38,胸に飛び込んで来た彼と長いキスと頭の中で何かがはじけ飛ぶこと
あぁ……。期待と不安で飛び出しそうな心臓を服の上から押さえながら、玄関のドアを開ける。
白いシャツにデニム姿の西原有希は、制服のときよりも華奢に見える。そして、その顔は、やはり……。
呆然と見つめていると、ドアを閉めた彼は、伸の胸に飛び込んで来た。
「会いたかった。伸くん……」
「あ、えぇと」
ドギマギしているうちに、背伸びをした彼に唇を奪われた。突き放すことが出来ず、伸も、それに応じる。
熱い舌が、伸の唇を強引に押し開けて入って来る……。
長いキスの後、ようやく唇が離れた。息を弾ませた彼が、再び伸の胸にしがみつく。
伸は、自身も荒い呼吸をしながら、息の間に言った。
「上がって」
彼はまだ、靴を履いたままだ。伸から体を離した彼は、上気した顔で、ちらりと伸を見てから、ゆっくりと靴を脱いだ。
「座って」
伸は、入ってすぐの食卓の椅子を引く。一応、椅子は二脚あるが、引っ越しのときに母が使って以来、伸以外には誰も座っていない椅子だ。
「今、コーヒーを淹れるから」
椅子に腰かけた彼は、伸の言葉に、こくりとうなずいた。
「急だったから、何も用意していなくて」
そう言いながら、コーヒーの入ったカップの一つを彼の前に置き、自分も椅子に座る。
「ありがとう。僕は伸くんに、一度も何も出したことがなかったけどね」
「それは……」
彼が、コーヒーカップを両手で包み込むようにしながら言った。
「伸くん、混乱しているよね。僕もそうだけど、今、わかる範囲で説明するから、聞いてくれる?」
「うん……」
「過去のことは、全部忘れていたんだ。今日、伸くんと会うまでは」
有希の母は、シングルマザーだ。当時の恋人との間に子供が出来たと知ったとき、自分の判断で、一人で産むことを決めたのだという。
母は言った。
「その人は、恋人としては素敵だったけれど、一生のパートナーになるに足る人ではないと思ったの。だから、あなたのことは、自分一人で育てることにしたのよ」
母は、十代の頃から夜の世界に身を置き、現在は、三店のナイトクラブを経営している。有希は、強くて優しく、美しい母のことを尊敬している。
有希は、今まで生きて来て、まだ一度も恋をしたことがなかった。きれいな女の子を見ても、付き合いたいとも、セックスしたいとも思わないし、だからといって、同性に興味があるわけでもない。
母のことは大好きだから、多分、自分は極度のマザコンなのだと思う。友達と遊ぶよりも、母と買い物に行ったり、旅行に行ったりするほうが、ずっと楽しい。
だから、別に友達も恋人も、いなくてかまわないと思っていた。
母は、やり手の経営者だったから、経済的な余裕があって、お小遣いも、使いきれないくらいたくさんくれる。だから、クラスメイト達のように、お金のためにアルバイトをする必要もない。
だが、母はとても忙しく、あまり家にいない。一人ぼっちで家にいるのは、寂しくもあり、退屈でもある。
それで、時間つぶしと社会経験をかねて、アルバイトをしてみようと思い立ったのだった。
職種は、なんでもよかったのだが、漠然と、いつか母のそばで仕事がしたいと思っていたので、飲食業を選んだ。
たまたま、フォレストランドというテーマパークの中にあるレストランの求人を見つけ、面白そうだと思って応募したのだった。
小規模なファミリーレストランのような、その店で、まさか運命の出会いが待っているとは、夢にも思わなかった。
白いユニフォームを着たその人が振り返った瞬間、頭の中で何かがはじけ飛んだ。洪水のように、様々な映像が襲いかかって来る。
さらりとした素直そうな髪を額に垂らした少年、ブルーのギンガムチェックのシャツ、窓から見える満月、裸の胸、熱いキス、体の奥深くを何度も突き上げられる感覚……。