72:弟の行方
「……おわっ、た」
精魂尽き果てたエディネア・モイスティは、脱力してその場に膝を着く。頭から倒れ込みそうになっていると、フレーが駆け寄ってきてくれた。
「エーネっ!!」
「フレー……! ありが────」
言い終える前に、思い切り抱きつかれた。肩が痛んだが、幼馴染の温もりを前にはそんなもの吹き飛んでしまう。
「良かった……ほんとに、無事で……!」
「うん……うんっ……!」
「えへへっ……あ、ごめん。私結構汗かいてて……まあエーネもだけど」
「う、うるさい……ずっと動き回ってたんです。もう、色々と台無し……」
互いに涙を流し、冗談を言い、そして笑う。以前と変わらぬ日常の証だ。
こうして見るとフレーの方がまだ動けそうな感じだ。どういう経緯か地表にいた三人は、それまでも戦っていた様子だったので、つくづく力の残量の差を実感してしまう。
とはいえそんな彼女も、珍しく青い顔である。あの大技はきっと新しい必殺技なのだろう。
「みんなは……?」
「ザンは……あ、大丈夫そう。だけど、マインドとグレイザーは……」
フレーは死んだように眠っているザンと、ぴくりとも動かないマインド、そして血だまりの中で伏せっているグレイザーを見やる。
「そ、そんな……!!」
「……っ……とりあえず、マインドはどうしようもないっ……エーネ、グレイザーだけでも……!」
「……おい。高い声で、喚くんじゃねェ……」
唸るような低音が聞こえる。エーネたちが身をすくませると、体中を負傷したグレイザーが鈍い動作で起き上がった。
「俺が、この程度でくたばるか……」
「い、いや……だって十分くたばりそうな血の量……」
「ああああ……グレイザー……!!」
呆れたように言うフレーをよそに、エーネは半ば這いずりながら彼に駆け寄った。
傷だらけの彼の顔は、今までよりいっそう怖く見える。しかし達成感に満ち溢れたその瞳は……かつてないほど優しかった。
「……グレイザー、ありがとうございます。私のために……私たちのために……」
「はっ……俺は奴に借りを返しただけだ。して、モイスティ、その格好で俺に近づく気か?」
「あっ……! う、うう……何か、慣れてきた自分が嫌だ……」
しっかり前を隠してから、エーネは若干顔を俯かせる。
言うべきかどうか迷い、しかし少しのことでも後悔したくなくて……
しばらくしてから、エーネは小さく口を開いた。
「それと……私、エディネアです」
「あァ? 知っているが」
「じゃ、じゃなくて……その…………な、何でもないです」
「…………エーネ……?」
フレイング・ダイナは何かを察し、焦り顔で口元を押さえる。そんなことはどこ吹く風のグレイザーは、頭を抱えながらため息をついた。
「話は後だ、魔力が戻ったら俺の治療をしろ。こう見えて話すのがやっとだ」
「いや、結構一目瞭然……」
「それと、そいつに構ってやらなくていいのか?」
グレイザーが指し示す方向には、何だか歪な動きを繰り返すマインドがいた。足を小刻みに動かし、何かを訴えかけているように見える。
「マインド!!」
二人で駆け寄ると、彼は半壊した顔でこちらに微笑んだ。
「あぁ……ごめ、ん……心配、かけて……今、地熱で、エネル、ギー、を…………」
「あ、あんまり喋らないで! 私たち、何かできますか……!?」
「うう、ん……でも、大丈夫…………自動、修、復……できる……」
「そ、そうなの……?」
「ただ……傷までは、無理そ……う」
マインドは言い終えると、自力でうつ伏せになって両腕を広げた。それっきりまた不規則な動きを始めたので、エーネたちは大いに焦るが……
「……地面、あった、かい……」
「あ、これ地熱を吸ってる? だけだ」
二人で盛大にため息をつくと、グレイザーが投げやりな声で言った。
「知らねェ間に機人なんざ引き入れやがって。色々研究してやりたかったが、そのスクラップ状態なら役に立たんな」
「す、スクラッ……意味はわかんないけど、多分馬鹿にしてるよね!?」
「フレー、落ち着いてください」
そんなこんなで少しずつ皆を治療し、休憩していると、最後の怪我人が音も無く起き上がった。
「……その様子だと、どうやら片付いたようだな」
「ざ……ザン!」
「無事で何よりだ。フレー、エーネも」
「────っっ!! みんな、本当にありがとうございますっ……!」
彼の暖かな言葉に、無性に涙が込み上げてきた。それはフレーも同じなようで、手の甲でしきりに目を拭っている。
「マインドは?」
「なんか自動で治るって。今は地面の熱で回復してる」
「そうか、なら良かった」
安心した様子のザンは、グレイザーに体を向けた。
「……あんたにも世話になったな」
「全くだ。セイヴィア、そいつは精神的に脆すぎる。もう少し鍛錬を施せ」
「い、嫌だけど言い返せない……」
「てかさ、エーネ。すっごい聞きたいことあるんだけど、良い?」
フレーが心底不審そうな目線をこちらに向けてきた。
「さっきの技名、何?」
「…………え?」
技名と言われたって、何だか記憶が曖昧で……
(……あ)
背筋が寒くなった。もしかしなくても、さっき勢いで叫んだあれのことだろうか。
「ん、んー……フレー、あの、その話はまた今度で……」
「待って! いつも私のこと馬鹿にするんだから、絶対これだけは言わせてほしい!」
断固として譲らないフレーは、徐々に気力が戻ってきたのもあり、それまでよりも大きな声で言った。
「技に自分の名前入れるのは、個人的に絶対無し!!」
「ひあっ……!?」
顔から火が出そうになって、変な声を上げてしまう。ザンとグレイザー、そしてマインドすらもこちらを見ていた。どうやらわずかなエネルギーを使って首を動かしたらしい。
「う、嘘だろエーネ……お前も『そっち側』なのか……!?」
「ち、ちち、違うっ、違うんですザン、あの、あの時は、何か、感極まって……っ!」
「私だって、いっつも感極まって技撃ってるけど! エーネ、ほんっとにあれは人のこと言えないからね! みんな、この子がなんて叫んでたか知ってる? モイスティ・グラ────」
「あああああああああっっっ!! 聞こえないッ!!」」
肩が壊れているのも忘れ、エーネは両耳を塞いで叫んだ。早く皆の傷を治さなければならないのに、こんなことをしている場合ではない。
わかっている。わかってはいるのだが……
「エーネ、僕は、そういう、の……好き…………」
「くだらん、と言いたいところだが……人間ならばそういう年頃もあるだろう。それこそ、モリアデスのようなおかしな奴でなければな」
「や、やめてっっ! グレイザーにまでそういう感じで言われると、ほんとに死にたくなりますからっ!!」
しばらく夢に見そうだ。エーネが真っ赤になってうずくまっていると、遠方から声が聞こえてきた。
「おーい、エディネア!」
「ん……? 里の人たち?」
「今の声、オーヴェン君です!」
エーネが立ち上がると、先頭を走るオーヴェンの背後に多くの人間が連なっているのが見えた。ソールフィネッジの住民だけでなく、牢に捕らわれていた者たちもいる。
「お前ら……!」
「グレイザーか! やったんだな、ようやく!」
「ああ……その様子だと、連絡通路は何とかなったようだな」
「おう。無理やりぶっ壊して全員で避難して……あんたらが戦ってる内に、もうみんな解放したんだよ。今こそ反旗を翻す時だと思って」
ライグリッドの独裁政治から解放されたカイルは、それはもう満ち足りた顔をしていた。
「信じて良かった、本当に」
「家畜も無事で何よりだ。今は我々の家の前に繋いでいるが」
そう言ったのは、やや血色の良くなった自分の父である。母も里を見渡し、儚い表情で続けた。
「突然隕石が降ってきたと聞いたわ。いよいよこの世の終わりかと思い、改めて自身の無力さを痛感した」
「う……ごめんなさい……」
フレーが気まずそうに謝罪する。先ほどの恐ろしい話題が逸れたことで、エーネは胸を撫で下ろしたが、
「それで、モリアデスはどうなったんだい?」
それはエーネとグレイザーを激励してくれた、あの勇敢そうな女性の言葉だった。
穏やかだったエーネの腹の内に、重く冷たいものがのしかかる。
「奴は……」
ザンが言いかけて、口を噤んだ。彼やマインド、そしてグレイザーは見てこそいなかったが、既に察しているのだろう。
フレーたちと無事を喜びあったり、くだらないことで盛り上がったりしている中……ライグリッドのことは、エーネが無意識のうちに心の隅に追いやろうとしていたことだった。
せめて戦いの直後だけでも安寧が欲しかったのだ。しかしもう……現実を見る時である。
「ライグリッドは……この里の首領は……」
エーネは顔を上げ、声を震わせて言った。
「私が殺しました」
場の喧騒が一瞬にして静まり返る。潰れんばかりの重圧を感じながら、エーネは必死に言葉を紡いだ。
「私の魔法で、あいつを押し流して……この里の崖から……」
「違う」
力強く遮ったのは、他でもないフレイング・ダイナだ。
「エーネはライグリッドを殺したんじゃない。あの人を崖から落とすことで、この里にいるみんなの命を守ったんだよ」
この高さから無防備に落下すれば、彼とて無事でいられるはずがない。それでもフレーは、確信に満ちた眼差しをしていた。
「…………」
対するエーネは静かに首を振る。たとえ彼がどれほどの悪人でも、自分はそんな風には到底思えなかった。
「ありがとうございます。フレー」
「エーネ……」
「でも私は────」
「待て」
より棘のある声でこちらを制したのは、グレイザーだった。全員が彼に顔を向ける。
対するグレイザーはその場の誰でもなく……自身の足元を見ていた。
「……モイスティ」
「……? は、はい」
「任せたぞ」
「…………!!」
直接自分の過去を聞いた彼だけは知っていた。エーネの本当の思惑……そうなったら良いと願っていた事象。
それが今、現実になろうとしている。最悪を想定していたエーネの心が、明るく照らされていった。
(……来る……!)
「何だ!? じ、地面が!」
「と、とりあえずマインドをっ!」
地表そのものが揺れていた。異変に気付いたフレーやザンが慌てる中、エーネはじっと目を瞑る。
激しい動悸と、真なる決着の時を予感して。
「パンパカパーン!」
広場の床を突き破った少年は、空中で錐揉みしながら片足で着地した。多くの土や泥にまみれ、体中を水で覆われていても……その根源たる恐ろしさは変わらなかった。




