13,悪夢と甘い時間へ戻ることと部屋から出られなくなること
実際に、下着を脱がされることはなかったが、行彦は、部屋の隅にうずくまったまま動けなくなり、そのまま体育の授業を欠席してしまった。次のときも、更衣室でからかわれ、嫌がらせをされて、それ以来、更衣室に入ることが出来なくなり、体育の授業にも出られなくなった。
ずっと体育の授業を欠席しているので、教師に注意され、理由を聞かれたが、答えることが出来ない。注意されても授業に出ないので、母が学校に呼び出され、事情を聴かれた。
教師は、おとなしく、ほかの授業には真面目に出席している行彦のことを心配しているようだった。
学校から帰って来た母にも理由を聞かれたが、やっぱり答えられなかった。答えることなど、出来るはずがない。
からかわれるくらい、たいしたことじゃない。誰も本気で、僕が体を売っているなんて思っているわけじゃない。
みんな、ただふざけているだけだ。だから、気にしないで、ちゃんと体育の授業に出なくては。
そう何度も自分に言い聞かせるのだが、どうしても更衣室に行くことが出来ない。着替えることが出来ないので、体育の授業にも出られない。
更衣室に行かない行彦のことを、男子たちは、女子の前でも、からかうようになった。口では「やめなさいよ」と言いながら、女子たちも、どこか面白がっているふうだ。
やがて行彦は、毎晩のように、悪夢を見るようになった。
行彦は、更衣室の真ん中でうずくまっている。所狭しと集まったクラスメイトは、男子も女子もいて、みんなで行彦を指さし、馬鹿にするように大声で笑っている。
「おいオカマ」
「お前、男に体を売っているらしいな」
「あの洋館に、夜な夜な客を引き入れて、男とやって金を稼いでるって、もっぱらの噂だぜ」
「こいつ、女みたいじゃん」
「アレ、ちゃんとついてんのかよ」
「ちょっと見せてみろよ」
マジかよ。キモい。やめなさいよ――。
汗だくになって目を覚ますと、くやしくて悲しくて、涙が止まらなくなり、朝まで泣き続けた。行彦は、学校に行くことが出来なくなった。
母は、何も聞かなかった。聞かなくても、今まで学校に行くことを嫌がることのなかった行彦が、部屋にこもったまま泣き暮れている様子を見て、おおよそのことは察しがついたのかもしれない。
「行彦が行きたくないなら、行かなくてかまわないのよ。家で出来ることをすればいいわ」
そう言って、行彦を安心させるように優しく微笑んだ。
大事なことを聞くのを忘れてしまった。そう気がついたのは、夜明け前の道を、家へ帰る途中だった。
まあいい。どうせ今夜もまた、行彦に会いに行くのだから。そして、すぐに心は、先ほどまでの甘い時間へと戻って行く。
行彦と交わした、長く官能的なキス。行彦の細い首。パジャマの襟元からわずかにのぞく、白い肌……。
朝食のときに、母が言った。
「伸。最近、少し顔色がよくないんじゃない?」
「そう?」
「体調はどう?」
「元気だよ」
「何か心配事は?」
「全然」
伸は笑って見せる。毎日、いたって快適だ。最近は、なぜか松園たちの嫌がらせも鳴りを潜めているし、何より、毎晩、行彦に会える。
「それならいいけど……」
家で出来ることをすればいい。母はそう言ってくれたが、行彦は、学校に行くどころか、部屋から出ることすら出来なくなってしまった。
部屋を出ようとすると、胸が苦しくなり、クラスメイトたちが、あざ笑う幻聴が聞こえて来るのだ。やがて、ドアノブに触れることすら出来なくなった。
その昔、イギリス人が建てたという洋館には、部屋ごとにバス・トイレが完備され、食事は、いつも母が運んで来てくれるので、部屋から一歩も出なくても、困ることは何もなかったが。
芙紗子は、行彦に、心療内科を受診することを勧めたが、行彦が泣いて嫌がると、母は言った。