第1話 ウェディングドレスが欲しいです! 1
その神社は、小さな森の中にあった。
もともと名前のない神社で、地元の人たちは桜木神社と呼んでいる。
賽銭箱のすぐ傍に、大きな桜の木があるからだ。
地元の人たちの話では、桜の木には悪戯好きの妖精が住んでいるそうだ。
普段は春の日溜まりのように心穏やかだが、気紛れで突拍子もない事をしでかすので願掛けをしてはいけない。
「私も詳しくは知らないの。でも、どんな願い事も叶うそうよ。小さな神社だって聞いたわ。一度お参りしてみたら?大学から徒歩三十分で行けるの。ごく小さな森だから迷う事もないわ。野鳥とリスしかいない、至って平和な場所よ」
穏やかな笑顔に騙されて、花蓮はお参りを決めたのだ。
願掛けもできない神社だから参拝客はほとんどいない、そんな話は聞かされなかった。
ごく稀に他県から来る参拝客や、花蓮のように氏子ではない参拝客には、境内で見守るシジュウカラが何度も鳴いて喚起する。
「お賽銭を入れないで!願い事をしちゃいけない!」
その日の朝も、シジュウカラは懸命に鳴いたが、花蓮の耳には「ツツピーツツピー」という鳴き声が聞こえただけだった。
赤い鳥居と森の新緑が美しいコントラストで、花蓮は心が弾んだが、他に参拝客はいなかった。
「平日もお参り出来るって聞いたから来たけど……参拝客がいる方が珍しいって話は、本当だったのね」
急な長い階段を上り終えた時、花蓮はびっくりした。
「どうして満開なの?この辺りの桜は、葉桜になっているのに。ここだけ不思議ね」
参拝客に気付いた桜の木は、花びらを一枚だけ落とした。
花びらは、蝶のようにひらひら舞って地に着くと一瞬で小さな女の子に変わった。
この瞬間を目撃していたなら、花蓮は一目散に逃げ帰っただろう。
賽銭箱の前で、花蓮は財布を忘れた事に気が付いた。
「お参りに来てお賽銭だけ別の日にっていうのは、氏神様に申し訳ないわよね?どうしよう。願い事をしないで帰れば問題ないかな?」
花蓮が悩んでいると、突然声を掛けられた。
「おさいせん、ないの?」
「誰っ!?」
花蓮は驚いて右を向いた。
すると、いつの間にか三歳くらいの桜色のシフォンワンピースを着た女の子が傍にいて、ぴかぴかの百円玉を掌に乗せていたのだ。
女の子は、小さな右手を伸ばして一生懸命言ってくれた。
「あげる」
「え、くれるの?」
花蓮は面食らった。一体どこから来たのだろう。全く気配を感じなかった。
「あげる」
こんな小さな子から貰えないと思った時、女の子がしょんぼりしたので慌ててしゃがんだ。
女の子と目を合わせると、花蓮は急いで御礼を言って受け取った。
女の子は嬉しそうに笑うと、くるりと背を向けて走って行った。
「ポニーテールが、ぴょこぴょこ揺れて可愛い。まるで春の妖精ね。桜の花びらが子供になったみたい」
思わず笑みがこぼれた。
「あの子は何しに来たの?」
不思議に思ったが、深く考えなかった。
貰った百円玉を賽銭箱に投げ入れる直前、シジュウカラが鋭く鳴いた。
「入れちゃいけない!桜の木の下に置いて帰って!」
花蓮の耳には、ただ「ツッツピーツッツピー」とだけ聞こえた。
『親友の為に、どうしてもウェディングドレスが一着欲しいんです。氏神様、どうぞよろしくお願いします!』
花蓮は、両手を合わせて真剣に願った。
百円玉を投げ入れた後、二拝二拍手一拝して顔を上げると、賽銭箱は消えていた。
目の前には、西洋風の途轍もなく大きな屋敷がそびえていた。
「何これ?」
見るからに不気味で、花蓮は身震いした。
思わず片手をぎゅっと握った時、ふと違和感を感じて左手を開いた。
「おみくじ?一体いつの間に手の中に?」
花蓮が恐る恐る『おみくじ』を開くと、ピンク色の文が、ぱっと浮かび上がった。
『百円玉の分、願い事を叶えます。影のヒロインで、大恋愛して下さい』
「!?氏神さま、影のヒロインって何ですか!?私が願ったのは、ウェディングドレスです!」
花蓮は叫ぶように訴えた。
「手提げバッグも消えたわ。スマホはバッグの中だから誰にも連絡も出来ない。今日中に帰れるかな?」
途方に暮れて悲愴な顔つきで周囲を見渡したが、背後にあるのは森だけだ。
肩を落として薄暗い森を見つめた。
花蓮は、薄気味悪い森と不気味な屋敷を交互に見て、屋敷に行く事を選んだ。
「ともかく、森から離れよう。中に誰かいるかもしれない。入れて貰おう、帰る方法を探さなくちゃ」
花蓮は門へ向かったが、一歩踏み出した瞬間、ゴロゴロドッオーンという雷の落ちる轟音が森の中から聞こえて震え上がった。
「もう帰りたい!」
涙が零れそうになった時、隣で子供の声がした。
「帰りたい?」
「ええっ!?」
花蓮は、又もや面食らった。一体いつの間に現われるのか。
百円玉をくれた女の子が、不思議そうな顔をして見上げていた。
「うん!今すぐ帰りたい!」
即座に答えると、女の子は神妙な顔つきで頷いた。
「分かった。帰してあげる」
女の子が小さな掌を開いて、ぴかぴかの百円玉を取り出したので、花蓮は躊躇った。
女の子が「大丈夫。これで帰れるよ」と言ったので信じる事に決めたが、聞き慣れた女性の声がして驚いた。
「何を勝手な事をしているの!その娘は、第三十六回目の影のヒロインよ!」
花蓮が振り向くと、数メートル後ろで、桜色のシフォンワンピースを着た見知った女性が、かんかんに怒っていた。
「桜野先生!どうして、ここにいるんですか!?」
仰天して尋ねたが、先生は不機嫌そうな顔のまま花蓮を睨みつけた。
「花蓮さん!今すぐゴースト子爵の御屋敷に入りなさい!ゲームは始まっているのよ!」
責めるような険しい声音で、花蓮に命じた。
それで全てが呑み込めた。
(そうか、先生もグルだったのね!お揃いの髪型で顔つきも良く似てるから、きっと先生のお子さんだわ。神社の事は、それほど詳しくないって言ったのに。嘘だったのね。こうなるって知ってたんだわ)
花蓮が腹を立てていると、女の子がせっついた。
「早く!早く!」
「う、うん」
花蓮は急いで百円玉を受け取った。
「ありがとう」女の子に御礼を言った瞬間、賽銭箱の前に戻っていた。
「えっ!?どういう事?」
花蓮は目を丸くしたが、すぐに納得した。
「なーんだ、夢だったのね。あー、怖かった」
ほっと溜息を吐いたが、右ポケットに百円玉が入っていた。
「変ね。小銭を入れる癖なんてないのに」
気味が悪くなって賽銭箱に百円玉を投げ入れたが、何も願わなかった。
「ウェディングドレスは欲しいけど、あんな白昼夢は、もう見たくない。乙女ゲームのヒロインなんて、絶対に御断りだもの」
花蓮は、二拝二拍手一拝だけして帰ったが、既に手遅れだった。
願い事のキャンセルは、不可能なのだ。
御神木の枝に止まったシジュウカラが、小さな背中を見送りながら気の毒そうに鳴いた。
「可哀そうなお嬢さん、願い事は叶うまで終われない。叶ったら、御礼参りするまで終わらない」
シジュウカラの鳴き声は、「ツツピーツツピー、ツッツッピーツツピー」と境内に虚しく響いた。




