7:村を守ってください
ビートグラウズの長は、いざ向かい合うと肌がピリピリするような威圧感である。
そばには部下と見られる男が一人控えている。ダークブラウンの髪を綺麗に切り揃えた、彼と同年代と見られる誠実そうな青年だ。
「すみません、どうしても話したいことがあって……」
いち早く冷静になったザンが、軽く会釈して話し出す。が、グレイザーは手をかざしてそれを遮った。
「あァ、前置きはいらねェ。用があるのはわかっている。さっきから『見えてた』からな」
「え、見えてって、まさか……」
「長としてこの街に住む全員を把握するのは当然だ。人混みでも、知らねェやつらが来たらすぐにわかる」
グレイザーは額に指先を当て、三人を順々に見据えてから言った。
「お前ら、余所者だな? シュレッケンの関係者ではなさそうだが……いずれにせよ、本来であればここに侵入するのは重罪だ。それがわからねェ年齢じゃあないだろう」
「…………!!」
空気が張り詰める。フレーたちが息を呑んだ瞬間、グレイザーはふと表情を緩めた。
「だが、今回は特別だ。不問にしてやる。それと、頼みがあるようだな。場合によっては聞いてやろう」
「えっ……?」
「大義を果たす前に、人助けってのも乙なものだ……なァ? エルド」
「ふふ……そうですね」
エルドと呼ばれた隣の青年が、柔らかい笑みを作る。グレイザーの方は相変わらずの圧迫感だが、どうやら話を聞いてくれるようだ。
フレーたちが各々自己紹介を終えると、グレイザーは座ったままだが少し姿勢を正し、自分と隣の青年の紹介をしてくれた。
「グレイザー・ザ・フェンダー……ビートグラウズの守護者だ。こっちはエルド、俺の補佐を務めてくれている」
「以後、お見知り置きを」
(あ、守護者って正式な呼び方なんだ……)
そんなことを考えながら、フレーは強張っていた体から段々と力が抜けるのを感じた。
思っていたほど、怖くはない。この雰囲気ならもしかしたら……
「た、単刀直入に言います」
フレーは身を乗り出し、グレイザーに訴えかけた。
「ビートグラウズに、ホメルンの警備をお願いしたいんです」
「ほォ……?」
フレーはかいつまんで説明した。
鉄の饗炎という、物騒な催しが開かれていること。それによって、各地の腕の立つ者が一斉に動き出し、結果力無き村々が脅かされているということ。そして実際に、ホメルンが被害に遭ったことを。
「鉄の饗炎ねェ……」
グレイザーは再び額に手を当て、嘲笑するような顔付きになる。
「当然話には聞いていたが、よくもまあそんな意味のわからんことを。テンメイ王の治世……いよいよ傾きかけてるな」
「はい、それは本当に……」
「だがまあ、話はわかった。ビートグラウズはここら一帯を代表する群都市……お前らの村とも、一部農産品のやり取りなどはしている。ここは手を貸すべきだろうな」
三人で顔を見合わせ、喜びを共有する。想像以上に話のわかる青年のようだ。
「無論タダでという訳にはいかねェ。こっちも今は余裕がなくてな。ある程度の対価はもらうぞ」
「はい、このくらいですが」
ザンが出立時からきちんと保管してくれていた金袋を差し出した。はたから見てもずっしりと重そうなのがわかる。
グレイザーは中を軽く確認すると、口角を上げた。
「交渉成立、だな。これだけあれば、腕の立つ者を派遣しても釣りが来る」
「や、やった……!」
「ホメルンの現状を考えると、人数よりも期間が保証された方が良さそうだな……」
フレーには想像の及ばないシミュレーションを経て、グレイザーは結論を出した。
「十人……それだけいりゃあ問題無いだろう。期間は一年程度まで延長可能としよう」
十人。数で言うと少ないが、ハンガーズといえばここ一帯で知らぬ者はいない精鋭部隊だ。それに、最長一年なら十分過ぎるほどの期間である。
「ありがとうございます……! すごく助かります!」
(間に合ってよかったぁ……)
明日……彼が何をしようとしているのか、フレーは既に察してしまっていた。
本当はそんな手段に出てほしくはない。けれど今の自分たちは、この街を取り巻く状況を何も知らない。
ザンのみならず、エーネもそろそろ気付いているはずだ。それでも二人が何も言わないのは、やはりフレーと同じ考えだからだろう。
「感謝します、グレイザーさん。その十人なんですが、いつ頃に手配していただけますか? 手続きが終わり次第挨拶に伺いたいのですが……」
「あァ、一つ言い忘れていたな」
ザンの問いに、グレイザーは本当に今思い出したような顔をして、若干神妙な物言いになった。
「悪いがさっき言ったように、今は厳しい状況でな。十人ってのは警備に必要であろう人数だ。こっちから貸し出せるのは────七人だ」
「え…………?」
理由がわからず、フレーたちは目を白黒させる。そばに控えているエルドを見たが、彼は一切表情を変えていない。
ここに来て出し惜しみされたのだろうか。
「えっと、それはどういう……」
「おいおい、謙遜はするな」
彼はまず、ザンたちの方を品定めするように見た。
「そっちの男は見るからに腕が立つな。女の方はひ弱そうだが、管理の仕事もある」
「え、え……?」
「そして最後に……ダイナと言ったか」
グレイザーの鋭い目に、射るような光が宿る。フレーは刺されたかの如く動けなくなった。
「お前からは……底知れない何かを感じる。そのバッグに何が入っているのかは聞かねェが……どうやら、ただの村娘じゃなさそうだ」
「…………!」
「お前らを合わせて、十人。何かあったら連絡しろ。しっかり村を守ってくれ」
そこで初めてフレーは気が付く。最初から自分たちが勘定に入れられていたということに。
「あ、あの……実は私たちは、村の防衛には加われないんです」
「……ん?」
フレーの告白に、グレイザーは怪訝な顔をした。
「どういうことだ? ここに来るなら村役場の人間か何かかと思っていたが、違うのか?」
「えっと……そうじゃなくて。そもそも私たちは仕事で来たわけじゃないんです」
少し胸騒ぎがする。けれど彼相手に嘘をつくことは難しそうだった。何より、関係の無い所で自分を偽ることなんてしたくない。
二人に目配せし、頷く。
「私たち、旅の最中なんです」
フレーは堂々と胸を張って言った。
「王都に行きたくて。そこで、道を見つけたいんです。私の……私たちの道を」
「…………」
グレイザーは黙り込んだ。彼の考えは、その長髪に覆われてしまったかのように読み取れない。
フレーが次に見たのは……別人のように険しくなった、その目つきだった。
「旅、か……なァ、そいつは故郷を捨て置いても優先すべきことなのか?」
「え……」
「お前ら、何をしに行く?」
背筋を冷や汗が伝った。やましいことなど何もない……少なくともフレーはそう信じている。
それなのに、何故だかとても後ろめたい気分にさせられた。
「そうか。お前らも、例の饗炎とやらの参加者だな? 愚かな王が催したあの……! それで王都に行ってどうする? 奴に、テンメイ王に取り入る気か!?」
グレイザーが立ち上がり、フレーの胸ぐらを掴まん勢いで凄んだ。フレーは気圧されつつ、何とか視線を保ち続ける。
「っ、私は────」
「ふ、フレーは、そんなつもりじゃないですっ!!」
フレーやザンよりも早く、随分と久しく声を上げたのはエーネだった。締め付けるような視線が彼女に向けられる。
エーネは半泣きになりながらも必死に言葉を紡いだ。
「わ、私たちも最初は反対で……! でもフレーは一人でも行くって、そ、それほどの覚悟で! だからそんなっ、遊びみたいな感覚じゃない!」
「エーネ、お前……」
「くっ……ハハハハハッ……!」
またしても嘲るように、今度は声に出してグレイザーは笑った。まるで肉食獣だ。
「モイスティといったか。愚かだ……何も、何もわかっちゃいねェ……!」
「…………ッ!?」
グレイザーはフレーから体を逸らすと、片手でエーネの襟首を鷲掴みにした。驚きで声も出ない彼女と、今にも手を出してしまいそうな二人に向かって、彼は吠えるように言う。
「夢や目標は否定しねェ……だが、目先のことだけを考えている間に、多くの者が家を失い、友を失い、そして死に至る! この街にも危機が訪れている……今日まで知らなかっただろうが、お前らの村だって無関係じゃねェ! そんな状況で、呑気に王都まで旅だと!? 笑わせてくれるな!」
────ずっとこのままでいいって言うの!? 世の中には苦しんでる人も、環境が変わるのを待ってる人もいっぱいいるのに!
それは、どこかで聞いたことのあるフレーズで。
空気が凍てつく中、グレイザーは目にも止まらぬ速さで懐から刃物を取り出す。それがナイフだとわかった時、全員が身に迫る危機を感じた。
瞬間、空を切る音がしたかと思うと、グレイザーが持っていたはずのナイフは、フレーの背後にあるドアに突き刺さっていた。やがて鈍い金属音が響き、目を疑うような出来事が起こる。
中心部に深々と抉られたドアは、そのまま金具が外れ、廊下の方向に倒れたのだ。
「出て行け」
低く唸るような声が、殺風景な部屋の壁を伝う。
「お前らにやる兵は一人たりともいねェ。今すぐこの街から立ち去れ。そして……二度と戻ってくるな」
「っ、そ、そんな……!?」
「皆さん、お引き取りを」
それまで黙っていた補佐のエルドが、毅然とした態度でフレーたちに言った。手渡した金袋を突き返してくる。それを受けたザンは目を伏せ、立ち尽くす二人に合図した。
「行こう」
彼の言葉を皮切りに、エーネは頬に涙を伝わせながら、グレイザーから踵を返す。そして開け放たれた入口を、脱兎のごとく駆けていった。
「エーネ!!」
彼女を追う形でフレーも走り出す。涙目になっていることにすら気付かない自分を、ザンが後ろから追いかけてくれた。
怨敵を見るようなグレイザーの視線を一身に背中に浴びて、それでも彼は、何も言わなかった。




