54,知りたいこととこぼれ落ちる涙と閉園時間
「お待たせ」
「うぅん」
伸がベンチに腰を下ろすと、有希も、それに倣った。さっそく、伸は問いかける。
「俺は、何を話せばいいかな」
ちゃんと説明しない限り、有希は納得してくれそうにない。だから、話せる範囲のことだけは話そうと思って、ここに来たのだ。
「えぇと、いろいろあって、何から言えばいいのかわからないけど……」
有希は、顎に指を当てて考えている。
「ゆっくりでいいよ」
とは言え、閉園時間まで、あまり間がないが。
やがて、有希が口を開いた。
「まず、僕が知りたいのは、僕と伸くんが恋人同士になった経緯っていうか」
いきなり核心を突かれ、ぎくりとするが、いつか、彼が母親に語ったことをそのまま話す。
「君がアルバイトの面接に来たとき、緊張して具合が悪くなったのを、俺が介抱したんだよ」
「ふぅん。でも、そこからどうして?」
「それは……どうしてかな。波長が合ったというか、なんとなく惹かれ合ったというか」
内心、冷や冷やしながら答える。まったく、彼は侮れないと思う。
「ふぅん……」
納得したのかどうかわからないが、それについては深追いすることなく、話は先に進む。
「それで、僕たちは付き合っていたんでしょう? だったら、えぇと、キス、とか」
言いながら、有希は顔を赤らめているが、最初から、えらく積極的だったのは彼のほうだ。だが、そこは簡潔に答えておく。
「それは、まぁ」
そこから先を聞かれたら、どう答えるべきかと、内心あせったが、それらの記憶がない今の有希は、恥ずかしそうに続ける。
「じゃあ、じゃあさ、伸くんは、僕のことが好きだったんでしょう? だったら……」
言葉が途切れたので、顔を見ると、思いがけず、有希は涙ぐんでいた。
「どうして泣くんだよ」
愛し合った記憶もないのに。
「だって……」
有希がしゃくり上げる。胸が苦しい。何も考えずに抱きしめることが出来たなら、どんなに楽だろう。
乱暴に目元をこすりながら、有希は続ける。
「僕は、伸くんとのことを全部忘れちゃったけど、病院から戻って来てからずっと、伸くんのことを考えていた。本当に、いろんなことを……。
そうしたら、過去のことはわからないけど、今の僕も、やっぱり伸くんのことが好きになったみたいなんだ。伸くんのことが頭から離れない。
だけど、伸くんは、僕とはもう付き合えないって。その理由を、ちゃんと教えてもらわないと、僕は……」
言いながら、また涙がこぼれ落ちる。
あぁ、なんてことだ。なんだって、こんな冴えない中年男に執着するんだ。有希ならば、相手は、ほかにいくらでもいるだろうに。
だが、本当の理由を話すわけにはいかない。あんな荒唐無稽としか思えない話をしても、今の彼が信じるわけがないし、とても納得するとは思えない。
何よりも、このまま記憶が戻らないのであれば、有希のためにも、何も知らないほうがいいと思うのだ。それで伸は、苦し紛れに言った。
「理由は簡単だ。もう、君のことが好きじゃなくなったんだよ」
「あぁ……」
有希の口から、悲しげな声が漏れる。かわいそうに。有希を傷つけてしまった。
伸の心に、一抹の寂しさがよぎる。これで本当に終わってしまった。もう二度と、彼の滑らかな頬に触れることも出来ない……。
だが、さらに有希は言いつのった。
「だから、その理由を教えてくれなくちゃ、僕は納得出来ないよ。伸くんを、諦められない!」
有希が悲痛な声を上げたとき、パーク内に、閉園時間を告げるアナウンスが流れ始めた。
有希は、ベンチに腰かけたまま、両手で顔を覆って泣いている。どうすることも出来ず、伸はただ、横に座り続ける。
やがて、巡回中の警備員に声をかけられた。
「お客さん、閉園時間ですよ」
「あっ、すいません。ほら、行こう」
伸は、有希の両肩に手をかけて立ち上がらせた。