44:渡り歩いたポイズンロード
全てを理解したマニーが、呆然として汗を垂らす。
掠れた笑い声を上げたのはペトレだった。
「は、ははは……あ、ありえないわ。マニーさんが、どれだけの思いでここまでやってきたと思ってるの……? こ、こんなことで止まったりしない、そうよね……?」
「…………」
マニーは答えられぬまま、涙を流しながら光銃を構える妹を見やった。
「十数えるよ。それまでに決めてね」
穏やかに言ったフレーは、ゆっくりとカウントダウンを開始する。
「十……」
「ま、マニーさん。何とか言ってよ……解除なんてしないわよね? ねえ、しないわよね!?」
「……あ、あたしはっ……!」
「九、八……」
カウントが進むにつれ、姉妹の震えが大きくなる。ペトレも散らばった髪を振り乱し、無我夢中で叫んでいた。
「あ、あなたたちを信じてついてきたの! ピューレさんのことだって、は、ハッタリかもしれないじゃない! さっきそう言ってたでしょ!!」
「…………っっ」
「あ、あぁ……」
「七、六、五……」
煮え切らない態度を示すマニーに、ペトレはついにしびれを切らす。彼女に渡された光銃を、勢いをつけてその頭部に突き付けた。
「四、三……」
「か、解除なんてしたら絶対許さないから! わかってるの!? そうしたら、私もあなたも全部失うのよ!!」
「で、でも……でもぉっ……!!」
「でもじゃないっ!! ねえっ、お願いよっ!!」
「お、お姉ちゃん……」
ペトレの金切り声の隙間で、ピューレが力を振り絞って声を上げた。
「ピューレっ!?」
マニーの縋るような顔を見ながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「真っ直ぐ、前を向いて、生きて……ずっと、見守ってる、から……」
「二、一……」
カウントが終わる直前。
ピューレ・エーションは、今までの気だるげな表情とは違う……弾けんばかりの笑顔を見せた。
「お姉ちゃん、愛してるよ」
「……………………!!!!」
フレーは口角を上げ、ピューレに向かって目を細めて見せる。
終わりだ。
「ゼ────」
「待ってえええええええええええっっ!!!!」
マニーの切ない叫び声は、空に向かって吸い込まれていった。
フレーは言葉を止め、視線だけを彼女に向ける。
「どうしたの、マニー? ザンは毒を食らっても、そんな声で泣かなかったけど」
「……から……」
「え?」
「解除、するから……っっ!!」
マニーは地に頭をこすりつけたまま、消え入りそうな声でそう言った。
何もかもを決したその言葉に、ペトレは持っていた光銃を取り落とす。
「だから、だからぁ……! 妹は……ピューレだけは、傷つけないでください……! お願いします、お願いしますっ……!」
「あ、あ、あなた……自分が何言ってるのか、わかって……!」
マニーと同じくらいのぐちゃぐちゃの顔で、ペトレは彼女に掴みかかる。まるで子が親の庇護を求めるような、そんな光景に思えた。
「く、悔しくないの!? ねえっ、自分の作った毒をこんな風に利用されて! それで、い、妹を人質に取られて、無様に相手にお願いして!! ポイズン・ガールズのリーダーでしょ!? た、倒して見せてよ、こんなやつ……私に、居場所をくれたじゃない……マニーさん! ねえってばぁ!!」
「ごめん……ごめんなさいっ、ペトレ……」
その場から動けぬまま、マニーはひたすらに謝った。
「悔しいわよ……こんなところで終わるなんて、ぐすっ、やるせないし、悲しい……!」
「だったら……!!」
「でも……っ!」
ピューレは喚くペトレに、久方ぶりに光の宿った眼差しを向けた。
「でも、家族より大事なものなんて……この世に存在しないからっ……!!」
その瞬間、ペトレ・ロベインは思考停止したかのように動かなくなった。マニーは手を組み合わせ、強く念じるような動作をする。
と、小さく風が吹いた。この街全域に巣食う、邪悪な何かが取り払われたかのような……そんな澄んだ風だった。
「……ふふ」
心地良い息吹を全身に浴びながら、フレーは右腕を掲げる。約束を果たせる喜びを噛みしめ、そして────
「フレイム・エクスプロードッッ!!」
久しぶりの超集中をもって、最大級の炎を放った。
─────────────────────────
「あれは────!!」
はるか遠くに見えた、空を焼き尽くすほどの爆炎。
それを受けた指導者エルディード・レオンズは……ついにその時が来たことを実感した。
「ハンガーズ本隊に告ぐ!!」
かつて親友が使っていた拡声器で、ビートグラウズ全域に呼びかける。
「死都の呪いは解かれた! 今こそが、千載一遇の好機!」
エルドの放送は街中を駆け巡る。決起の時を待ちわびていた群衆は、彼の言葉に沸き立った。
先へ向かった友を想い、エルドは声を張り上げる。
「全軍、至急正門に集え! 繰り返す、至急正門に集え! これより最速をもってシュレッケンに赴き────毒に侵されたかの地を、我らの手で解放する!!」
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「ふふふ、ふ、あははははっっ……!!」
顔を押さえ、よろめきながら立ち上がったペトレ・ロベインは、半狂乱になりながら笑い出した。
「あはははははっ!! これが、これが結末ってわけね! 街を裏切って、全部を葬ろうした私の行きつく最後は、これってわけねッ!!」
「ペトレ……!!」
洗脳から解放され、互いを抱き合うエーション姉妹が、壊れた少女に呼び掛ける。
しかし彼女はもはや誰の言葉も耳に入らないようだった。
「はは、あっははははッ!! 良いわ……この世の誰も私に味方してくれないというのなら、今度こそ私が全てを滅ぼしてあげる! 忌々しいそこの魔法使いも、私を裏切った二人も、嫌な思い出しかないこの街も!! 何もかもッ!!!」
ペトレは脱兎のごとく駆けていく。向かう先は、奥に設置してあった巨大な大砲……通称ブレイン砲だった。
「だ、ダメ! そっちに向けて撃ったら、街が……!! それは、モリアデスに備えて………!」
「うるさいっ……うるさいのよっっ!!」
小柄な体躯で、彼女は必死に大砲を動かす。発射口はやがて、その場から動かないフレーに向けられた。
「フレー!!」
「……!? ザン! エーネ、マインドも! 来るの早っ!!」
「エーネが言った通り飛んできたんだ。ありがとう、フレー。見たところ……成功したようだな」
「うん。それで、見ての通りだよ」
急いで階段を駆け上がってきたのだろう。程度の差はあれ疲労が見て取れる二人と、涼しい顔をした機人に、フレーは目線だけで荒ぶるペトレを示した。三人の視線が彼女に吸い寄せられる。
「あ、あわわわ……!!」
「あれが、ブレイン砲……!」
何もかもを恨む少女の形相と、内部に凄まじい光を蓄えた大筒を見て、ザンたちは後ずさった。
「ふ、フレー! ここにいたらやばいです! 逃げよ、早く!」
「……みんなは下がってて。私は、あれを受け止めないと」
「!? 何言って────!」
エーネが言い終わらぬうちに、もう一人階段を駆け上がってくる音がした。
勢い良くドアを開け放ったその人物は、年齢の割に一切衰えを感じさせない、この街の本来の指導者である。
「ペトレっ! ペトレは……!!」
「あそこです」
フレーは前方を指し示した。
正気に戻ったレイティ・ロベインは、へたり込むエーション姉妹と大砲を構える娘を見て、全てを察したらしい。拳を握って歯を食いしばり、それでも娘から目を逸らさなかった。
「あはっ、ママぁ、来たのね! 久しぶり! また会うとは思ってなかったわ!」
「……ペトレ。私は……」
「最期に会えて良かったわ! これからみんな死ぬんだもの! 地獄があったらまたよろしくね、ママっ!!」
「……行くぞ、エーネ、マインド」
ザンは踵を返し、立ち尽くす二人にそう伝えた。
「で、でも……!」
「フレーに賭けよう。ペトレを救えるのは、今やもうあいつだけだ」
ザンたちは静かにその場を立ち去る。
徐々にエネルギーが蓄積されていくブレイン砲。奥から伝わってくる異様な風圧を感じながら、フレーはエーション姉妹に告げた。
「二人も、死にたくなかったら逃げた方が良いよ。もうすぐハンガーズが来る。それまで大人しくしておいてね」
「……フレイング・ダイナ。勝手なお願いだとは、思うけど……」
ドアをくぐる際、マニーは囁くような声で言った。
「どうかあの子を……!」
「……うん、わかってる」
「私は退きません」
頷くフレーの真横で、覚悟を決めたレイティがそう言った。
今や屋上には、ロベイン親子とフレーしかいない。本来なら場違いなのは自分であろう。
だが今回だけは、話が別だ。
「じゃあ見ててください。レイティさんの代わりに、私がペトレの全部を受け止めます。終わった後に……もし、酷い言葉をかけたら……」
フレーはレイティを見ないまま、淡々と言った。
「今度は私が、レイティさんと戦うことになる」
「……肝に銘じます」
淀みない声で返答し、レイティは一歩後ろに引く。
軋むような鈍い音……ブレイン砲が歪な咆哮を上げていた。
「あなたのせいよっ、ダイナさん……全部、あなたのせいで台無しよ!!」
最後まで敬称をつけることを辞めない彼女からは、隠しようの無い育ちの良さが伝わってくる。
まだ間に合う。ペトレ・ロベインはまだ戻れるはずだ。大事件を引き起こした張本人だけれど……正しき人に囲まれれば、必ず。
「私に帰る場所なんてない! 大切な家族なんていない! それなのに、私のっ、私の王国をよくも! 絶対許さない……私を苦しめるやつはみんなっっ……!!」
「ペトレ……作るとか奪うとか、方法は一つじゃないけど……国は自分の力で手に入れるものだよ。今回のこれは違う。それと、避難豪では虚しいって言ったけど、訂正するね。ペトレはまだ羽ばたけると思う」
「うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいっ…………」
ペトレは泣きじゃくりながら怨みの声を漏らす。ついにエネルギーの溜まった大筒は、全体を青く発光させている。
「あなたなんか、あなたなんかぁっ!!」
「……いいよ、来て」
フレーは両腕を前に突き出した。ここに来てからの全てを思い起こし、再び極限まで集中する。
「……これは……!」
特殊な力は無くとも、流石武人というべきか。レイティはフレーから溢れ出る力をしっかりと感じ取っているらしい。
彼女ならばわかるだろう。フレーの技は、付け焼刃の光線には負けないことが。
「この街に訪れたこと、後悔させてやるわ! 受けてみなさい……っっ!!」
「……フレイム────」
死都は再び立ち上がる。生まれ変わった指導者と、その大切な子の力によって。
毒にまみれた少女の道は、間も無く光に包まれるのだ。
「ブレイン砲ッッ!!!」
「バスター・キャノンッッ!!!」
赤と白の閃光が、学園の屋上で交わる。
何もかもを飲み込む光と熱、そして天に轟く轟音に、シュレッケンの全ての人間が目を見張った。
「うう、うううううッッ…………!!」
体を強張らせて唸り声を上げながら、ペトレ・ロベインは砲台にしがみつく。
────ペトレ、こんな事もできないのですか? しっかりしなさい、あなたは未来の指導者なのですから!
────ロベイン、今日もレッスン? あはは、大変ねぇ。将来は安泰かしら、羨ましいわ!
「私は……私はぁっ!!」
ペトレが負けじと光線を撃つ間も、フレーの両手からは凄まじい熱量の炎が放たれ続けていた。
「はあああああああっっっ!!」
「っっ……そんな……また、上手くいかずにッ……!!」
────無理だって言ってるじゃない! 私に才能なんて無い! それに、私本当は……!
一度も伝えたことの無い夢。手に入るはずの無い将来。
次第に、赤が白を飲み込んでいく。限界を超えたブレイン砲が、音を立てて軋み始める。
「嫌だっ……嫌だ、負けたくない……! 今日くらい、私に勝たせてよぉッ……!!」
結局何も成し得ないのか。他者に翻弄されるだけの人生……全て、愚かな親のせいで────
憎くて仕方ないはずなのに、静かに成り行きを見守る母を、視界の端に見とめた時。
────頑張りましたね。偉いわ、ペトレ。
そんな古の記憶が、脳裏に浮かんだ。
「終わりだよ、ペトレ……毎日見てる悪夢は、今日で全部終わりッ!!」
徐々に力を失っていく光線を、フレーの炎が覆っていく。
「あっ……!」
ついに破壊されたブレイン砲。飛び散る破片の隙間に、かつては愛した家族を捉え……
ペトレ・ロベインは、か細い声で呟いた。
「ママ……!!」
その瞬間、業火が全てを食らい尽くす。
ブレイン砲の残骸もろ共、ペトレの小さな体は校舎の外に吹き飛ばされ……
後には、彼女の涙だけが残った。




