62:第一王女キリア
「第一王女、キリア・テンメイ……」
頭にこびりついて離れないその言葉を反芻する。既にライグリッドはこの場にいない。
「あの女が言ってたな。確かライグリッドと和平を結んだ……」
「軍務長官が敗れた後だね。うーん……マニーたちに都合の良いように操作されたせいで、データが曖昧だ」
「と、とにかく私たちも行かないと!」
フレーはやや焦り気味に言った。考えるまでも無く、これは二重の意味で大チャンスである。
「王族が生で見られるってのもあるけど、何より突破口になるかも! だって第一王女って確か……」
────この国で唯一の、『空間移動魔法』の使い手よ。
話しにしか聞いたことがなく、詳細は謎に包まれた王族。王都近辺にいたマインドも直接会ったことは無いらしい。過酷な旅が続いていたが、フレーはこの非常時に夢への新たな一歩を踏み出せた気分だった。
あわよくばエーネを回収し、このまま王都へひとっ飛びなんてことも……
「……で、ここ?」
雰囲気を頼りにフレーたちが辿り着いたのは、広場から少し外れたところにある小屋だった。お世辞にも王族にふさわしい場所とは思えない。
「ザン、本当にここであってるの? 僕の中の王族の定義は……」
「いや、多分俺も同じ定義だが……さっきからいろんな人がここをちらちら見てる」
「も、もしかしてライグリッドの方が立場が上? とりあえず……」
気配を消して側面の小窓に近づく。すると……
「やってられません!!」
そんな甲高い声が、外まで響いてきた。
「まあまあキリア、落ち着きなよ。苛々しても良いこと無いよ」
「お前は右目を隠すのをやめなさい! わたくしは王族ですよ! お前に見下される筋合いは無い!」
「これは作法だからねぇ……割と久しぶりなのに、随分荒れてるじゃないか。どうしたのさ」
「どうもこうもありません……! あんなとこに閉じ込められて、わたくしもう限界です!」
フレーは二人と顔を見合わせる。一応は敬語だが、想像と大きく異なる粗暴な話しぶりに……二人は度肝を、マインドは多分どこか重要な部品を抜かれていた。
「可哀想に。その点僕は自由だからね。ようやく愛しの人を見つけられて、すこぶる上機嫌さ」
「喧嘩売ってます? お前みたいな無法者と比べないでください」
物騒な会話を聞きながら、フレーは一旦壁にもたれかかって確認した。
「い、今の人だよね? あれがキリア……第一王女なんだよね?」
「落ち着けフレー。人は話し方に寄らない。そ、そうだ、人間は見た目で決まる……あの人の姿を見るんだ」
「ザン、逆だよ逆。思ってもないこと口走ってる」
などと言いつつ、三人で窓を覗き込む。マインドが背伸びしてギリギリ届く高さだ。
小屋には壁と同色の質素な机があるだけだった。それを挟み、二人の若者が向かい合っている。
首領ライグリッドの正面には、色白で目鼻立ちの整った気の強そうな女性がいた。全体的に白くひらひらした装いは、フレーがイメージしていた本来のパーティドレスに近い。頬杖を付いて腹立たしそうに足を組んでいるが、丁寧に結われた赤髪は王族としての気品を窺わせ────
「…………え?」
バレてはいけない状況なのに、フレーは思わず声を漏らす。いつもは咎めてくれるザンも、あっけにとられて反応できていない。
王女は頭部を半透明な何かで覆っていた。髪だけがすっぽりと入る形で、尾の部分は後頭部まで垂れ下がっている。
フレーはそれに見覚えがあった。ホメルンにいた時から、物を捨てる際に必ず使用しているものだ。
「あれって、ゴミ袋?」
マインドの言葉に何かが込み上げてきて、フレーとザンは窓から体を離した。音を立ててしまい、慌てて彼も引きずり下ろす。
「? 今何か……」
「ねずみじゃない? あ、君の名誉のために言っておくと……頭に付いてるのはゴミ袋じゃなくて、一応は帽子だよ」
明らかにフレーたちの存在に気付いているライグリッドが、とぼけたように言う。自分の中で漠然と思い描いていた王族像が、音を立てて崩れていった。
「一応って何ですか、一応って! 見なさい、ちゃんとシルクでできてます! ほら!」
「うん、可愛いよキリア。ファッションセンスが絶望的でも、僕は良いと思う」
「お前はあらゆる言動が絶望的です! そんなこと王都でわたくしに言ってみなさい、不敬罪で即殺です!」
一切怯む様子を見せないライグリッドは、肩をすくめて尋ねた。
「なるほど。で、実際に手を下したことは?」
「二年前のことです……とあるガキがわたくしを指差して、ゴミ袋だのなんだのと言いやがりました。ですからわたくし、やってやりましたよ」
フレーは生唾を飲んだ。そう、こんなのでも彼女は王族。血も涙も無い所業を行っている可能性も……
「へぇ……それで殺しちゃったんだ」
「え? いえまあガキですし、ご両親は顔見知りでしたので……そいつだけ家に転送して、母と離れ離れにするだけで許してやりました。きっと親が家に飛んで帰るまで、孤独のあまりビービー泣いていたでしょうね」
……この人相手なら、上手くやれば本当に王都まで連れて行ってもらえるかもしれない。
「きっとこの話を聞いた人は思うだろうねぇ。これが偉大なる王族の姿なのかって。まず二人称がね……」
「どういう意味です? 魔法にかけてわたくしの右に出る者は、そんなにいませんよ?」
「そっかそっか。それで……わざわざここに来たってことは、話があるんだろ?」
これまでと打って変わって、小屋の中に神妙な空気が流れる。キリア王女が喉を鳴らすのが聞こえた。
「そうですね。今日はとりわけ確認の意味合いが強いです。どうやらついに動いたそうじゃありませんか……シュレッケンの情勢が」
それはまさにフレーたちに関わる話だった。これが王族の情報網なのだろうか。
「エーション姉妹の行動は、まごうこと無き兄様の失態です。兄様ともあろうものが、感情に任せてあのような地に追いやり……結果、悪事は明るみになった!」
「ダメだよキリア、そんなこと言っちゃ。人は感情に生きる生物だ」
「んふふ……今のようなアホらしい任を受けていなければ、わたくし自らが出向いてしばいてやったものを。残念でなりません」
いずれにせよ、と前置きをして、王女はいっそう語気を強める。
「ついに現実味を帯びてきましたね。テンメイ王が第二子にして、この国の財務長官を担うわたくし────『空隙』のキリアが、次期王太女となる時が!!」
キリア王女の高笑いは、マニーとは似て非なるものだった。今思えば彼女の強気な態度の裏には、恋人から捨てられた悲しみが隠れていた。
一方王女の一挙一動は、あらゆる自信に溢れている。
「んふふっ、ぐふふふふ……!」
「相変わらず下品な笑いだねぇ。僕を見習いなよ」
「お黙り! お前の笑いは割と、背筋がぞわっとするタイプです!」
緊張感の無い会話にも、先ほどのような滑稽さが感じられない。フレーたちは本格的に息を潜め、二人の会話に聞き入っていた。
「気になってる人がいるかもしれないね」
「は? 何がです」
「王女である君が、何故僕の行為を見逃しているのか。どういう意図で僕と関係を保っているのか」
「……今更それを言います?」
ライグリッドの言葉はこちらを意識しているものだった。何もかも彼の手のひらの上というわけである。
「見逃すも何も……わたくしにできることなどありません」
それは淡々と告げられた言葉だった。
「お前にやめろと言って、何かが変わります? わたくしが徒労を嫌うのは知っているでしょう。あの子ですら、お前には勝てなかった」
「ふふ……じゃあ君の弟に頼んでみれば? 上手くやれば僕を取り締まれる仕事じゃないか」
「無駄です、何もかも。彼は驚くべき日和見主義者……わたくしと兄様の動向にしか興味がありませんもの。それに────」
キリア王女はため息をつき、どこか投げやりに言った。
「父様は……テンメイ王は、この里になんか関心はありません。あの方が見ているのは、王都とランドマシーネだけです」
「……ふーん」
ライグリッドがほんの少しだけ不満そうに相槌を打つ。それを感じ取ったのか、王女は先ほどの得意げな態度に返り咲いた。
「あらまあ、そんな顔をせずとも。お前に関心が行っていないのは、わたくしと結んだことで内憂として認識されなくなったってのもあるんですよ」
「ん、不満そうに見えたかい? 言っただろう、僕は今機嫌が良いんだ」
「そうですか。ま、お前のやっていることに口を出す気はありません。生かしてはいるのでしょうし、せいぜい好きにすれば良いと思いますよ」
キリア王女が立ち上がったのがわかった。ライグリッドに背を向けたのか、彼女の声が聞き取りづらいものになる。しかしそれがやや遠慮がちなものに思えたのは、ただ向きが変わったからだけではないようだ。
「時に……お前、これからどうするんです」
「ん?」
「里を閉鎖して……ああ、お前の願いは前に聞いたから、説明しなくて結構。そうではなくて……まあ、もっと未来の、わたくしが王座に就いているであろう時の話です」
キリア王女はやや歯切れ悪く続けた。
「……わたくしに、仕える気はありませんこと?」
小屋の中が静まり返った。ライグリッドは身じろぎ一つ行わない。
空気に耐えかねたのか、王女はやや早口になって言った。
「用心棒として、です! 軍務長官を破った今、お前の無類の強さは諸外国にも轟きつつある。そんな人間を側に置いているとなれば、わたくしの格も上がるってものです!」
「…………」
「お前の性格は最低ですよ? 人間としてはこれっぽっちも信用できませんが……その……強さは認めていますし? 魔道具もあげたからいつでも里に戻ってこられるし……って聞いてます!?」
あまりにも無反応なライグリッドにしびれを切らしたのか、王女は激昂した。
「ん、ああごめん。君のゴミ袋にしか目がいかなくて」
「だからゴミ袋じゃねぇ! わ、わたくしは真剣に話してるんです!」
「わかったって。そんなに赤くならなくても」
「誰がっ……!」
「君のその、ありがたーい提案だけど」
ライグリッドも立ち上がる。彼が正面から王女に向かい合っているのが、壁越しにもわかった。
「丁重にお断りさせてもらうよ」
「…………!!」
「わかってるだろう? 君がさっき言っていた、僕の願いに差し支えるからだよ」
一歩、彼は詰め寄る。キリア王女が退く様子は無かったが、彼女が息を呑む音が聞こえてきた。
「キリア、今の僕たちは仲間だ。でもね……お友達ごっこをするつもりは無い」
「…………」
「ここは僕の王国。君のは、せいぜい王都でゆったり作るといい。しかし王国同士は相容れないのだから……君が僕を従えようなんて、傲慢じゃないかなぁ」
「わ、わたくしはただ……」
何かを言いかけて、キリア王女は言葉を止めた。小さな吐息には様々な感情が籠っている。
「話は終わりかな? じゃあ、魔力の補充を頼むよ」
「……はい。どうぞ」
「ありがとう。これが無きゃ楽に遠出もできないからねぇ……あ、でも崖から地上まで落ちる遊びはできるよ。僕と姉しかやったことがないけど、君もどう?」
「遠慮しときます。はぁ……お前と話すと疲れることばかりです」
王女がそう言うと、小屋を紫色の光が包み込み、強大なエネルギーが伝わってきた。どうやら魔法の準備をしているようだ。
「先ほどの提案は忘れてくださいな。では、また今度」
「ふふ……いつでも待ってるよ。暇そうだしね」
「余計なお世話です。良いこと? モリアデス……」
姿を消す直前────文字通りの意味で空間移動を行う前に、キリア王女は吐き捨てるように言った。
「お前はきっと……遠くない内に、痛い目を見ることになりますよ」
王女が何かを呟き、ガラスが割れるような妙な音がした後。
彼女の気配は小屋から消えた。小屋のみならず、このソールフィネッジ全体から……跡形も無く消え失せていた。




