輿入れ
領主ヴァルはその日、異国から嫁を迎え入れる準備をしていた。
それは書面上の契約結婚であり、ヴァルは今日まで嫁の顔を見たこともなかった。王命によって、全てはつつがなく進められていた。領地を守るため、彼は剣を置き、夫となる覚悟をした。
断ることなど、できなかった。
季節は冬、ヴァルの領地では雪が降り続いていた。
音のない世界のなかで、白がすべてを覆い隠す。
風が止むと、屋敷の屋根の上の雪がわずかに鳴り、遠くで馬の蹄が雪を踏む音が聞こえた。
夏は熱く、冬は寒い。このような地に望んで嫁ぐ者は、これまでに誰一人としていなかった。
異国の花嫁は、最果ての北国に住むとある男であった。
恐らくこの地に耐えられるのは、そのような男しかいなかったのだろう。相手の家柄は貧しく、輿入れに際しても共に暮らす世話人は一名としか書かれていなかった。どの国でもよく耳にするであったが、つまるところ親に売られたのだ。
ヴァルはさほど期待もせず、むしろこのような地へ嫁ぐ花嫁を哀れに思っていた。
ヴァルは婚期を逃した中年で、大きな体格をしていた。
肩まである黒々とした髪は全て後方に撫でつけられ、昨日までは無精髭を生やしていた。狩りをするために全身には無数の切り傷があり、その金の瞳は鋭く、眉間には常に皺が寄り、領民も恐れるほどの容姿であった。
これでは花嫁も逃げおおせてしまうと、今日は使用人達に剃り念入りに髭を剃られ、朝から湯浴みをした。
領主らしく見えるよう一番上等な衣服を身にまとい、眉間の皺を指でほぐしながら花嫁の到着を待っていた。
ほどなくして、雪を払う音が広間の方から聞こえた。
扉が開き、寒気とともに花嫁一行が流れ込んでくる。
その姿を目にして、ヴァルは驚く。異国の者は皆、一様に分厚い衣服に身を包んでいたからだ。着膨れという言葉を表したかのように、人々は服に埋もれていた。
花嫁と同行した北国の大臣が一歩前へと進み出て、このたびの婚姻についての礼と異国のしきたりについて説明をはじめる。
――いくら寒冷地といえども、これはやりすぎだろう。
ヴァルはそれを聞きながら、民族衣装であるという分厚い布を眺めていた。
なかでも中央に座る人物、――恐らく花嫁なのだろう――は、一段と重ね着をしているように見えた。黒く分厚い羽織の上に、白や金、赤など何色もの羽織を重ね着ているように見受けられた。
その上に、小さな頭が乗っていた。
頭を下げているせいで顔はよく見えなかったが、黒く短い髪の、ヴァルよりもいくらか若い青年であるかのように思えた。
大臣の説明が終わると、花嫁は世話人一人だけを残して後の者は輿入れ道具を置いて足早に去っていった。
花嫁の世話人もまた、着膨れていた。
その世話人に促されながら、花嫁はヴァルの目の前に立ち微笑んだ。
「このたび嫁いで参りました、エルと申します。旦那様、不束者ではありますが、なにとぞよろしくお願いいたします。」
エルは、存外素朴な顔つきをしていた。
そしてヴァルの顔の傷や眉間の皺など恐れることもなく、ただ純粋に柔らかな笑みを浮かべていた。
「こちらこそ、よろしく頼む。私達は夫婦となるのだ、私のことはヴァルと呼んでくれ。畏まった言葉も苦手だ」
「わかりました。それでは、ヴァル様。よろしくお願いしますね」
ヴァルは、一目でエルのことを気に入った。
***
屋敷を案内しながら、ヴァルはエルを興味深く観察していた。
この国では媚びへつらう者も多くいたが、エルは媚びることも知らぬ様子で床に敷かれた絨毯の模様や階段の様式など、ヴァルに様々なことを臆せず尋ねる。
「この装飾、とても素晴らしいですね」
エルの国は技術の進みも遅く、見るもの全てに興味を示していた。
「古いものだ。職人たちの手で、受け継がれてきたものでもある」
「僕の国には、このような彫りはありません。不思議ですね、同じ木でできているというのに……」
そのあまりの言葉数に、途中エルは使用人に咎められていたものの、ヴァルは気にすることなくその一つ一つを丁寧に説明した。
エルは満足そうに微笑むと、次の興味へと目を引かれる。
異国の訛りを残した柔らかい言葉が、冷たい空気に溶けていく。
ヴァルは、久しぶりに人と穏やかに言葉を交わしていた。
「この地は、僕がいた場所よりもうんと……あたたかいのですね」
「恐らく、暖炉があるせいだろう。君の部屋にも備え付けてある。後で、温まるといい」
「ヴァル様、ありがとうございます」
その一言が、なぜだかヴァルの心に残った。
“ありがとう”という言葉を、こんなにもまっすぐに言われたのは、いつ以来だろうか。
「この先に、君の部屋がある。また後で会おう」
その後エルは、ヴァルの家の使用人の案内で自室へと向かった。
案内されたエルの部屋は、扉から見てもわかるように一際豪華な造りをしていた。おまけにエル一人だけの専用部屋で、使用人イルの部屋もまたその隣に備わっていたのだから驚きだ。
「坊っちゃん、玉の輿ですね!このような大きな部屋、イルは見たこともありません」
「そうだね。僕の家よりも、広いんじゃないのかな」
部屋に入るなり、思わず感想が出てしまう。
窓は大きく、壁には本棚と大きな衣装棚がならび、中央には大きな寝台があった。ソファーやテーブルも北国では見たこともないほどに繊細な装飾が施されており、エルは異国に嫁いだことを実感していた。
そしてふと、窓の外の雪を見つめた。
「……ねえ、イル。あの雪の向こうから、僕たちはやってきたんだね」
「ええ。ずいぶん、遠くになりましたね」
エルは息を吐いて、いまいちど自分の部屋を見渡した。
暖炉には控えめに炎が灯り、部屋全体を暖めていた。
「これが、暖炉。……ちょっと、暑いかな?」
「私には適温に思えますが、その花嫁衣装ではそうかもしれませんね。少々お待ちください、水をお持ちします」
エルはそっと、腕で流れる汗を拭う。
エルが住んでいた国では、日頃から厚着をしていた。
もともとの衣装がそうであることに加えて、花嫁衣装は特別分厚かった。普段の黒い衣服に加えて、白、金、赤、紫、黄、青など、幸せを願う色合いの羽織が何枚も重ねられていた。重さはさほど気にはならないものの、いつもより横幅の間隔が掴めずにいた。
「坊ちゃん、私の部屋も豪華でしたよ!いやあ、このお屋敷の使用人のかたも皆、あのような部屋で生活しているのでしょうかね」
時折物にぶつかりながら、やっとの思いでソファーにたどり着きゆっくりと腰を下ろす。
イルが手渡したグラスを受け取り、水を一口。
「それにしても……旦那様も、素敵な人だったな。特にあの凛々しいお顔……。イル、本当に結婚歴はないんだよね?」
「そう聞いておりますが」
「あのような素敵な方の妻だなんて!……僕、どうしよう」
うっとりと頬を赤く染めるエルに対して、世話人のイルは心の中でその意見には同意しかねていた。
初めて目にした領主ヴァルは、噂通りの大きな図体に鋭い目付きをしていた。
顔には物騒な切り傷があり眉間には深い皺が刻まれ、歳はエルの父親よりかは少し若いくらいの年齢であったか。イルは、エルが殺されてしまうのではないかと震えていた。
しかしその後の案内は丁寧なものであり、はるばるやってきた花嫁をもてなそうと必死な様子も伺えた。その言葉は不器用ながらも、こちらへの配慮が伺えた。
外見はともかく、内面は至極真っ当な領主であった。
「まあまあ、坊っちゃん。そう夢を見ていてはいけませんよ?もしかしたら旦那様は、坊っちゃんを騙そうとしているのかもしれませんし……」
イルは、用心深く低い声で続けた。
「これは家のための結婚ですし、旦那様にも何か目的があるのかもしれませんよ?」
しかしエルは、イルの言葉など耳に入らぬ様子であった。
「そうかなあ?もしヴァル様が悪い人であったとしても、僕は幸せだな。悪いことって、いったい何されちゃうんだろう?」
浮かれ気分の主人にため息をつきながら、イルはどうしたものかと今後を憂いた。




