61:烈嶺『ソールフィネッジ』
「おはよう、お姉さん」
日差しの暖かな朝。丸一日の不眠を取り戻すように爆睡していたフレーを、ベッドまで起こしに来た人物がいた。
ザンやマインドではない。その人物は、フレーが探し求めている幼馴染によく似ていた。彼女より短いものの、全く同じ質感の髪に、色違いの瞳。良く似た鼻、口元……
「ん……エー、ネ…………っ!?」
フレーは飛び起き、その拍子にベッドから転げ落ちる。
「あはは、慌てすぎだよ。そんなに警戒しないで」
「……っ……!」
エディネア・モイスティにそっくりな顔で、少年は笑った。
「言ったじゃないか、君たちは大切な客人なんだ。丁重に扱うに決まってるだろう?」」
ライグリッド・モリアデスは昨日とほとんど変わらぬ装いであった。ややふんわりした衣装が好みなのは姉弟共通なのだろうか。
昨夜、突如連れられてきたソールフィネッジの地表で、フレーたちはエーネの全てを聞いた。もちろんそれはライグリッド目線の話であり、肝心の彼女の心情は理解しきれてはいない。
それでもわかる。エーネがこの男を頼り、愛したこと。そして最終的に、表しようのないほどの恐れを抱いた理由が。
「……ね、寝てる人の顔を覗き込まないでよ……」
「ああ、ごめんごめん。昨日あれだけ警戒してた割に、ここに案内したらすぐ寝ちゃったもんだから。眠すぎて起きられないんじゃないかって心配になったんだ」
「…………」
「さあ、下に降りてきて。剣士君や機人さんはもう準備万端みたいだよ」
ライグリッドに案内され、フレーは階段を下る。
と、居間の方に大きなテーブルが見えた。
「昨日話した場所だよ。今は明るいからここからでも見えるね」
彼はひそひそ声で言う。
「あそこで父さんと母さんに思い知らせたんだ。いわゆる、報いってやつさ」
まるで脳裏に、エーネが見たおぞましい光景が浮かんで来るようだった。
「フレー……」
「あっ」
「おはよう。よく眠れた?」
モリアデス邸の玄関口には、神妙な面持ちで立ちすくむザンと、相変わらずの無表情で手を振るマインドがいた。少しだけ安心感を覚え、二人に挨拶を返す。
「おはよ、ザン、マインド」
「ねえねえ、ちょっと」
ライグリッドがフレーたちの間に割って入った。何だか不服そうな顔だ。
「何でそんな暗い感じなの? これから未知の場所を探検するんだよ? 里の中を自由に移動してもらっていいからね」
もっとワクワクしてほしい、などと笑顔で話す彼は、自分が一番楽しそうにしていた。
「もしかして、昨日の話がショック? 大切な友達の正体が」
「……っ、エーネをどうする気? あの子はどこ!」
「やだなぁ。昨日も言ったけど、どうせ会わせられないよ。それにどうするかなんて、ねぇ……ふふっ……」
「このっ……!」
「フレー」
ザンがフレーの腕を掴み、細かく首を振った。落ち着くために唾を飲み、全員から視線を逸らす。
「わかってくれて嬉しいよ。じゃ、僕は色々仕事があるから。案内はするけどね」
ライグリッドはそう言うなり、文字通り瞬く間にその姿を消した。彼の動きで揺れる空気も、風を切る音も……何一つ感じなかった。
「……今のが、魔道具の力?」
「いや、恐らく違う。話を聞いた限り、エーネがここにいる時から奴は……」
「ザンの言う通り。ライグリッドは、ただ速いだけ」
マインドがまとめた。およそフレーの認めたくなかった事実である。
「魔道具の使用と彼自身の動きの違いは、感知できる。ライグリッドは、里を出入りする時にしか魔道具は使ってないと思う」
「ま、マインド……そんなのもわかるんだ」
「違いだけは、ね」
彼は目を伏せ、肩を揺らす。きっと人間ならため息をついている動きだ。
「僕だけじゃなく、どんな機人でも追いつけないよ。彼の人間離れした動きには」
ここにいても埒が明かないので、とりあえず腹ごしらえをしようと言うことになった。しかし、ただいたずらに時が過ぎるのを待つわけではない。
実質的にライグリッドの支配下に置かれた今、フレーたちの任務は二つだ。
一つ目は、エーネの身柄をどうにか回収すること。可能であればグレイザーもだ。
二つ目は、どうにかして脱出経路を確保することだ。ライグリッドの同意が得られるに越したことはないが、最悪の場合、彼から逃げる形でこの里を後にすることになる。
ただ、未だに彼の目的は不明だ。何故多くの者を監禁しているのか。その場所はどこなのか。わざわざフレーたちに接触した理由。そして捕らえた者たちを……エーネを、どうするつもりなのか。
「エーネ、ちゃんとご飯食べてるかな……」
「考えても仕方ない。あそこの飲食店で情報収集するぞ」
フレーたちが入った店は、質素ながらも綺麗にまとまっていた。この里自体がとてつもない高所にあるので、どんな料理があるか不安だったが、案外普通の食事を出してもらえそうだ。先ほど遠目に畑が見えたし、きっと自給自足の生活が行われているのだろう。
とりあえず、収まりの良い四人席に座る。余所者に対する奇異の視線を感じながら、フレーは店員からメニューを受け取った。
「すまん、マインド。電気は無さそうだ」
「うん、日の光を少しでも吸収するよ。1000以降の型なら、本格的な太陽光発電機能があったのに」
「機人の世界も大変そうだね……それで、どうする二人とも? とりあえず店員さんに捕虜の居場所を……」
「捕虜の居場所? そんなの、僕に聞いてくれればいいのに」
フレーはメニューを取り落とした。いつの間にか正面に座っていたライグリッドに顔を覗き込まれ、身動きが取れなくなる。
「捕虜たちは地下だよ。と言っても適当にそう呼んでるだけで、本当の地上からは上だけどね。かつての連絡通路に牢獄を作ったんだ」
「な……何でここにっ……!」
「え? 美味しいメニューを伝えようと思って。みんなには少しでも満足して帰ってほしいんだ」
ザンは汗を浮かべながら刀に手をかけており、マインドに至っては隠すことすらせず、腕の装置を彼の頭に向けていた。
しかし当のライグリッドはどこ吹く風だ。気まずい空気の中料理を受け取り、さっさと頬張り始める。
「やっぱこれだよね。ソフィもさ、これが好きだったんだ」
それはトマトソースを使った色艶の良いパスタだった。ホメルン出身の三人は誰も料理が得意ではなかったが、思えばエーネは酸味のある食べ物を好んでいた。あとはオニギリという米料理だ。
ライグリッドは、それは幸せそうに食事をしている。少し口に入れすぎな状態でもぐもぐ咀嚼する姿は、姉と全く変わらない。
「あ、地下に行こうなんて思わないでね。通れはするけど、あんまり綺麗な場所じゃないし」
食べ終えたライグリッドはすぐに姿を消した。すっかり食欲を失ったフレーは、自分の前に置かれた料理に目を落とす。
彼が食べていたのと同じものだ。薦められたからではなく……エーネが好きだったからという理由で、同じ料理を頼んだ。
「フレー、ゆっくり食べて。今の君は空腹だ」
マインドが声色を落として言った。
「きっと大丈夫。どうにかなるよ」
ザンと二人で無理やり料理をかき込み、店を出る。
その後フレーたちは一際大きな建物を目指した。何となく構造に見覚えがある。大体どこでも、外観のイメージは共通しているようだ。
「あっ、学校に来たの?」
当然のように現れたライグリッドは、手を組み合わせてニコニコとしている。自由に探検させると言いながら、先ほどから邪魔をしているようにさえ思えてきた。
「ここはねぇ、未来の戦士たちを育てる場だったんだ」
「……今は違うのか?」
「ううん、今もそうだよ。僕の部下を育ててるんだ。なんてったって首領だし、どこぞの王女様がいつワープして襲ってくるか、知れたものじゃないからねぇ。ただ────」
ライグリッドは校舎の端にある畑に目を向けた。更に奥には牧場も見える。
「今の彼らは、この地の食料生産を担う側面が強いかな? 幼い頃から自給自足を学ばせて、しっかりこの里を守ってもらうんだ」
そんな話をしている内に、校舎から子供たちが出てきた。確かに皆、フレーたちの幼少期と比べて頑丈そうな体つきだったけれど、その顔はどこか浮かない。
彼らはこちらを一瞥するが、特に反応はせず、すぐに農作業に取り掛かり始める。
「ふふ……今日もご苦労様」
「ねえ、ライグリッド」
フレーは慎重に話しかける。
「ご飯って全部ここで作ってるの? 外の物を買ったりとかは……」
「外の物?」
彼は首を傾げる。意味がわからないといった顔だ。
「そんなの必要無いよ。第一、不可能だ」
「え……?」
「この里に、出入り口なんて無い」
それがさも当然のことであるかのように、ライグリッドは言ってのけた。フレーたちは絶句するしかない。
「無意味だろう? この里は最強でなくてはならないんだ。外部の影響なんて受けたら、その在り方が揺らいでしまう」
「じゃ、じゃあ……この里の人たちは……!」
「うん。もう八年になるかな。あの時の捜索活動以外では、一度も外になんて出てないよ。首領である僕を除いて」
彼は懐から昨夜と同じ魔道具を取り出す。明るいところで見ると、球体の中に白いもやのようなものが動いていた。
「僕とて無駄な接触はしない。君たちみたいな特別な人間以外には、ね。里を出る時はこれで送っていってあげるから、安心してよ」
彼の笑い声はまるで少女のようだ。ただでさえ高めの声と、エーネと全く同じ身長が、余計にそう思わせるのだろうか。
フレーは思わず走り出していた。ザンとマインドも後ろから追って来る。
具体的なことを考えていたわけではなかったが、とりあえずどこかに向けて走れば、目当ての場所に辿り着くことはわかっていた。
「はあ、はあ……」
目的地である里の端はそれほど遠くなかった。少し息切れし、膝に手をやったフレーは、眼前に広がる景色を睨みつけるようにする。
ソールフィネッジを覆う濃霧は、日の光に照らされて輝いていた。頼りない柵を少し超えた先には、動くことすら恐れを抱かせるほどの断崖絶壁が広がっている
「ふふっ……」
ザンたちが追いつく一瞬前に、ライグリッドが隣に出現する。
「炎のお姉さん、君は運が良いねぇ……里のどこにでもある場所から、この『決裂の崖』を探し当てるなんて」
呼吸を整えるフレーではなく、先の見えない崖下を見下ろしながら、彼は懐かしむように言った。
「僕がそう名付けたんだ。ここはかつて……僕たち双子の、互いの運命が定まった場所だよ」
場の記憶、と言うのだろうか。
モリアデス邸でよぎった嫌な光景が想像に過ぎなかったのと違い……フレーの脳裏に、柵を背に弟と向き合うエーネの姿がありありと浮かんできた。
「ここから右に行けば、牢獄への入り口があるよ。もちろん、僕の許可無しじゃ入れないけどねぇ」
烈嶺ソールフィネッジ。今や多くの人間が恐れる、人外の住まう地。
ここが戦闘民族の里であると聞いたフレーは、何となくライグリッドが強大な武装集団を率いているのを想像していた。
しかしそれは間違いだった。里の噂が轟くほどの行いも、強者たちを狙った誘拐も……
何かも、たった一人────ライグリッド・モリアデスの仕業なのだ。
「……ん……?」
何かの気配を感じ取ったのか、彼は里の中心部に目を向ける。
フレーは訝しむだけであったが、ザンとマインドは少しだけその目を大きくした。
「気配がする。この里の人間じゃない」
「え……!?」
「うふふ……相変わらず、仕事をさぼって怠惰な人だねぇ。東部は彼女の担当なのに」
ライグリッドはマントを翻し、崖とは反対方向を指で示した。
「貴重な経験だ、君たちも物陰から見学していくといいよ。僕たちの会合をね」
「会合って……」
姿を消す直前、ライグリッドは右目に手をかざし、ほくそ笑んだ。
「僕のビジネスパートナー……第一王女、キリア・テンメイ様のおでましさ」




