに感動しないとか男としてどうかしているぞ!?」
冷静な顔を崩さないシオンを、俺は逆に理解できないと嘆いてみせる。
巨大な建造物に胸を躍らせるのは、まさしく男の本能だろうに。
轟々と風が吹く乾いた荒れ地で、俺の目の前に広がっているのは、巨大な蓋だった。
直径で言えば、三百メートルは優にあるだろう。カメラのレンズシャッターのように円形状に組まれた羽根蓋を絞ることで、開閉をしているらしい。
機構は無骨なくせに仰々しく、装飾はやたらと派手派手しい。古めかしい印象があるが、これだけ巨大な物体だと、それだけで製造にはかなり高度な技術を必要としているのだと想像に難くない。
つまりハイテクさとレトロさが、面白いように融合していた。
「そうだ、スチームパンクって奴だ」
俺は咽喉元まで引っかかっていた言葉を口にして、指を鳴らす。
この古臭いのにオーバーテクノロジーという、ある種矛盾を感じさせるこの人工物を表現するのには、地球のサブカルジャンルから言葉を借りるのが一番手っ取り早いだろう。
「ぐふぁはははははっ、どうだ! 素晴らしかろう! これが我が一族が千年の長きにわたって管理してきた『魔界の門』である」
ギタローが爆音にしか聞こえない笑い声を上げながら、機械仕掛けの門を誇る。
「いや、確かにこれは凄いわ。素直に賞賛するぜ」
俺は感嘆の溜め息をつきながら、それに同意した。すると途端にギタローが顔を赤くしながらもじもじし始める。ちょっと待て、お前それどんなキャラぶれだよ。変なフラグ立てんなよ! そして、ネィコさん。ハンカチを噛み千切りそうな嫉妬に狂った目を俺に向けないでください!
「『門』とは名ばかりで、てっきり魔法やそれに類する超自然的な力で下階層との通路を開いているのかと思っていたが、違うのだな」
シオンはどうやら俺とは違った方向に、関心を向けているようだった。当代の魔王は誇らしげに頷く。
「うむ、その通りだ。始まりの頃は魔方陣を用いて疑似的に門を開いていたのだが、超魔王と名高かった六代目魔王が物理的に穴を開けたのである」
恐らくレベルを上げて物理で殴るを、限界まで突き詰めたタイプの魔王だったに違いない。
しかも超魔王って何だ。超魔王って。
俺は当時のネーミングセンスに、心の中で突っ込みを入れる。
「この世界の傾向として、魔力は世代を重ねるごとに弱まっていく。やがて魔力を有していない魔王が誕生することも有り得るだろう。あるいは代替わりの際に、空位の期間が生じるやもしれん。そうした場合、誰も門を開けぬようでは世界は混沌に沈む。『門』の管理者たる魔王として、それは決して見過ごすことができんのだ」
ぐふぁはっはっはっはっ、と悪役じみた高笑いをギタローは上げているが、言っていることはまさしく正論だった。要するに、自分たちが万が一役割が果たせなくなった場合でも、救済措置を講じているのだ。
「だけどさ、そうすると門の管理者はあんたじゃなくても、務まるってことになるんじゃないのか?」
もっとも俺はそこで、ちょっと思いついたことを意地の悪く聞いてみた。誰にでもできる作業ならば、ギタローが魔王である必要もないだろう。
だが、そんな俺の軽口にも、ギタローは腹を立てる様子はない。
「うむ、まさにその通りであるな」
あっさりと頷いたギタローに、逆に俺は驚かされる。
「だが、他の誰が望もうと、我はこの役目を譲ることは良しとせん。何故ならば我は魔界の門を統べる者、魔王ファッカーヴァノ! この門が欲しければ、我を倒してからにするのだな!」
胸、というよりも突き出た腹を張って、ギタローは堂々と宣言する。その威風堂々とした佇まいは、確かに魔王としての呼び名に相応しい自負が込められている気がした。
ネィコさんも、頬を赤く染めて潤んだ目でうっとりとギタローを見ている。
だが、よくよく考えれば一度の機会を除いて、生涯ずっと穢れた土地に引きこもらなければならないし、門から現れた魔物と戦わなければならないしで、正直言って他に魔王になりたいという物好きが出てくるとは思えない。
それを考えると、ギタローの一族は体よく厄介事を押し付けられたのではないかとそんなような気もしてくる。このおっさん、結構単純そうだし。
「あなた、そろそろ始めませんと」
反っくり返りそうな体勢で高笑い続けているギタローの裾を、ネィコさんがそっと引っ張る。ギタローは高笑いをやめて、頷いた。
「うむ、そうであるな」
ギタローたちがこの場所に来たのは、単なる『魔界の門』観光案内ではなく、実際に『門』を開くところを見せるためだった。
『門』は大体週に一回ほどのペースで開かなければならないらしく、シオンが代役を務めている間もそれを継続する必要があった。口頭で説明を受けた後にぶっつけ本番ではさすがの勇者も不安だったようで、ギタローたちがいる間にそのやり方を見させてもらうことになったのだ。
もっとも関係のない俺は別にわざわざ来なくても良かったのだが、勇者と魔王が揃っていて危険なことはないだろうという事でついてきた。つまり、俺だけは本当に観光。
「では、行くぞ!」
魔王は高らかに宣言すると、門の傍らに建てられている物置小屋ほどの小さな建物に近づいていく。ギタローは入り口を素通りして壁面に回ると、そこに設置された巨大な回転ハンドルを手に掛けた。
「ぐぅうおおおおおおおおおおおっっ!!」
「まさかの人力かよっ!!」
低い叫びを大地に轟かせながら勢いよくハンドルを回す魔王に、俺は思わず全力で突っ込む。あの建物の中に操作パネルとかスイッチとかあるんじゃないのかよ!
さてはお前も物理で殴るタイプか! 知ってたけど!
「あれは万が一、機械が作動しなくなった時のための緊急用手動開閉装置なんですの」
「でも、別に今は緊急事態でも機械が壊れてる訳じゃないよね!」
俺に説明をしてくれるネィコさんに、思わず確認する。巨大な門を手動で開け閉めしようという考えもすごいが、それを実行するギタローも凄まじい。
もし壊れたまま放置されているのだとすれば、シオンもああやって叫びながらハンドルを回すことになるのか? ちょっとそれは見ものだぞ。
「いえいえ、ちゃんと機械は動きますわ。ですが、あの人はもしもの時に装置がちゃんと動かなければ意味がないと、ああやって試しているんですの。毎回」
「毎回やる意味ってないじゃん、毎回!」
大事なことだから二回言いました。いや、特に大事でもなかった。
つうか、あれは絶対に本人の趣味以外の何ものでもない。無駄に余った体力を無駄に消費しているのだろう。
「では、自動開閉装置の操作説明をいたしますわ。こちらにお出で下さい」
ネィコさんはそう言って、シオンを伴って操作室に入っていく。俺もそれに付いていったので、その場には顔を真っ赤にして声を張り上げながらハンドルを回し続けている魔王が一人残されたのであった。南無三。
「現在、夫以外でこの装置の扱い方を知っているのは、私だけです。なので、出立までにきっちり覚えておいてくださいね」
ネィコさんはレバーを引いたりスイッチを押したり、その他もろもろ、俺には分からない作業をしている。やがてプシューッと蒸気が抜ける音がして低い機械の作動音が轟だした。
操作室の中で剥き出しになっていた歯車や、バネがせかせかと動き出す。そして、ギタローの奮闘で三分の一ほど開いていた『門』が、あちこちから蒸気を吹き出しながら自動的にゆっくりと開いていった。
それに気付いたギタローはハンドルを回す手を離し、達成感に満ち溢れた表情でやれやれと汗をぬぐう。てか、あんたそれ特に意味なかっただろう。
小屋の外に出ると、そこには深い穴が開いていた。
そして異様な臭気があたりに漂い出す。
「……うっ、ぐざい゛い゛い゛」
俺は思わず鼻を塞ぎ、口呼吸を始める。温泉の硫黄臭さと、下水の腐ったような臭いと、生臭さと青臭さと、とりあえず思いつく有りとあらゆる臭さと混ぜ合わせて化学反応を起こしたような、とてつもない臭さが鼻から脳天を貫いたのだ。
「ヨダ様、覆いを」
「お゛、ぞう゛だっだ」
ネィコさんに言われ、俺は事前に貰っていたマスクを口元に付ける。
『門』から漏れ出る瘴気は、人間にとって毒となる。一朝一夕でどうこうなる類いの物ではないけれど、好き好んで吸うことはないだろうと俺はマスクを借してもらっていたのだった。
口元をすっぽり覆い隠すマスクのせいでいささか息苦しいが、あの臭いを直に嗅ぐ事と比べればよっぽど呼吸がしやすいとも言える。
「いや、それにしてもこの近辺に城下町を作らないのが理解できたわ」
俺はくぐもった声でそう嘆息する。
毎週毎週、こんなとんでもなく臭いものの蓋が開くのだ。たまたま風向きが風上に回ろう物なら、それだけで阿鼻叫喚の地獄絵図になりかねない。それくらい臭いのだ。
「ですが、問題は瘴気だけではありませんわ」
「確かに、本番はこれからだったな。こっから魔物が――っ!?」
ネィコさんの窘めるような口調に頷き振り返った俺は、驚きのあまりマスクの中で吹き出す。
彼女は非常に物々しいガスマスクで顔全面を覆っていたのだ。
「ね、ネィコさん……?」
「なんでしょうか、ヨダ様」
驚く俺に、ネィコさんは小首を傾げる。素顔のままなら愛らしいその仕草は、しかし不気味なガスマスクのせいでシュールを通り越して正直怖い。
「そ、そそそのマスクは……?」
「昔から愛用しているものですの」
「さ、然様ですか」
シュコーシュコーと呼気の漏れる音と共にあっさりとそう答えられては、こちらとしても頷く他ない。
視線を巡らせてみれば、ギタローはアフリカの少数民族が祭の時に被るような派手な仮面を被っているし、一転シオンを見れば奴は奴でペスト医師そっくりのマスクを被っている。
「……」
どうやらこの仮面博覧会の中ではむしろ、何の変哲もないマスクをつけている俺が仲間はずれのようだった。
奴らのマスクのチョイスに色々と思いを巡らせていると、ふいにどこぞの村の酋長――ではなく、ギタローが声を張り上げた。
「むむぅ、来たぞ!」
ギタローが背に負った、幅広の巨大な剣をを引き抜いて構える。シオンとネィコさんも、それぞれ身を緊張させるのをぎょっとして見ているうちに、穴から突如何かが飛び出してきた。
「飛竜であるっ!」
ギタローの怒鳴り声を掻き消すような叫び声を上げながら地上に飛び出したのは、蝙蝠のように皮膜を張った翼に、鱗に覆われた胴体、鳥にも似た蹴爪を持った巨大なは虫類――ドラゴンだった。
胴体だけで軽トラくらいの大きさを持つその生き物は、広い地上を満喫しようとするかのように翼をはためかせ、金切り声に似た鳴き声を上げる。
「飛竜はかぎ爪にさえ気をつければ、恐るるに足りん魔物である。だが、翼があるため何処に飛んでいくか分からん。逃がさぬように気をつけるのだぞ!」
シオンは、魔王の忠告に頷き愛用の剣の柄を握る。
奴らは魔物が人里まで飛んでいってしまわないよう、ここでしとめるつもりらしい。
もっとも俺としては、あんな巨大なドラゴンを相手取れるような化け物たちとは違うので、邪魔にならないようすたこらさっさと距離を取る事にした。
いや、取るつもりだったのだが。
「……なんでこっち見てるんだよ?」
俺は熱烈な視線を感じて、ぎくしゃくと振り返る。そこには中空から俺に熱い視線を送っているは虫類がいた。
勇者や魔王に警戒しつつも、その目は真っ直ぐ俺を捉えて離さない。
「いやいやいや。俺の所に来ても、何のおもてなしもできないよ? ほら、俺ただのコンビニ店員だし」
何故か相手に話しかけながら、俺はゆっくりと後ずさった。熊に遭った時は死んだ振りではなく、下り坂をジグザクに走るといいらしい。では、果たしてドラゴンに出逢った場合はどうすれば良いのだろうか。そんなの決まっている
「だから、その……さらばっ!!」
三十六計逃げるに如かず、だ。
俺は背を向けると、一目散に走り出す。もっとも、
『ギシャアァァァァっ』
「うわあああああぁぁっ!! 嘘だろおおおおぉぉ!!」
予想に違わず背後から迫り来る大質量の飛行物体の気配に、俺は盛大な悲鳴を上げたのだった。