50:見つけたよ
「誘、拐……!?」
フレーの胸中にどす黒い何かが生まれた。しかし今は冷静になる時だ。
「……王族との情報網って?」
「第一王女と、強いパイプがある。王が、奴の討伐を、諦めた時から」
二人の話は、王都の実情を知るという意味でも有益なものだった。
既に明らかなように、テンメイ王は極端に地方への干渉を断つ政策を行っている。その結果、各地の有力者の台頭が放置されているのが現状だ。いつかのエーネ曰く、「昔はそうでもなかったような」とのことだったが……
「もしかして鉄の饗炎って、あちこちの強い人たちを……いや、でも……」
「まだ、話は終わってない」
王は基本的に、そういった勢力に対しても無視を決め込んできた。しかし明らかに異質なライグリッドは別だったようだ。
「奴は単独で、王都に大打撃を、与えうる。そのことを危惧した王は、討伐軍を組んだ。リーダーは、この国の軍務長官」
軍務長官。グレイザーの口からも聞いた言葉である。
「結果は、王国軍の敗北。一対一の決闘で……軍務長官は負けた。あの人は、食い下がったけど、第一王女が、さっさと和平を結んで……それで今は、彼女と仲良くしてる。王国軍の介入は、もう許されない」
壮大な話に眩暈がしそうだった。
国と個人との戦い。軍人のトップである軍務長官ですら、敵わない相手。
何より、これまでの話をフレーは一切知らなかった。村を飛び出して、多くの事実が明らかになっていく。
「だからグレイザーは諦めた方が良いわ。あんたたちも確実に狙われる。とりあえずここに留まるか、辺境の方に引き返して……」
「待て」
再びザンが口を挟む。
「通るのすら危険だってことか? けど、お前らも王都から来たんだろ?」
「あたしたちは当日、第一王女の魔法で転送されたわ。この国で唯一の『空間移動魔法』の使い手よ。せっかくだしもっと優雅に行きたかったんだけど、飛行能力者とかは存在しないからね……」
「というか、王都からここは、結構遠い。軍人でもないのに、徒歩で行こうとする人の、気が知れない」
何となく視線がフレーに集中したので、愛想笑いを返しておく。
どうやら、極めてまずい状況らしい。このままではグレイザーの安全どころか、フレーの王都への道筋まで断たれてしまう。
「……ありがとうね。わざわざ教えに来てくれて」
「べ、別にあんたたちのためじゃないわ。でも何だかんだ会話もしたし、死なれたら寝覚めが悪いから……」
「お姉ちゃん、古い」
「まずは明日、エルドさんが来るのを待つよ。それからみんなで話し合う……二人もできればその場にいてほしいな」
エーション姉妹は肯定の意を示す。
一旦話に区切りがついたように思えた、その時。
「ご、ごめんなさい……!」
今まで一言もしゃべらなかったエーネが、おずおずと手を上げた。
「何かしら────って、あんた……!」
彼女は真っ青だった。フレーの脳裏に、あのホールでの出来事が浮かび上がる。
────ちが、違うんです……あ、あいつは、ば、化け物です。人外なんです。
「……エーネ……!」
「わ、私……具合が悪くて……あの、その……へ、部屋で休んでくるっ!!」
過呼吸気味になりながら、エーネは脱兎のごとく駆けだした。突然のことに思わず手を伸ばすも、彼女は振り返ることすらしなかった。
「……急にどうしたのよ」
マニーが不安そうな面持ちで聞いてくる。
「すごい、顔色だった。怖がらせた、かな」
「……違う」
ザンが目を閉じたまま言った。
「あいつはずっと怯えてた。でも頑なに理由を言おうとしないから……きっといつか話してくれると、そう思って……」
「待ってたってわけね」
「…………」
エディネア・モイスティ。彼女がどこからともなくホメルンに現れて、もう八年が経つ。
今思えば、当時の彼女も怯えていた気がする。現在よりももっと人見知りで、すぐに顔を赤くして……
それでも寂しさを厭う彼女はずっと、フレーたちのそばにいた。
「追わないの?」
機人マインドが静かに口を開いた。
「きっと彼女の方も待ってる。フレー、ザン。君たちが手を差し伸べるのを」
「でも……エーネは今までずっと、自分のことを隠して……」
「僕がこの街で学んだのは」
作り物のはずの彼の瞳は、かつて無いほどに澄んで見えた。
「互いの心を通じ合わせることの大切さだ。話さないで後悔するくらいなら、僕は君たちに、全てを聞いてきてほしいと思う」
フレーは胸を押さえた。
友の秘密に触れること。それは、これまでの関係を損なう危険性も孕んでいる。そのことを何より恐れているのは、他でもないエーネのはずなのだ。
けれど……例えそうだとしても。
彼女の敵があまりに強大で、助けを求めているのだとしたら。
変化は悪ではないと、伝えなければ。
「……行こう」
フレイング・ダイナの視線は、同じく覚悟を決めた義兄を捉えていた。
「エーネに話、聞こう。それで……またみんなで相談したいな」
「異存は無い」
二人で同時にマインドたちに向き直る。
「ごめんねマインド。マニーにピューレも。私は帰ってきたばっかだけど……用事ができちゃって」
「構わないよ、僕は」
マインドは無表情のまま口角だけを上げた。エーション姉妹も頷く。
「聞いてきなさいな。あたしたちもそろそろ、留置所に戻るから」
「うん……またね」
フレーはザンと共に歩き出す。このわずかな間だけで何も起こらないことを、強く願いながら。
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「はあ、はぁ……!」
ミニドレスはとても動きやすかった。自分でも信じられないスピードで宿に戻ったエディネア・モイスティは、気絶するかの如くベッドに倒れ込む。汗で張り付いた布地が気持ち悪かったが、着替える気力も湧かない。
(私、何して……バカ……っ!)
涙が溢れて、布団を強く握り締める。
耐えようとした。何もない風を装い、平然と話を聞こうとした。
けれど無理だったのだ。過去を思い出すだけで足がすくみ、この世の全てが敵に思えてくる。
「ひぐっ、ううっ……怖い、こわいよぉ……!」
あれから八年。成長した体、上手く扱えるようになった力……多少なりとも身に付いたはずの自信。
自分はもうすぐ十八になる。仲間内で最年長だ。顔つきは中々垢抜けないけれど、それでも少しずつ、大人になっていくはずなのだ。
なのに……
(行きたくないっ、通りたくない……私たちも、魔法で転送してくれればいいのにッ……)
どうにもならないことを思い、さめざめと泣いた。
フレーはきっと諦めないだろう。恐らく、警戒しつつも赴くことになるはずだ。
エーネの全てを変えた、あの忌まわしきソールフィネッジへ。
────一緒に行こう、フレー
フレーの旅に同行すると決めた時、きっと変われると思った。彼女が心配だったというのも理由だが、治癒師になって多くの人間を救う夢に向け、一歩踏み出せると思ったのだ。
それが今や、過去に逆戻りである。
「……でも……」
わずかに残った勇気が、ここ最近の記憶を呼び起こす。
水流や治癒など、エーネはいつだって支援に回る。フレーのように強敵を打ち倒すことはできないし、ザンのように圧倒的な安心感も無ければ、マインドのように打たれ強く、ここぞで必殺の光線を放つこともできない。いつだって後ろで……いつだって守られる。
自分の弱さが不甲斐ない。いつもあと少しの力が足りない。ハンガーズに立ち向かった時、もうこんなことはしたくないと思ってしまった。研究所の罠に嵌り、棘に晒された時も同様だ。
しかしそれでも……可能性を感じてしまう気持ちを、止めることができない。
「私は……私は……ッ!」
今なおエーネは生きている。否、自分がいたから皆で生きて来られた部分も、きっとある。
今の自分なら……フレーたちとなら。
もう一度だけ、立ち上がる力を。
「私はもう、一人じゃない……!」
冷え込んだ自分の身を抱きながら、エーネは小さく決意した。
(伝えよう。フレーに、ザンに。マインドにも)
かつて起こったこと。自分の正体、これからの願い。その何もかもを。
よろよろと起き上がり、ドアに手をかける。扉の向こうで、大好きな皆が笑っている予感がした。
きっと受け入れてくれる……共に戦ってくれる。
きっと、本当の自分を────
「ねえ」
全てを凍らせるその声は、これほどの月日を経ても変わらない。
エーネはノブを回すことができないまま、乾ききった口から魂が抜け出るのを感じた。
「随分イイ格好だね。恋人の所にでも行くのかい?」
音も無く開いていた窓。夜風が、半分剥き出しの肌に染みる。
それはエディネア・モイスティが、全ての希望を失った瞬間だった。
「綺麗になったね。探したんだ。本当に、探してたんだよ……」
甘く、撫でるように彼は言う。
エーネは涙を貯めた目を……静かに背後へ向けた。
「ラ……イ……」
「この時を待ってた。ようやくだ、うふふっ……」
かろうじて漏れ出た声は、幼馴染には届かない。
エーネが最後に認識したのは、襲い来る真っ白な手と、忘れ難い怨敵の笑顔だった。
「見つけたよ、ソフィ」
全てが、無に帰す。
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「……エーネ?」
戸を叩いても返事は無かった。慎重にノブを回すと、鍵が開いていることがわかる。寝てしまったのかと思ったが、心配性なエーネが戸締りをしないなんておかしい。
だからフレーはドアを開けた。そしてすぐに、全てが遅かったと知ることになる。
「…………え」
無人の室内。全開にされた窓。ベッドには、誰かが寝ころんだことでできた皺と、少しの涙の跡。
それ以外におかしな部分は何も無い。にも関わらず、友の姿はどこにも無かった。
「っ…………!!」
「エーネっ!!」
ザンが顔を引きつらせると同時に、フレーは窓に駆け寄った。
ここは三階だ。最悪の想像が頭をよぎり、祈るように真下を見る。
そこにはただ、可愛らしい植物が立派に顔を覗かせているだけだった。
人が通った痕跡なんて、ただの一つも残っていない。
「……ッッ……」
わずかな安心と、すぐにそれを覆い尽くす焦燥感。
頭が真っ白になるのを感じながら、フレーはまくし立てた。
「さ、探そう。エーネを探そう、ザン! ぼうっとしてないで!!」
「……フレー、お、恐らくこれは……!」
「い、一旦、マインドたちに連絡して。私は、は、繁華街の方に行くっ!!」
ドアを突き破る勢いで部屋を飛び出し、フレーは己に言い聞かせるべく叫んだ。
「いるはず……いるはずだよ、この街に!! だってエーネは、勝手にいなくなったりなんかしないんだからッ!!」
状況はすぐにレイティにまで届き、救世主のためならと、急遽捜索隊が作られた。
あらゆる建物のあらゆる階。上は学園の屋上から、下は避難豪に至るまで。フレーたちは探し、探し、探し尽くす。
「市長邸近辺をくまなく探すのです! 可能な限りの人員を!」
「ママ、音楽ホールも! 席の裏とかに隙間が……!」
「二人とも、研究室を調べて! あそこは隠れられる棚とかもあったはず! もしかしたら、長いこと一人になりたくて向かったとか……」
「あ、あんたよく見てるわね……もうそこは調べたわ。ついでだとか言って、さっき薬品類は全部ロベインの部下に押収されちゃったし」
「そもそも、エーネさんはそんなこと、しそうにないでしょ。研究室には、行ってないよ」
「じゃあ……じゃあ、どこなの……!?」
それは新たな一日を告げる日が昇り、ハンガーズの本隊が到着した頃だった。
幾度も探知を繰り返し、エネルギー切れになったマインドが、今にも機能停止しそうな声で言う。
「どこにも、いない」
それは、フレーが膝をつくには十分すぎる言葉で。
「どれだけ探知をしても、エディネア・モイスティの姿は見当たらない。彼女はもう、シュレッケンにはいない」




