49:警告
「……家族と向き合う、か」
ペトレが去り、パーティがそれまでの空気に戻りつつあった頃。
どこか上の空で、銀髪の幼馴染はそんな風にこぼした。
「エーネ?」
「あ……何でもないです。ちょっと疲れてて。えっと、飲み物取ってくるね」
エーネは口早に言ってそそくさと歩き出した。その態度に微かな違和感を覚えるが、確かに彼女は少し疲れているような顔だった。
(まあ、激動の日々だったもんね。それはそれとして……)
ようやくエーネの目が離れた。シュレッケンを解放してから常に一緒だったので、中々チャンスが回ってこなかったのだ。
「ザン、ザン」
フレーは小声でザンの際どい腰布を引っ張る。
「頼むからそこはやめてくれないか? どうしたんだよ」
「私、ちょっと出かけてくる。エーネが戻ってきたら上手く誤魔化しといて」
「……? 出かけるって、どこへ」
「決まってるじゃん」
まさか忘れているのか、という思いを込めて、フレーは語気を強めた。
「もうすぐエーネの誕生日でしょ! プレゼント!! ここで買わずにいつ買うの?」
誕生日。その言葉に、ザンが慌てた様子で顔を引きつらせる。
「ま、まずい……フレー、俺も一緒に……」
「ダメ! 二人で抜けたら怪しまれるでしょ。ザンはもう少し待って」
「くっ、時間的に今夜は無理そうか……」
これだから男は……フレーは盛大にため息をついて見せる。
苦悩するザンは捨て置くしかない。フレーはマインドにも一言伝え、急いで会場を抜け出した。少々時間がかかるかもしれないのだ。
衣装のせいで少し気まずい思いをしながらも、街を巡る。
必要なものを手に入れ、丁寧に包まれたそれら戦利品を宿にあるカバンにしまった。
フレーが戻ってくる頃には、すっかり宴もたけなわだった。
「お待たせ! ごめん長くなっちゃった────って、どなたですか?」
フードを被った不審者が二人、料理を手にしながらザンたちと会話していた。返事を聞く前に、隙間から覗く薄紫色の髪を見とめて、フレーはやや呆れ返る。
「……何してるの? こんなとこで」
「あ、フレー!」
不審者より先にエーネが反応した。
「どこ行ってたの? 急にいなくなるから心配しました」
「ごめんごめん。えーっと……せっかくだから外の雰囲気も味わおうと思って、ちょっとね」
ザンが、「それにしても長かったな」と言いたげな視線を寄越した。何も知らないエーネは感心したような顔になる。
「その格好で……やっぱフレーはすごい」
「まあ、恥ずかしかったけどね……」
これは本当である。
タイミングを見失い、結局そのまま無視を決め込んでいると、フォークを持った不審者の方から話しかけられた。
「ちょっとちょっと。何無視してんのよ」
「な、何か気まずくて」
「こっちはあんたたちに会いに来たの! それくらい頑張りなさいよ!」
声を潜めるマニー・エーションは、文句を言いながら肉を頬張った。隣のピューレも黙々とサラダを食べている。久しぶりのご馳走なのかもしれない。
「ちなみに聞くけど、どうやって脱出したの?」
「お姉ちゃんが看守を、色仕掛けで。文字通り、一肌脱いだ」
「それが研究所の副長官のやることかよ」
「使えるものは何でも使うのよ。あたしったら、美貌にまで恵まれたの」
マニーはローブを羽織っていたが、確かにそれ越しでも彼女の優れたプロポーションが見て取れた。癪なので口には出さないけれど。
「そんなことよりフレイング・ダイナ。あんたも答えなさいよ」
「何に?」
「恋愛事情よ。ちょうどその話になってたの。今まで誰かと付き合ったこと、ある?」
「ええっ!?」
いきなり何を聞いてくるのだろう。それも皆の前で。
「付き合うって、その、デートとかする……みたいな?」
「あんたいちいち確認するわね……それ以外に何があるのよ」
「……それは、無いけど」
フレーが小声で言うと、マニーは勝ち誇ったような顔になった。
「あら、そう! じゃあんたたち全員、何もかも未経験ってわけね!? へぇー、そう! まあ、お子様だししょうがないわね!」
「なんでこの人が王子と付き合えたのか、僕は疑問でならないよ」
マインドの反応を見る限り、全員同じ質問をされたようだ。こっぴどく負けたことへのせめてもの意趣返しに、回りくどい嫌がらせをしてきているのだろう。
……多分、本来は無害な人なのだろうとは思う。
「とはいえ、今のうちにキスくらい経験しておかないと後で苦労するわよ? 好きな子と唇を重ねたこと、あるかしら?」
マニーは明らかに答えがわかっている素振りだった。
その質問を受けてエーネは恨めしそうに目を細め、マインドは呆れ気味に肩をすくめる。
一方……思い切り動揺してしまったフレーは、真っ赤になって唇を押さえた。ザンはこの話題に関わりたくないのか、全員から顔を背けて気配を消している。
「……えっ?」
エーネ、マインド、そしてマニーの声が重なる。
「……あるわけ?」
「ど、どういうことっ!?」
マニーが驚き混じりに言った瞬間、エーネとマインドが同時に掴みかかってきた。エーネはともかく、マインドの鉄製の手は普通に痛い。
「え、えっと、その……」
「だ、誰と!? 村の誰かですか!? ま、まさか、まさかっ……!?」
「興味ある。僕はすごく興味があるよフレー。ぜひ相手を紹介してほしい!!」
「あ、あの、そうじゃなくて……!」
どうしよう、何と誤魔化せば良いのか。こういう時すぐに嘘をつけないのが自分の不甲斐ない所だ。
「な、何よ……やることやってんじゃない。ふふ、反応を見る限り相手はあんたよね?」
「……ノーコメントだ」
気を取り直したマニーのからかいに、ザンは冷ややかな声で対応した。相変わらず顔をこちらに向けない。
「ざ、ザンですか!? 好きなの、フレー!? こ、転んで口が当たったとかは無しだからね!!」
「う、ま、まあ、好きな人、では……ああ、もう!! 終わりッ! この話は終わり!!」
二人を引き剥し、フレーは強引に話題を変えた。
「それより二人とも! こんな話するために来たんじゃないでしょ!?」
「そうだよ、お姉ちゃん」
心底興味無さそうに野菜を頬張っていたピューレが、久しぶりに口を開いた。
「フレイング・ダイナも、戻ってきた。そろそろ、本題に」
「……そうね」
ニヤニヤしていたマニーは、打って変わって真顔になった。空気が一変したのを察知して、ようやくザンも振り返る。
「単刀直入に聞くわ。あんたたち……これからどうするつもり?」
彼女の問いに、全員で顔を見合わせる。それはこの三日間、フレーが自分なりに考えていたことだった。
フレーたちの目標は、鉄の饗炎を制し王都へと辿り着くこと。
この街で起こった重大な変化としては、機人マインドが旅に加わってくれたことだ。
彼はランドマシーネに帰りたがっているし、共にシュレッケンを解放したかけがえの無い仲間である。一緒に王都へ行くことも誓い合ったのだから、別れる理由は微塵も無かった。
そして……
「グレイザーを助けに行きたい」
フレーは重みを込めて言った。
何者かに連れ去られてしまったというフレーたちの本来の協力者、守護者グレイザー。
シュレッケンの騒動が収束しても、彼の安否は依然確かめられていない。
「もちろん、早めに向かった方が良いってわかってるけど……まずは明日、エルドさんと話し合う。それで作戦とかを決めて、必要だったらハンガーズと一緒に行くよ」
「どこに向かえばいいかわかってるわけ?」
「うん……それも明日、エルドさんに詳しく聞くつもりだったんだけど……今までの話を考えると、多分……」
フレーは息を吸って、慎重にその名を口にした。
「ソールフィネッジ……ってとこだよね?」
「……そこまでわかっててるのね」
マニー・エーションはいつになく神妙な面持ちをしていた。ピューレも既に皿を置いている。
パーティ会場の喧騒が、一瞬別世界のもののように思えた。
「あたしたちはある程度詳しいから、教えてあげるわ」
マニーは顎を引き、まるで説教をするように言った。
「ソールフィネッジ……あそこに近づくのだけはやめなさい」
エーネが小さく息を呑んだ。マインドが普段よりも低いトーンで尋ねる。
「それは、危険だからってこと? 確かにあそこの首領は……」
「ええ、そうよ704。そしてあなたは知らないでしょうけど……彼の危険度は、ここ一か月で以前とは比べ物にならないレベルに引き上げられた」
彼女の言葉には、王都で王族と接しながら生きてきた者故の、重厚感のようなものがあった。
「地上から大きく突き出た岩地……陸の孤島に居を構える、戦闘民族の里。長が世襲制なこと以外は何もかもが実力主義で、その荒々しい在り方から、ついた呼び名は『烈嶺』。彼らを統べる若き首領────」
乾いた息を吐くマニーのこめかみを、一筋の汗が伝った。
「ライグリッド・モリアデスは、まごうことなき『人外』よ」
人外。それは、初めにマインドを表現するのにフレーが使った言葉だった。
自分の感覚だと、この言葉は動物や空想上の魔物など、人ならざるものに対して使用される。
しかし、この場の全員が理解していた。恐らくマニーが言っているのは異なる意味だと。
「あたしたちはここでの計画を定めた時から、一度として、あの里に干渉しようとは思わなかった」
「うん。それほどまでに、奴は強大。ブレイン砲は、元は奴が来た時のため、せめてもの抵抗として、作ったものだった」
ピューレが後を継ぐ。彼女はフレーたちを順に見回して言った。
「あなたたちは、強い。私もお姉ちゃんも、それは認めてる。グレイザーも王都では、辺境の覇者として、認知はされてた。そんな彼や、私たちを倒した、みんなはきっと……そこらの盗賊じゃ、歯が立たない」
でも、とピューレは続けた。
「モリアデスは、あなたたち全員が束になっても、絶対に勝てない。戦えば、ものの数秒で殺される」
「ど、どういうことだ……!?」
ザンが呻くように尋ねた。
「魔法使いなのか? フレーやエーネじゃ太刀打ちできないような、強大な力を……」
「魔法使い、か。もしそうなら、もう少しやり用はあったのかもしれないわね」
マニーの顔には、諦観の笑みが貼り付けられている。
「あんたたち、704も含めて魔法には詳しくないようだけど……まあ、王都が情報規制を行なってるし、仕方ないのかしらね」
「……?」
「今はそれはいいわ。とにかく、モリアデスは魔力を持たない、生物学的には人間の男よ。それどころか王都の技術や普通の武器すらも使わない、ただの……人間」
人間。繰り返し発されるその言葉の定義が、段々と曖昧になっていく気がする。
「グレイザーを攫ったのは間違いなく奴よ。というより、他にできる者がいるとは思えない。あんたたち、多分鉄の饗炎の参加者よね? 奴は王族と独自の情報網を築いてるから、他より早くその知らせを受けて……」
「まさか……」
「ここ最近、腕に覚えがある者ばかりを狙った、連続誘拐事件を起こしているの」




