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18,部屋に入って来た女性と母の二重の悲しみ

 母より少し年下だろうか、小柄で痩せた女性が、ずかずかと部屋の中に入って来た。すぐ後ろから入って来た母は、困惑の表情を浮かべている。

 

 女性は、行彦を認めると、満面の笑みを浮かべて近づいて来た。行彦は、助けを求めて母を見る。

 

「ボクちゃん、大きくなって」


 それが、女性の最初の言葉だった。母が、女性の肩に手をかける。

 

「お願い、やめて」


 女性は、母のほうを見て言う。

 

「どうして? ようやく会えたんじゃない」


 この人は、僕を知っている? 呆然と見つめている行彦に、女性が言った。

 

「ボクちゃん、お母さん、会えてうれしいわ」


 ……え? 今、なんて? 行彦の思考を遮って、母が叫ぶ。

 

「志保、やめて!」


 名前を知っているということは、母の知り合いなのか。

 


 志保と呼ばれた女性は、どこか狂気めいた雰囲気を漂わせながら、まくし立てる。

 

「素敵な洋館で、優雅な暮らし。うらやましいわ。私は未だにアパート住まいなのに。


 資産家のご両親の遺産がたくさんあるんでしょう? 少し融通してほしいの。

 

 十万や二十万、あなたたちには、はした金よね。

 

 ねぇ、ボクちゃんからも響子さんにお願いして。お母さん、生活が苦しいのよ!」

 

 女性は、肩で息をしている。行彦は、その姿に釘づけになったまま、目を離すことが出来ない。

 

 白い肌、華奢な体つき。行彦に向かって、自分のことを「お母さん」と……。

 

 そのとき、母が叫んだ。

 

「いい加減にして! 約束が違うじゃない。お金ならあげるから、早くここから出て行って!」


 そして、女性の腕を掴むと、強引に部屋から引きずり出した。大きな音を立ててドアが閉まり、バタバタと足音が遠ざかって行く。

 

 

 

 志保は、大学のサークルの後輩だった。ほっそりとして色白で、一見おとなしそうなのだけれど、甘え上手なところがあって、するりと人の懐に入って来る。

 

 だが、甘えられると悪い気はしないし、先輩先輩と慕ってくれるとうれしい。志保のことは、ずっとかわいい後輩だと思っていた。

 

 だから、あのときも素直に応じた。疑う気持ちなど少しもなかった。

 

 

「わぁ、素敵な人。いいなぁ。美男美女でお似合いですね。機会があったらご挨拶させてくださいよ」


 それは、響子に社会人の恋人がいることを知った志保にねだられ、写真を見せたときのことだ。

 

「今日、これから会うことになっているけど、よかったら顔を見て行く?」


「いいんですか? うれしい!」


 ちょうど近くのカフェで待ち合わせをしていたので、軽い気持ちで誘ったのだった。

 

 

 だんだん照彦の態度が素っ気なくなり、気づいたときには、彼と志保は、そういう関係になっていた。志保は、響子にしたのと同じように、いとも簡単に、照彦の気持ちを掴んだのだろう。

 

 ショックだった。いくら甘えるのがうまいからといって、照彦が、あんな子に心変わりするなんて夢にも思わなかった。

 

 外見も中身も、自分のほうが数段上だと思い、安心し切っていたのだ。そういう自惚れが、照彦にも志保にも、無意識のうちに伝わっていたのだろうか……。

 

 初めて照彦と彼女を会わせたカフェに、響子を呼び出した志保は、態度だけは、しおらしく、両手を膝の上に置いて、うつむきながら言った。

 

「私、赤ちゃんが出来たんです」


 言葉を失っている響子に、さらに追い打ちをかける。志保は、微笑みながら言った。

 

「照彦さん、言ってくれたんです。海外出張から帰ったら、私の両親に挨拶に行くって」


 まさか、そんな……。あまりの衝撃に、響子は、その後どうやって家まで帰ったのか覚えていない。

 

 

 だが、人生は、誰にとっても、そんなに甘くはない。海外出張の帰りの飛行機が墜落し、照彦は死んだ。

 

 自分を捨てた恋人が命を落とした。二重の悲しみに、響子は、一人涙した。

 

 志保が、どうしたかは知らない。それ以来、彼女をキャンパスで見かけることはなかったから。

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