69:疾風迅雷
あの時と同じで、エーネの身体はとても脆い。
あの時と同じで、ライグリッドは凄まじく強い。
あの時と同じく……もしかしたら前以上に、二人の実力はかけ離れている。
しかしたった一つ、八年前と異なることがあった。
「エーネ、空を……!」
エディネア・モイスティは空を飛んでいた。自身の体から発する水で、地上の炎を飲み込みながら、天高くソールフィネッジを見下ろしている。
それはライグリッドの攻撃すらも届かない、彼女に相応しい絶対安全圏だ。
「……うっ、わっ、あ……っ」
何度もふらつき落下しかけながらも、エーネは決して魔法を止めなかった。変わり果てたマインドの姿を見ると、顔を大きく引きつらせたが、それでも崩れはしない。
「行くぞ、モイスティ……! 援護を頼む!」
「は……はいっ!!」
「ふふっ」
グレイザーがナイフを放る。ライグリッドは体をしならせながら蜃気楼の如くそれを避け、すぐさま全員の視界から姿を消した。
「────そこか」
「ん……!」
背後から繰り出された強烈な蹴りを、グレイザーは腕で受け止めた。
「へぇ、よくわかったねぇ」
「一度戦った相手だ。何度も下せると思わねェことだな!」
「それで? ナイフにも限りがあるってのに……どうするつもりかな」
グレイザーは明らかに軽装だった。エーネが彼の外套を羽織っている理由は何となく察したが、それでも装備しているナイフが少ないように見える。
ノーブルタワーの頂上ではどこからともなく取り出していたとはいえ、彼の武器は限られているはずだ。パワースーツも没収されており、攻撃を凌げているのが奇跡みたいなものである。
しかし、彼は勝てない戦いをする男ではない。
「だからこその私ですっ!!」
エーネは高らかに宣言すると、バランスを取りながら片手を頭上に掲げる。手首から先が水色に輝き、地面に淡い模様が出現した。
「受けてみて、ライ!!」
「おっと」
地表から噴き出した数多の水流が、無防備な彼に襲い掛かる。ライグリッドはそれらを全て片腕で払ったが、戦闘のプロであるグレイザーはその隙を見逃さなかった。
「捉えたぞ、お前の動き……!!」
何度目かの打ち合い。虚をつかれたライグリッドは、やや後退し態勢を立て直した。
満を持し、グレイザーはナイフを振りかぶる。対する彼は再び姿を消し、今度はグレイザーの真上に出現した。
「考えたねぇ、ソフィ」
蝶のように優雅に舞いながら、ライグリッドは歯茎を剥き出しにして微笑んだ。
「でも僕に通用するかな?」
ナイフと拳とが激突する。ライグリッドは特別な武器を装備しているわけでもなければ、防具をつけてもいない。
それなのに、彼はほとんどダメージを受けない。その鋼の拳はナイフの先端をものともせず、マインドの光線やフレーの隕石でも、軽く傷を負う程度だ。
「っ……相変わらず、信じがたい強度だ……!」
「それが僕が、誰にも負けない理由の一つさ」
音も無く着地した彼は、間髪入れずグレイザーに猛攻を仕掛ける。
「強靭な肉体。攻撃そのものを通さない硬度……もちろん訓練で手に入れたんだ。僕って頑張り屋さんだろ?」
「ちっ、化け物めが……!」
「うふふ、それに……」
ライグリッドは攻撃を受け止めつつ、迫り来る水流を器用に払う。それは彼の注意を引きつけているようではあったが、決定的な隙を作るには至らない。
「さっきから弱々しい水で、どうするっていうのさ? ソフィ……君だけ安全圏でずるいじゃないか」
「…………! このっ……!」
「そんなに激しく撃っちゃダメだ。ほら、そろそろ……」
心無しか、エーネを支える水の勢いが弱まった。遠目に見ても若干焦った顔をしているのがわかる。
状況を察したグレイザーが、いち早く叫んだ。
「モイスティ、一度退避しろ! 魔力が回復するまで防御に徹する!」
「わかりましたっ……!」
エーネはバランスを崩しながらも、一度広場から遠のく。半壊したモリアデス邸の屋根の上に、倒れ込むように着地した。
「うふふふっ! やっぱりね……昔の傾向から考えて、そろそろ魔力が危うくなるころだと思ってたよ!」
「随分と余裕そうだな、モリアデス!!」
恐るべき洞察力をも見せつけるライグリッドに、グレイザーは果敢に肉弾戦を挑む。
しかしそんな彼も、徐々に苦しそうな表情を見せるようになっていた。彼の武術に死角無いが、今は体力も強化器具も無い状態だ。そんな中でライグリッドの攻撃を捌き続けるなど、無理難題に等しい。
「グレイザー……!!」
手を出そうにも割り込めずにいたフレーは、グレイザーを案じて声を上げた。そこであることに気がつく。
捉えることなど不可能だと思っていた、ライグリッドの人間離れした動き。初めはブレた状態でしか視認できなかったその残像が、少しずつくっきりと見え始めていたのだ。
(……もしかして、私……)
「グレイザー、君も何だかしんどそうじゃないか」
「………!」
「でも、認めるよ。君は学習が早い……ほとんど隙が無いからね」
上目遣いに言ったライグリッドは、予備動作無く首を回転させる。
その視線の先には……体を小さくし、気配を消して休息を取るエーネがいた。
「でも、あっちのお姫様は違うよねぇ!」
「っ!? しまっ────」
一瞬の隙をつき、ライグリッドも戦線から離脱する。彼は残像を残しながら、一直線にモリアデス邸へと向かった。
「ひっ……!?」
驚いてすぐさま飛び立とうとするエーネ。しかし、今の彼女はまだ万全では無いはずだ。
「エーネ、まだ堪えて!」
「っ……!」
遠方の友の言葉に従い、エーネはその場で身を固くする。慣れない高所で化け物に襲われそうになっている中、それでも逃げ出さないなんてことは……
以前までの彼女なら、きっと無理だったに違いない。
「ラン・フレイム────ディスタント!!」
フレーの手のひらから、高速の炎の波が放たれる。それは普段よりも速く、そして尾が長い。
まだ余りあるエネルギーをふんだんに使った、強力な遠隔攻撃だ。
「相変わらず邪魔だなぁ」
ライグリッドはその細腕で、当然のように攻撃をかき消す。しかし、彼が背後を警戒して足を止めるには十分だったようだ。
「フレー……! ありがとうっ!」
「私は無傷だから……まだやれる!」
煙を上げる手を払い、フレーは啖呵を切る。振動する足腰を奮い立たせ、背筋を伸ばして敵を見据えた。
「ライグリッド! これ以上、好き放題させてたまるかっ!!」
「いいよ、そうこなくっちゃねぇ!」
ライグリッドが舐め取るようにそう言った瞬間、フレーの真後ろから純白の光線が放たれる。
愛刀を砕かれたザン・セイヴィアは、顔をしかめつつもしっかりと光銃で狙いを定めていた。
「げほっ……俺も、まだやれるぞ……!」
彼はふらつきながらも立ち上がった。その視界には一瞬、倒れ伏した仲間が映る。
「この時のための光銃だ! エーネ……引き続き頼むぞ!」
「ま、任せてザンっ! そろそろ……飛べる!!」
奮起したエーネが、再び宙に飛び立つ。ライグリッドの攻撃が届かない場所へ、透き通る水を纏いながら。
「例えどれだけ強くても、動きが速くても……」
「っと、危ない危ない」
「水に濡れれば動きは鈍って、きっと攻撃も遅くなる……!」
エーネの水流が、ライグリッドをモリアデス邸から追いやる。この短時間で体力を回復させたグレイザーと、再び向き合う形になった。
「いつか必ず、攻撃は当たります! 私は諦めないから!!」
「だからさぁ、ソフィ……それは夢物語なんだよ!」
ソフィ。もはやエーネをそう呼ぶのは、この世界でライグリッドただ一人かもしれなかった。
「そんなに魔法を乱発してたら、すぐに魔力が切れるさ! 君が死ねば他の士気も下がる。先に力尽きるのは、間違いなくそっちだよ!」
「それはどうかな……ザンッ!」
「ああ。ポイズン・ガールズが複数犯で、良かった……なっ!」
フレーの合図に呼応し、ザンが思い切り光銃を放り投げた。彼の正確な投球ならぬ投銃により、魔力を要しない最強格の飛び道具が、エーネの手元に渡る。
────はずだったのだが。
「えっ?」
決め台詞を吐き、真下に注力してそれどころでなかったエーネは、眼前を横切る光銃を見事にスルーした。
「おいアホ!!」
「ああああああッ!! や、やらかしましたーーーーっ!!」
(あ、相変わらず反応が鈍いっ……!)
致命的なミスに絶望しているエーネだったが、下に降りようものなら一撃死だ。フレーも投げられた薬瓶をキャッチし損ねたことがあるし、人のことは言えないが、気付きすらしないのはどうなのか。
そんなこんなで頭を抱えていると、彼女の失態を見事にリカバリーした人物がいた。
「鈍臭いやつだ……!」
反応速度は及んでいないはずである。にも関わらず、何故グレイザーがライグリッドより先に対応できたかといえば、それはある程度現在の彼女の人となりを理解していたからに違いない。
「あっ、と、と……」
彼が蹴り上げた光銃を何とか手にしたエーネは、やや気まずそうな顔で引き金に手をかけた。
「……それは読めなかったよ。まさかこんな重大な盤面でキャッチし損ねるなんて」
「う……うるさい」
不要な会話を続けていてもエーネの限界が早く来るだけだ。
フレーは前に進み出て、グレイザーを補助できる位置に立つ。荷物の全てを地面にばら撒き、新たな光銃を手にしたザンも、銃口を狂いなくライグリッドの額に向けた。
「あはは……八方塞がりじゃないか」
彼はゾクゾクすると言わんばかりの恍惚とした表情を浮かべる。遠くで二人の少年が、大声で避難誘導をしているのが聞こえてきた。
「里の地表にこんなに人が少ないのは、初めてさ」
「…………」
「なのに、今までで一番窮屈に感じる」
ライグリッドは不思議そうに、そして興奮を隠しきれない様子で右目を押さえた。
「これが、追い詰められるってことかなぁ!?」
「来ますっ!!」




