65:逃してたまるか
「……消えた……」
壁越しでも、確かにその事実がわかった。
キリア・テンメイという人間一人の消失。あれだけ存在感のあった彼女の気配が、もう一切感じられない。
「あれが、空間移動魔法……」
アルガンド王国であの魔法を扱えるのは彼女だけだという。ただでさえ数の限られる魔法使いの内でも、選りすぐりの存在というわけだ。
「あはは、聞いた? さっきの」
「ひっ……!」
いつの間にか小屋の外に出ていたライグリッドが、フレーの隣で愉快そうに笑った。
「もうちょっと優しく断ってあげれば良かったかなぁ。最後ちょっと拗ねてたよね。あれでも二十三なんだよ、彼女」
「…………」
「あのゴミ袋を笑ってたら殺されてたかも。最後まで静かにできて偉かったよ、お姉さんたち!」
「ねえ、ライグリッド」
相変わらずおちょくるような喋り方をする彼に、フレーは低い声で問いかける。
「私たちにも教えてくれない?」
「え、何を?」
「王女様には話したんでしょ。ライグリッドの……願いってやつ」
きょとんとした様子で首をかしげられる。フレーの意図を汲み取ったらしく、ザンも続けた。
「俺も気になるな。俺たちが客人だと言うのなら……里を理解する上で、首領の考えは知っておきたい」
「ふーん……」
彼は不思議そうに、まだ口を開いていないマインドを見る。
「機人さんもそう思ってるんだ?」
「うん。フレーの考えが、大体僕の考え」
「うわお、すごいね! 機人って基本王国軍の所有物だろ? どうやって言いなりにしたの?」
「…………」
「何かだんまりが多いねぇ……でも、いいよ」
ライグリッドは広場の中心の方に歩いていく。やがて、マントを翻して振り向いた。
「君たちしつこそうだしね。確かにゲストとして連れてきたんだし、一から教えてあげるよ」
彼は歯を見せて目を見開く。以前までよりも凶悪な、「奪う者」の顔だ。
「僕はね……王国を作りたいんだ」
「王国……?」
「そ! もちろん王は僕。国民は、この里の人たちだ」
ライグリッドは軽やかにステップを踏みながら一回転する。その一瞬の動作の内に、里の全てを見渡したようだった。
「王は最強で、住民たちは誰も王には逆らわない。外との関係にしても、外敵に襲われることも無ければ干渉も受けない。せいぜいこっちから利用するくらいかな? 三年前……王国軍との停戦の際に、僕がキリアの魔法を使った魔道具を要求したようにね」
「そっか……それであの道具を……」
「うふふ……僕の家に予備もあるんだ。何回か使うと壊れて無くなっちゃうけど、全部ラスト一回で止めてるんだよ。だってさ、受け取った魔道具の数が……僕が王族に言うことを聞かせた回数なんだ」
彼は少し顔を赤らめた。そこには隠しようの無い興奮が現れている。
「誰も僕に抵抗なんてできない。あの日、両親は二人がかりでも僕に敗れた。ソフィを守ろうと歯向かってきた大人たちはみんな吹き飛ばされ……そして哀れな彼女は、自ら里から身を投げることを選んだ」
八年。ソフィが高所恐怖症になった理由を知るまでに、これだけの年月がかかってしまった。
「あの時は最高だったよ。でもね、お姉さん。僕は約束を果たしてるだけなんだ。両親は適当なことを言って、ソフィの人生を蔑ろにした。そして僕を長の候補から外すことで、自らの信条までもを汚したんだ。僕は誓いを違えることの報いを教えてあげただけ……何も悪いことはしてないんだ!」
「ライグリッド……」
「ああ、僕は誰よりもソフィのことを想っていたよ。彼女が苦しんでいたら気遣いもしたし、絡んでくるいじめっ子からも守ってあげた。でも、父さんたちが裏切るんだから仕方ないよね! 彼らが弱者に価値は無いって言ったから……言葉通り、弱者たるモリアデス家をみーんな、排除しただけさ! そして後には……僕のみが支配できる、まっさらな里が残った」
ライグリッドは笑いを噛み殺すように肩を揺らした。
「徹底的に作り替えたよ。父さんたちが外部の影響を持ち込んだ連絡通路なんて塞いだ。僕に少しでも逆らう者は、新しく地下に作らせた牢屋に入れた。学校も、里の自給自足を担う機関として改造して、父さんたちの築き上げたものはみんな奪った。そこは間違いなく、僕だけが力を持つ世界だった……!」
でもね、と彼は付け加える。
「日に日にさ、乾いていったんだ。満足できなかった。ソフィの遺体は見つけられなくて……行きそうな都市を探したけど、見つからなかった。リンドラにも捜索の手を伸ばしただけどさ……君たちは辺境の村出身なんだって? まさかそこにいるなんて盲点だったよ」
「……エーネ、あの時……」
「結果的に彼女は見つけられたけど……ああ、それも王の催しのおかげかな。ここ最近始まったあれが……鉄の饗炎が、僕を救ってくれた」
鉄の饗炎。今ここに至って、それはどれほどの人の運命を狂わせているのだろう。
「あれはさ、王が僕らみたいな実力者を潰し合わせるために始めたものなんじゃないかな? とにかく、それは僕にとって転換点だった。何せアルガンド全域が完全なる無法地帯になった瞬間だったからね。僕は考えた……どうすれば欲求を満たせるか。どうすれば、自分だけの王国を広げられるか……」
そして、ライグリッドは動き出す。
「それから決めたんだ。少しでも僕に歯向かいうる強者を、みんな手元に置いてしまおうってね」
ライグリッドは恍惚とした表情をする。それはエーネと同じ顔ながら、彼女と接する中で一度たりとも見たことのないものだった。
「道行く強者に話しかけて、勝負を挑む。誰一人として僕には勝てなかった。単独で歩いてる人なんて、強い人間ばかりだからちょっとは期待してたけど……僕に命乞いまでするやつもいたよ」
彼は補足するように指を立てた。
「ただしグレイザーは凄かった。何せ他のやつらよりもずっと長く、僕に食い下がったんだから。流石ビートグラウズの守護者だ……ただまあ、今となっては同じことだけどね」
「やはりあの場所で……!」
「うふふ……もし彼があそこを通っていなかったら、もっと早く君たちに出会っていたかもね。そんなこんなで最終的に、シュレッケンに異変が起きたのを察知して……僕はソフィを見つけた」
彼女が最後に見せた表情は至高だったと、ライグリッドは語る。積年の恐怖が爆発したような、この世の終わりのような顔をしていたのだと。
「っ、うぅ……!!」
「エーネ……っ!」
「折角だから教えてあげるよ。捕らえた百人以上と、ソフィをこれからどうするか……知りたいんだろう?」
フレーはごくりと唾を飲む。どうか自分に対処できる内容であってほしいと、切に願った。
しかし────
「何もしないよ」
それはシュレッケン以来の……フレーの希望が打ち砕かれた瞬間だった。
「は…………?」
「何もしない。彼女たちは一生僕の手元に置いておく。だってそれが、僕の王国の礎なんだ」
ライグリッドは両腕を広げ、天に向かって言い放つ。誰にも咎められない、彼の独壇場で。
「見知らぬ強者も家族も、全ては僕の足元さ! 誰もが死に絶えるまで、僕は王として居続ける! 独裁? 専制? 呼び名は何だっていい。いずれにせよ、最高だろう?」
ライグリッド・モリアデスは、まごうことなき人外であった。
子供の頃から彼の成長は止まっている。ただ、そのおぞましいほどの力だけが……分不相応な精神に宿り、先行し続けているのだ。
「数多の人間の無念の上で、僕は今日も生きている!! 他者が築いたその何もかもを! 僕だけが、この手で支配しているんだ!!」
彼の高笑いは、何だか懐かしいものだった。
そう、エーネがツボに入った時、稀にこんな激しい笑い方をするのである。
────あはは、あはっ、あはははっっ……!! フレー、ほ、ほんとに何やってるんですか……!!
────う、うるさいなぁ、そんなに笑わなくてもいいじゃん!
────いや、流石にこれは笑うだろ。見ろ、エーネが窒息しそうだ。
(私は……)
握った拳に爪が食い込んだ。噛み締めていた唇に、少しだけ血が滲む。
(私は、エーネのために……)
このままここで過ごせば、フレーたちはどうなるだろう。少し考えると、はっきり答えが出る。
きっと無事に帰されるのだ。何故なら彼は、約束を破らないから。
ソールフィネッジの良さを伝えてほしい、なんてライグリッドは言っていた。当然そんなのはただの方便で、本当は虚偽の噂が流れることにより、新たな獲物が訪れるのを待っているのである。
今ならわかる。わざわざフレーたちがその役に選ばれた理由が。
(ただ、それが気持ちいいからだ……)
仲間が捕らわれているとわかっていながら、里を後にすることしかできないフレーたちを見たいからだ。ライグリッドはそういう人間で……王女でさえも、そんな彼のことは測りかねていた。
もし今、何もしなければ────
『それが、「偉大な人間」って言える?』
「あ…………」
「フレー?」
「どうしたの、お姉さん」
『君の夢は叶う? エーネを見捨てて、このまま逃げて……それで果たされるの?』
「違う、私……」
『僕は信じてるよ、フレー。ずっと信じてる。僕の分まで、君が必ず────』
「偉大な存在に、なることを……」
「フレー、おい、しっかり……」
フレイング・ダイナは俯いていた。じっと手のひらを見つめ、思い浮かんだ言葉を反芻する。
そうだ、ホメルンを出る時誓ったはずだ。それはここで勇気を出さずして、果たされるものではない。
今ここでこいつを逃せば。自分はきっと、永遠に後悔することになる。
「ザン、マインド」
ライグリッドは気付けば遠くにいた。銀髪とマントを風に靡かせ、甘ったるい表情でこちらを見ている。
「私さ、いつも無茶ばっかで……失敗続きだよね。迷惑かけてごめん」
「……そうだな。グレイザーの時も、最初ピューレに会った時も……お前には毎回ハラハラさせられる」
「とりあえず、僕はいけるよ」
まず先に、マインドが穏やかな声で言った。
「エーネを助けたい。彼女と一緒に、フレーが見る景色を見たい」
「全く……こんな無茶な旅になるなら、しがみついてでも止めるべきだったか」
ザンが額を押さえ、しかし次の瞬間刀に手をかける。
「けどお前がやる気になったのなら……俺も共に戦おう。お前とあいつの、友として」
「……ありがとう……っ」
「ふふふふっ、うふふふふ……」
ライグリッドが含むように笑う。この距離から既に、彼の姿がブレて見えた。
「あぁ、殺気を感じる。いつぶりだろう……僕に向けて、こんな目をする人間を見たのは」
「首領ライグリッド・モリアデス。エーネの……かけがえのない親友の、宿敵……!!」
フレーは両手を彼に向けた。それが何を意味するかはわかっていたが、もう誰も止める者はいない。
(私たちの邪魔を、するのなら……)
「今ここで……消えてもらうッ!!」
「あはっ……!!」
マントを翻した人外は、友愛の欠片も無い笑みを貼り付ける。




