6:グレイザー
守護者グレイザー。ビートグラウズの長。その全貌を、今のフレーたちは知らない。
わかっているのは、彼が若くしてトップに上り詰めた優秀な男であること。
そしてその悪魔的なカリスマ性で、数多の人の心を鷲掴みにしているということだ。
「グレイザー! こっち向いてーーーっ!」
「私たちを見てーーー!!」
「この街を救ってくれ!! グレイザーーーー!!」
男も女も、拳を振り上げて黄色い声援を送る。当のグレイザーはさしたる動揺も見せず、どこか満足げに肩をすくめた。
「……どう思う?」
何となく不安を覚え、フレーは二人に問いかける。
「変……というか、一介の首長の扱いじゃないな、これ」
「だよね? エーネも────って」
視線を向けた先には、どこかぼうっとした様子のエーネがいた。口を半開きにし、目を瞬かせながら、食い入るようにグレイザーを見つめている。
「……もしもし、エディネアさん?」
「…………えっ? あ、何? 何ですか、フレー」
周りがうるさくて聞こえなかった、と話す彼女の顔は、心無しか火照っているように見えた。
フレーは再びザンと顔を見合わせる。言葉は無くとも、お互いの考えは通じ合っているように思えた。
「あの人が、大軍ハンガーズの指揮者ですか……村の警備を依頼するには、まず話をしないとだけど……」
「これは単純な興味なんだけどさ。エーネは、あの人のどんなところが良いの?」
「え……何の話? フレー、真面目に考えてよ」
(これは無自覚……? それにしてもエーネ、ああいう人がタイプなんだ)
改めてステージ上の彼を見る。見れば見るほど男前で、確かに女性の心を奪い去ってしてしまうのも納得だ。フレー自身はもう少しだけ抑え目な方が好みではあるが、あの真っ直ぐな自信溢れる物言いには、やはり惹かれるものがあった。
「お前ら、今は話を聞くぞ。どうも簡単に兵を借りられる状況じゃなさそうだからな」
ザンの言葉を受けて聞く体勢に戻ると、グレイザーの言葉が次第に耳に入ってくる。
「ビートグラウズの人口増大……知っての通り、これはシュレッケンから人が雪崩れ込んだ結果だ」
本題が始まり、グレイザーの得意げな笑みが真剣な表情に切り替わると、場は再び静まり返る。群衆の態度は、街の現状がどれほど切迫したものかを物語っているようだった。
「シュレッケンの指導者……今や滑稽な名前で呼ばれる二人だが、奴らがとんでもねェ事態を引き起こしている。この場での混乱を避けるため、俺から詳しいことは言わねェ。だが聞いたやつも多いだろう。果たしてそんな事があり得るのか……誰もが疑問に思ったはずだ」
隣でザンかエーネのどちらかが、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。この街の住人ではないフレーも、固唾を飲んで話の行く末を見守っていた。
「残念なことに、お前らが聞いた話は軒並み……真実と考えて良いだろう」
途端、静寂に包まれていた講演場に、凄まじい恐怖の波紋が広がった。悲鳴を上げる者、泣き出す者……
皆が取り乱し、このノーブルタワーそのものが震えているかのようである。
「そんな、そんなまさか……っ!?」
「あいつらが、本当に……? この街にまで……!」
「もう逃げ場なんてないよ!! 隣国に避難するしか……!」
これほどの動揺……集団パニックと言っても良いほどだ。
あの衛兵の夫婦も大通りを往く人々も、本当はこんな思いを抱えていたのだろうか。必死にそれを押し殺していたのか、それともただ忘れようとして、あんな笑顔を見せていたのだろうか。
「俺は……俺たちはもはや、立ち止まってはいられねェ。今日皆に集まってもらったのは、他でもない……予め、覚悟を決めておいてもらうためだ」
グレイザーの滲ませるような物言いに、群衆はすがるような面持ちになる。そこに並々ならぬ意味があるように感じて、人々は顔を上げた。彼らの瞳に映っているのは、まごうことなき「最後の希望」なのだ。
「明日の正午……ここではなく中央広場で、重大発表を行うことになるだろう。現在、補佐のエルドと最終調整に入った段階だが、既にハンガーズには概要を通達した。多くのやつが予感しているであろう、最終手段だ」
耳鳴りがした。彼の右耳側に取り付けられた、恐らくは拡声のための機械……それによる不快な音波かと思ったが、そうではないとすぐにわかった。
まさか。まさか彼は、「その気」なのだろうか?
「グレイザー、それって……!」
「でも、そうしたらこの街は……」
「あァ……少なくとも、今まで通りではいられなくなる。周囲に睨みを効かせつつ、内外の平和を保つ『だけ』だった、今までの姿は変わる」
(やばい……)
民衆が声を上げる中、フレーの脳内で警鐘が鳴った。鼓動が早まるのがわかる。
(もしあの人が、そんな手段に出たら……)
一刻も早く彼と話を付けなければ。明日にはもう、手遅れになってしまうかもしれない。
「とまあ、堅苦しい話は一旦ここまでだ」
それまでの神妙な空気を払拭するように、グレイザーは陽気な声を上げた。
「政治の話、資金の運営……俺がこの場を催すのは、そういった重要な報告が目的だが……それだけじゃねェよなァ?」
グレイザーは不敵に笑うと、右手の指を軽快に鳴らした。するとフレーたちにとって、世にも奇妙な出来事が起きる。
「────なっ!?」
彼の背面の床から、一斉に炎が噴き出たのだ。おおよそ日常生活で見ることのないような……それこそ、フレーでもなければ扱えないような、それは見事な火柱だった。
「今日のテーマはお分かりか? そう、案ずることなんて何もねェ!」
彼が再び指を鳴らすと、今度は講堂の左右の壁から同じように炎が噴出される。ある程度火には慣れているフレーも、あわや床からも発射されるのではと身構えたが、この場にいる他の者たちからは、そんな怯えはまるで感じられない。
それまでの深刻な雰囲気はどこへやら、誰もが恍惚とした表情をしていた。
「綺麗……」
「これが、機械の力……!」
フレーの生きてきた世界には無かった技術の結晶たち。しかし何よりすごいのは、それをあたかも自分の力のように見せ、最高のパフォーマンスを提供する、他ならぬ守護者自身だった。
「燃え上がれ! ビートグラウズの焔よ……俺たちの街に栄光を!!」
「うおおおおおっ! グレイザーーーー!!」
「あなたこそ、この国のヒーローよーーーーっ!」
「信じてる! いつまでも信じてるぞ! グレイザーーーーっ!!」
赤と青の炎が、蒼色の指導者を中心に渦を巻く。皆の興奮が絶頂に達したところで、グレイザーは笑みを浮かべたまま踵を返し、奥の部屋へ向かい始めた。
「あっ、グレイザーが!」
「や、やば……! 追わないと!」
「落ち着け! この騒ぎの中で追うのは無理だ! 一旦外に出てから……!」
「アレをやるしかないでしょ! この先会えるかもわからないんだから!」
フレーは食い気味に叫ぶ。すべきことはわかっているのに、どうしてこう思い切りが悪いのか。
「ま……まさか、私たちも掴まって……!?」
「当たり前でしょ! あれ、どう見ても今日はもうお開きって感じじゃん! 二度と会えなくなるよ!」
「いや、流石に危険だ。空中では火が飛び交ってるし────」
「だからこそ、でしょ!」
フレーは中腰になり、二人に合図をした。
そう、炎が飛んでいる今だからこそチャンスなのだ。これから行う危険行為を見られないようにするためには……
「ううっ……もう、最悪! 吹き出てる火に当たったら一巻の終わりです、本当にお願いだから慎重に!」
「二人とも、せめて着地後に顔は見られるなよ? 方法はバレなくても、はたからはどう見ても飛行だ! 注目を集めるのはまずい!」
「うん、わかった……行くよ!」
ザンとエーネが、フレーの体に左右から巻き付くように掴まった。
「三、二……」
両腕に全神経を集中させる。目を見開き、グレイザーが通り抜けたドア、その一点だけを見つめた。
「一、ゼロ……!」
肩から手のひらにかけて強い流れを感じた瞬間、フレーたちの体は宙に浮いていた。内臓が持ち上がるような浮遊感。風を切る音と共に、後方に強い熱を感じる。
ほんの二、三秒のわずかの間。フレーたちは、人と炎との間を「跳躍」していた。
「っ…………!」
二人が必死にしがみついてくる。思えば三人はそれぞれ能力で、普通の人間が得難い経験をたくさんしてきた。
手のひらから炎を「噴射」して跳ぶなど、まさにその最たる例だろう。
「よっ……と!」
ザン以外はぎこちない受け身を取り、転がるように着地した。場所はステージの端の方である。
「う、うん、大丈夫そう。音もそんなに出なかったし、誰もこっち見てないからバレてないよ」
「はあっ……死ぬかと思ったぁ……」
「それにしても、三人を支え切れるなんてな。また出力が上がったか?」
「どうなんだろ……安定して飛ぶための力は全然足りないし、せいぜい三秒くらいって感じだけど。やっぱ手からしか出せないのが難点かな……」
自分の力については、正直よくわかっていない。周囲にはエーネしか例がいないし、ボロボロの本から得られる情報はかなり限られている。
フレーが自分の手を繁々と眺めていると、とうの比較対象が溜息をついた。
「そもそも魔法で飛ぼうとするのが間違ってるんです……フレーは変なことに力を使いすぎ」
「ついでに良いか? さっきはカウントしてたから言ってなかったが、お前が魔法につけてるあのダサい名前、そろそろ……」
「だっ……ダサくない! 由緒正しき技名だからっ! あとエーネだって昔、足の裏から水出して遊んでたでしょ! どこからでも出せるみたいだし……!」
「いっ……いつの話ですか!!」
互いを詰り合う三人は、そこで一瞬固まる。何か大事なことを忘れている気がして。
「あっ……グレイザーは!?」
「この奥だ、行くぞ!」
三人で身をかがめ、部屋の入り口に漕ぎ着ける。
(……鍵がかかってない!)
音を立てないようにドアを開け、フレーを先頭に滑り込むように通路に入る。
そこには、講演場のような明かりはなかった。ただ、薄暗く細い道がさらに奥まで続いているのみだ。
「……今更だがこれ、不法侵入だよな?」
「ま、街の条例とか知らないし、セーフってことで……いや、普通にアウトか」
「いっそ、熱狂的なファンを演じてみるとか……?」
ドアを閉めると、本当に暗闇に周囲は包まれてしまった。不安になりつつ、そばに二人の感触を確かめながら、フレーは先に進む。やがて前方に、薄らと部屋の入り口が見えた。
「……ノックするね」
ザンとエーネが無言で頷く。フレーがドアを叩いたが、返事は無かった。
「ここじゃないのかな?」
「脇に階段もあった。あまり気は進まないが、どうする?」
「とりあえずここを確かめなきゃだよね。開けるよ……」
覚悟を決め、ノブに手をかける。前方に押すと、ドアは呆気なく開いた。
そして────
「わあああっ!?」
フレーは悲鳴を上げ、数歩後ずさった。
「おいおい、甲高い悲鳴を上げんな。侵入者の身でよ」
言葉を発せないフレーを見据え、落ち着き払った男性が肩をすくめる。ソファに腰掛けていても、その迫力は増して見えるばかりだった。
「ぐ、グレイザー、さん……!」
守護者グレイザーは、淡い光に照らされた部屋の中、出口を向いて悠々自適に足組みをしていた。




