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29,あの日驚いたことと悲痛な叫びと行彦が語ったこと

「何言ってるんだよ!」


 伸は、行彦の手を払いのけるようにして飛び起きた。苦しくて呼吸が乱れるが、そんなことにかまっていられない。

 

「行彦まで、おかしなことを言い出さないでくれよ。そんなはずがないだろ?


 行彦は今、目の前にいるし、こうして触れることだってできるじゃないか」

 

 行彦の両肩をつかんで、こちらを向かせる。確かに、滑らかな肌も、その下にある骨の感触も、手のひらに伝わって来る。

 

 行彦が、悲しげに目を伏せる。

 

「僕だって驚いたよ。あの日、初めて伸くんが、この部屋に来たときに、伸くんに、僕が見えていたことに。


 それまでにも、この部屋まで面白半分に上がって来たような人は何人もいた。でも、その誰もが僕に気づかず、部屋を見回した後、すぐに興味を失ったように去って行ったよ」

 

「そんな……。嘘だろ?」


「嘘じゃないよ」


 そして行彦は、まだ事態が把握出来ずにいる伸に、自分の過去について話し始めた。

 


「いじめに遭って、学校に行けなくなったということは、前に話したよね。この部屋から出られなくなったことも。


 でも、僕のお母さんは、一言も僕を責めなかった。学校に行かなくても出来ることはあるし、お母さんがついているから心配いらないって。

 

 僕は、きれいで上品で、優しいお母さんが大好きだった。お父さんはいなかったけど、家政婦の芙紗子さんもいたし、寂しいと思ったことはなかった。でも……」

 

 伸はただ、行彦の横顔を見つめ続ける。

 

「あるとき、あの女が尋ねてきた。みすぼらしくて卑しげな女が、お母さんに金の無心に来たんだ。


 その女が、僕に向かって言った。『ボクちゃん、お母さん、会えてうれしいわ』って。

 

 その女が、僕の生みの親だったんだよ。僕は、大好きなお母さんの本当の子じゃなかった。

 

 言われてみれば、生白い肌の色も、貧相な体つきも、あの女にそっくりだ。僕は、とても醜い!」

 

 行彦は、両手で顔を覆った。

 

「そんなことない! 行彦は、とてもきれいだよ。その顔も、透き通るような白い肌も、華奢な体も、俺は大好きだ。


 俺にかけてくれる優しい言葉も、仕草も、甘い香りも、全部!」

 

 行彦が、いやいやをするように、首を左右に振る。伸は、たまらない気持ちになって、行彦をきつく抱きしめる。

 

「行彦、大好きだ。愛してる」


 行彦は、嗚咽する。

 

「あぁ、伸くん……」


 伸は、行彦を押し倒した。先ほどまでの倦怠感が嘘のように、体に力がみなぎっている。

 

 今ならば、行彦と一つになれる。伸は、勢いよく、行彦の体にかかっているブランケットを引きはがした。

 

「駄目だよ!」


 行彦が、伸の体を押し戻そうとする。

 

「なんでだよ。俺は、行彦がほしいんだ」


「伸くんが、死んじゃう!」


「えっ?」


「お願いだから、もう少しだけ話を聞いて」


 行彦の悲痛な叫びに気おされ、伸は、行彦を押さえつけていた手を離した。

 

 さっきとは反対に、横たわった行彦を、伸が見下ろす。行彦は、涙に濡れた瞳で見上げている。

 

「僕は、悪夢を見るようになった。毎晩毎晩、あの女が部屋に入って来ては、気味の悪い笑顔で僕に話しかけるんだ。『ボクちゃん、お母さんよ』って。


 どんなにあらがっても、僕にしがみついて、がんじがらめにして離してくれない。僕は、怖くてたまらなくて……」

 

 行彦の目から涙があふれて、目じりを伝って流れ落ちる。

 

「やがて、起きているときにも幻覚を見るようになった。後から落ち着いて考えれば、あれはただの幻で現実じゃないってわかるけど、その最中は、本当に恐ろしくて……。


 繰り返すうちに、だんだん、それが幻なのか現実なのかわからなくなって、あの日……」

 

 言葉が途切れ、行彦のきれいな顔が苦しげに歪む。

 

「行彦」


 思わず触れた頬は、温かい。

 

 行彦は、伸のその手を握り、絞り出すように言った。

 

「いつものように入って来たあの女から逃れたくて、どうしても触れられたくなくて、あの窓を開けて……飛び降りた」

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