14,長く孤独な時間とギンガムチェックのシャツの少年と指切り
「無理に受診することはないわ。それに、行彦は部屋から出られないんだもの。病院には行けないわよね。
大丈夫よ。この子には私がついているから。ねぇ行彦」
そして、いつもの優しい笑顔を浮かべる。行彦が拒んだので、医師に往診してもらうこともなかった。
気が遠くなるような長い時間を、部屋の中で過ごした。それは、とても孤独な時間だった。
自分は、このまま永遠に、ここでこうしていなくてはいけないのか。そう思っていたあの夜、突然、ドアが開いたのだった。
一瞬、まぶしそうに目を閉じた彼は、腕で光を遮るようにしながら、ゆっくりと目を開けた。
「あ……!」
驚きの声をもらしながら、彼の目が大きく見開かれる。さらりとした素直そうな髪を額に垂らした少年は、ブルーのギンガムチェックのシャツを着て、いかにも健康的だ。
自分とは違う世界の人間。そのときは、そう思ったのだが。
こちらを見つめながら、少年は、戸惑ったように言った。
「あの、えぇと……」
行彦は尋ねる。
「君、誰?」
「あっ、俺は、安藤伸です。えぇと、なんかすいません。あの……」
あたふたする様子が、なんだかかわいくて、思わず微笑んだ。少年は、行彦をじっと見つめている。
「安藤、伸くん?」
彼は、生真面目そうに答える。
「あっ、はい」
「僕は、行彦」
そのとき、窓に何かがコツンと当たる音がした。不意に、更衣室での出来事がフラッシュバックして、行彦は、すがるように伸を見る。
伸は、つかつかと窓に歩み寄り、厚地のカーテンを引き開けた。そして、窓の外を、持っていた懐中電灯でしばらく照らした後、スイッチを切って、こちらを向く。
「えぇと、誰もいないと思ったから、急に入って来てすいませんでした。帰ります」
そう言うなり、ぺこりと頭を下げてドアに向かう。
行彦は、あわてて声をかけた。
「待って!」
これでお終いなんて嫌だ。裸足のままベッドから下りて、伸に駆け寄りながら言う。
「まだ行かないで」
「でも……」
伸は、落ち着かない様子で、ドアと行彦を交互に見る。
行彦は、こみ上げそうになる涙をこらえながら言った。
「ずっと一人ぼっちだったんだ。伸くんと、もう少し話がしたいな」
行彦の目を見つめながら、伸が言う。
「でも、もう、行かないと……」
「それなら」
行彦も、伸の目を見つめ返す。
「また来てくれる?」
「あ……うん」
伸が小さくうなずいてくれたので、ほっとする。
「よかった……。明日のこの時間に、またここに来て」
再び、伸はうなずく。
「わかった」
「じゃあ、指切りしよう」
一歩近づきながら小指を差し出すと、戸惑ったような顔をしながらも、伸は、しっかりと小指を絡めてくれた。
伸は、本当に来てくれるだろうか。もうとっくに、僕のことなど忘れているのでは……。ずっと不安な気持ちで待っていたのだが、約束の時間に、ドアはノックされた。
行彦は、小走りでドアへ向かう。そして、無意識のうちに、ずっと触れることが出来なかったドアノブに手をかけていた。
来てくれただけでうれしかったし、照れくさそうな態度も、壊れた塀や玄関の心配をしてくれたことも、人柄を感じさせて、好ましいと思った。
それから、自分が思い違いをしていたこともわかった。話を聞いて、あまりの偶然に驚いた。伸も、自分と同じように、学校で、いじめに遭っているというのだ。
昨夜、この部屋を訪れたのも、肝試しと称した嫌がらせを受けていたのだ。この洋館が空き家だと思われていることは、行彦も知っていた。
それだけでなく、伸も母子家庭で、周りから白い目で見られているらしい。伸は、そのことが原因で、友達を作ることをやめたのだと言った。
自分と違う世界の人間などではなかった。伸は、自分と同じ苦しみを抱えている。
それから伸は、毎晩、この部屋を訪れてくれるようになった。