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ド田舎の村娘ですが、成り上がるために国中の猛者たちを下しに行きます  作者: 今江彰人
第3章《自縄自縛のモリアデス》

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64:間接キス

心のどこかで気付いてはいた。今日に始まった話ではない……ソフィが彼の過去を知り、その上で病室で向き合ったあの日から。


グレイザーはソフィの瞳越しに、別人の影を見ている。


「見た目ですか? それとも性格とか……でも、聞いた感じでは気の強そうな人でしたし、案外口調とかだったりして……」


何故こんなことを問うのか。それはひとえに、彼がどこか無理をしているように思えるからだ。


自他ともに厳しいグレイザー。彼はソフィにも容赦なく接する。

しかし要所から溢れるその気遣いに、ソフィは彼の後悔の念のようなものを感じていた。


「もし私の存在が、グレイザーの柔らかい部分に刺さってるんだとしたら……ごめんなさい」

「……自惚れるな。リアンのことなど、お前に関係は無い」

「じゃあどうして……そんな辛そうな顔するんですか」


グレイザーは目を伏せる。気まずい時間だったけれど、ここで退いてはいけないと思った。


「グレイザー、話してくれませんか? それで心が軽くなるなら、私は何だって聞きます」

「…………俺は……」


外套の裾を握り、じっとその時を待つ。しかし待てども、彼が話し出す様子は無かった。

ソフィが再び口を開こうとした、その時。


通路の奥で何かが割れる音がした。ソフィが反射で口元を押さえるよりも早く、グレイザーが構えを取る。


「誰だ!!」


もはや身を隠せる場所は無い。彼はソフィの前に立ち塞がるように、懐に手をやったが────


「ソフィ……?」


眼前に現れたその人物を見て、ソフィネア・モリアデスは息が止まった。



「父……さん……?」



見紛うはずがない。例えどれほど見すぼらしく、人相が変わり、かつての威厳が欠片も無くなっていても。


「ソフィ……そうか。生きていたのか」

「っ……!!」


それはこっちのセリフだ。そんな言葉を飲み込み、ソフィは手のひらを前方に突き出した。フレーが敵に向けて行う仕草だ。グレイザーと共に警戒態勢に入り、白髪交じりの男を睨みつける。


「知らない……! あの日私を殺そうとした、父さんと母さんなんて……!!」

「…………」


ソフィに呼応するように、グレイザーは取り出していたナイフを向けた。彼の体には無数の武器が潜んでおり、多くは没収されているようだが、これは上手く隠し通したらしい。


「邪魔をするなら切り刻む。そこをどけ、モリアデス」

「……効けない相談だ。こうして再び、娘に会えたのだから」


彼は先ほど落としたらしい料理皿を踏み越え、一歩、また一歩と近づいてくる。距離が縮まるにつれ、その瘦せこけた頬と顔についた傷が、より鮮明になっていく。


「それ以上寄らないで! さもないと、私はっ……!」

「ライにそう教えられたんだな。ソフィ、あの日は……」

「うるさいっ! 今更二人の言葉なんて、き、聞きたくない!!」

「……そうだろうね。私たちはもう……取り返しのつかないことをしてしまったのだから」


父は悲しげに告げると、二人を上目遣いに見た。


「だが、もしお前が良ければ……こちらに来てほしい。妻もそこにいるんだ」


彼は背を向けると、おぼつかない足取りで来た道を戻っていく。


ソフィはグレイザーと顔を見合わせ、再び正面を向いた。


「どうする、この距離なら殺害は容易だ」

「…………っ」


彼が向かった先はソフィたちの通り道だ。そこを通らねば頂上へは行けない。もし両親が立ちはだかるのであれば……下さねばならないだろう。


(でも……)


彼の顔、声、足取り。それら全てが一切の敵意を感じさせない。もはや戦うことすらも忘れてしまったような、変わり果てた父の姿がそこにはあった。


「ついていっても、良いですか」


ソフィは消え入るような声で言った。


「父さんと母さんが……奥で、待ってるっていうなら。私は……」

「……はっ。どうせ通り道だ」


グレイザーはナイフを収め、ぶっきらぼうに言う。


「手短に済ませろ」


父についていくと一際大きなフロアに出た。縦や横の幅だけでなく、天井も高い。地表との隙間からは日の光が差し込んでいる。

驚くべきことに、その中心部には建物があった。一軒家ほどの大きさは無いが、人間が日々暮らすには申し分ない住居だ。そばには小さな畑と、玄関前には水くみ場もある。


両親が並んで立っていたのは、ちょうどその建物の前だった。


「ソフィ」


懐かしく、そして忌まわしい母の声。ソフィはすぐに返事をすることができなかった。

こうして見ると、二人の身長が以前より縮んでいるのがわかる。そして何より、つぎはぎの衣服では隠せないほどに……二人は古傷だらけだった。


「おかえりなさい。また会えて、何よりだわ」

「母さん……」

「大きくなって……随分背も伸びた」


どの口が言っているのだろう。ソフィは歯を食いしばり、精一杯二人に敵意を向ける。


「生きててどう思った? あの晩私を殺そうとしてたくせに……よく、そんなこと平気で言えますね」

「違う、ソフィ。改めて言うが、そのことは────」

「何が違うっていうんですか! しきたりなんか無ければ、いつだって私を捨てたいと思ってたくせに! あの日、その決心がついただけだったんでしょ!!」

「そうではない! 私たちはお前を……首領の跡継ぎから外そうとしていたんだ。断じて、お前を殺そうとなどするものか!」


父の剣幕に、ソフィは少し圧される。もはやかつての迫力は無かったが、眼力だけは昔と変わらない。


「しかし、もう既に手遅れだった。あの子の言う通り、最初からすべきことはわかっていたのだ。それなのに世間体を気にして、お前たちの……ソフィの気持ちと、ライが信じていたものを蔑ろにした」

「何を……何を、今更……!」


シュレッケンの少女、ペトレ・ロベインのことが思い起こされた。避難豪で無理に笑っていた彼女が、母に抱かれて涙を流すのを見て心から安堵したものだ。

しかし実際に自分が似たような状況に置かれると、当時のペトレの気持ちが容易に想像できる。


切実な表情で語る両親を見ても……喉に何かがつっかえて、言葉が出てこない。


「ライは言った。我らは二人を欺いたのだと。跡継ぎは最強でなければならないとして、お前に無理な教育を施し……弱者に価値は無いと、歪んだ価値観を押し付けた。そしてその責任の取り方を間違えた私たちは、あの子に糾弾され、そして全てを失ったのだ」


父はとても苦しそうだった。対する母は目元に涙すら浮かべている。


「八年経った今でも……私は、あの子に対する反論が思い浮かばないわ。道を踏み外した……その事実を受け入れた時、言いようの無い後悔が私を襲った」

「…………っ」

「ソフィ」


二人は姿勢を正す。同時に少し首を垂れ、弱々しい声で言った。


「すまなかった。お前の大切な時間を、奪ってしまったこと。心から悔やんでいる」

 

「う……う、っ……」


絶対に泣くものか。その一心で、ソフィは再び歯を食いしばる。

どうすれば良いのかわからない。ペトレのように親に抱き着くことができたなら、果たしてどれほど良かっただろう。

しかしソフィには、到底できそうになかった。それほどまでに自分の心の傷が深かったことを、改めて思い知ることになる。


「黙って聞いていれば……」


突然、無言だったグレイザーが一歩踏み出した。そのままの勢いで父の胸倉を掴む。


「この状況において毒にも薬もならん、細けェことををぐちぐちと! お前ら家族は、本当に無駄話が好きだな!」

「ちょっ……! ぐ、グレイザー!」

「この場で昔話は不要だ! 戦士だというのなら、謝罪なんぞ手っ取り早く済ませてさっさと状況を分析しろ!!」


低く吠えるような怒声に、ソフィはすっかり怯んでしまう。両親はそこまでの反応は見せなかったが、やはり打ちひしがれているように見えた。


「何故捕虜となった俺たちがここにいるか、少し考えたらわからねェか? 突っ立ってる暇があったら、こいつに食料でも渡してやれ!」

「……ああ、そうか……」


母が何かに納得したような顔をして、初めて少し口角を上げた。


「今こそ……少しだけでも、報いる時なのね」


それから両親はソフィたちを建物の中に招き入れた。二人を小さなテーブルに座らせると、すぐに大きなパンを持ってくる。

決して美味しそうには見えなかったけれど……確かな食物の香りに、再び腹の虫が鳴った。


「すまない、野菜はもう切れていて……今あるのはこれしかなかった」


きっとこれは二人の今日の分の食事なのだろう。階下の捕虜たちと違い、何年もここで暮らしていながら、限界まで質素な暮らしを強いられているのだ。


「……いいの?」

「もちろんだ、ソフィ。さあ、腹が減っただろう」

「昔みたいにご飯は作ってあげられないけど……せめてこれだけでも、食べて」


ソフィはパンを受け取り、しげしげとそれを眺める。八年ぶりに親から受け取った食事だ。


手が震えて、思わず取り落としそうになった。


「こんなに、食べれない」


何かを誤魔化すようにそう言ってみる。実際全部は入りきらなそうだったし、何というか、見ているだけで胃もたれしそうだ。


「入る分だけで良い。ゆっくり腹に入れるんだ」


父の言葉はやはり違和感があった。以前なら、強くなるためだとか言って、食事を残すことなんて決して許さなかっただろうに。


「……いただきます」


恐る恐るパンを頬張る。グレイザーが無言で目を閉じ、両親が温かく見守る中……ソフィはゆっくりとそれを嚙み続ける。


(変なの……)


どこか他人事のように、心の中で呟く。



(味なんてほとんど無いはずなのに……すごく、しょっぱい)



無言で食事をする娘に、両親はこれまでの経緯を語って聞かせてくれた。


あの後、ソフィの治癒の甲斐あってか、何とか一命を取り留めたこと。

里の診療所で治療を受けた後、もはや二人に居場所は無かったこと。

見せしめとして里の地表を追われ、こうして地下に住まわされるようになったこと。


そしてこの一か月強……次々と捕らわれる外の人間たちを見ながら、見張りの目を盗んで食料を届けること以外、何もできずにいたこと。


「嬉しい」


誰とも視線を合わせない娘を見つめながら、母はしんみりと言った。


「例えそう思う資格が無くとも……こうしてソフィが生きていてくれたことが、たまらなく……嬉しい」


半分まで食べ終えたところで、ソフィはパンを口から話す。そして遠慮がちに言った。


「……もう無理かも」


固く身の詰まったパンは、思いの外胃に溜まる。


「とりあえずこんなもので……ご馳走様でした」


ソフィは両親とグレイザーを交互に見た。これは本来両親の食事であったはずだ。しかし彼も────


「それで終わりか」

「え、は、はい……だから……」

「そういうことなら、俺に寄こせ」


グレイザーは一切遠慮せず、ソフィの食べかけのパンを指し示す。


「お前の親の食事かもしれんが、俺にもエネルギーが必要だ。事が終わった後、頂上で好きなだけ食らうが良い」

「や、やっぱちょっとは空腹だったんじゃないですか……」

「黙れ。これ以上時間を無駄にする気か」


グレイザーの睨みは本当に捕食者のようである。元からそのつもりではあったが、ソフィは怯えがちにパンを差し出した。彼は乱暴にそれを奪い取る。


今からグレイザーが残りを食べる……その事実を理解した時。


(あ、あれ……?)


ソフィの頭に、いつかの少女の言葉が蘇った。


────え、だって……間接……


「頂く」


律儀にそう言ったグレイザーは、パンを頬張るべく口を開ける。


「あっ、ま、待って……!」

「何だ?」

「…………い、いや……」

「なら黙っていろ」


グレイザーは無造作に、ソフィが食べ残した部分から食べていく。彼の一口は自分の倍以上の大きさがあり、瞬く間にパンが減っていった。


「……まあ、悪くはないパンだ」

「? どうした、ソフィ」

「え? あ……その、何でも……ないんですけど」

(な、何で……? 私、ザンの時は平気で……)


頭の中がぐるぐると回っているような感覚だった。三人が平然としているのに、ソフィだけが嫌な汗をかいている。体が熱くなって、無性にその場から逃げ出したくなった。


そんな風に悶々と過ごし、しばらく経った頃。


「……! 伏せろ!」


突如、グレイザーがソフィの肩を鷲掴みにし、テーブルの下に押しつけた。両親は状況を察したのか、ソフィの前にあった皿を自分たちの方へ寄せる。

一方肝心のソフィは、衝撃のあまり、絶賛消化中のパンを吐き出しそうになっていた。


「良いか、合図があるまで動くな」

(ああああああ…………っ)


ごつごつとした手が、自身の華奢な肩をすっぽりと覆う。痛みすら感じるのに、心臓が早鐘を打っていてそれどころではなかった。


(お、落ち着いてエーネ。じゃなくて、今はもう本名のソフィ。これは、これはびっくりしてるだけで、ザンにだって触られたこと……あ、あったっけ? あれ? 思い出せない、てかそういえば最初に会った時、この人私の……!!)

「おい、呼吸が荒いぞ。気配を消せ」

「は、はいっ!?」

「声を上げるな、殺されたいのか!」

「ご、ごめんなさいいぃっ……!」


緊張し続けること十数秒。両親が頷いたのを見て、グレイザーはソフィから手を放す。

この一瞬でどっと疲れてしまった。ようやく解放され、体を起こすが……


「見張りだ。奴らが戻ってきた」


そんなグレイザーの言葉は、ソフィを一瞬で現実に引き戻す。


「もう時間は残されていない。モリアデス……地上に上がる方法は?」

「一応、昔と変わらぬ連絡通路がある。ただ鍵が無いと明かない上、それを持っているのは────」

「なるほど、な」


グレイザーはしばらく思案顔になり、やがて頷いた。


「鍵を手に出来れば良いが……出来なかった時はお前の出番だ、モイスティ」

「え?」

「俺に考えがある。今すぐここを発つぞ」


グレイザーは足早に出口に向かってしまう。ソフィも慌てて立ち上がり、後を追った。


「ソフィ」


両親に同時に呼びかけられる。振り返ると、彼らは二人とも微笑をたたえていた。


この二人を足して二で割ると自分の顔になるのだと、何となくわかった。


「健闘を祈る」


「……行ってきます」


短くそう応え、ソフィは建物の外に踏み出す。


まさにその瞬間だった。ソールフィネッジの地表から、地鳴りの如き爆音が轟いたのは。

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