41,まっさら同士ですることと既視感と懐かしくも淫らで愛しい時間
彼は、遅れて立ち上がった伸の手を握って言った。
「伸くん。もう、僕と何度しても、命を削ることはないよ」
「え?」
「だって僕は、生きているんだから」
そう言いながら、伸の体を抱きすくめる。
「君」
「僕は、行彦だよ。行彦って呼んで」
「でも……」
「ねぇ、したい。したくてたまらない。お願い……」
話すたび、首筋にかかる息が熱い。
「ちょっ、ちょっと待って」
伸は、彼の体を引きはがす。彼が、潤んだ目で、不満そうに見上げる。
「……僕のこと、嫌いになったの?」
「そうじゃないよ。そうじゃないけど、君は、行彦だけど、西原有希で……」
「だから?」
「こんなこと、今のお母さんが知ったらどう思うか」
彼は、じれったそうに体を揺する。
「ママならわかってくれるよ」
「でも、男同士だし、年の差もあるし」
「ママは、そんなことを気にする人じゃないよ。世間の常識より、僕の幸せを一番に考えてくれるに決まっている」
「でも……」
「もう!」
彼が、伸の胸をどんと叩いた。
「僕は、伸くんに会うために、もう一度生まれて来たんだよ。今度は幽霊なんかじゃなくて、ちゃんと生きた人間として、伸くんと結ばれるように。
今まで僕は、まったく恋愛に興味がなくて、それは、マザコンだからだってずっと思っていたけど、そうじゃなかったって、今日わかった。
僕は、伸くんと結ばれるために、心も体も、今まで、まっさらなままでいたんだよ!」
「あ……」
「それでも駄目なの?」
「いや……」
それから彼は、はっとしたように伸の顔を見た。
「もしかして、好きな人がいるの?」
伸は、あわてて否定する。
「いないよ! いるわけないだろ」
「でも、誰かとした? そうだよね。あれから二十年近く経っているんだもの。そういうこともあるよね」
「……してないよ。誰とも」
なんだか、ひどく恥ずかしいことを告白している気がするが。
「本当に?」
「本当だよ」
「一度も?」
「……一度も」
彼が、なんとも言えない表情をする。
「じゃあ、伸くんも、まっさらなんだね。幽霊としか、したことないんだ」
「『しか』って……」
確かに、生まれてから一度も、普通に生きている人とセックスしたことはないのだ。もしや自分は、一般的には童貞ということになるのだろうか。
彼がにっこり笑った。その顔が、たまらなくかわいらしい。
「じゃあ、まっさら同士だね。まっさら同士で、しよう?」
「あ、いや……」
彼が、伸の手を握って強く引く。
「ねぇ、ベッドルームはあっち?」
まだ躊躇している伸にかまわず、奥まで行って引き戸を開ける。
ベッドルームというほどのものではなく、ただ、壁に寄せてシングルベッドがあるだけだ。
彼は、壁を探って灯りを点けると、つかつかと部屋に入って行き、ベッドの上にごろりと横たわった。そして、引き戸のそばに立ち尽くしたままの伸に向かって言う。
「来て」
仕方なく、のろのろとそばまで行くと、再び手を握られた。
「伸くん。お願い……」
「本当に、いいのか?」
彼は、伸の顔を見つめたまま、吐息混じりに言った。
「いいに決まってる……」
まだ戸惑いながら、伸は、彼の上に覆いかぶさるようにまたがった。あの頃、いつも愛を交わしていたキングサイズのベッドとは違い、伸のベッドは、ひどく狭い。
途中で転げ落ちやしないかと思っていると、濡れた目で見上げながら、彼が伸の手に触れた。伸は、既視感を覚える。
彼は、伸の手を、胸のボタンまで導いて言った。
「外して」
いつしか戸惑いは消えていた。伸は、一つ一つ確かめるように、彼の体に触れ、味わう。
間違いない。これは、疑いようもない行彦の体だ。白く滑らかな肌の感触も、触れたときの反応や、変化の仕方も、内腿の付け根にある、小さなホクロさえも……。
やがて伸は、我を忘れ、彼の体に溺れ、何度も昇りつめては果てた。懐かしくも淫らで愛しい時間は、長く続いた。