39,鮮明な記憶と恥ずかしい行為にふけることとやっぱり大好きだと思うこと
パニックを起こしそうになり、倒れかけたとき、その人が支えてくれた手の感触で、すべてのピースが、カチッと音を立てて、はまった気がした。その手は、何度も触れられ、抱きしめられたことのある手だ。
彼の名前なら知っている。伸くん。僕は、いつもそう呼んでいた。
僕は、僕の本当の名前は、桐原行彦だ。そしてあのとき、僕は、すでに死んでいた!
自分が知っている彼よりも、ずっと大人になっていたけれど、その人が安藤伸だということは、すぐにわかった。髪の感じも、真っ直ぐに見つめる瞳も、思わずしがみついた胸の感触も、何一つ変わっていない。
「伸くん」
思わずつぶやくと、その人は言ってくれた。
「……行彦?」
あぁ、間違いない。この人は、僕が愛した、たった一人の人だ!
「伸くん!」
そのとき、ドアが開いて、さっき、ここまで案内してくれた、胸に「中本」のネームプレートをつけた人が入って来た。僕たちは、あわてて離れる。
二人が話している間に、持って来た履歴書を、さっき伸が手にしていたバインダーに、急いで挟んだ。伸が用事を足しに行ってしまった後、中本という人に、気分が悪くなったと言って、その場を後にした。
いったん一人になって、頭の中を整理したかったのだ。履歴書を見た伸くんが、連絡をくれるのではないかという期待もあったが、もしなければ、再びここに来ればいいと思った。
地に足がつかないような、体がふわふわするような、おかしな感じがして、真っ直ぐ歩くのも一苦労だったけれど、なんとか家まで帰り着いた。母は、もう出かけた後だ。
自分の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。西原有希としての自分は、まだキスすらしたことがない。
それなのに僕は、唇が重なる感触も、舌が絡まり合う感触も知っている。それどころか、肌の上を唇が這う感触も、胸の突起を吸われる感触も、体の中心部を強く貫かれる感触も!
鮮明な記憶に刺激されて、体が反応し、熱く切なく疼く。あぁ、伸くん……。
服を脱ぎ捨て、記憶をたどりながら、一人、恥ずかしい行為にふけった。伸くんの手は、舌は、ここを、こんなふうに……。伸くんの熱く張り詰めたものは、僕の、ここを……!
果てた後、裸のまま少し眠った。目を覚ましてシャワーを浴びた後、部屋に戻ると、スマートフォンが震えていたのだった。
テーブルの向かい側に座った伸が、呆然としたように見つめている。彼は言った。
「僕の話、わかってくれた?」
「つまり君は、行彦の生まれ変わりだと……」
「そうだよ。最後に伸くんと愛し合った後の記憶はないけど、多分、僕の魂は、しばらく眠り続けた後、有希として生まれ変わったんだよ」
「そうなのか……」
口ではそう言いながら、伸は、まだ半信半疑といった表情だ。
「ねぇ。信じて」
伸は、まぶしそうに、彼を見ながら言う。
「君が嘘をつくはずがないし、もしも嘘だとして、君がそんなことを知っているはずがないし、嘘をつくメリットもない。
何より、その顔を見れば、君が行彦であることは疑いようがない。ただ、あまりのことに、びっくりし過ぎて、思考が追いつかないんだ」
「そうだよね」
彼は微笑む。
「僕も、すごくびっくりした。びっくりし過ぎて、さっきは倒れそうになったよ」
「あの後、大丈夫だった? 知らないうちに帰ってしまったから心配したよ」
彼はうれしくなる。あぁ、やっぱり伸くんだ。僕を気遣ってくれる優しさも、心配そうな表情も、あのときのままだ。
「伸くん、ちっとも変わらないね」
だが、伸は苦笑する。
「そんなことないよ。すっかり、おじさんになっただろ?」
「何言ってるの。伸くんは、おじさんなんかじゃないよ。
あのころの伸くんも素敵だったけど、今は、さらに大人の魅力が加わったっていうか。もしかすると、僕は、今のほうが好きかも」
「え……」
彼の言葉に、頬を赤らめた伸を見て、とてもかわいいと思った。それに、やっぱり大好きだ。