6、界渡りの勇者、ため息をつく(シオン視点)
道中、ずっと押し黙ったままだったサ・ルー=マーゲルが口を開いたのは、目的の街にたどり着き、公文書館にて書類閲覧の手続を取っている最中のことだった。
この国は、ずいぶん文化のレベルが高く、公共の文書館であっても簡単な身分証明だけで他国の人間が自由に閲覧することが出来た。
もっともそれは逆に、本当に重要な文書は置いていないということでもあるだろうが、今はそこまで秘匿の文章を望んでいるわけではないので問題はない。
書類閲覧の許可書を発行してもらっている間、マーゲルは落ち着かない様子でしきりにあたりを気にしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「勇者様、本当に申し訳ありません……」
「謝る必要はない。私がうかつだっただけだ。君が気に病むことはない」
国境の町を離れるまでの間に、繰り返しやり取りした内容だ。
気を病むなというのは、慰めだけの言葉ではないのだが、それでもマーゲルの心の曇りを払拭するにはいたらないようだ。
「ではせめて、私だけでもヨダを探しに行かせてください。せめてそれぐらいはさせて頂かなければ、勇者様にもヨダにも申し訳が出来ません」
「その必要もない」
マーゲルに気付かれないよう、小さく息をつく。
国境付近の町に起きた騒ぎ。それに気を取られている間に、ヨダが姿を消した。
騒ぎの原因は繋がれていたはずの馬が急に逃げて、暴れだしたせいだったのだが、繋いでいたロープには人為的な切れ目が入っており、恐らく何者かによる我々を目を盗んでヨダを連れ去るための計画的な犯行だったに違いない。
宿に残されていた馬に興奮した様子はなく、また抵抗の跡もないので、自発的に着いていったか、あるいは抵抗する間もなく攫われたかのどちらかだろう。
どちらにせよ、非は油断をしていた自分にあり、マーゲルにはなんの責任もないのだ。
「あの、勇者様は……ヨダの心配はしておられないのでしょうか?」
おずおずとした様子でマーゲルが尋ねてくる。その姿に思わず口元に苦笑がよぎった。
顔を合わせた当初はなにかと角突き合わせていたようなのに、いつの間にやら随分と親密になったものだ。
だが、それもなんとなく理解できる。
ヨダには、人の警戒心を緩ませるようなところがあるのだ。意識してやっているようには見えないので、恐らくは本人の人柄によるものだろう。
出会ってまだ間もないため、ヨダのなにを知っているわけではないが、それでも彼の人柄に接していると自分でさえも気が緩むことがあるのは確かだ。
もっともそれは、必ずしも良いことばかりではないことも、忘れてはならない。
わずかに気を引き締め、マーゲルに対して首を振る。
「ヨダの安否は常に気をかけている。だが、現時点ではそこまで緊急性を感じられない。優先順位を変更してまで行動に移す必要はないだろう」
「つまり、どういうことでしょう……?」
マーゲルが怪訝そうに見上げてくる。私は簡潔に言い直した。
「ヨダは恐らく無事だ。まだ心配には及ばない」
資料閲覧の手続が済み、保管庫に向かう。まばらな人の間を縫い、目的の資料を探して素早く目を通していく。その間、マーゲルに説明をする。
「ヨダには、この国に来てすぐ私が意思疎通のための術を掛けた。それがまだ持続しているため、ヨダはまだ生きており、かつこの世界にいる」
ヨダが姿を消したとき、ヨダだけが再度別の世界に召喚されたという懸念が浮かんだが、術が継続している以上そうでないのは明らかだ。
経験上、他者の術が世界を跨いで持続することはまずない。どんな術であっても、世界を移動した時点で一旦打ち消される。唯一の例外は、祝福や呪いの類に限る。
「また、犯人は恐らくヨダを私に対する人質にするつもりで攫ったのだろう。ならばその場で危害を加えた様子がない以上、しばらくヨダは無事だ」
なにより、まだヨダは自分を呼んでいない。前の世界で危機的状況に陥った際は、自分を呼ぶように伝えておいた。
だが現時点で呼ばれた気配は感じていないので、おそらくそれもそこまで差し迫った状況ではないことの証だろう。
「それに、ヨダを攫った相手にはいくつか思い当たる節がある」
「本当ですか!? それは誰なんですか!?」
本を閉じた途端、その腕にマーゲルがしがみ付いてくる。うかつに答えようものなら、押っ取り刀で犯人の下へ向かいそうだ。だから私は、答える代わりにマーゲルに問い返す。
「近衛騎士サ・ルー=マーゲル」
「は、はいっ」
マーゲルは我に返ったように居住まいを但し敬礼をする。
「貴殿は、どのような騎士であることを望む?」
「はっ。国と王女に対して篤い忠誠心を抱き、悪の力に対抗して、何時いかなる時も、どんな場所でも正義を守る騎士です」
「貴殿は、国と王女に対して忠誠を誓っているのだろうか?」
「勿論その通りです!」
「そして、常に正義の存在でありたいと願っている」
「はい、間違いありません」
それがマーゲルの誇りなのだろう。ぴんと背筋を伸ばし、そこには一片の迷いもなく堂々と答えを返す。だが、
「もし、その両者が矛盾する場合はどうする?」
「え?」
マーゲルはきょとんと目を丸くする。
「己の思う正義を貫くことが、国に不忠を働くことに繋がったら? あるいは、その逆ならば?」
「そ、それは……」
「国に対する忠義を果たすことが、王女への不忠であったら? その逆は?」
マーゲルは歯切れ悪く、言葉を濁す。
「……考えたことも、ありませんでした」
「ならばこれを機に考えてみるといい。どのような騎士を目指すにしろ、思考を停止させることはあってはならない。迷いなき道を進むものは、いつしかその盲目さゆえに穴に落ちることもある」
「……はい」
「もっとも、見えていることが必ずしも幸せだとも限らないのだがな」
あらかた資料を確認し終えて、公文書館を後にすることを決める。これでおおよその準備は整った。まだ揃わぬピースもあるが、それは現地で埋めていくこともできるだろう。
「ヨダの所在に関しては、恐らく犯人のほうから連絡があるだろう。誘拐しておきながら、なんの要求もないのでは片手落ちだからな」
書類の持ち出しをしていないか等の確認があり、退館の手続をしている間にそんなことを話す。するとおもむろに職員の一人が近付いてきた。
「ニコ・エドゥムラン王国のマーゲル様とお連れ様ですか?」
「はい、そうですが」
職員はマーゲルに向かって一通の封筒を差し出した。
「お二人宛に、こちらの手紙を預かっています」
「手紙? 誰からですか?」
「渡せば分かると伺っていたのですが……」
マーゲルは封書を開き、そして顔を青ざめさせる。
「勇者様、犯人が分かりましたよ」
それは『勇者よ、貴様の従者は預かった』という一文から始まる、魔王城からの招待状だった。
「だからヨダは、私の従者というわけではないのだがな」
私の口から、小さな溜め息がこぼれた。