46:覗き大チャンス
意識を取り戻した市民たちは、レイティの言葉によって全てを知るところとなった。
まずエーション姉妹は捕縛され、エルドが率いるハンガーズが到着するまで、街の留置所に入れられるようだ。どのような刑が下されるかはまだ未確定である。
ペトレ・ロベインは母の横に立ち、自らの口から全てを告白した。同時にレイティの引責辞任の発表が行われ、ただでさえ混乱状態だった街は、半ばパニックに陥る。
無論エーション姉妹には火の矢が降りかかった。
一度解除すれば毒の効力は失われ、市民たちに再び危険が及ぶことは無いという話だったが、そんな情報だけで不安が払拭できるはずもない。身柄をハンガーズに引き渡すことに不満を抱く者もおり、極刑を下すべきとの意見もあった。
次いで、当然と言うべきか……ペトレを責める意見も大いにあった。
彼女の心境や学園でのいじめの事実も明るみになり、同情的な見方をする人間もいた。それでもやはり、分別のつく年齢でありながら、事実上街を崩壊に追いやった彼女を許せないとする声は根強い。
「皆さんの不満はもっともです」
引退へのカウントダウンが始まる中、一人矢面に立ったレイティは決して怯む姿勢を見せなかった。
「しかし今回のペトレ・ロベインの行為は、その全てが私の不徳の致すところです。私はそれを受け、先日お伝えしたように市長の座を降ります。そして新たな指導者が立つその時まで、この街の復興に尽力する所存です」
指導者レイティはその言葉通り、復活を果たしてからわずか二日ほどで、街の主要なインフラや最低限の設備を立て直した。その圧倒的な手腕と有言実行ぶりに市民たちは目を見張り、ペトレに必要以上の批判が向くことは無かった。
レイティ・ロベインは娘に伝えた通り、市長として、そして母として……彼女を守り抜いたのだった。
その後、フレーたちは……
「お、温泉……! 使えるようになったんですか!?」
「ええ。これもロベインさんのおかげです」
温泉所の管理人はそれは嬉しそうに手もみしていた。
二日間。できる範囲で街の復興を手伝ったフレーたちは、なんと営業再開前の貸し切り状態で、温泉を利用することが許されたのだ。
「い、今すぐ入りたい! みんな、良いですよね!」
「もちろん! あー、やっとお湯に浸かれるよ!」
「エーネほどじゃないが、俺もこの時を待ち侘びてた。じゃあなお前ら、また後で会おう」
「あ、待ってよザン。置いてかないで」
さっさと歩きだしたザンをマインドが追う。彼の言葉を聞いて全員が動きを止めた。
「……え? 何で待つ必要があるんだ?」
「何でって、僕も入りたいからだよ。良いじゃないか。性的な感情は全くないけど、僕は一応プログラム上は男性なんだ」
「いやいやいや、そうじゃなくって……」
フレーはマインドの体を指差しながら口を挟む。
「その……機械でしょ? 大丈夫なの? 水に弱いんじゃなかったっけ」
「うん。でも水を被るとわかってれば、防水モードになれるんだ」
「機人、すご……!!」
エーネが感嘆の声を漏らす。何はともあれ、ザンが寂しい思いをしなくて済むのは喜ばしいことだ。
「じゃあ決まりだね。マインドも男湯で、私たちは女湯の方に────」
「ああ、ちょっと待ってくださいな」
唐突に話しかけてきた管理人が、さらりととんでもないことを告げた。
「この街に男湯なんてありませんよ」
「……は…………?」
「あるのは女湯と混浴だけです。ですので、男性の方々は基本混浴に入っていただくことになります」
ザンは空いた口が塞がらないようで、何度も瞬きをしてから尋ねた。
「一応聞きたいんですが、この街で男性に人権はありますか?」
「もちろんですとも。ただ、どんなことも性別の垣根を越えて皆で楽しむというのが、この街の習わしでして。流石に女湯はありますが、男性は基本気になさいません」
「う、嘘だろ……市長があの感じなのに……」
どうやらシュレッケンは音楽以外にも、こういった突き抜けた慣習に定評のある街らしかった。ザンは頭を抱えながら、他におかしな決まりが無いか確認している。
「……ザンって、女の人が苦手なんだっけ?」
「でもその割に、私たちと一緒にいますよね。む、むしろ性格の割に女好きだったり……」
「おい、聞こえてるぞ! お前らといるのは楽しいが、男友達が要らないわけないだろ。 ホメルンにはな……俺と同姓で前後数歳差までのやつが、今は一人もいないんだ!」
ちなみにフレーと同年代の女子もエーネだけだ。
村に対する文句を言い始めると長くなりそうだったので、ザンたちを置いてそそくさと女湯に引っ込む。
癒されるBGMを聞きながら、体を洗って湯に浸かると、全ての疲れが流されていく気がした。
「あー……生き返る!」
エーネが隣で大きな伸びをした。普段から心労の多い彼女は、今この時を心から楽しんでいるようだった。
「もう、エーネ。お風呂入るたびに同じようなリアクションして」
「勘違いしてるかもですが、私はお風呂が好きっていうより、綺麗になるのが好きなんです。この身も心も清められる感覚……ねえ、フレーもこっちに来────」
言いかけて、エーネはぴたりと言葉を止める。
多分、男湯との壁に沿うように膝をつき、じっと奥を覗き込んでいるフレーを見たからだろう。
「ふ、ふ、フレーっ!?」
大きな水音を立て、エーネは弾かれたように立ち上がった。
「何やってるの!?」
「しーっ! エーネ、ここ壁薄いから、叫んだら聞こえるよ!」
「ご、ごめんなさい……じゃなくて!」
一瞬怯んだエーネだったが、すぐに我に返って噛みついてくる。
「そんなとこ覗き込んで、どういうつもりかって聞いてるんです!」
「見てわかるでしょ? 覗きだよ」
「え、ど、毒で倫理観やられちゃったの……?」
何とも失礼な物言いだ。フレーはため息をついて、手をわななかせる少女に向き直った。
「じゃあエーネは興味無いって言うの? あの服の下……」
「……は!?」
エーネが顔を引きつらせて赤面する。温泉であることも相まって、完全に茹で上がったような顔色だ。
「私は超気になる。どんな風になってるのか。多分、こんな時じゃないと見る機会無いよ」
「え、い、いや、それはそうかもだけど……」
「流石に外で裸になってって言うわけにもいかないでしょ? だったらやっぱり、今ここで見ておかないと」
「……っ!! だ、ダメ! 欲望に従うばかりじゃ世の中は回らないんです!」
エーネはフレーを強引に引き剥し、湯の中に連れ込んだ。そのまま肩を掴んで諭すように言う。
「良いですかフレー。私たちはその……そういう、性欲と向き合って生きていかなきゃなんです。私の言うこと、わかる?」
「う、うん……そうだね……?」
「恋愛対象かとかは置いといて……ざ、ザンというか男の人の裸は、正直に言うと、私だって興味はあります。で、でもっ! やっぱり気になるからって、覗き見なんかしちゃダメだと思う! ザンは私たちに対してすごく誠実です! こっちからそれを裏切るような真似をしたら……!!」
「あー、あの、エーネ?」
フレーは彼女の手首を優しく掴み、下に降ろさせた。
「私、その……マインドの体がどうなってるのか気になって……ほら、体は機械だけど、一応服着てるし……」
「…………え?」
「でも、エーネの言う通りだね。マインドはそういう感情は無いらしいから良いかなって思ったんだけど、見られて嫌かどうかは別かもしれないし……何よりザンのことも目に入っちゃうかもだし。ごめん、見るのはやめにするよ」
肩までお湯に浸かりながら、フレーは固まっているエーネを気まずい思いで見やった。
「それとその……ザンはさ。私は小さい頃に見てるけど……エーネからしたら、やっぱり気になるもの……?」
「……う、ううううぅぅ…………」
おかしな呻き声を上げながら、エーネは顔を押さえてフレーから体を背ける。
そこまで恥ずかしがらなくても……罪悪感から、慰めようと手を伸ばしかけたその時。
「すごく平和で、生産性の無い、会話」
広い湯船の奥の方から、突然抑揚の無い声が聞こえてきた。
「だ、誰っ!? ってこの喋り方……!」
「私、私。ピューレだよ」
頭にタオルを乗せたピューレ・エーションが、音も無く水平移動してきた。湯気が濃くて存在に気付かなったが、いつからいたのだろうか。
「二人が湯に入った頃、くらいから、体洗ってたよ」
こちらの思いを察したのか、ピューレは先に答えてくれた。
「な、何の用? てか留置所にいるはずじゃ……」
「うん。でもペトレが、レイティさんに、掛け合ってくれた。お風呂くらい、入らせてあげてって。そうしたら、まだオープン前だからって、ここへ……」
「甘々だね結構……」
これはレイティが甘いのか、それともペトレの押しが強かったのか。
ピューレはエーネの方を向いてぼそぼそと言った。
「エーネさん。他者への興味は、人類共通。恥じることは、無い」
「うっ……」
「ついでだから、二人に、伝えておくね。私たちの、これからについて。」
ピューレは真面目な顔になって、フレーたちを順々に見る。
「死者がいないから……多分、極刑は免れる」
フレーは大きな脱力感を覚えた。色々と複雑な感情が頭を巡るが、まずは素直に思ったことを伝える。
「良かったね……おめでとう、って言えばいいのかな」
「うん。ありがとう」
ピューレは頷き、少し口元を緩めた。
「安心。でも私たちは、もう犯罪者。研究者には、戻れない。きっとこれから、辛い生活が待ってる」
フレーはエーネと顔を見合わせ、少し俯いた。
二人がやったことを考えれば当然の報いだと思うけれど、彼女たちの人生ともいえる科学者としての立場を、今度こそ完膚なきまでに叩き潰したのはフレーたちだ。そのことに、罪の意識を覚えないでもなかった。
「でも、お姉ちゃんは、諦めてない」
自らを奮い立たせるように、ピューレは少し語調を強めた。
「きっとまた、王都に行って、ライウさんと会うって、息巻いてる。牢屋に入っても、頭の中でたくさん研究して、戻った時に、いっぱい発表してやるって」
「……そっか」
「だから私も、めげない」
ピューレ・エーションは、両の拳を握って言った。
「お姉ちゃんを、支えるって、決めたから。死ぬその時まで、ずっと。ねえ……フレイング・ダイナ」
「ん……?」
「あなたを、恨む気持ちもあった。計画は台無し。すごく怖い思いもした。本気で、死ぬかと思った」
「ふ、フレー、何したの……」
「…………」
「でも」
ピューレは立ち上がり、出口の方へと歩いていく。湿った薄紫色の髪を翻し、最後に振り向いた。
「今、お姉ちゃんは笑顔。だから、平和に終わらせてくれて、ありがとう」
「うん……」
「じゃあ、のぼせたから出る。ばいばい」
「……って、早! ちょ、ちょっと待って!」
さっさと立ち去ろうとしたピューレを、フレーは慌てて引き留めた。
「お姉さんの方は? いや、別に会いたくはないけど、せっかくだし話くらい……」
「うーん。お姉ちゃん、私の分の手続きも、してくれてるから、遅れてるけど……」
ピューレは顎に指を当て、考えるような仕草をした。
「多分お姉ちゃんなら、こっちじゃなくて────」
「見つけたわ、704!! ついでにセイヴィアも!!」
「なっ……!?」
ピューレが言い終える前に、壁越しにそんなやり取りが聞こえてきた。全員で閉口し、そのどうしようも無い会話に耳を澄ます。
「見なさい、お腹のここ! あんたに落とされたせいで痣になってんのよ! 下着姿になれないでしょ! まあ今は見せる相手もいないけどね!」
「知らないし、直接当てなかっただけマシだと思ってよ。シーネの倫理プログラムに感謝して」
「まあそれはそうね。とりあえず、ここは温泉なんだし遠慮は無しってことで────あら、セイヴィア。ライウほどじゃないけど、あんたも結構良い体してるのね?」
「寄るなポイズン・ガールズ! おいマインド、距離取ってないでこいつを何とかしてくれ!」
「わかった。エレキ・パララ────」
「やめい! 感電死するでしょ!!」
お姉ちゃん、相変わらずだな、と言ってピューレは笑った。
満足げに出ていく彼女を見送ったところで、自分たちも少ししたら上がろうかという話になる。
「……あっ……」
しばらくして立ち上がった所で、入口のドアを開けたペトレ・ロベインと鉢合わせになった。




