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第三話:『ノイズ混じりの日常、剥き出しの牙』


昨夜、ファミレスを出て寮へ戻る道すがらのことだった。

街の喧騒の中、凛が微かに眉をひそめ、悠真の耳元で囁いた。

『ご主人様。先ほどから、周囲の通行人のスマートフォンが一斉にノイズを発しています。……何らかの広域な電子的干渉かと』

悠真もまた、自らのポケットの端末を取り出し、画面が一瞬だけ砂嵐のように乱れるのを確認していた。

(……ただの電波障害か? いや、妙な胸騒ぎがする)

その違和感の正体が最悪の形で牙を剥くことになるとは、この時の悠真はまだ知らなかった。

――翌日。桜ヶ丘女学院の中庭。

昼休みの喧騒の中、一つのテーブルだけが甘い香りと笑顔に包まれていた。

「今日の数学、難しくて頭が真っ白になっちゃいました……。来週の小テスト、どうしよう」

ふわりとショートヘアを揺らし、おっとりと微笑むのは大空歩。結衣のクラスメイトだ。

「あー……別に。適当に公式当てはめるだけだろ。ぶっちゃけ、授業とかダルくて寝てたかったんだけど」

悠真が首の後ろを掻きながら欠伸まじりに答えると、結衣が弾んだ声で笑いながら突っ込む。

「悠真くん、いつも『めんどくさい』ばっかり言ってるよね! だめだよねー!」

「うるせぇよ。実際、学校ってのは面倒なことばっかりなんだよ。テストだの課題だの……」

呆れたようにため息をつく悠真を見て、歩が嬉しそうに鞄から可愛いタッパーを取り出した。

「ふふっ。じゃあ、そんなお疲れの悠真くんと皆さんのために、今日は特別なものを持ってきたんです。じゃじゃーん!」

タッパーの中には、可愛らしい形をしたお菓子が敷き詰められていた。

「昨日、ちょっと夜更かしして、新しいレシピのクッキーを焼いてきたんです!」

「わあ、すごい! 歩ちゃんのクッキー、お店のみたいに美味しいんだよね! いただきまーす!」

結衣が目を輝かせてクッキーを頬張る。さやかも優雅に一つ手に取り、小さく口に運んだ。

「……悪くないわね。甘すぎず、紅茶によく合うわ。歩は本当に手先が器用ね」

「えへへ、先輩に褒められちゃった。また皆さんのために作ってきますね!」

歩が花のように笑う。彼女のそのおしとやかで優しい空気感は、騒がしい日常を温かく和ませていた。

「悠真くんも、はい、どうぞ!」

歩が少し身を乗り出し、悠真に向かってタッパーを差し出した――その瞬間だった。

ガタンッ!

歩の体が、まるで操り糸を切られた人形のように唐突に崩れ落ちた。

テーブルに突っ伏し、そのまま地面に倒れ込んだ歩の目は、うつろに開いたままでピクりとも動かない。

「おい、どうした!」

悠真はいち早く駆け寄り抱き起こす。脈も呼吸もある。だが、意識だけが完全に「抜け落ちて」いるような、不気味な感触があった。

(……なんだ、この倒れ方は。まるで中身だけが空っぽになったみたいな……)

緊迫する状況の中、悠真はふと視線を上げ、息を呑んだ。

「……」

結衣だった。つい先ほどまで無邪気に笑っていたはずの彼女は、親友が倒れたというのに悲鳴一つ上げず、ただその場に立ち尽くしていた。

しかし、冷静なのではない。結衣はスカートの裾を、指の関節が白くなるほど強く握りしめ、俯いていたのだ。その横顔には、驚きではなく――どこか諦めと、重い『罪悪感』のような影が落ちていた。

(……結衣? お前、なんでそんな顔をしてるんだ。まるで、『こうなることが分かっていた』みたいな……)

その強烈な違和感を悠真が問い詰めるより早く、さやかが鋭い声を上げた。

「悠真、早く歩を保健室へ! 私は自室でデータを洗うわ!」

――数十分後。さやかの自室。

保健室の養護教諭が「バイタルは正常なのに、意識だけが吸い出されたみたい」と首を傾げたのを聞いた後、悠真たちはさやかの部屋に集まっていた。結衣は保健室に残り、歩のそばに付き添っている。

優雅な仮面を脱ぎ捨てたさやかは、キーボードを凄まじい速度で叩いていた。

「……これを見て」

さやかがモニターを弾くと、学園周辺の地図上に、赤い警告マークが五つ点灯した。

「なんだこれ……?」

「今週だけで五件目よ。学園周辺の能力者が次々と昏倒しているわ。そして……全員の脳波の欠損データが、歩と完全に一致している」

その言葉と視覚データを見て、悠真は顔をしかめた。

「……波形が同じ? じゃあまさか、誰かが意図的にあいつらの意識を引っこ抜いてるってことか?」

「ええ。昨夜の広域な電子ノイズ……あれがデータ通信の合図だったみたいね」

「……マジかよ。他人の頭の中身を盗むとか、とんでもなく面倒くせえ事態じゃねえか」

悠真が忌々しげに舌打ちをした時、ピピッ、とモニターに警告音が鳴った。監視カメラの映像が切り替わる。

「……まずい。保健室の裏庭よ。黒コートの連中が侵入してる。意識を失って無防備になった歩たちを、物理的に『回収』しに来たんだわ」

「チッ……」

悠真は首をゴキリと鳴らし、深く息を吐き出した。

その瞬間、彼の瞳から「面倒くさがり」の気配が完全に消え失せ、冷徹な潜入捜査官の色へと切り替わる。

悠真は踵を返し、ドアへ向かった。その背中に、さやかが小さな物体を投げ渡す。

「悠真、この小型インカムをつけていきなさい。あと一分……いえ、三十秒だけ持ちこたえて。私もすぐに出るわ」

「……了解。三十秒で終わらせちまうかもしれないですけどね」

――保健室前、裏庭。

「そこまでだ、ネズミ共」

悠真が裏庭に飛び出すと、黒コートの集団がすでに保健室の窓へ向かっていた。

彼らは一斉に振り返るが、その瞳には感情も理性もない。口元だけが歪な弧を描き、「ア……アァ……」とノイズ混じりの奇声を漏らしている。

「凛、中は頼む。俺は外をやる」

「承知いたしました、ご主人様」

悠真は掌に高熱の炎を宿し、襲いかかってくる黒コートたちを次々と薙ぎ払う。

敵の動きは単調だった。炎で焼かれても無表情のまま突っ込んでくる。

「……弱すぎる。手応えがなさすぎてダルいぜ」

悠真が最後の一人を蹴り飛ばした、その時だった。

『――シ……システム同期。クラウドより能力データを、ダウンロード……。並列起動プロセス、開始』

倒れていた黒コートたちの口から、バグったような合成音声が一斉に発せられた。

次の瞬間、悠真の足元の地面が突如として泥のように液状化し、彼の足を深く拘束した。

「なっ……土砂操作の能力!?」

驚く暇も与えず、前方の黒コートたちが腕を振りかざした。空中に無数の鋭利なガラス片が生成され、吹雪のように悠真を狙う。同時に、背後の死角に立つ敵からは、高熱の炎の渦が放たれた。

(チィッ……! 前後同時の複合攻撃かよ!)

足が固定されているため回避は不可能。悠真は前方のガラスを自らの炎で相殺しようとするが、背後からの炎には対応が遅れた。

「――っ!」

背中を焼く衝撃と、防ぎきれなかったガラス片が悠真の肩や脇腹を浅からぬ深さで切り裂く。

「がっ……!」

凄まじい痛みに、悠真は口から鮮血を吐き出し、片膝を突いた。

(……クソ。個々の能力は大したことねえが、完全に統率された連携は厄介すぎる……足に力が入らねぇ……)

ダメージは深く、立ち上がろうとする悠真の膝がガクンと崩れる。

黒コートたちが無機質な瞳で悠真を見下ろし、再び前後からの致命的な挟撃を放とうとした、その時。

『――お待たせ。そのまま動かないで、悠真!』

耳元のインカムから、凛としたさやかの声が響いた。

次の瞬間、悠真のすぐ傍らに優雅な足取りでさやかが駆けつけていた。彼女が足元へ鋭い視線を向けた直後――ゴゴゴゴゴッ!! と凄まじい地鳴りが裏庭を揺らす。

悠真とさやか、そして背後に控えるクロニクルの足元の地面そのものが、巨大な岩の柱となって空高く一気に隆起したのだ。

前後から殺到したガラスの雨と炎の渦は、突如として下から突き上げられた巨大な岩盤の側面に激突し、虚しく砕け散る。

視界が急激に上がり、悠真は自分たちが数メートルもの高さにそびえ立つ岩山の上にいることに気づいた。見下ろす形となったことで、敵の平面的な包囲網は完全に無効化されている。

圧倒的な高所。悠真の隣で髪を風に揺らしながら、さやかが静かに口を開いた。

「……無理はするな、転校生」

悠真は痛みに顔をしかめつつも、口元の血を拭い、ニヤリと不敵に笑う。

「……遅いですよ、先輩。ハッキングの次は地形工事ですか。……ほんと、面倒くせえ学校だ」

「文句は後で聞くわ。……さあ、ここからは私たちの反撃開始よ」

さやかが眼下の敵へ鋭い視線を向けた瞬間、戦場の空気が一気に張り詰めた。


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