ストラディバリウスはストラディバリウスだから素晴らしい(2-新曲の作成、あるいは素晴らしい物について)
バンドリーダーの四季晴歌は、狭いアパートの一室で、当然のように家にやって来た暁時を目で追っている。晴歌愛用のMacBookと電子キーボードが、彼の前で触られるのを待っている。
「ってことで、当面は俺、あのコラボギター入手を目標に頑張るわ」
暁時がそう話を締めくくり、晴歌は頷いた。
「俺たちはアキが何でも欲しいギターを買えるくらい売れるからな、大丈夫だ」
「ハルのその自信、好きだよ」
晴歌はキーボードに向き直った。先ほどからいくつかのメロディを試しているのだが、なかなかしっくりこないのだ。晴歌のメロディに合わせて、暁時は晴歌のクローゼットから勝手に出してきたアコースティックギターを爪弾く。
「新曲、間に合いそう?」
暁時の問いに、晴歌は「間に合わせる」と答えた。
「この曲のテーマはストラディバリウスなんだ。知ってるだろ、ストラディバリウス」
暁時の手元から不協和音が響き、晴歌は「マジかよ」と言った。
「超有名な楽器製作者のストラディバリが制作した楽器群がストラディバリウスだ、音楽やる人間なら知っておいてくれ」
「いや、そのくらいなら知ってるよ。でも詳しくは知らないからさ」
晴歌は違うメロディを試し始めた。先ほどよりも格式ばっていて、「a hollow in the world」らしからぬ雰囲気だ。
「でも、テーマがストラディバリウスってどういうこと」
暁時は即座にメロディを追いながら尋ねる。晴歌は指を止めずに言葉を続けた。
「ストラディバリウスが素晴らしいとされる理由は何だと思う」
「ええ? いや、だから詳しくは知らないんだって」
暁時は情けない声を上げたが、少し間を開けて「材質とか?」と答えた。
「ギターもそうだけど、楽器は材料によって音の響きが異なるだろ。ストラディバリウスはそれが他よりいいんじゃねえの」
「いい着眼点。確かに、ストラディバリが生きていた頃は特に寒くて、そのおかげでいい木材が手に入ったとされてる。塩と燻煙で木材処理を行ったのが良かったんじゃないかという説もあるな」
「おお、じゃあそういうことじゃん」
ギターの音が弾む。
「でも、そうとも言い切れないんだ」
ギターの音が沈む。
「んじゃあ何だったんだよ」
「それがわからないんだよ。最近になって、現代のバイオリンなのかストラディバリウスなのか、演奏者にも聴衆にも明かさず演奏を比較したことがあるらしいんだが、……結果は、誰も明確な違いを感じ取れなかったそうなんだ」
暁時は指を止めた。
「それって、つまりストラディバリウスがいいっていう言説自体が幻かもしれないってことか?」
「そういうこと」
晴歌の指はいつの間にかまたアップテンポの現代的なメロディを奏でている。暁時は眉を寄せ、難しい顔で相手の言葉を待っている。晴歌は手応えを感じたのか電子キーボードからMacBookのキーボードに手を移し、カタカタと打ち込んだ。打ち込み終えて、暁時を見た。
「もちろん、普通にいい楽器なんだとは思うぜ。古いからこそ出る味というのもあるし。でも、それを凌ぐ楽器は存在しないなんて言われるほどのことはないのかもしれない。……実際に聞いたことないから何も断言できないけどな」
「ふうん」
部屋から音がなくなったことが嫌なのか、暁時は再び指を動かし始めた。昔、一世を風靡したイギリスのバンドの有名な曲のメロディだ。
「じゃあハルは、そんなの幻だって歌うのか?」
「いや、そんなことはしない」
晴歌はMacBookの画面を暁時に向けた。そこには新曲の歌詞案が表示されている。暁時はじっとそれを読み、二、三度頷いた。
「なるほどね。ストラディバリウスを名楽器たらしめているのは材質でも形状でもなく、ストラディバリウスであることそれ自体だって話か」
「ああ」
テーマがストラディバリウスでも、歌詞にその固有名詞はほとんど出てこない。十行ほどの文章は、「素晴らしいとされる物」について語っている。それはその物の部分ではなく、全体が重要なのだと語る。そして、そこに込められたある種の魂が全てを握るのだと主張する。
「それにしても魂なんて……ハルがこれまでに書いた歌詞に比べると、随分とスピリチュアルな感じだな」
「そう思うか? ここで言ってる魂ってのは、俺たちが音楽をやる時に込めてる気持ちと同じもんだぜ」
晴歌は休憩のつもりなのか、今度は耳馴染みのいい曲を弾き始めた。暁時は最近よく聞く曲だな、と一瞬考えを巡らせ「ヨヤミだ」と声を上げた。晴歌が弾いているのは、ヨヤミの最新曲だった。暁時にとってその曲は、歌詞は相変わらず片思いのことばかり歌っていて心底どうでも良かったが、メロディラインとギターの音は最高の一曲だった。
「暁時がいいと思うギターって、沢山あるだろ。ヨヤミのコラボギターも含め、それらの材質や制作方法、形状を真似すれば、元となったギターと完全に同じだって思うか? 元となったギターを作った奴らがそこに込めてた思いまで完全に模倣できるって思うか?」
暁時は首を振る。確かに外見や性能的には同一のものは作成できるかもしれないが……、それはオリジナルとはやはり違う物のはずだ。
「言いたいことはわかった。スピリチュアルってわけじゃなかったな」
「そういうこと」
晴歌は満足げに口角を上げた。




