宗教二世のアダムとイブ
「アダム」と「イブ」は、いわゆる宗教二世だった。
その宗教団体の総本山は日本の某所にあり、教祖は「神様」と呼ばれて存命だった。
「神様」の姿はあまりにも醜く、もし見れば目が潰れると噂されていた。
「神様」には日常的に性奴隷が献上された。
全国あるいは全世界から拉致された美男美女が犠牲になった。
その恐らくすべてが「神様」によってすぐ惨殺された。
「教団」の使命はその犯罪行為を隠蔽して継続することだった。
「アダム」と「イブ」は幼少期から、「教団」を守る最強の戦士として教育された。
「神様」は聖なるものとして、「教団」は正義あるものとして洗脳された。
世間は腐敗しきったものとして洗脳された。
裏切る者は一族まとめて惨殺された。
アダムはある時、自分達が北朝鮮の少年兵に似ている気がした。
しかし北朝鮮の王族が、自分達が掲げる神より醜いだろうか?
彼らが核武装などによって人民の主権を守っている一方、自分達の神は信者をただ搾取し不幸にしているだけではないか?
アダムは意外にも、さして醜くない者に仕える彼らを哀れに思った。
この世界において、醜さと肉欲以外の何が本当だろうか?
それを神聖と呼ぶことは明らかに邪悪だが、邪悪でない言語がありうるだろうか?
さして醜くないものをやや美しいと称して過ごす人生は、哀れではないだろうか?
完全に醜いものを完全に美しいと称して生きる生に並ぶ力は、そこにあるまい。
「神様」は人間ではないと噂され、少なくとも数千年は生きていると言われていた。
醜悪そのものでしかない、人を食らう化け物。
周囲の人間を恐怖で支配して奴隷化し、信者となして古来「教団」を継続してきた。
自衛隊や米軍がさっさと殺してくれればいいのに、それをしないのは世界の権力が裏で繋がっているからだろう。
アダムとイブは幼少期から、殺される人や殺された人を山ほど見てきた。
厳しい訓練や使命を生き抜いて共に食事した仲間たちも、ほとんどが無念に死んでいった。
みんなほんとは「神様」を殺したかったに違いない。
だが、最強の戦士達が守っているのだから、それは不可能だ。
一説によると、言葉や文字を考えて人間に与えたのは「神様」だという。
確かに、人間が用いる言葉や文字の意味は常にどこかから与えられたものにすぎない。
例えば、「醜悪」なものに対する「憎悪」と、「神聖」なものに対する「忠誠」。
アダムとイブもまた愛し合うことによって、かえって恐怖で制御される。
美しい神殿の隠された地下室におぞましい血の海が広がるのは古今東西文明の常だ。
「神様」の醜い姿を直視した者達が、それを伝える間もなく地上から消されるのも常に必然。
醜い言葉には美しさへの可能性が、美しい言葉には醜い背後が付きまとう。
意味も言葉も、すべては欲動の神の末節だからだ。




