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前編

短編で書いていたつもりが思ったよりも長くなったので分けました。

本編(前、中、後編)と外伝を合わせて全4話です。

よろしくお願いします。

チェザーロ・トラスブルグ。

社交界で知らぬ者はいないトラスブルグ侯爵家の長男。

彼がパーティー会場に足を踏み入れれば、周囲は静まり返り誰もが彼と距離をとるように道を開ける。

遠巻きにひそひそと彼を噂話に花を咲かせ、好奇な目を彼に向けるのは最早日常茶飯事だ。


彼は年中モーニングコートを羽織り、手元はレザーの手袋、首元はアスコットタイで常に隠し、それらを人前で外すことはない。

手袋を嵌めた左手には黒いステッキが握られ、繊細な彫刻の施された大理石が持ち手になっていた。


そして、チェザーロは人の目に触れる場所に出るときは必ず鼻先から上を覆い隠す仮面を身に着けている。

仮面舞踏会でもないパーティーでも必ず仮面を付けてくるチェザーロはその一風変わった風貌で多くの貴族の目を引いた。

しかし、多くの貴族は彼を遠巻きに見るだけで話しかけるようなことはしない。

それは、チェザーロが幼少期に起こした事件が起因している。


チェザーロがまだ8歳だったころ、彼は自分の中に流れる膨大な魔力が制御できず、その力を暴走させた。

チェザーロの体から漏れ出た魔力は火花を散らし、彼の身体ごと周囲を炎で包んだ。

周囲にいた大人がすぐに事態を把握して対処したため大きな騒ぎにはならなかったが、チェザーロの身体には炎に包まれた時の火傷痕が残った。

また、火傷かはたまた魔力暴走の後遺症で左足には軽い麻痺が残り、彼は今でも転倒防止のためのステッキが手放せない。


この事件以降、チェザーロは全身に痛々しく広がった火傷痕を隠すように肌の露出を極端に避けた格好をするようになった。

唯一隠されていない顔の下半分についても首筋から右頬へ侵食するように火傷痕が広がっており、当時の状況を物語っていた。


事件から10年、トラスブルグ侯爵家の長男として爵位を継いだチェザーロだったが、周囲の状況は変わらない。

チェザーロの魔力暴走については多くの貴族にとって周知の事実であり、そこに国中で長年囁かれている『魔力暴走を一度経験した者はいずれまた暴走を起こす』という噂が加わり、チェザーロと社交界との亀裂をさらに深くしていた。

チェザーロが侯爵としてどれだけ積極的にパーティーに参加しても、その亀裂を埋めることは出来なかった。


そんな彼には、今年デビュタントを控えた2歳下の妹がいる。

名前はリリアーナ・トラスブルグ。

チェザーロの妹である彼女は、兄の社交界での評判を知ってか知らずか、外部との接触をほぼ遮断していた。

幼い頃から白い目で見られながらも父について回り、色々な所へ行っていたチェザーロと違い、基本は家に引きこもり、チェザーロは通っていた学園にも彼女は通わず、専属の家庭教師に勉学を教えてもらった。

その結果、彼女は貴族社会で存在を忘れられ、その存在を知る者はトラスブルグ家と交流のあるごく一部の貴族だけとなっていたーーー。


「リリー!!リリー!!」


カンカンカンとステッキが床を叩く音が廊下に響く。


「リリー!どこにいるのー!」


ステッキの音を打ち消すような大声で妹の名前を叫ぶチェザーロの後ろを従者のロンは必死に追いかける。


「チェザーロ様っ!リリアーナ様は談話室にいらっしゃいますって言ってるじゃないですかっ!」

「だからこうして談話室に向かっているだろう!」


後遺症の影響で左足がスムーズに動かせずに変な歩き方をしているチェザーロだが、すでに10年続けた歩き方はその身体に染みつき、今や健常者よりも早く歩くことができる。


「なら静かにゆっくり歩いて行きましょうよ・・・」


「廊下を走るな」という執事長の言葉を律儀に守り、精一杯の早歩きをしていたロンはチェザーロのスピードについていけずに泣き言を零した。

しかし、残念ながらロンの言葉はチェザーロの耳に届いていない。

チェザーロはスピードを緩めることなく談話室までリリアーナの名前を叫びながら急いだ。

そして談話室まで到着したチェザーロはノックすることなく扉を開けて中へと入っていく。


「リリー!どういうことか説明して!」

「・・・おはようございます。チェザーロ兄様」


部屋の窓際に置かれた椅子に腰かけ、優雅に紅茶を飲んでいたリリアーナはチェザーロの登場に驚いた様子も見せず朝の挨拶をした。


「あぁ、おはよう。今日は髪の毛をまとめたんだね、可愛い。リリーの長くて細い首筋がより一層綺麗に見える。髪留めの真珠もリリーの後姿をより華やかにしてくれているね。あ、私が贈ったドレスを着てくれたんだ!リリーに似合うと思ってたんだ。可愛いよ。最近暖かくなってきたし、リリーを見ているだけで春の訪れを感じることができる・・・ってそうじゃない!」


机を挟んでリリアーナの向かいに準備されていた椅子に腰かけながら、チェザーロは軽快なノリツッコミを披露した。

リリアーナは特に反応を見せず、目の前の紅茶の味を楽しんでいる。


「リリー、今朝父様から聞いたよ!なんで勝手にデビュタントの予定を立てちゃったのさ!しかも、その日は父様も私も予定があってパートナーとして入場できないんだよ?!」


いつもは焦った顔など死んでも出さないチェザーロの本気の焦り顔に、流石のリリアーナも紅茶を楽しむ手を止め、カップをソーサーに戻した。


「先日お会いしたフェデリコ様が、主催する晩餐会に招待してくださったのです。他にもデビュタントする令嬢が何名か参加するので丁度いいだろう、と」

「そう!それについても言いたいことがある!」


チェザーロは机に身を乗り出してリリアーナに訴えた。


「なんでフェデリコ・デラギャンなんかとお見合いした?!」

「なんかって・・・一応あちらも侯爵なので私たちと同じ爵位なのですよ?そんな方から縁談があったら、簡単にはお断りできないじゃないですか」


兄の訴えに困った顔をしながら返答をするリリアーナ。

そして、視線を少し下に逸らして言葉を続けた。


「それに、兄様だってボロファッチ侯爵家のご令嬢とお見合いされたとお父様から聞きました。黙っていたのはお互い様です」

「ぐっ・・・」


少し拗ねたような表情を見せるリリアーナにチェザーロは苦しくなった胸を押さえつつ、言葉を詰まらせた。

確かに、チェザーロはファボロッチ侯爵家から縁談を持ち掛けられ、一度侯爵家へ出向いている。

別に大したことでもなかったので、チェザーロはリリアーナにそのことを伝えなかった。

しかし父から話を聞いたリリアーナはその事実に驚愕し、それを隠されていたことに苛立ちを感じた。

その結果、リリアーナは兄への意趣返しとして今回の縁談やデビュタントの話に首を縦に振ったのだ。


「・・・確かに、大分前からボロファッチ侯爵家から婚約の話が来ていて、先日侯爵家に行った。それは認めるし、そのことをリリーに黙っていたことも謝罪する。すまなかった」


乗り出していた身体を引っ込め、机におでこをめり込ませる勢いでチェザーロは頭を下げた。

そんな兄のつむじをじっと見つめていたリリアーナが何か言おうとした瞬間、チェザーロがバッと顔を上げた。


「だが、リリーは一つ誤解をしている。私はボロファッチ侯爵家の令嬢とお見合いなんてしていない」

「・・・え?」


想定していなかった兄の言葉に、リリアーナは思わず聞き返した。


「お見合いしてないって・・・でもお屋敷に行ったって・・・」

「あぁ、屋敷には行った。あの家、こっちが断ってるのにずっと縁談の話をしつこくしてきてな。うちの事業狙いなのは分かっていたし、この辺で一回ちゃんと断ろうと思ったんだ」


チェザーロは背もたれに寄りかかり、腕組をしながらやれやれとため息をついた。


「だから、一度会いましょうと向こうに返事をして屋敷に行ってきた」

「それで、なんと断ったのですか?」


リリアーナが疑問を投げかけると、チェザーロは組んでいた腕をほどき机に肘をついた。

そして顔の前で両手の指を組むと愛しの妹に満面の笑みを向けて質問に答えた。


「入り口であちらの令嬢とボロファッチ侯爵が迎えてくれたので、その場で『断り続けているこちらの言葉も通じないような家名の令嬢を嫁にもらうつもりはない。もう手紙を寄こすのはやめろ』と言ってそのまま帰ってきた」

「・・・兄様最低です」


本気で兄の言動に引くリリアーナを余所にチェザーロはなんてことないように肩を竦めた。


「爵位が同じと分かっていながら、こちらを馬鹿にするような図々しい真似をずっとしてきていたんだから、当然だろ」


全く悪びれる様子のない兄を見て、リリアーナは談話室の入り口付近に立っているロンに視線を投げる。

その視線に気づいたロンが黙って深く頷くのを見て、兄が言っていることは真実だと知ったリリアーナは深くため息をついた。

そんなリリアーナの様子を見ていたチェザーロは若干うきうきしたような表情で組んだ指の上に顎を置いてリリアーナに話しかけた。


「これで私の疑惑は晴れただろう?だから、デビュタントは私が最高の舞台を準備するから今回の話は断って・・・」

「それとこれとは話が別です」

「なんでっ?!」


まさか食い気味に否定されると思っていなかったチェザーロは思わず立ち上がってリリアーナに抗議した。

リリアーナの誤解が解けた今、兄への意趣返しは無用なはず。

愕然とする兄を気にすることなく、リリアーナは一度置いたカップを手に取り再び口元まで運んだ。


「私はチェザーロ兄様と違って相手を騙すようなことはしません。すでに晩餐会へ参加する旨の返事は出していますから、それを反故にするようなことはしたくないです」

「うぅ・・・私の妹なのになんて性根が真っ直ぐなんだ・・・」


チェザーロは脱力するように椅子に腰を落とした。

リリアーナはそんな兄の様子を口をつけたカップ越しに見つめた。


外では必ず仮面、手袋、アスコットタイを身に着けているチェザーロだが、自分の屋敷内でもその恰好をしているわけではない。

現に今、リリアーナの目の前で項垂れている男は仮面も手袋もアスコットタイも身に着けていない。


肌触りのよいシルクのシャツとネイビーのベストを身に纏い、第一ボタンを外して首元をくつろげている。

仮面を付ける時に邪魔だからとセンターで分けられた艶のある黒髪は、耳にかかる程度にの長さでサイドへ流している。

後ろ髪はうなじの火傷痕を隠すために肩まで伸ばしているが、今は邪魔なのか一つにまとめていた。

仮面がないことで右の頬から左目へと広がる火傷痕が露になり、火傷に覆われる様に輝く綺麗な金色の瞳が今は机の木目を映している。

袖口から出ている両手にも火傷痕は広がっており、今でもたまにものを握っていると痺れると言っていた。


兄は自分の火傷痕や付随する後遺症について、「これは勲章だから」とよくリリアーナに話している。

リリアーナとしても、兄の姿を醜いだとか恐ろしいと思ったことはない。

ただ、これがなければ・・・といつも考えてしまっていた。


「チェザーロ兄様だって、お優しいですよ」

「・・・ならせめて私を一緒に連れて行ってくれ・・・」


火傷で爛れた両手で顔を覆いながら懇願する兄にリリアーナは困ったような笑顔を向けて再びカップを置いた。


「晩餐会にはパートナーを連れてきていいそうですが、同時入場じゃないとパートナーは会場に入れないそうです。なので、兄様を晩餐会へ連れていくことはできません。」

「・・・グスッ」


兄が鼻をすする音が聞こえ、まさかこんなことで泣いているのかと若干呆れつつ、リリアーナは言葉を続けた。


「・・・晩餐会、赤がドレスコードらしいんです。私、赤のドレスなんて持っていないので、兄様が私に似合うものを選んでください」


リリアーナの言葉に反応して、鼻をすすっていたチェザーロの肩が揺れた。


「会場に着いたら、フェデリコ様に挨拶をして、縁談を断って帰ってきます。そしたら兄様、一緒にディナーを食べてくれますか?」


リリアーナがそっと手を伸ばしてチェザーロの手の甲に触れると、すぐにその手が両手で握り返される。

握られた手から視線を上げると、鼻を赤くさせたチェザーロが笑顔で頷いていた。


「もちろんだ、俺の天使。君が一人で心細くないようにとっておきの衣装を贈るよ。父様達にも話しておくから、その日は家でリリーのデビュタント祝いをしよう!」


兄のだらしない笑顔につられて、リリアーナは笑みを零したーーー。


談話室でのチェザーロとリリーのやり取りから2か月後。

遂に迎えた晩餐会の夜にリリアーナは一人、デラギャン公爵家主催の晩餐会の会場へ訪れていた。

すでに他の招待客は入場を済ませているのか、会場の入り口まで誰にも会うことはなかった。

会場と廊下を隔てる扉の前に立つと、扉の向こう側から賑やかな声が漏れ聞こえてくる。


リリアーナは扉の前に立つと赤いレースの手袋をはめた手を胸に置き、一度深呼吸をした。

今日のリリアーナは、髪飾りからヒールに至るまで全身チェザーロによるコーディネートだ。

チェザーロと同じ黒髪をアップスタイルで纏め、シルバーとゴールドの髪飾りで顔周りを華やかに魅せている。

土台に繊細な模様が刻まれたルビーが輝くピアスで耳元を飾り、首にはピアスと対になるネックレスがかけられていた。

鮮やかな赤いオフショルダーのドレスは腰の細いリリアーナに似合うように上半身をコルセット風に仕立てられ、胸元にはまるで花のような立体的な装飾が施されていた。

腰からふわりと広がるスカートには繊細なレースの装飾が施され、リリアーナの洗練された美しさをより際立たせた。


妹のデビュタントが素敵なものになるようにというチェザーロの願いが込められた贈り物だ。

吸った息をすべて吐ききったリリアーナは扉の開閉係に声をかけた。

リリアーナを見てどことなく気まずそうな顔をした係の男が扉を開けてリリアーナの到着を会場に知らせた。


「リリアーナ・トラスブルグ侯爵令嬢のご入場です!」


男の様子を訝しげに思いつつ、声に促されるまま会場へと足を踏み入れたリリアーナは目の前に広がる光景に驚愕した。


「・・・え?」


確かにリリアーナはデラギャン公爵令息からの招待状を受け取り、そこに記載されたドレスコードに準じた服装をしてきた。

招待状は両親とも確認したので間違いない。

受け取った招待状には、ドレスコードは赤色と確かに明記されていた。

しかし、入場した会場の中で赤いドレスを着ているのはリリアーナ一人だけだった。


一人のイレギュラーが登場した会場では、青い衣装に身を包んだ貴族達が至る所でリリアーナのドレスコードについてひそひそと話す声が聞こえてきた。

リリアーナが状況を把握しきれずに立ち尽くしていると、この晩餐会にリリアーナを招待した当事者が人の隙間を縫ってリリアーナの前に現れた。


「リリアーナ嬢!待っていたよ!・・・おや?随分と目立ちたがりなドレスを着ているね?」


にやにやと粘着質な笑みを浮かべたフェデリコ・デラギャンがわざとらしく大きな声でリリアーナのドレスについて指摘する。

リリアーナは感情を表に出さずに優雅にカーテシーをした。


「フェデリコ様、本日はお招きいただきありがとうございます」

「いやいや、折角のデビュタントだからね。これだけ大きな会場で行えばさぞ思い出にもなるだろう。それで、そのドレスについて説明してくれるかい?」

「・・・いただいた招待状には、ドレスコードは赤色と記載されていましたので、それに従っただけですわ」


カーテシーの姿勢を崩さずにそう答えると聞き覚えのない女の声がリリアーナの頭に降ってきた。


「あらあら、己が目立ちたい一心でドレスコードを無視したくせに、それを招待してくださったフェデリコ様のせいにするなんて、トラスブルグ侯爵家はどんな教育をしているのかしら」

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