【外伝】アレックス・ミラーレア
話は少し遡り、晩餐会での騒ぎが終わった後、チェザーロとリリアーナをトラスブルグ侯爵家へ送り届けたアレックスは同行していた従者と一緒に馬車に揺られていた。
暗くなり街灯に照らされる街並みを心なしか上機嫌に眺めている主の横顔を見つめ、従者の口からポロッと言葉がこぼれた。
「あそこまでする必要があったのですか?」
「・・・疑問かい?」
視線だけ動かして従者の方を見ると、アレックスの言葉を肯定するような視線が返ってくる。
馬鹿正直な視線を受け取り、くっくっと喉を鳴らしたアレックスは視線を窓の外へと戻した。
「アレックス様は王国唯一の公爵家であるミラーレア公爵家の令息です。そのような方が、親しいという理由だけで一介の侯爵家の人間にあのような態度を許し、仕事を投げ出してまで協力する意味が私には分かりません」
「一介ね・・・」
従者の言葉に耳を傾けつつ、アレックスは流れていく景色を眺めながら昔のことを思い出した。
トラスブルグ侯爵家と侯爵家が運営するトランスブルグ商会と懇意にしていたミラーレア公爵家にそれぞれ産まれたアレックスとチェザーロはお互いが4歳の時に出会った。
当時のアレックスから見たチェザーロは、よく言えば達観していて、悪く言えば人の上げ足ばかり取るクソガキだった。
と、いうのをチェザーロ本人に話したところ、「人のこと言えないだろ」と呆れ顔で返されたのはごく最近の出来事だ。
類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので性格の似ていたアレックスとチェザーロは意気投合し、8歳になる頃には気心知れた友人になっていた。
そんな似ている2人の中で大きく違ったのは、兄弟という存在への価値観だった。
アレックスは公爵家の次男として生を受け、生まれた時点でその人生には至極つまらないレールが引かれていた。
家を継ぐのは兄、自分は適当な家に婿入りするか文官などに就職する。
別に家を継ぎたかったわけではないが、ただ先に生まれたというだけで両親に必要とされ、より熱心に教育されている兄に対して好意を抱くことはできなかった。
そんなアレックスとは違い、チェザーロは侯爵家の長男として生を受けた。
当然、家を継ぐ者として教育を施され、未来を期待されていた。
そして、チェザーロには3歳年下の妹リリアーナがいた。
4歳で初めて出会った時から、チェザーロはリリアーナを溺愛していた。
普段はずっとつまらなそうな顔をしているくせに、リリアーナにはいつもデレデレの笑顔を向けていた。
蝶よ花よと両親よりもリリアーナを可愛がり、リリアーナをより長時間抱っこしていられるようにと暇があれば筋肉を鍛えていた。
一度、アレックスはチェザーロになぜそんなに妹が大好きなのか聞いてみたことがある。
ゆらゆらと揺れるゆりかごの中で眠っているリリアーナを眺めていたチェザーロはアレックスの質問の意図が分からずに首を傾げた。
それでも答えを求めるアレックスの視線にチェザーロは簡潔に応えた。
『リリアーナは私の天使だから』
一点の迷いもない純粋な目でそう言われたアレックスはひどく戸惑った。
全く回答になっていない。
自分が弟だから、長子の考えが理解できないのかとしばらく考えたが、自分の兄が自分のことを天使だと思っているかと言えばそうではないだろう。
つまり、チェザーロが特殊なのだと当時のアレックスは結論付けた。
そんな中、アレックスとチェザーロが8歳、チェザーロの天使であるリリアーナが5歳になった年にそれは起こった。
いつものように父に連れられてトラスブルグ侯爵家に訪れていたアレックスはチェザーロと2人で勉強をしていた。
リリアーナも同じ部屋でお絵描きをしていたが、途中で飽きてしまい侍女を連れて中庭に出ていった。
リリアーナが部屋から出て行ってしばらく経った頃、アレックスとチェザーロは休憩をしようとペンを置き、ぐぐぐっと伸びをした。
するとその時、中庭の方から侍女の悲鳴が屋敷中に響き渡った。
悲鳴を聞いたアレックスとチェザーロが急いで中庭まで行くと、そこには腰を抜かして座り込む侍女とその視線の先で青い炎が燃え上がっていた。
通常の炎とは違い、青く燃え上がっている炎の熱はある程度離れた場所にいるはずのアレックスの元まで届いていた。
暑さで肌がひりつくのを感じながらアレックス達が目を凝らすと、炎の中でリリアーナが泣いていることに気が付いた。
リリアーナの存在に気が付いたアレックスは助けようと炎に近づこうとするが、リリアーナを包んでいる炎の火力に押され近づくことができない。
そうしている間にも炎の威力はどんどんと強まり、周囲の芝生に燃え広がっていた。
足元まで近づいてきている火の手にアレックスは身の危険を感じ、とりあえず逃げようとチェザーロの腕を掴もうとした。
しかし、その手がチェザーロの腕を掴むことはなかった。
隣にいたはずのチェザーロがいないことにアレックスが気づいた時には、チェザーロは青い炎に飛び込み、リリアーナを強く抱きしめていた。
『リリー。何か悲しいことでもあった?なんで泣いてるのかお兄ちゃんに教えてくれない?』
炎に焼かれながら、チェザーロはいつもの口調でリリアーナに話しかけた。
兄に抱きしめられたリリアーナは泣き続けながら兄に言った。
『おにいさまたちがっ!ぜっぜんぜんっリリーとあそんでくれないっっ!』
『あぁ、最近勉強時間が増えてしまったから、それで寂しくなっちゃったんだね』
『リリーっずっとっがまんっしてたっ!』
『そっかそっか、邪魔しないように我慢してくれていたんだね、ありがとう』
チェザーロはリリアーナの背中をポンポンと優しく叩きながら、身体を左右に揺らしてリリアーナを宥め続けた。
そんなチェザーロの行動が功を奏したのかリリアーナが次第に泣き止み始め、それに比例するように広がっていた炎も少しずつ縮小し始めた。
炎が小さくなり、アレックスの場所からでもリリアーナとチェザーロの様子が鮮明に見ることができるようになる。
そこには、無傷のリリアーナと炎で全身火傷しているチェザーロの姿があった。
『リリー、寂しい思いをさせてごめんね。今度アレックスが来た時は3人で一緒に遊ぼう?』
『・・・ほんとに?』
炎が消えかける中、眠そうな瞳のリリアーナがきゅっとチェザーロの両脇に手を回した。
背中まで届かない短い腕で兄に必死に抱き着く妹。
火傷の上から手を置かれ、死ぬほど痛いはずなのにそれを顔に出さずに笑っている兄。
『本当だよ。だから・・・今日は・・・もうやすも・・・』
最後まで言い切ることはなく、チェザーロはリリアーナを抱きしめたまま意識をなくし、その場に倒れた。
『チェザーロ!リリー!!』
チェザーロが倒れた瞬間、アレックスは残り火がまだ残る中、倒れた2人に駆け寄ったーーー。
その後、すぐに治療を受けたチェザーロが目覚めたのは結局1週間も経った後のことだった。
チェザーロと一緒に気を失ったリリアーナは3日後には目を覚まし、チェザーロが目を覚ますまで毎日チェザーロの傍で1日を過ごしていた。
アレックスも両親に許可をもらいリリアーナが目覚めてからチェザーロが目覚めるまで毎日トラスブルグ侯爵家を訪れ、リリアーナの相手をしていた。
いわゆる魔力暴走というそれは、元々魔力量の多いトラスブルグ侯爵家の人間は幼少期に発生させやすいらしい。
上手く体内の魔力を放出できずに溜めこんでいると感情の起伏などをスイッチにして発生してしまう。
リリアーナは炎だったが、暴走の事象は人によって異なるらしく、チェザーロは自分が暴走したら一面氷漬けになると思うと言っていた。
また、リリアーナは特に魔力を溜め込みやすい体質らしく、まだ感情のコントロールが上手くできなかったので暴走してしまったのだろうとトラスブルグ侯爵がこっそり教えてくれた。
実際、事態が落ち着いた後に一緒にいた侍女からトラスブルグ侯爵が話を聞いたところによると、チェザーロとアレックスが最近勉強ばかりで遊んでくれなくなったことにリリアーナが文句を言っていたらしい。
仕方のないことだと慰め、最初は理解を示していたリリアーナだが、だんだんと目に涙が溜まり泣き出してしまった。
そして泣き出した直後、リリアーナの周りに靄が立ち込め火花が散ると、すぐに引火してリリアーナが炎に包まれてしまったというのが事の経緯だった。
チェザーロが目を覚ました後、アレックスは包帯でぐるぐる巻きにされてミイラのようになっている友人に聞いたことをすべて伝えた。
話を全て聞いた後、まだ話すことのできないチェザーロは魔力でペンを動かしながらアレックスに一つの頼み事をしてきた。
『今回の魔力暴走、暴走したのはリリーじゃなくて私ということにしたい。魔力暴走で身内に怪我をさせたなんて知られたら、リリーはこの先白い目で見られる。それだけは避けたいんだ』
アレックスには理解が出来なかった。
なぜ妹の為にそこまで出来るのか、そもそも、炎の中に飛び込む時点で大分頭がおかしいとアレックスは思っていた。
『この先の回復状況によっては一生寝たきりの可能性だってある状況で、最初に言うことがそれなの?』
アレックスは率直にチェザーロに問い返した。
包帯に隠れて表情は見えないが、何やら考え込んでいるように見えるチェザーロはしばらくして再びペンを動かした。
『妹の暴走で寝たきりなんて不名誉な兄になるつもりはない。死ぬ気で回復してみせる。それに私の状況は今すぐにどうこう出来ないが、リリーの状況は別だ。1週間も寝てしまっていたのなら、早く情報操作をしないと間に合わない。お父様のことだから、私が目を覚ますまでは箝口令を出してくれているだろう?私の意向は伝えたとおりだ。そこの書いた紙を持って行っていいから早くお父様に伝えてきてくれ』
ひとりでに動くペンが綴る文字を負いながら、アレックスはまだ納得できていなかった。
チェザーロの言う通り、トラスブルグ侯爵は屋敷での一件についてまだ口外していない。
当時現場にいたアレックス達にも口外しないよう伝えられ、チェザーロの容態によって判断するつもりだと話していた。
アレックスは黙ってチェザーロの言った通り紙を手に取り立ち上がると、最後にもう一つチェザーロに問いかけた。
『なんであの時あの炎に飛び込んでいったの?』
その問いかけに、今度はすぐにペンが動いた。
さらさらと動くペン先を追いかけていると、そこには以前聞いたことのある言葉が書かれていた。
『リリアーナは私の天使だから。どんな状況でも泣いているなら助けに行くに決まってる』
アレックスは書かれた文字を読んだ後、顔を上げてチェザーロの顔を見た。
包帯の隙間から覗いている瞳は揺れることなく真っすぐアレックスを見つめている。
以前質問した時と同じでアレックスとしては全く回答になっていなかったが、それがチェザーロの全てであることも理解していた。
アレックスは分かりやすくため息をついた後、チェザーロの言葉を手に持った紙と一緒にトラスブルグ侯爵に伝えた。
その後のことは知っての通り、トラスブルグ侯爵はチェザーロの意向を汲んで真実を隠蔽した。
目撃者として現場にいたアレックスも侯爵やチェザーロに頼まれ、当時のことは誰にも郊外しないと約束している。
あれから10年、アレックスは今でもトラスブルグ侯爵家との繋がりを大切にしていた。
「アレックス様?」
「・・・トラスブルグ侯爵家はお父様も良好な関係を望んでいる家だ。特にチェザーロが爵位を継いでから商会は更に売り上げを伸ばし、販路を拡大させている。公爵家として先の明るい事業を支援するのは当然だ。お父様はそういうのを見越して幼い私とチェザーロを出会わせたし、この関係を崩すようなことは極力避けるように言われている」
「しかし・・・」
「それにね?公爵家の意向を抜きにしても、私はあの兄妹に魅せられているんだよ」
アレックスの言っていることが理解できずに首を傾げる従者を横目にアレックスは未だに脳裏に焼き付いている情景に思いを馳せた。
小さな少女を中心に燃え上がる青い炎とそこに飛び込む少年の後ろ姿。
膝をつき少女を抱きしめる少年に炎が燃え移り、青い炎が幼い兄妹を包み込んだ。
少年の服がだんだんと灰になっていく様子に恐怖を感じつつ、アレックスはその幻想的な光景に息を呑んだ。
だんだんと弱まっていく炎から、包まれていた2人の表情が見えてくる。
その時アレックスの瞳に映ったのは、炎の中で涙を流しながら笑う少女と、そんな少女を愛おしそうに見つめる少年の姿だった。
(こんなに美しいものはもう二度と見れない・・・)
あの事件の情景をそんな風に思っていることは、チェザーロにも伝えていない。
美化されるべきものではないとアレックス自身も分かっていたし、チェザーロ自身があの時の自分の行動が最良だったとは思っていないことを知っていたから。
「まぁ他人には理解できないだろうし、いいんだ。私は私の意志でチェザーロの手伝いをしているし、今の自分の立ち位置を気に入っている。最初の問いに答えるなら、そうだな・・・」
返す言葉を探していると、ふと幼い頃に友人から返された言葉を思い出した。
アレックスは口元を緩ませ、あの時の友人と同じ言葉を口にする。
「私にとって、あの兄妹は天使だから・・・かな」
「天使、ですか・・・?」
分かりやすく頭にクエスチョンマークを浮かべている従者を一瞥し、アレックスは再び窓の外で流れていく景色に視線を移した。
(いっそのこと、リリーと婚約してトラスブルグ侯爵家に婿入りするのもいいかもな・・・。リリーのことは好きだし、チェザーロも私なら嫌がらないだろうし・・・)
ふふっと楽しそうな笑い声を零したアレックスを乗せた馬車はアレックスの心情と比例するように、軽快にミラーレア公爵家へと走っていった。