8:失意の中の出会い
興奮の冷めやらぬ人々で賑わう講演場を走り抜け、ノーブルタワーを後にする。フレーたちは、未だ走り続けるエーネを追って、大通りの外れへと辿り着いていた。
「……誰のせいでもない」
疲労で立ち止まったエーネと、今にも「自分のせいだ」と口にしかけていたフレーに向かって、ザンは言い聞かせるように呟いた。
「俺たちが甘かったんだ。あの人の言っていることは……理解できる」
ザンの言葉を受け止めているうちに、エーネの体が未だに震えているのに気がついた。男性にあんなことをされ、トラウマになってしまったかもしれない。
「エーネ……」
恐る恐る声をかけると、彼女は振り返る。その意外な表情に、フレーは目が点になった。
エーネは確かに涙を流していた。けれど口の曲げ方や眉の角度が、泣いている時のそれではない。これは、どちらかと言うと……
「────何故ですッッ!!」
またしても鳴り響くエーネの大声。喜怒哀楽の境が全くわからずに、二人で目を白黒させた。彼女は確かに涙を流していたが、悲しそうではある反面、別の感情も感じられるのだ。
「い、言ってることは正しいかもだけど……! あ、 あんな頭ごなしに脅すみたいにされて、言い返すなんて無理に決まってます! わ、私たちにだって事情があるのにぃっ!」
(え、えーーーっ!?)
今日の彼女はちょっと変だ。と、そこで、フレーはエーネの指が、服を掴んで離さないことに気付いた。
本当はやはり怖かったのだろう。自分を誤魔化すため、こうして珍しく大声を上げているのだ。
込み上げる何かを抑えている内に、少し落ち着いたエーネが申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、フレー、ザンも。勝手に出てきちゃって」
「いやまあ、いいんだが。ははっ……」
「え、な、何笑って……!?」
「ううん、ふふっ、エーネってそんな声出るんだなーって……それになんか、泣いてるのに、カッコ良く見えちゃって」
感動と共に緊張の糸が切れたのか、何故だか笑いが止まらなかった。
気弱なくせに、実際に怖がっているくせに。フレーの旅立ちを止めようとした時といい、どうしてこう、たまに驚くような芯の強さを見せるのか。
「エーネ、ありがとね。さっきグレイザーに言ってくれたこと……ほんとに嬉しかった」
「わ、笑いながら言わないでください……!」
赤面して口を尖らせる彼女が可笑しくて、フレーとザンはまた少し笑う。
誕生日の関係で、この中では最年長のエーネ。お姉さんのはずなのに、臆病で勘が鈍いところはご愛敬だ。からかわれると、大体は赤くなって力無い声で反論するのが定番である。
そんなエーネはいつも、フレーに安らぎを与えてくれる存在だった。等身大で誰よりも心優しい彼女は、今も……曇り切ったこの現状を、しばらくの間忘れさせてくれた。
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お互いに和み合った後、フレーたちはいよいよ事態を直視することを強いられた。
「……二人の考えはわかるよ」
共に行く道を選んだ以上、二人はフレーを尊重してくれる。だからこそ言い出さないのだ。
「こうなった以上、私たちはホメルンに戻ったほうがいいって」
「フレー……」
村の周辺では、ビートグラウズの他に兵を借りられる場所など無い。それこそシュレッケンならば望みはあったが、今は状況が状況だ。
首長に直に断られたとあれば、もはやどうしようもない。
「でも、なんでかな……踏ん切りがつかないんだよね。せっかく掴み取ったチャンスだと思うと、ね」
村の親しい人たちの顔が次々と浮かぶ。彼らを守りたい、その気持ちに嘘は無い。それでもすぐに決意が固まらないのは、やはり手の届きうる目標が眼前にあるからだろう。
これほどの規模の都市でも、大通りから外れると少し寂れているものらしい。先ほどまで人の熱気に囲まれていたからか、細い風が吹くたび、若干の肌寒ささえ感じる。
もう日が暮れているのもあって、少しくすんだ建物が、なんともおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
「少し歩かないか」
ザンが努めて明るい顔で言った。
「治安は保障できないが……まあ三人だし、こういう雰囲気も乙なもんだろ」
「……うん」
フレーが真ん中になり、三人で夜の街を練り歩く。
そういえば宿の問題もあった。もういっそ野宿でも良いような気分であるが。
(それにしても……あの人はすごい)
恐怖と混乱。それらをたった一人の指導者が、凄まじきカリスマ性で跳ね返す街、ビートグラウズ。
グレイザーはやはりなるべくして守護者となった男だ。政治の手腕のみならず、きっと相当腕も立つのだろう。彼ならばホメルン程度の敷地は、一人で守り通せるに違いない。
「フレー、フレー」
「……はぁ……」
「フレー! フレーってば!」
「……? 何応援してんのエーネ?」
「いやフレーを呼んでるんですっ! でも、ちょっと良いボケかもそれ……」
ぼうっとしていて気付かなかったが、先ほどからエーネが小声で袖を引っ張っていた。彼女が目配せした方向を見ようとすると、反対側のザンに肘で小突かれる。
「二人とも、目を合わせるな。多分、物乞いだ」
囁くようなその声に、エーネと二人で目を伏せた。
視界の端に、みすぼらしい格好をした男女が数人、こちらを穴の開くほど見つめているのが見える。一番距離の近いエーネがそれに気付き、合図してきたのだろう。
「俺たちは今、大金を持ってる。村の金だ。渡すわけにはいかない」
「ちょっと心苦しいけど……」
「ここは凛としていくぞ」
三人は早足でその場から立ち去ろうとする。しかしそんな決意を砕くように、物乞いと思しき集団の内の一人が、それ以上の早さでフレーたちの方へと向かってきた。
「そこのお嬢さん方」
「うっ……」
「はっはっは、そんな嫌そうな顔をしなさんな」
観念して立ち止まり、声のした方へ顔を向ける。立派な髭を蓄え、白の混じった髪を揺らす、精悍な顔つきをした男性がそこにいた。
「ご、ごめんなさい、お金は……」
「いやいや、そういうんじゃないよ。確かにこんな格好だがね」
フレーが詫びると、男性は頭を掻きながら照れ笑いする。その後三人を順に眺めて言った。
「君たち、ここの人間じゃないね。周辺の村から来たのかな」
「……! どうして……」
大きめの荷物を運んでいるとはいえ、そんな人間いくらでもいる。グレイザーといい、何故こうも看破されるのか。
「この街かシュレッケンの者なら、この時間にゆったり散歩はせんよ。見てみなさい」
男性に促されるままに辺りを見回すと、移動している人々がどこか急ぎ足であることに気が付いた。よく見たら、若者はもうほとんどいない。大通りほど多くはなくとも、少なからずあった店たちは、もう閉まり始めていた。
「戒厳令が出ている。この時間帯以降は不用意に出歩くなと、守護者からのお達しだ。今日は講演が区切りだったね」
「そうなのか……」
「……君たち、どうも訳ありみたいだね?」
何とも鋭い男性だ。フレーが言い淀んでいると、ザンが話題を変えてくれた。
「貴方こそ何者ですか。こんな時間に何を? その口ぶりだと戒厳令は、全住民対象みたい、です……が……」
そんな彼の言葉が尻すぼみになる。何かを思い出したのか、その目は驚きに見開かれていた。
「いかにも、いかにもだよ少年。だがね、私たちは家には帰らんよ。全員が、帰る場所が無いわけではないがね……」
「えっと……?」
「君たち、グレイザーを見たんだろう。それでどう思ったかね」
フレーの脳裏に、講演場でのパフォーマンスと、その後に見た獣のような剣幕が浮かぶ。まさか実際に話をしたなんて、この人は夢にも思わないだろうが……
何も言わない一行に、男性はふと笑みをこぼした。並々ならぬ気迫を感じて、フレーは少し顎を引く。
「君の質問に答えようか、少年。私の名は、ゼノイ・グラウズ」
まさかという予感に、二の腕にサッと鳥肌が立つ。目の前の男性はあくまでにこやかに、その肩書きを教えてくれた。
「群都市ビートグラウズ……その名付け親にして、前市長だ」




