55:気弱な魔法少女
魔法。そう呼ばれる力が実在するという話を、何となく聞いてはいた。しかしソールフィネッジに魔法使いは一人としていない。関連する書物も見たことがなく、全てが謎に包まれていた。
「ど、どういうことでしょう」
狼狽した声を出したのは母だ。
「ソフィが……この子が魔法使いだと仰るのですか? 今までそれらしい能力を見たことは……」
「共有事項ではないのか? 一目見てそうとわかったが、ならば……」
ライウ王子の目は、再びライグリッドに吸い寄せられた。
恐らく感じ取ったのだろう。本人ですら自覚していない魔法の存在……それをただ一人見抜いていた彼の、形容し難い潜在能力を。
しかし以降、ライは口を閉ざしていた。王子は改めてソフィに向き直る。
「ソフィネア、其方は二種の魔法を操れる存在だ」
「え、あ、あのっ、わたし今まで……」
「魔力とは、生まれながらにその身に宿るもの。遺伝的要素はわずかにあるが、関わりの無い家系から発現することもある。そういった者は大抵、きっかけが無ければ力の存在に気付かない」
動悸が収まらない。今朝まで何の取柄も無いと思っていた自分の中には、両親やライには存在しない人知を超えた力が備わっているという。そういえばライの金の目に対し、自分の瞳が水色がかっているのは……
「魔力の流れを感じろ。水を生み出し、森羅万象の癒し手となる自身の姿を思い浮かべるのだ。細かな理論は十歳を超えてからで良い。まずは感覚で扱えるようになれ。時間がかかろうとも、それはきっと其方の糧となる」
「は、はい……っ!!」
ライウ王子との会合が終わっても、ソフィはどこか夢見心地だった。
里を去る直前……上の空の自分と、相も変わらず微笑を浮かべるライを呼び出し、王子は告げる。
「モリアデスの子供たちよ。其方らはどうやら、互いに別々の才に恵まれたようだ」
「…………!」
「将来のことゆえ不確実だが……いずれが上に立とうとも、長にふさわしい人物として周囲は其方らを認めるであろう」
ソフィが王子の言葉を反芻している中、ライは上目遣いで彼を見上げた。
「ぼくも、ソフィと同じなの?」
「……見方によってはな」
「そうか、ぼくも……ぼくも……」
空気が少し冷えた気がした。ライは普段よりもやや濃い笑みで、再び尋ねる。
「ねえ王子さま。ぼくは、強くなれる? どっちが『おさ』になってほしい?」
それは答えの無い問いだった。
「ぼくも強くなったら、勝てるかなぁ?」
「何に対してだ」
「それはもちろん────」
ライグリッドは堂々たる声で言った。
「この世の全てにさ」
返答が伝えられることはついぞ無かった。何かの知らせを受けたのか、焦った様子の付き人に促された王子は、地上と繋がる唯一の連絡通路をそのまま下っていった。
「ライ……?」
「うん? どうしたの、ソフィ」
「え、えっと、何か考えてるかんじがして。心ぱいだなって……」
「きみが心ぱいすることはないよ。さあ、もどろう」
踵を返した弟の袖を、ソフィは急いで掴む。
「わ、わたしは……ライがおさでも、いいと思うっ!」
久方ぶりに大きな声を出した姉に、彼はやや驚いたようだった。
「あ、あのね……あのね、ライ。わたし、だれにも言ったことなかったけど……ずっと、みんなをなおす人になりたかったの」
「なおす人……おいしゃさん?」
「えっとね、おいしゃさんかなって思ってたけど……今日言われたまほう……『ちゆののうりょく』って、みんなのケガをなおせるんだって。れんしゅうすれば、おいしゃさんよりもずっとすごいことができるって……」
一生懸命に語るソフィを、ライは暖かな目で見守る。
「だからね……もしライが、さとの『しゅりょう』になりたいんだったら、いいよ……! わたしもそれがうれしいし、そうなったら、ライのケガはわたしがなおすから!」
話を聞き終えた弟の第一声は、こうだった。
「かわいいこと言うね、ソフィ」
「ええっ……!?」
もしかして、からかわれているのだろうか。
慌てるソフィの手を握り、ライは幼いながらにしっかりした声で言った。
「ありがとう。でもぼくはいいよ、今のままで」
「え、そ、そう……?」
「うん。だってソフィがおさのままでも、父さんたちといっしょにやっていけばこの里は……ソフィは、さいきょうになれる。ぼくはそれでまんぞくだよ」
少し残念に思いつつ、ソフィは違和感を覚えた。
彼は「強さ」に拘るが、両親のそれとは少し違う気がする。現状ソフィは彼の期待に応えられそうにないが、水の魔法とやらの扱い次第ではまだわからない。
「まほうは二つなんでしょ? 水の力でつよくなって、ちゆの力で人をすくう……それでいいじゃないか」
「……うん、たしかにそうだね!」
両方極めてはいけないというルールは無い。ソフィは明日からの毎日が、明るいものに見えて仕方がなかった。
辛い鍛錬だけの日々は終わり……これからは魔法の修行が始まるのだ。この力を扱える方が希少なのだし、やらない手はないだろう。
(がんばろう……ライがこう言ってくれるなら。がんばって、りっぱな『しゅりょう』になろう)
決意を新たにしたところで、ソフィはわざとらしい咳払いをして切り出した。
「じゃあ、ねえさんとして言います。ライ、わたしよりむずかしい言ばつかうの、きんし!」
「何で急にけい語……?」
「な、何となく『しゅりょう』っぽいかなって……ライはかしこいから、いっぱい話すと、私がはずかしいの。だから、わたしがもっとべん強してかしこくなるまで、きんしです!」
「えー」
ライは珍しく不服そうな顔をした。
「にあってないよ、ソフィ。けい語とふつうの言葉がまぜまぜだし」
「う、うるさい。ライだって、ゆーっくりしゃべるでしょ」
「ぼくはおさじゃないからこれでいいのさ。きみがはげむすがたを、安そくの地から見守らせてもらうよ」
「ま、またむずかしい言ば……でもなんか、ずるいこと言われてるのはわかります!」
これが、初めてライと心からの言葉を交わし……そして笑いあった日だった。
しかし有頂天だったソフィは、彼の小さな呟きを聞き逃してしまう。
「きみたちが……変わらないかぎりね、ソフィ」
決裂の日へのカウントダウンは、とっくに始まっていた。
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「嬉しかったよ。ソフィにもれっきとした力があるってわかったんだ」
冷たい風に包まれながら、ライグリッドは熱っぽく語る。明かされる友の過去に、フレーたちは無言で聞き入っていた。
「里の誰にも備わっていない異能……それこそ父さんたちが、喉から手が出るくらい欲しかったものだろうしねぇ。ソフィも、それはそれは幸せそうだったよ」
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予想通り、これまでの訓練の半分以上は魔法の特訓に充てられるようになった。とはいえ専門家がいるわけではない。上達の速度は、決して早いものではなかった。
脳内でイメージを作り、水の流れに身を任せる。治癒の方は、その傷が治る過程を強く念じる必要があった。
ソフィは水を扱うよりも、怪我を治す方が得意だった。自分にとっては願ったりかなったりだったが、両親はそうではなかったらしい。
「ソフィ、お前のその力……もう少し強いものにはならないのか? それでは戦いに活かせまい」
「……ごめん、なさい……」
八歳になる頃、失望した様子の父から声をかけられた。この年になると、ソフィは明確に疑問を抱いていた。
ひたすらに武を求める両親。それを是とするこの里の慣習……
一体自分たちは、何と戦っているのだろうと。
「ソフィ、前より良くなってるから心配しないで」
「うんっ……ありがとうございます、ライ」
「それにほら、お待ちかねの時間だよ」
「…………!」
そうだ、くよくよしてはいられない。今の自分には新たな居場所があるのだ。
「あ、ち、遅刻っ!」
最近誕生した、子供たちのための教育機関……学校。教員は里の大人が担当している。
ライウ王子がこの里を訪れてから早二年。詳しい事情は知らなかったが、その間王都では様々な変化が起きたのだという。最近あったことと言えば、彼の予言通り、この国を統べる者がテンメイ王へと代替わりを果たしたことだ。
第一王子となったライウは、要求を聞き入れたソールフィネッジに報いるべく、約束を果たしてくれた。
学校に通い始めてから既に一か月ほどが経つ。両親の目から逃れライと共に過ごせる空間は、ソフィにとって貴重なものだった。勉強を楽しいと思うかは置いておいて、他の子も新鮮な交流の場に目を輝かせていた。
……彼以外は。
「あーあ。こんなの何の意味があるんだろうねぇ」
「もう、ライ。そんなこと言ったって……」
「わかってるよ。首領の決めたことは絶対、そうだろう?」
ライは毎日の登校ではなく、学校という存在自体に不満があるようだった。
「でも学校が無くたって、僕らは勝手に成長できる。他の家の子たちだって、みんな多少の教育は受けてるんでしょ?」
ソフィほどじゃないかもだけど、と彼は付け加える。自分だけ何一つ施されていないことについては、特に気にしていない様子だ。
「それなのに、父さんたちは王族の要求を呑んだ。何だかねぇ……」
彼はそう言うが、自分があのまま強くなれたかは甚だ疑問だ。
幼い頃から懸命に特訓を続けたが、結局ソフィは武術の面では全くと言っていいほど成長しなかった。反応が鈍く、動きも遅い。そもそもアグレッシブなことが得意ではないのだ。増えていくのは医学的な知識ばかりである。
もし自分に魔法という特別なものが無かったら……時折そう考え、ぞっとする。
「おい、ソフィネア」
それはある日の下校時間のことだった。ライと共に帰路に着くソフィに、声がかけられる。
「お前、将来の首領なんだろ? 俺と勝負しろよ」
「……え?」
振り返るとそこには二人の男子。オーヴェンとカイル……ソフィのクラスメイトだ。
何となく目を付けられているとは思っていたが、こうして面と向かって挑まれたのは初めてのことだった。
「殴り合いでも何でもいいから、相手を倒した方が勝ちな」
「え、え……!? 嫌です……!」
「んだよ、負けんのが怖いのか?」
小柄な方……カイルが凄んだ。小柄と言っても自分たちよりは背が高い。あまり成長に恵まれなかったことも、ソフィのコンプレックスの一つだった。
「お前が後を継いだ時にいつでも倒せるよう、今のうちに練習しないとな」
「……ねえ、それどういう意味?」
オーヴェンの言葉に、それまで黙っていたライが口を開いた。
「つまり長になりたいってこと? 首領に、決闘で勝つことでさ」
「ああ、その通りだよ。モリアデスさんには敵わないけど、お前にならぜってぇ勝てる」
「あの人たちも可哀想だよなー。夫婦揃ってめっちゃ強えのに、子供はこんなひょろひょろで」
「魔法だか何だか知らねぇけど、全然戦い向きじゃないじゃん? 体育でもへまばっかしてさ。弟に至ってはいつも見学してやんの」
「ッ…………」
恥ずかしさで顔が熱くなる。しかし反論が出て来ない。
やっとのことで自分ができたのは、踵を返し弟の腕を掴むことだけだった。
「い、行こう、ライ」
(ごめんなさい、ライにまで恥をかかせて……)
心の中でしきりに謝る。逃げるように歩き出そうとするが────
「疑問でならないよ」
ライは、岩のように踏みとどまっていた。
「は?」
「見えもしない将来を、そんな風に……ソフィはこれから最強になるんだ。その時、どんな扱いを受けても知らないよ?」
「ちょ、ちょっとライ……!」
そんなことを言われては困ってしまう。しかし情けないとわかっていても、おろおろすることしかできない。
「今日勝ってどうするの? 気持ち良くなりたいの? それに何の意味があるの?」
「こいつ、弱そうなくせにむかつくことばっか……!」
「じゃあさ……代わりに僕と勝負してよ」




