42:最後の取引
「……ん? もしもし、マニーさん? うん……うん、わかったわ」
ひとしきり話し終えたペトレは、懐から小型の箱のような物を取り出した。それを耳に当てた彼女はしばらく会話をした後、フレーたちの方に向き直る。
「私ったら興奮しすぎたわ。でも聞いてくれてありがとう。結構すっきりしたわ」
「…………」
「それであなたたちに伝言なんだけど……」
ペトレは目を細め、試すような口調になった。
「ザンさんだっけ? あなたは半日ほどで、完全に自我を失う。そうなったら誰の言葉も届かない……命令が下れば、みんなを見境なく攻撃することになる」
「……っ……」
「でも安心して? マニーさんが、結構現実的な提案を持ってきてくれたわよ!」
ペトレは陽気にステップを踏みながら、連絡の内容について解説した。
「あの二人が、どうしてもダイナさんに協力してほしいことがあるんだって! そうすればザンさんの洗脳は解いて、四人とも無傷でこの街から出してあげるらしいわ」
ザンがごくりと生唾を呑む。全員で、藁にもすがる思いでペトレの話を聞いた。
「まず半日が経過するまでに、ダイナさん一人で私たちが待つ場所に来ること。場所は私が決めて良いって言われたから……そうね、思い出深い学園の屋上にするわ! あそこならブレイン砲もあるし……」
何やら独り言を呟いたペトレは、気を取り直して続けた。
「その時に、絶対抵抗しないこと。こちらがOKと判断したら、ザンさんに何かさせるようなことはしない。そうしたらダイナさんには、十日ほど魔法の実験に協力してもらうらしいわ。体を傷つけることは絶対にしないし、必ず丁重に扱うってピューレさんが言ってたって……そこの機人さんを見る限り、信用しても良いんじゃないかしら。あ、それとね」
彼女は人差し指を立て、得意げな顔で付け加える。
「これは私からの条件なんだけど……私たちに二度と干渉しないって約束してほしい。この街やビートグラウズがどうなろうと、あなたたちは故郷で知らないふりをするの。もしビートグラウズが故郷なら、言ってくれたら洗脳しないように掛け合っておくわよ?」
誰も何も答えず、場が静まり返る。ペトレは気にするそぶりも見せず、そのままのトーンで言った。
「以上になるけど……何か質問はあるかしら?」
「……良いかな?」
「はい、ダイナさん!」
大げさな動作で指名されたフレーは、どこか冷めた顔で口を開いた。
「ペトレは……何を目指してるの?」
「…………え?」
満面の笑みだったペトレの顔が、やや怪訝そうなものになる。フレーは更に質問を続けた。
「あの姉妹に従って、ビートグラウズを支配して……その後どうするの? 大量の人たちの毎日のご飯は? 王都との関係とかは? 三人しかいないみたいだけど、どうやって距離の遠い街を同時に支配するの?」
「…………ザンさんが一番賢そうだと思ったけど、ダイナさんも結構考えてるのね。政治の事、勉強してるの?」
「別にそんなんじゃないけど……良いから答えて」
フレーの有無を言わさぬ口調に、ペトレは露骨に不機嫌そうになった。顎に手を当て、やや低い声で言う。
「別に、特に考えてないわ」
「…………」
「考える生き方はもうたくさん。意外とどうとでもなるでしょ。ダイナさんたちだって、そういう生き方じゃなかったら、こんな危ないところに来ないでしょ?」
「……そうかもね」
フレーは力無く微笑んで、高所にいる少女を見上げた。
「虚しいね……お互いに」
「なっ……!?」
ペトレはそれを侮辱と受け取ったようだ。ぼっと顔を赤らめ、素早くこちらから視線を逸らす。
「ふ、ふんっ……何とでも言ってくれると良いわ! ちゃんと伝えたからね! 無事にこの街を出たかったら、どうするべきかよく考えるのよ!」
「うん、わかった」
「あ、そっち行ったら市長邸への隠し通路があるから! ダイナさんが言うように『お仕事』もしないとだから、いきなり学校側からは来ないでね!」
最後に奥の方を指し示し、ペトレは走り去っていく。
何故彼女の到着がここまで遅れたのか疑問だったが、急ぎの様子を見て合点がいった。きっとマインドが抜けた分、彼女が市民の管理をしているのだ。
「……地上に出よ、三人とも」
「…………」
フレーが話しかけると、青い顔のザンとエーネが黙って立ち上がった。エーネはやはり、未だに涙ぐんでいる。
「フレー、僕……」
「謝らないで、マインド」
彼が言わんとしていることを察し、フレーは穏やかな声で被せた。
「誰も気づけなかったんだからしょうがないよ」
「……うん。でも……これが悔しいって感情か」
マインドは俯き、力無くこぼした。
「ペトレの存在を、知らされてすらいなかった。僕も初めから、信用なんてされてなかったんだ」
倒れ伏す市民を踏まないように気を付けながら、フレーたちはペトレに教えられた出口へと向かう。
地上に出ると、そこは相も変わらず人で溢れかえっていた。当然といえば当然だが、避難豪にいた者たちも全体で見れば一部に過ぎなかったようである。
決戦前と違うことがあるとすれば、もう彼らの目を逃れる必要は無いとうことだ。
「着き、ましたね……」
最初の拠点だった宿へと戻る。マインドの悪戯で驚かされたことが、今はもはや懐かしい。
「……また、助けられちゃった」
未だ無言のザンをベッドに座らせ、荷物にあったお茶を渡しながら、フレーは静かに言った。
「ごめんね……ありがとうね、ザン」
「ああぁ、どうしてこんなことに……っ!!」
エーネが拳で壁を叩く。彼女が物に当たるのは、とても珍しいことだった。
「私は……私は何もできずに……ッ!!」
エーネはポイズン・ガールズに対する憎しみと、先ほどの話で抱いたやるせない感情を整理できないでいるようだった。
そしてマインドもここに来るまでの間、ずっと動揺を露わにしていた。
「フレー……僕は、人間を侮っていた」
彼の濁った声からは、心からの反省が読み取れる。
「マニーの事情は聞いてたし……人間一人一人には、膨大なドラマや各々の目的があると理解してた。でもそれは、僕が想像しうる範囲を超えていたよ。もし出会う順番が違えば……僕は心から、彼女たちに味方したいと思っていたかもしれない」
マインドは胸の前で手のひらをかざす。エネルギー切れのはずの発射口が、きらりと輝いた気がした。
「それでも僕は、ザンを助けたい」
彼の作り物の瞳は、うなだれる少年を熱く見据えている。
「このまま終わって良いはずがない。彼女たちには……特にペトレには同情すべき点があるとしても。不意打ちでフレーを銃撃して、その結果ザンが危機に陥っているこの状況を、僕は見過ごすわけにはいかない」
「私からは、言うまでも無いです」
マインドの後を、涙を拭ったエーネが継いだ。
「絶対、ザンを助けます。必要なら全員溺れさせてでも……たとえ相手が、私たちより幼い子供でも……!」
「みんな、一旦落ち着いてくれ。俺のために熱くなってくれるのは嬉しいがな」
今まで黙っていたザンが、寂しそうに笑いながらそんな風に言う。
「無理はするな。そのためにはどのみち、フレーが行かなきゃいけないんだろ? 絶対危険だ」
口調こそ普段通りだが、ザンの顔は青白かった。無理をしているのはどちらだ、と言いたくなる。
「そんなことになったら、俺が何のためにフレーを守ったのかわからない……それに俺を救うことに、みんなを危険に晒すほどの価値があるかどうか……」
「は……!? ザン、何言ってるんです! そんなの当たり前で……!」
「全く……たまには俺の言うことを聞いてくれよ」
ザンは額を拭う。焦点の合っていない目を皆に向け、そして……
「王都へ行け。夢を叶えろ、みんな。そしてもし余力があるのなら……俺と、支配されたビートグラウズを救いに────」
フレーは彼の前に両手を突き出し、続きを遮った。脂汗で濡れた背中をさすってやると、浅かった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「心配することは何も無いよ、ザン。ここでゆっくり休んで。起きた時には……全部、終わってるから」
「……! おい、まさか提案に乗るなんてことは……!」
「提案に乗る?」
フレーは口角を上げ、薄っすらと微笑んだ。
「それこそまさかだよ」
「フレー、さっきから気になってたんだけど……」
エーネが言いづらそうに、上目遣いで尋ねてきた。
「どうしてそんなに余裕そうなの?」
「余裕そうっていうか……私たちは避難豪で、全力を尽くしてきたでしょ? やれることは全部やったんだよ」
首をかしげるエーネに対し、フレーも椅子に腰かけ休憩する。
「提案には乗らない。でも、行くのは私一人だけだよ……それも時間ぎりぎりでね」
「どういうこと?」
「心配しないで、マインド。私に全部任せて」
フレーは自分に言い聞かせるようにしながら、静かに目を閉じた。
「ポイズン・ガールズとの戦い……私たちはもう、勝ってるんだよ」




