70:人外の咆哮
ライグリッドが視界から消える。ほとんど残像だが、彼がどこに移動しているかは分かった。
狙いは────フレーだ。
「消えなよ!」
「フレイム・バリアっ!!」
押し潰すような衝撃が炎の壁とぶつかり合う。凄まじい圧力に、フレーは思わず仰け反りそうになった。
(これ……やば、保たない……っ!)
バリアが音を立てて決壊したのは、今までで初めてのことだった。手が燃えることさえ厭わない彼の前には、多少の防壁など合ってないようなものらしい。
しかし────
「ぜああああッッ!!」
守護者グレイザーは、在らん限りのスピードで彼に接近していた。ナイフが首元を掠める直前、ライグリッドは再び煙のようにその姿を消す。
だが光銃部隊の猛攻からは、さしもの彼も逃れられなかった。
「んっ……」
移動した先で、ザンが放った一撃が命中する。彼の胸辺りにはっきりと被弾の跡が残った。
「押し切れ、総攻撃だ!」
数々の暴力がライグリッドを取り囲んだ。ザンとエーネの光線が、フレーの炎が、そしてグレイザーによる打撃が……ほんの少しずつ彼のかすり傷を増やしていく。
けれど、そんな陣形も長くはもたない。
「ぐっっ……!?」
グレイザーはついに、正面からその突きを受け止めてしまった。体格差などもはや飾りのようなもので、彼はもんどり打って後方に吹き飛ばされる。
「グレイザーッ!!」
「浅いよ、ソフィっ!」
「ううぅ……!」
光線を腕で弾き返し、ライグリッドは姉へ向けて凄む。その威圧感と物理的な風圧で彼女が揺らぐのと、魔力残量が危うくなるのは同時だった。
「エーネ、着地して!」
「っ……ごめんなさい!」
「心配しないで! フレイム・バスター! フレイムッ……バスター!!」
出し惜しみはしていられない。フレーは姉へと牙を剥くライグリッドに、高出力の一撃を放ち続けた。たとえ当たらなくとも、せめて抑止力となることを信じて。
「グレイザー、大丈夫!? ザンも……!!」
「ちいっ……そう何度も、ガキに翻弄されてたまるか……!」
「ま、まだ傷が痛むが……撃つだけの仕事だ、フレーこそ気を付けろよ!!」
再起するグレイザーとザンは、それぞれ別方向から攻撃をしかける。先ほどより近くの建物に着地したエーネも、彼女なりの狙撃を続けていた。
「ふふふ、うふふふ……!!」
人外は予測不能な動きで光線を躱し、近接を仕掛けてくるグレイザーを汗一つかかずに捌き切る。
「やはりダメージが入らねェか……!」
「無駄さ、そんな攻撃じゃビクともしない! 君風に言うなら……そうだな。ヤワな鍛え方じゃないからね!」
「………………」
その時、それまで倒れ伏していた者の指先がかすかに持ち上がる。近くの床には、仲間が一縷の望みにかけて投げ出した最後の光銃があった。
「……僕、が……500、番以下、な、ら…………」
ギシギシと奇怪な音を立て、機人マインドは体を起こす。半壊した顔面を揺らしながら、定まらない声で言った。
「じど、う、修復、プログラ、ム……無かっ……」
「マインド!?」
「あぁ、フ、レー……」
マインドは震える手で光銃を構えた。立つことすらやっとの様子で、視界が機能しているかすらもわからないのに……
その銃口は、真っ直ぐにライグリッドを捉えている。
「見て、て…………」
彼は引き金を引いた。フレーには、それが今までで最も疾い光線に見えた。
何せ、満身創痍の身から放たれた一撃は……寸分狂わずライグリッドの瞳を射抜いたのだから。
「うっ……!!?」
それは彼が初めて上げた、人間らしい呻き声だった。右目を押さえて後ずさったライグリッドは、グレイザーを相手取るのをやめ、広場の中心部へと移動する。
「どうしてその距離からッ……普通の狙撃じゃ、ありえない……!」
「何でって……きっ、決まってるじゃないですか!」
三度目の飛翔。光銃を構えたエーネが、上空から大声で叫んだ。
「マインドこそが……リアル人外なんだからっ!!」
「…………!」
彼女による光線を、ライグリッドは素手で握りつぶす。離れた位置にいたフレーにも、そのふつふつと煮えたぎる怒りが伝わってきた。
(……やばい……!)
「ああ……そっか、油断したよ……」
ライグリッドは右目から手を放し、顔を俯かせる。肩を揺する彼は、あたかも感心したように言った。
「僕とて、目はあまり鍛えようが無い……今のは痛かった」
鍛えようが無いと言っている割に……髪の隙間から覗いた彼の瞳は、多少傷ついているようだったが、目が見えなくなるほどではないらしい。
しかし、それでも防げなかった痛み。初めて負傷したライグリッドは────
隠しきれない殺意を、その場の全員に浴びせた。
「君たち、少し痛い目に遭いたいかい?」
「────まずいぞ、全員備えろ!!」
「………………────────!!」
ライグリッド・モリアデスは、姉によく似た銀髪を逆立て、天に向けて咆哮した。
それは文字通り天地を揺るがす、圧倒的な破壊力だった。生み出された衝撃波は、一秒の間も無くソールフィネッジ全域を覆い尽くす。
もし今この世で最も神に近い者は誰かと問われれば、誰も回答に迷うことはなかっただろう。
「うあああああっっ!!??」
到底自力で耐え切れる風圧では無い。激しく後方に吹き飛ばされたフレーは、背面の家屋に背中を強打する。
しかし壁に押し付けられているのも一瞬のことだった。ありとあらゆる建物が、衝撃によって半壊状態になる。まだ半分は無事だったモリアデス邸はいよいよその面影を無くし、エーネが通ったはずの学校も、学び舎としての機能を失っていく。
「うううううっ!!」
「モイスティ……!!」
かろうじて堪えているグレイザーが、空中で錐揉みするエーネを呼んだ。大きな衝撃は免れたものの、もはや飛行状態を維持するのは不可能である。
「ぐっ……!」
「…………っ……」
「ザンっ、マイン、ドっ……!!」
ザンとマインドはそれぞれ、後方の床に叩きつけられる形となった。ザンは受け身を取ることができず、苦しげな呻き声を漏らす。踏ん張ることすらできない状態のマインドは、部品を散らせながらノーガードで飛ばされていた。
「半、死半…………生…………」
「そんなっ……」
「くそっ、何て馬鹿げた力だ……!!」
再び動かなくなったマインドに、フレーは悲痛な声を上げる。ザンも起き上がることに苦労しているようで、その視線は破壊された光銃を憎々しげな目で捉えていた。
「あぐっ……!」
風に煽られた末に、エーネはフレーとマインドの間に不時着した。落下の寸前に水で衝撃を吸収したものの、強く体を打ち付けられ、眩暈と吐き気がしているようである。光銃は空中で紛失したようだった。
「おのれッ……武器すら持たねェやつに……!」
「はあ、はあ……ふふっ……」
ライグリッドは額を拭い、唯一立っているグレイザーに向けて笑いかける。
「これでわかっただろう? 何人束になっても、所詮は烏合の衆さ。軍務長官がいれば良かったのにねぇ」
それはまさしく、子供の嫌味のような言い方で。
「疲れた……疲れたよ、みんな……でもさ、また一から作り直せばいいよね……」
息を整えたライグリッドは、原型を失ったソールフィネッジを見渡した。やっとのことで立ち上がったフレーやザンに目もくれず、ただ自身の「所有物」に関心を向けている。
「弱者たちはいくらでも揃ってるんだ。僕の手足となって動くしかない、哀れな動物たちが。そう────今の君らのような、ね」
「……相変わらず、強さとか弱さとか……そんなのばっかり……!!」
未だにふらつきがおさまらない様子のエーネも、水に濡れた髪を払い、どうにか自分の足で起き上がった。
「ライは、何もわかってません……!!」
「……そろそろ君との問答も飽きたよ」
ライグリッドは肩をすくめる。フレーたちが今にも倒れそうでも、彼は大した傷を負っていない。
「諦めなよソフィ。その運命は、君じゃどうしようもない」
フレーがそのあまりの実力差に、初めて────本当の意味で、心が折れそうになった時。
「いや……まだです」
エディネア・モイスティがそう口にする。少女の物言いは、凪のように静かだった。




