75:また会う日まで
「……来ない」
「来ないな」
「来ないですね」
「この調子じゃ永遠に来ないね」
エーネの誕生日から一週間が過ぎ、更に復興も進んだ頃。
「里がこんなに変わったっていうのに、キリア王女、全然来てくれないじゃんっ!」
懐かしのあの料理屋にて、フレイング・ダイナは嘆きの声を上げていた。
「空間移動の能力者なら、もっと頻繁に訪れても良さそうなんだが」
「ライグリッドに聞いたら、前はもっと来ていたらしい」
「い、未だに信じられない……頭にゴミ袋乗せた人って言われても」
エーネは半笑いだ。実際に見ていないからこの程度の反応で済ませられるのだろう。
「私もまだ信じられないよ。でも、シルクでできてるんだって」
「思えばライウ王子も変わった服でしたけど、威厳はあったし……」
「まあ、キリアは気まぐれだからねぇ」
突如ライグリッドが背後に出現した。マインド以外の人間組は、頬張っていたパスタを吹き出しそうになる。
「ら、ライ! 急に出てくるのはやめてって言ってるでしょ!?」
「これが僕の移動法だもん。復興の時はこのスピードを散々こき使ってくれたじゃないか」
「ほとんどライのせいなんだから、当たり前です!」
最近、双子の小競り合いが日常茶飯事と化していた。今日も案の定である。
「ビビりの癖に随分言うようになったじゃないか。僕がその気になったら君はイチコロだよ? ね、炎のお姉さん?」
「そ、そ、そんな脅しで、私は折れません……っ! も……もう、そ、空だって飛べるんだから!」
「エーネ、ビビりすぎだよ」
一応皆生かしていたとはいえ、あれだけ多くの人間を苦しめたのにこの態度だ。それでももう彼に敵意は無く、いざこざを起こしたくないフレーたちは特に干渉しないでいた。彼の所業を面と向かって非難していたのはエーネくらいだ。
「大体、何でフレーをお姉さんって呼ぶの。私たちの方が年上でしょ? てかここに、本当の姉さんがいるのに……」
「今更君を姉さんって……あはっ、あははははっ……!」
「こ、このっ……!」
迫力の無い顔で怒るエーネを宥めている内に、ザンが話題を変えた。
「それで? 要件は何だ」
「うん、キリアについて教えてあげようと思って。彼女なら当分来ないと思うよ」
「えっ……早く言ってよ!」
思わず声を上げたフレーだったが、ライグリッドは「別に聞かれなかったし」、と小憎たらしいポーズを取る。
「今ねぇ、王族たちは忙しそうだよ? なんでも、それぞれ別々の街に閉じ込められてるみたい」
「閉じ込められてる……? 何故だ」
「さあ? 興味無いもん。僕の王国は無くなっちゃったし、ここでゆっくりする以外やることはないからね」
「ぐーたらだね……あ、そうだ」
フレーは手を叩き、少し声を潜めた。
「ライグリッドのさ、空間移動の魔道具。あれってキリア王女のでしょ? 私たちを王都まで移動させることってできないのかな」
「残念ながら無理だね」
そう言うと、何故かライグリッドの方が口惜しそうな顔をした。
「使用者が行ったことのある場所にしか飛べないからね。それに僕の大事なコレクションだから、簡単に貸してなんてやらないし……はぁ……」
「どうしたの?」
「いや……あの戦いのせいで、魔道具が一部割れたりしててさ。破片を集めても数が合わないし、きっともう見つからないよ」
珍しく悲しそうな顔をしていると思えば、割とどうでも良い話だ。少なくともザンたちは無関心な顔をしていた。
「か、数え間違いじゃない? ダメだよ、大事なものは何かで覆うとかしないと」
「僕の目は確かだよ。それに覆ってたら見栄えが悪いでしょ」
「あ……そう」
「とまあ、時間稼ぎはこんなものかなぁ」
落ち込んだ様子が一転、ライグリッドは楽しげな表情になった。
「君たちさ、いいの? 行かなくて」
「…………え?」
「焦る姿見たかったから黙ってたけど、挨拶くらいした方がいいよね? 彼、何だかんだ長居してくれたし」
やや遅れて、全員が察してしまう。元々付き合いが良い方では無かったけれど、今朝から彼の姿を見ていない。
「まさか────!」
「エーネ、君が教えてくれたじゃないか。早く向かったらどうだい?」
ライグリッドは姿を消す直前、姉に屈託なく笑いかけた。
「仲間、なんでしょ?」
フレーたちは顔を見合わせる。エーネはもう、誰一人として待っていられない様子だ。。
「あ、あの、私……」
「行ってきて、エーネ」
マインドがやんわりと促した。
「人間はこういう時、見送りをするって聞いた。きっとその役目は君にある」
「……は、はいっ!」
エーネが駆け出すのを見届けてから、ザンも席を立った。
「俺たちも行こう。あいつには借りがあるからな」
「待って」
今にも歩き出そうとする彼の腕を、フレーは軽く掴む。
「ちょっと遅れて行くよ」
「ん……? 間に合わないかもしれないぞ」
「そうだね。最後に話せないのは残念だけど……もう、鈍いなぁ」
興奮と少しの寂しさを内包して、フレーはにやけ顔で言う。それは多分、自分史上最高に下世話な表情だった。
「それがきっと、エーネのためだよ」
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「グレイザー!!」
里を一直線に走り抜け、エディネア・モイスティは追い求めていた影を見つける。何故か彼がそこにいるという確証があったのだ。
「モイスティか」
「はあ、はあっ……ま、まさかっ……そこから飛び降りる気ですか?」
決裂の崖の前で涼しい顔をするグレイザーに対し、ソフィは案の定汗だくになっていた。
「お前ら姉弟も経験したことだ。俺に不可能な謂れはねェ」
「な、何その対抗心……じゃなくて!」
強く膝を叩き、エーネは真剣な表情で問い正した。
「行っちゃうの……? 一人で……!」
グレイザーは何も言わない。それが何よりの肯定の意だとわかった時、自然と目尻が熱くなった。
「ど、どうして……っ! 王都に行くんなら、私たちと一緒に……!」
「何度も言ったはずだ」
蒼色の長髪を風に揺らし、守護者はエーネに向き直る。
「馴れ合うつもりはない。未だ俺に足りない力……それを追い求めるのに、お前たちは不要だ。いずれ越えるべき敵である以上な」
「敵って……だ、だって私たち……」
「お前は選んだのだろう、フレイング・ダイナに付いていく道を。ならばそれを全うしろ」
言葉が出て来ず、口だけが小刻みに動き続けた。やっとのことで絞り出せたのは、涙混じりの掠れ声だ。
「私っ……ほ、本当に、感謝してるんです……グレイザーがいなきゃ、全部あの日、終わってたから……!」
「…………」
「だから、さ、寂しい、です……っ! ごめんなさい、変な風に引き留めて。ただ……その……」
無論グレイザーは、この程度の言葉で決断を歪めたりしない。それでも虚しさに任せ、言い募ってしまった。
だからこそ、彼のその提案には……エーネは心底驚かされた。
「モイスティ、もう一組通信機を持っていたな。あれはどうする予定だ?」
「えっ? あ、えっと……まだ決まってないけど、片方を父さんたちに渡すとか……?」
「そうか」
グレイザーはしばらく思案顔になり、やがて正面からエーネを見据えた。
「その片割れを俺に寄こせ。もう片方は、お前が持っていろ」
エーネは口を半開きにし、固まる。グレイザーは一切視線を逸らさない。
いくら何でも、わからないほど愚かではなかった。それが何を意味するかなんて……
「ぐ、グレイザー……」
「勘違いするな」
彼はそのままの表情で冷たく言い捨てた。
「お前たちの近況を知るのに利用するだけだ。鉄の饗炎……興味はねェが、関係者の行末には関心を寄せている」
初めて会った時、エーネの心根を震わせた怒号が思い起こされる。フレーが彼を打ち倒すまで、思い出しては怯えていたあの剣幕。
しかし最初からわかっていたことだ。激情の裏に隠された、彼の優しさの存在なんて。
「…………ぁ」
ほんの少し。もう少しだけ心が許すのならば、「是非」と言ってしまいそうになった。
エディネア・モイスティは思い描く。フレー、ザン、マインド。そしてグレイザー。囚われた自分を救い出し、道を示してくれた大切な存在。
彼女たちに頼り切りな自分。何をするにも怯え、中々踏み出せない自分。
そんな風に生きていくなんて、もうまっぴらごめんだ。
(そっか……私)
ここに来て、確信する。
(強くならなきゃダメなんだ)
「グレイザー」
名を呼ぶと、涙が一滴こぼれた。それが最後だと自分に誓い、エーネは顔を上げる。
「折角なんですけど……遠慮しておきます」
「そうか」
彼はさほど意外そうな顔をしなかった。まるで答えを予期していたと言わんばかりだ。
「ならば、ここまでだ」
「…………」
「礼は言わん。だが、かつて手を下そうとしたお前たちに……今度は助けられたというのも事実だ」
決裂の崖を背負うグレイザーは、上り詰めた日光を一身に浴びながら、凛とした声を放つ。
「健闘を祈る。モイスティ」
「わ、私っ!!」
これは弱さとの決別だ。だから……
「エディネア……なんです」
こうして、最後に。
「それが私の、名前……」
わがままを言うくらい、許してほしい。
エーネは俯いた。次の言葉が何であろうと絶対に受け入れよう……ガラスの心で、そんな決意をした瞬間。
大きな何かが髪を揺らした。まるで綿毛のような感触に、エーネは思わず息を止める。
きっとあの時痛がったからだろう。エーネの頭に置かれたグレイザーの手は……これ以上無いほどに、慈愛に満ちていた。
「また会おう……エディネア」
弾かれるように顔を上げた時。ビートグラウズの守護者は、既にその姿を消していた。
「エーネ」
フレイング・ダイナは、その場に佇む少女に声をかける。振り返った彼女は泣いてはいなかったけれど、目元が少し腫れていた。
「ふ、フレー」
エーネは目をこすり、誤魔化すようにはにかんだ。
「見てた……?」
「え、何を?」
フレーは努めて真顔でしらばっくれた。
「思っていたのと違った」という驚きと、「エーネの覚悟に水を差してしまうところだった」という罪悪感。それらを全て押し殺し、フレーは静かに彼女に抱き着く。
「あ……」
「エーネ、嬉しいよ。ほんとに嬉しい。私についてきてくれて」
「も、もう。どうしたの急に……」
「ううん……伝えたかっただけ」
エーネは気まずそうに身じろぎする。しかしザンとマインドも、きっと自分と同じ思いだ。
「わ、私も……ここから飛び降りなきゃいけないんですよね」
体を離したエーネは、少しだけ早口に言った。
「みんな見える? この高さ……下が霧でいっぱいです」
「そうだな、俺も足がすくむ」
「僕は粉々になるかな。シーネに改造してもらえば、いつかは空も飛べるようになるかも」
「そう、ですよね……あはは……でも私は前に飛び降りたし、空も飛んだし……グレイザーに追いつくためにも……!」
足を震わせる幼馴染。少しだけ背が伸びて見えた彼女も、良い意味でいつも通りだとフレーは思った。
「怖いと思うことを、無理してやる必要は無い」
ザンが言い聞かせるように言った。
「色んなことを恐れ、その分誰かの痛みがわかる。それがお前の何よりの良さだと、俺は思う」
「そうだよ、エーネ」
その目に光を通す機人マインドは、久方ぶりに笑っているように見えた。
「怖がるエーネも、勇気を出すエーネも……全部、ありのままの君だ」
「私もここは怖いから、連絡通路が空いてから行きたいな」
これはフレーの本心である。隠す必要なんて、彼ら相手にあるはずも無い。
「私たちは、私たちのやり方で行こうよ。回り道だって、きっと────」
夢は、叶えられる。
「────はいっ!」
ソールフィネッジの首領エディネア・モイスティは、溢れんばかりの笑顔でそう応える。
里を包み込む霧に対し、空は今日も晴れ渡っていた。




