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中編

女が言い終えるのと同時に誰かに肩を押されたリリアーナは、体勢を崩して後ろによろめいた。

何とか倒れることなく体勢を立て直して前を見ると、フェデリコの隣に見知らぬ令嬢が立っている。


「・・・失礼ですが、どちら様でしょうか」


リリアーナがそう問いかけると、その令嬢は怒りを隠そうともせずにリリアーナに怒鳴りつけた。


「人に先に名乗らせるなんて失礼な子ね!私はボロファッチ侯爵家のヴァネッサよ!」

「ボロファッチ侯爵家・・・」


その家名を聞いた瞬間、リリアーナはすぐにピンときた。


(この方、兄様が縁談を断ったって言ってた令嬢だわ)


ヴァネッサと名乗った令嬢は扇子で口元を隠しているが、その目は餌を前にしたハイエナのようにリリアーナをじっと睨みつけている。

そして、一人赤いドレスを身に纏っているリリアーナを上から下まで品定めするように見た後、リリアーナを鼻で笑った。


「はっ。トラスブルグ侯爵家がなかなか表に出さない箱入り娘はどれだけ美しいのかと思ったら、別に大したことないじゃありませんか。こんな令嬢と私を比べていたなんて、チェザーロ様はやはり趣味が悪いようですわね」

「・・・」


リリアーナはヴァネッサの言葉を黙って聞いていた。

頭の中で、兄であるチェザーロを殴りながら。


(兄様、絶対にボロファッチ侯爵家で余計なことを言ったわね)


目の前のヴァネッサの様子から、リリアーナは兄から聞いたボロファッチ侯爵家への言葉は実際に口に出した言葉の極一部だったのだと悟った。

事実、縁談を断るためにチェザーロがボロファッチ侯爵家で言い放った言葉はこうだ。


『やんわりと断り続けているこちらの言葉も通じないような貴族の令嬢を嫁にもらうつもりはありません。そもそも手紙に「うちの美しい娘を是非」と書いていましたが・・・どこが美しいのですか?父親の影に隠れ、顎を突き出し、顔を傾け、腕組みをしてこちらを見定める様に視線を上下に動かしている。明らかに私を下に見ているし、初対面の人間にそんな態度をとる令嬢が美しいわけがない。性格は顔や態度に出ると言います。ご令嬢の場合、態度を見ただけで十分ですが、顔にもその性格の悪さが滲み出ている。図星をつかれてそうやって顔を歪ませているのがその証拠です。ボロファッチ侯爵、今の彼女の顔を見てもまだ美しいと私に紹介できますか?私には妹がいますが、身内贔屓をなしにしても、心身ともにとても美しい令嬢に育ってくれました。彼女は私の誇りです。正直、そちらの令嬢が私の妹と同じように「美しい」とは思えません。あなた方と縁を結んでもこちらに益はあまりないですし、諦めてもう手紙を寄こすのはやめてください』


驚くなかれ、リリアーナに話していたのは全体の5/1程度でしかなかった。

リリアーナは自分の娘を面と向かって侮辱されたボロファッチ侯爵の怒りも自分の美しさに自信を持っていたであろうヴァネッサが受けた屈辱も知らない。

だが、今の自分が置かれている状況を作り出したのが他でもない兄であることは確信していた。


リリアーナは改めて目の前にいるヴァネッサを見た。

黄味の強いブロンドは丁寧にケアされているようでつやつやと輝き、毛先にかけて寸分の狂いもない縦ロールが無数のドリルのようにぶら下がっている。

顔は扇子にでよく見えないが、吊り上がった赤い瞳がとても印象的だ。

ネイビーに近い濃い青色のドレスには宝石がちりばめられており、胸元には200カラットはありそうなサファイアのネックレスがこれでもかと輝きを放っていた。


誰が見ても間違いなく、この会場の中で一番高価な装いであることは間違いない。

恐らくリリアーナが到着するまでの間、会場中でもてはやされたことだろう。

優越感と自信に満ちたヴァネッサの様子にリリアーナは心の中でため息をついた。


(これは兄様が一番嫌いなタイプの令嬢ね。とは言え、なんで兄様に対するボロファッチ侯爵家の腹いせにデラギャン侯爵家も加担したのかしら)


リリアーナが一人考え込んでいる一方で、自分の言葉が全く響いていない様子に憤りを感じたヴァネッサがプルプルと肩を震わせ、隠した口元を歪ませて言葉を続けた。


「そもそも、あの方が人の美醜について語るなんて、冷静に考えればおかしな話ですわ」


ヴァネッサの言葉に、リリアーナは思考を止めてヴァネッサを見つめた。

ようやく自分に意識が向いたことを確認したヴァネッサは、会場中に聞こえるようにわざと声を張って言葉を続けた。


「いつも暑苦しいほどに着込んでいますが、その首筋から顔に広がる火傷痕を見ただけで分かりますわ。あの見ているだけで痛々しい火傷痕が全身に広がっているのでしょう?しかも、ご自身の魔力暴走による怪我なんて、自分の能力不足をさらしているようなものではありませんか。それを醜いと言わずなんというのですか?ねぇ?」


ヴァネッサの声に同調するように会場の至る所からくすくすと笑う声があがった。

リリアーナはそんな声を無視してヴァネッサを睨みつける。

その睨みに一種の優越感を感じたヴァネッサの言動は、周囲を味方につけて更にエスカレートしていった。


「それに加えてあの足。パーティーに出てきても、女性をダンスに誘うことすらできないのに、一体何をしに来ているのかしら。あっ今日がデビュタントのあなたは知りませんよね?あの方が、普段どのようにパーティーを過ごされているか」


ただ黙って自分を睨みつけることしかしないリリアーナを、ヴァネッサは顎を突き出し、顔を傾けて見下した。


「いつもいつも会場の隅にいるんですよ。皆さん、あんな見た目の方には近づきたくないもの。それに、いつまた暴走するか分かったものではありませんし、毎回皆さんビクビクしていますわ。あぁ、今日はあなたがチェザーロ様を連れてこなくて本当に良かったわ。お陰で、皆さん萎縮せずに晩餐会を楽しめますもの」


あーはっはっと扇子で隠し切れないほどだらしなく大口を開けて笑うヴァネッサ。

そんなヴァネッサを諫めることなく、フェデリコや会場の人間は下卑た笑みを浮かべてリリアーナを眺めていた。

リリアーナは周囲の視線から逃げるように下を向き、ぎゅっと瞳を閉じた。


(兄様があの外見のせいで人からどう見られているかなんて、言われなくても分かっているわ)


幼少期の事件から1年ほど、リリアーナはチェザーロを避けていた時期があった。

兄の火傷痕やそんな兄を腫れもののように扱う周囲の態度を見るたびに辛くなり、一方的に目を背けていた。

チェザーロもそれを理解して無理にリリアーナに近づくことはなかったし、当時のことを謝った時もチェザーロは笑ってリリアーナに言った。


『別にリリーの反応がおかしいわけじゃない。僕の状態を見た人が可哀そうとか醜いって感想を抱くことは至極当然のことだと思うよ』


そう言って笑う兄の姿を見たリリアーナは当時ひどく後悔した。

自分を励ますために、兄に自分を卑下する言葉を言わせてしまった。

自分なんかよりも、これから先ずっと好奇の目にさらされ続ける兄の方が辛いはずなのに。


火傷の痛みにも耐え、足に残った後遺症に負けることもなく、火傷痕による周囲の目を跳ねのけて笑う兄をリリアーナは心の底から尊敬していた。

だからこそ、自分への腹いせに兄を汚されることを許すことができなかった。


顔を上げ、閉じていた目をゆっくりと開けながらリリアーナは口を開いた。


「・・・確かに言う通りかもしれません」

「あら?あなたもご自身の兄を醜いと思っていたのかしら?」


よやく言葉を発したリリアーナにヴァネッサは変わらず見下すような視線を投げる。

すると、リリアーナの足元から青白い靄が広がってくることに気が付いた。

異様な現象に会場からどよめきが生まれる中、リリアーナは言葉を続けた。


「いいえ。私が同意したのは、兄様の方です」

「・・・どういうことです?」


肩眉をピクリと引き上げ、扇子で改めて口元を隠したヴァネッサがリリアーナを睨みつける。

二人が会話している間にも、リリアーナの足元の靄はだんだんとその範囲を広げていく。


「会った瞬間からこちらを見下して会話をする気もなく、人の容姿を馬鹿にする言動を繰り返す・・・そんな令嬢との縁談、誰だって断るに決まっています」


とびっきりの余所行きの笑顔を貼り付けたリリアーナの言葉にヴァネッサは肩を震わせ、握っている扇子にはピキッと亀裂が入った。


「それと、訂正させていただきますが」


発生した靄は人の足の間を縫って広がり、気がづけば会場を埋め尽くしていた。


「兄様は醜くありません。どんな状況でも自分を卑下することなく前を向き、底抜けに優しい兄様を私は尊敬しています。ですから・・・」


リリアーナの顔からすぅっと笑顔が消える。

それと連動するように、会場に広がった靄からパチパチと火花が散り始めた。


「ひぃっ!」

「きゃぁ!」


会場の至る所で悲鳴が上がり、会場が混沌とする中、ヴァネッサだけはなぜかリリアーナから視線を外せずに体をガタガタと震わせていた。


「外見ばかり拘って、兄様自身を見ようとしないあなたが兄様を侮辱するのは許しません」


リリアーナがずっと握りしめていた手を開き、その手をヴァネッサの方へと伸ばす。


「ひっ!やっやめなさいっっ!」

「この期に及んでそんな態度をとれることは、ある意味素晴らしいと思いますよ」


リリアーナが伸ばした手の先に火花が集まり、やがて青白い大きな火の玉となった。

リリアーナはその火の玉を見つめ、さらに先にいるヴァネッサへ目を向ける。

ヴァネッサが恐怖に怯え、リリアーナが火の玉をヴァネッサへ放とうとしたその時、大きな体がリリアーナを背中から優しく包み込んだ。


「そこまでだよ、リリー」


右手でリリアーナの視界を塞ぎ、左手は前へ伸ばされたリリアーナの左手を握りしめている。

例え視界を奪われようと、リリアーナがその人物を間違えることはなかった。


「・・・チェザーロ兄様?」

「あぁ、兄様だよ。迎えに来るのが遅くなってしまってすまない」


チェザーロの声を聞いたリリアーナは最初固まっていたが、しばらくすると脱力して兄にもたれかかった。

それと同時に、青白い火の玉と会場中に広がていた靄もすぅっと消えていく。

火花が消えたことに安心したのも束の間、突如現れたチェザーロに会場はどよめいた。


そんな中、チェザーロの後ろから歩いて来た男がチェザーロの足元に転がったステッキを拾い上げる。


「まったく、屈んで取ることもできないのに大事なステッキを簡単に投げ捨てないでくれないか」

「ステッキよりもリリーの方が大事だ」


リリアーナを支えるチェザーロの横顔を見ながら呆れ顔でため息をつく男。

チェザーロの右手が下ろされて視界を取り戻したリリアーナは声のする方へ視線を動かした。


「・・・アレックス様・・・?」

「やぁリリー、久しぶり。そのドレスはチェザーロからの贈り物かな?とても似合っているよ」


アレックスと呼ばれた男は、この状況には似つかわしくない爽やかな笑顔をリリアーナに向けた。

そんなアレックスをよそにリリアーナは薄れゆく意識の中で兄の顔を見上げた。


「すみません、兄様。私また・・・」

「リリーが気にすることじゃないよ。今は疲れているだろうから少し休みなさい」

「・・・はい・・・」


そう返事をした瞬間、リリアーナは気絶するように意識を飛ばし、そのリリアーナをチェザーロが支えた。

目を閉じて眠っているリリアーナの顔をチェザーロがじっと見つめていると、横からステッキの柄がニョキッと生えてきた。


「・・・リリーの顔が見えない」

「君はやることがあるだろう?リリーは私が見ているから。ほら、ステッキとリリーを交換しよう」


チェザーロはアレックスを睨みつけるが、アレックスは特に気にした様子もなく爽やか笑顔をチェザーロに向ける。

しばらくしてため息をついたチェザーロが「頼む」とだけ言ってリリアーナをアレックスに渡し、ステッキを受け取った。

アレックスはリリアーナを床に座らせ、そのまま自分が背もたれになるように膝をついた。

その様子を確認したチェザーロはアレックスとリリアーナに背を向け、若干涙目になっているヴァネッサとフェデリコに向き直った。


「お待たせして申し訳ない。私の妹を随分と可愛がってくれたようですね?デラギャン侯爵令息、ボロファッチ侯爵令嬢?」

「チェザーロ様・・・」

「私は、あなたにそう呼ぶことを許した覚えはないのですがねぇ」


チェザーロの冷たい視線にヴァネッサは思わず下を向く。

そんなヴァネッサの肩を抱いていたフェデリコは威嚇するようにチェザーロを睨みつけた。


「なんの言いがかりだ!晩餐会をめちゃくちゃにされたのはこちらだぞ!トラスブルグ侯爵家として、どう責任を取るつもりだ!」


今回の晩餐会の主催者としてフェデリコが声を荒げると、会場中でそれに同調するように声が上がった。

会場が再び騒めき出した時、チェザーロはステッキを軽く持ち上げるとそのままステッキの先を思いっきり床に下ろした。


カァーン


石と金属がぶつかり合った甲高い音に、口を開いていた者たちは一斉に動きを止めた。

そうして静まり返った会場でチェザーロは口元に笑顔を作り、フェデリコに話しかけた。


「ところでデラギャン侯爵令息。今日の私の衣装、どう思いますか?」

「・・・は?」


訳が分からないという顔をしているフェデリコに、チェザーロは変わらず笑顔を向ける。

チェザーロの言葉の意図が分からないフェデリコはその視線をゆっくりと下に下ろしていった。


今、チェザーロが着ているのはいつものモーニングコートではない。

重厚感のあるワインレッドのジャケットを羽織り、ジャケットと同じ生地が使われているベストとスラックスが全体の統一感を出している。

白いドレスシャツはワインレッドとのコントラストを生み、黒地に金色の糸で細かい刺繍が施されているアスコットタイが全体を引き締めている。

言わずもがな、チェザーロがリリアーナのデビュタントに合わせて作った特注のタキシードだ。


「これ、今日のリリーの服装に合わせて作ったんです。私はあそこまで綺麗な赤は着こなせないので、完全にお揃いというわけではありませんが、妹の晴れ舞台を一緒に祝いたくてこっそり作らせたんですよ」


気恥ずかしそうな態度で話すチェザーロをフェデリコは未だに理解できない表情で見つめた。


「友人には妹離れしろと言われるんですがね?これがなかなか難しいんです。ですが、私だって妹には幸せになってほしいので、結婚するなとは言いません。ただ、その相手が見つかるまでは私がずっと傍にいて死んでも守るって決めているんです」

「兄妹じゃなかったら犯罪者になってそうだね、チェザーロ」

「アレックスは黙っていてくれ」


横から茶々を入れてきたアレックスをチェザーロは視線を向けることなく一言で黙らる。


「ねぇデラギャン侯爵令息。そんな私にとって、リリーのデビュタントがどれだけ大事なイベントだったか分かりますか?分からないですよね?分かっていたら、こんな真似するわけありません」

「かっ勝手に私のせいにしないでくれないかっ!リリアーナ嬢が勝手にドレスコードを間違えてしまったんだろ!私が出した招待状にはドレスコードは”青”と明記されていた!」


必死に声を荒げて抗議するフェデリコに、チェザーロは穏やかに告げた。


「なら、確認してみましょうか?」

「・・・は?」


先程と同じ反応を繰り返すフェデリコの前でチェザーロは胸元から一通の手紙を取り出した。

それを見た瞬間、フェデリコの顔がどんどん真っ青になっていく。


「なっなんでそれを・・・」

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