「彼女は女友達ですわよ」と男装女子を連れていた彼に言ったら顔を真っ赤にさせた
サバサバ系女子にしたかったけどそこまで入らなかった
王都の中央広場を囲むように建つ貴族街の一角、控えめな屋敷の居間で、アンナ・ルーアンは窓の外をぼんやりと見つめていた。
春の陽射しが柔らかく差し込み、庭の薔薇が咲き始めているのに、彼女の胸は重かった。
「アンナ、今日も騎士団の訓練に付き合ってくる。ジュリアナと一緒だ」
婚約者のフローレンス・ベルモンが、いつものように軽やかな口調で告げた。銀色の鎧を身にまとい、金髪を風になびかせた彼の姿は、誰が見ても絵に描いたような騎士だった。しかし、その隣に立つ人物の存在が、アンナの心を蝕んでいた。
ジュリアナ・ヴァレン。
黒髪を短く切り揃え、男装の甲冑を纏った女騎士。口調も仕草も男っぽく、騎士団では「男友達」として扱われている。フローレンスはことあるごとに「ジュリアナは男みたいな奴だから、嫉妬するなよ」と言い、アンナをたしなめた。
「わかっていますわ。ご自由に」
アンナは静かに頷いた。もう何度も繰り返した会話だった。最初は心配し、次に怒り、やがて無力感に沈んだ。フローレンスの目は、ジュリアナを見るときだけ生き生きと輝いていた。アンナを見る目は、義務を果たすためのものとしか思えない。
婚約は両親の取り決めだった。アンナの家は地方の男爵家で、フローレンスの子爵家との結びつきは家名を守るためのもの。アンナ自身は、幼い頃から従順に育ってきた。文句を言わず、微笑み、待つことだけを覚えさせられた。
だが、限界は近づいていた。
「じゃあ、行ってくる」
フローレンスは軽く手を振り、ジュリアナと肩を並べて出て行った。二人の背中が並ぶ姿は、まるで本物の男同士のようだった。アンナは小さく息を吐いた。
「…もう、いい加減にしたい」
その呟きは、誰にも聞こえないように、部屋の空気に溶けていった。
それから数日後。アンナは久しぶりに、王都の騎士団の公開訓練を見学することにした。フローレンスの様子を確かめたかったわけではない。ただ、屋敷にいると息が詰まりそうで、外の空気を吸いたかっただけだ。
訓練場の片隅で、彼女は木陰に立っていた。汗を流す騎士たちの中に、フローレンスとジュリアナの姿を見つけた瞬間、胸がざわついた。二人が並んで剣を交わし、終わった後に肩を叩き合って笑っている。距離が近すぎる。明らかに「男友達」の枠を超えている。
アンナは目を逸らし、反対側のエリアへ歩いた。そこで、ふと目に止まったのが、一人の女騎士だった。
ロザンヌ・ド・クレール。
銀髪を後ろで結い、男装の甲冑を着こなしながらも、どこか柔らかい雰囲気を纏っている。剣の扱いが洗練されていて、周囲の騎士たちも彼女を一目置いているようだった。訓練が一段落したところで、ロザンヌは水を飲み、額の汗を拭った。
アンナが近づくと、ロザンヌがふと顔を上げた。灰色の瞳が、静かにアンナを捉える。
「…何か御用ですか?」
声は低く、穏やかだった。男装しているのに、言葉遣いは丁寧で、どこか女性らしい抑揚がある。
「いいえ。ただ…素敵な剣捌きだと思いまして」
アンナがそう答えると、ロザンヌは小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。あなたは…ベルモン子爵の婚約者様、ですね」
「ええ。アンナ・ルーアンと申します」
「ロザンヌ・ド・クレールです。よろしくお願いします」
簡単な自己紹介を終えた後、二人はしばらく沈黙した。アンナは、ロザンヌの隣に立つだけで、不思議と気が楽になるのを感じていた。フローレンスと一緒にいるときの緊張感とは違う。
「…訓練、よくご覧になっていますね」
ロザンヌが静かに言った。
「ええ。婚約者の様子を……少し」
アンナの声が、わずかに揺れた。ロザンヌはそれを見逃さなかった。
「もしよければ、少し話を聞きましょうか。ここは人目がありますし、近くの茶店でも」
アンナは少し迷った後、頷いた。初めて会った相手なのに、拒絶する理由が見つからなかった。
茶店の個室で、アンナは熱いハーブティーを両手で包み込んだ。ロザンヌは向かい側に座り、静かに待っている。
「…フローレンスは、ジュリアナとばかり一緒にいるのです。『男友達だから嫉妬するな』と言いながら、反省の色もありません。二人きりで宿に泊まったこともあると聞きました。…私は、何も言えずにいます」
言葉が溢れ出すと、止まらなかった。長く抑えてきたものが、一気に流れ出る。
「婚約しているのに、私は彼の優先順位の中にいない気がするのです。家のため、義務のため…私はただ、そこにいるだけ」
ロザンヌは途中で遮ることなく、最後まで聞いた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「そうか。辛かったね」
たったそれだけの言葉だった。
アンナの目から、涙がこぼれ落ちた。
「…え?」
「辛かったよね。誰にも言えずに、ずっと一人で抱えていたんだ」
ロザンヌの声は、優しく、確かに届いた。アンナは初めて、自分が「辛かった」のだと自覚した。怒りでも、嫉妬でもなく、ただただ辛かったのだと。
嗚咽が漏れた。茶店の個室で、アンナは長く抑えてきたものを吐き出した。ロザンヌはハンカチを差し出し、静かに背中を撫でた。
「もう、無理しなくていいよ。私はここにいる」
その言葉が、アンナの心に染みた。
それから、アンナとロザンヌは頻繁に会うようになった。
ロザンヌは騎士団の任務の合間を縫って、アンナの屋敷を訪れたり、一緒に王都を散策したりした。男装姿のままなのに、どこか気品があり、アンナは安心して隣にいられた。
「今日は市場に行きましょう。季節の果物が美味しい時期です」
「ええ。ロザンヌ様がお選びください」
「もう『様』はいらないよ。ロザンヌでいい」
そんな会話を重ねるうちに、アンナの表情は少しずつ柔らかくなっていった。フローレンスの存在が遠のくほど、日常が穏やかになっていく。
ある日、庭でお茶を飲んでいると、ロザンヌがふと呟いた。
「アンナは、もっと自分の気持ちを大切にしていいんだよ」
「…自分の気持ち、ですか」
「ええ。婚約だって、家のためだけじゃなくて、自分が幸せになれるかどうかが大事だと思う」
アンナはティーカップを置き、静かに頷いた。
「…ありがとうございます。ロザンヌと出会って、初めてそう思えるようになりました」
ロザンヌは微笑み、そっとアンナの手に自分の手を重ねた。温かい。騎士の手が、こんなにも優しいとは思わなかった。
そんな穏やかな日々が続いていたある夕方。
アンナはロザンヌと一緒に、屋敷の近くにある小さな公園で散歩をしていた。夕陽が長く伸びる影を落とし、木々の葉が風に揺れている。二人は並んで歩きながら、近々開かれる騎士団の演武会の話をしていた。
ロザンヌが穏やかに微笑んだ直後、公園の入口から荒々しい足音が聞こえた。
「アンナ!」
振り返ると、フローレンスが顔を真っ赤にして駆け寄ってくる。後ろにはジュリアナが、気まずそうな表情で立っていた。どうやら二人は訓練後にここを通りかかり、アンナとロザンヌが並んで歩く姿を目撃したらしい。
「お前、ロザンヌと親密すぎるだろ!浮気か!?昼間から二人きりで何をしてる!」
フローレンスの声は周囲に響き、近くを歩いていた人々が足を止めた。アンナはロザンヌの隣で、ゆっくりと彼を見据えた。以前の自分なら、すぐに謝って弁解しただろう。しかし、今は違う。
「フローレンス様。ロザンヌは女性です。彼女とは女友達ですわよ」
その一言が、空気を凍らせた。
フローレンスの顔が、みるみる赤く染まった。耳まで真っ赤になり、口をパクパクと動かして言葉を失う。
「な…なにを…お前まで…!」
「『男友達だから嫉妬するな』と、いつもおっしゃっていましたわね。私はただ、同じことをしただけです」
フローレンスは逆上した。手を振り上げようとした瞬間、ジュリアナが素早く彼の腕を掴み、簡単に制圧した。
「フローレンス、落ち着け。人前だぞ!」
ジュリアナの声は冷静だったが、どこか焦りが混じっている。アンナは静かに二人を見つめた。
「今回の件、骑士団にも報告させていただきます。二人の関係についても、証拠は揃っていますから」
ロザンヌが静かに一歩前に出た。彼女はすでに、フローレンスとジュリアナが男同士でもあり得ないほど密着し、二人きりで宿に泊まった記録や、目撃証言を集めていた。騎士団の規律に明らかに反する行為だ。公園という人目のある場所で、逃げ場はなかった。
フローレンスの顔から、徐々に血の気が引いていく。
騎士団の査問は、異例の速さで進んだ。
証拠は山のように積み上がっていた。宿の帳簿には「フローレンス・ベルモンとジュリアナ・ヴァレン、二人部屋・連泊」の記録が何度も残り、同僚騎士たちの証言は「夜遅くに二人で戻ってきた」「訓練中も異常に親密だった」と揃っていた。
さらに、二人が交わした私的な手紙の一部まで押収され、そこにはとても「男友達」とは言えない甘い言葉が並んでいた。 団長の声が、冷たく響く。
「除籍処分とする。騎士としての名誉はすべて剥奪する。甲冑も剣も返納せよ」
宣告が下った瞬間、フローレンスの顔から血の気が引いた。ジュリアナも膝から力が抜け、床に手をついた。男装を誇りにしていた彼女にとって、これはただの処分ではなかった。自分という存在そのものを否定されたに等しかった。
査問の場には、騎士団の多くの者が詰めかけていた。かつての「華やかな二人」を、冷たい視線で見つめる同僚たち。誰一人として同情の声を上げる者はいなかった。
アンナは正式に、フローレンスの有責による婚約破棄を申し立てた。家同士の話し合いも、証拠の前ではあっさりと決着した。アンナの家名は傷つかず、むしろ「賢明な判断」として評価された。
フローレンスは子爵家からも疎まれた。父親は「家の恥」と吐き捨てるように言い、地方の寒くて狭い小領地へ事実上の流罪のような形で送り出した。与えられたのは、荒れ果てた小屋と、わずかな土地だけ。騎士としての俸給も、名誉も、すべて失った。
ジュリアナは、かつて自慢していた男装の甲冑を剥ぎ取られ、平民として細々と生きる道を選ぶしかなくなった。騎士団から追放された女騎士に、誰も手を差し伸べない。彼女は王都を離れ、名も知れない町で、かつての自分を隠すように暮らすことになった。 二人は互いに責任を押しつけ合った。
「お前がもっと慎重に動けば……!」
「私が? お前がアンナをないがしろにしたからだろう!」
最後には罵り合い、結局は別々の道を歩むことになったという。かつて肩を並べて笑っていた二人は、もう二度と顔を合わせることもなかった。
「ざまぁ、ですね」
ロザンヌが小さく呟いたとき、アンナは初めて心から笑った。
騒動が落ち着いた後、ロザンヌが一人の青年を紹介してきた。
「私の従兄弟です。ルカ・ド・クレール。性格は穏やかで、誠実な男です」
ルカは金髪の優しい青年で、アンナを初めて見た瞬間から、丁寧に頭を下げた。
「ロザンヌから話は聞いています。もしよければ、少しずつお付き合いを…」
アンナは驚いたが、拒否する理由はなかった。ルカはフローレンスとは違い、アンナの話をきちんと聞き、彼女のペースを尊重してくれた。
婚約は自然な流れで決まった。家同士の結びつきも悪くなく、アンナ自身も「この人となら、幸せになれそう」と感じられた。
ルカは、アンナとロザンヌの仲の良さに、時折焼き餅を焼く。
「ロザンヌ、アンナとばかり話しすぎじゃないか…」
「はは、嫉妬か? でも、アンナはお前の婚約者だぞ。安心しろ」
ロザンヌは笑いながら肩を叩き、アンナは困ったように微笑む。それでも、三人の関係は良好だった。ルカはロザンヌを信頼し、アンナも二人の間に居場所を見つけた。
アンナはルカとの穏やかな婚約生活を送りながら、時折ロザンヌと茶を飲む。
「あのとき、ロザンヌが『辛かったね』と言ってくれなければ、私は今も我慢し続けていたかもしれません」
「いえ。アンナ自身が、立ち上がったんです」
ロザンヌはそう言って、優しく微笑んだ。
アンナは窓の外を見た。薔薇が満開に咲いている。かつての重たい胸の内は、もうどこにもない。
「これからも、よろしくお願いしますね。女友達として……そして、家族として」
「ええ。ずっと」
春の陽射しが、三人の未来を優しく照らしていた。
半年後。
フローレンスは、地方の寒村で、かつての栄光を夢に見ながら暮らしていた。
荒れ果てた小屋の中で、彼はよく夜中に目を覚ました。銀色の鎧を身にまとい、訓練場で喝采を浴びていた自分の姿が、夢の中では鮮やかに蘇る。
だが目を開けると、そこにあるのは湿った壁と、すすけた天井だけだった。
周囲の村人たちは、彼を「除籍された男」と陰口を叩いた。誰も彼を騎士とは呼ばない。時折、王都から流れてくる噂話を耳にするたび、胸が締め付けられた。
アンナが新しい婚約者を迎えたこと、そしてロザンヌと穏やかに暮らしていること――それらは、すべて彼の敗北を突きつけるものだった。 ジュリアナは、別の町で、男装を捨てて平凡な生活を送っていた。
髪を伸ばし、地味な服を着て、小さな店で働く日々。かつて「男友達」として扱われ、騎士団の中心にいた自分が、いかに空虚だったかを、彼女は毎日のように思い出した。唇を噛み、拳を握りしめても、もう何も戻らない。 ある日、町の居酒屋で、かつての同僚たちの会話が耳に入った。
「あの二人、結局どうなったんだ?」
「除籍されて、お互いを恨みながら別れたらしいぜ。ざまぁみろって話だな」
ジュリアナは、手にしていた杯を強く握りしめた。誰にも言えず、ただ黙ってその場を離れるしかなかった。 二人は二度と、王都の華やかな世界に戻ることはなかった。
栄光も、誇りも、互いへの信頼も、すべて失ったまま。 そしてアンナとロザンヌ、そしてルカの三人は、春の陽射しの下で、穏やかに笑い合っていた。
(了)




