22,立花芳子の話と長い夢と見慣れない部屋
短めの髪を栗色に染めた、都会的な雰囲気の女性は、振り向くと、かすかに笑みを浮かべながら、問いかけるように伸の顔を見た。
「あの、安藤伸といいます」
「安藤伸くん? 私に何かご用?」
はきはきとしたしゃべり方と笑顔に助けられ、伸は言葉を続ける。
「山の洋館の持ち主の方ですよね。今度、取り壊される予定の」
「えぇ、そうよ」
「そのことで、お話が……」
突然、不躾に話しかけた見知らぬ高校生に、笑顔で丁寧に接してくれるだけでもありがたいが、さらに彼女は言った。
「今、ティールームにコーヒーを飲みに行くところなの。よかったら付き合ってくださる?
そこでお話しましょう」
「はい」
席に着くと、さっとボーイがやって来た。女性が、伸に向かって言う。
「あなたもコーヒーでいい?」
「はい」
「ほかにも何か頼んだら? ご馳走するわよ」
「いえ。コーヒーだけで」
最近は、なぜかあまりお腹が空かなくて、食事も残しがちなのだ。
「遠慮しなくていいのよ」
「いえ。本当に」
「そう?」
女性は、少しの間、伸を見つめてから、ボーイを見上げて言った。
「それじゃ、コーヒー二つ」
ボーイが立ち去ると、女性が言った。
「私は立花芳子よ。それで、安藤くん、お話って何?」
「えぇと……」
立花は、相変わらず笑みを浮かべて、伸の顔を見ている。
「俺、洋館に住んでいる行彦くんと友達で」
立花が、なぜか眉をひそめたが、かまわず続ける。
「行彦くんは、洋館を離れることを悲しんでいるみたいだし、人が住んでいるのに、どうして取り壊してしまうのかなって。もちろん、再開発のことは知っているけど」
不安になるくらい長い間、伸の顔を見つめた後、立花が言った。
「安藤くん、何か勘違いしているんじゃない? あの洋館は、もう何年も前から空き家になっているわよ」
なんだ、そんなことか。伸は、顎を上げて言う。
「みんなが、そう思っているのは知っています。とてもひっそり暮らしているから、誰も気づかないんですよね。
だから、電気が点いていると、幽霊が出るだなんて言って騒いで。俺も、行彦くんのお母さんには、まだ会ったことがないし」
そのとき、ボーイがコーヒーを運んで来た。ボーイが去った後、コーヒーには手をつけずに、立花が口を開く。
「行彦くんのお母さんって、響子さんのことかしら」
「名前は知らないけど」
立花が、諭すように話す。
「あのね、私、響子さんとは、はとこなの。つまり、親同士がいとこ。
まぁ、そんなことはいいんだけれど、響子さんなら、もう何年も前に亡くなっているわよ。それに、行彦くんは、もっと前に」
「……えっ?」
「痛ましい出来事だったわ」
伸は、立花の顔を凝視する。言っている意味がわからない。行彦が、なんだって?
――安藤くん、どうしたの? 大丈夫?
立花の声が、やけに遠く聞こえる。
――君、具合が悪いの?
視界がぼやける。
――ちょっと、誰か!
ぼやけた景色が、ゆっくりと傾いて行く……。
長い夢を見ていた。
いつものパジャマ姿で立ち尽くす行彦が、ぽろぽろと涙を流している。行彦。そんなに泣いて、かわいそうに。今、涙を拭いてあげるから。
泣き顔すら、とても美しく、その頬に触れようと、伸は手を伸ばすが、触れる寸前、行彦は後ずさる。
どうして? 問いかける伸に、行彦は黙って首を横に振る。後から後から涙はあふれ出し、赤い唇がわななく。
行彦、どうして? 行彦は、さらに後ずさる。待って、行彦!
体のだるさと息苦しさを感じて目を覚ますと、伸は、見慣れない部屋に横たわっていた。
ここは? ぼんやりと見回すと、壁際に座っていた誰かが近づいて来た。
「伸!」
泣きそうな顔で叫んだのは、母だ。母は、畳みかけるように言う。
「いったいどうしたっていうの? なんであんなところに。お母さんが、どれだけ心配したと思ってるの!」
そんなに一度に言われても、答えられない。それよりも。