40:科学者たちの恋物語
「や、やった……」
最初にそう口したのは誰だったか、今となってはわからない。
「勝ったあああああっっ!!」
雄叫びを上げたフレーは脇腹が痛むのも忘れ、エーネの手を引いて駆け出す。
体を打ち付け瓦礫の中で脱力するマニーは、気絶こそしていなかったが、もう手駒を操る力は無いのだろう。市民たちは一切動きを見せなかった。
「ううっ、ひぐっ、ぜ、全員無事で、本当にっ……!」
「エーネは泣き虫だなぁ」
「三人とも、大丈夫か」
「うん、後でエーネに治してもらうよ。ザンこそ大丈夫? 大活躍だったね」
レイティとの死闘はかなり堪えたはずだ。しかし彼は肩をぐるぐると回すと、珍しくやんちゃそうな笑みたたえていた。
「問題無い。言っただろ、操られたやつには負けないってな。フレーはいつものことだが、エーネも中々の魔法だったな」
「ザン、僕は、僕は?」
仲間を労う彼に対し、マインドが自分を指さしながら小さく飛び跳ねた。ガンガンと金属と床がぶつかり合う音がする。
「最後決まってたでしょ?」
「……お前、なんで技名叫ぶんだ? 機人の間で流行ってるのか?」
「た、確かに若干イタ────じゃなくて、その、変わってるとは思います」
「もしもしエディネアさん?」
「……僕だって、戦いの後くらいは褒めてほしいんだけど。あと王都では普通の事だし」
目に見えて落ち込んだマインドの頭に、ザンは軽く手を乗せた。
「冗談だ。お前の力あっての勝利だからな。感謝する…………マインド」
「…………!!」
マインドは無表情のまま眉を吊り上げる。きっと彼なりの嬉しさの表現なのだろう。
「げほっ、げほっ……」
フレーたちが喜びを分かち合っていると、ボロボロになったマニーが瓦礫の中から這い出てきた。
「はぁ、はぁ……あんたたち、随分余裕なのね……見下されたものだわ……」
「見下してなんかないよ」
彼女の自虐的な発言に、フレーは真っ向から反論する。
「全力を尽くした。それで勝ったの」
「……そう」
「お、お姉ちゃん……」
声がした方を振り向くと、ピューレが肩を押さえ青白い顔で立っていた。
「ごめん、私……」
「良いのよ、ピューレ。さ、こっちへ……」
マニーが手招きすると、ピューレは特に何も言わずにフレーたちの間をすり抜け、彼女の横の瓦礫にもたれかかった。
あまりにも近い距離だったが、光銃を持つ力も無さそうなので特に咎めないでおく。
「……さあ、洗脳を解除してもらおう。痛い思いをしたくなければ、抵抗せず従うことだ」
「その後はどうする気?」
「身柄はハンガーズに引き渡す。今の指導者はエルドだ。あの人なら寛大な措置を下してくれるだろう……もっとも、グレイザーなら命の保証はできないがな」
「ふ、ふふふ……」
ザンの言葉は重い。笑みを漏らしたマニーはフレーを見上げ、ぎらりと赤い眼光を放った。
「だ、そうだけど……嫌だと言ったら?」
「後悔することになる」
迷い無く宣言したフレーに対し、彼女は口惜しそうにため息をつく。
「かといって、ねぇ……そう簡単に諦めきれるわけないじゃない。あの人を見返すって……真剣に、そのためだけにやってきたのに」
「あの人……」
エーネは一瞬口にするか躊躇うような姿勢を見せたが、思い切った様子で尋ねた。
「あの人って、ライウ王子の事ですよね?」
「……そうよ。あの瓶を持ってたってことは、研究所を漁ったんでしょ? 全く……破壊対策で火炎探知機と連動した落とし穴を作ったけど、こんなことなら入った瞬間作動するようにしとけばよかったわ」
「お姉ちゃん、それだと最初に入った人しか、落とせない」
「……わかってるわよ」
マニーはまた深々とため息をついて、懐かしむような顔になった。
「あの人……ライウ・テンメイとは、長い間付き合ってきた恋人だったわ」
「えっ!?」
恋人、という言葉に反応したのはフレーとエーネである。
「こ、こ、恋人!? あの、男女で手を繋いで歩くやつ!?」
「……他に何があるのよ」
「い、一瞬実験用語かと……で、でも王子様と恋人……へ、へぇ……!」
「お前ら、ラブレターがあったんだから察しろよ」
「え、そんなのも見たわけ?」
やさぐれていたマニーがやや上ずった声を出した。横で脱力するピューレが、くすくすと笑い声を上げる。
「お姉ちゃん、見られてやんの」
「うるさいわね……内容は読んでないでしょうね?」
「そんな時間無かったよ」
「なら良いんだけど」
マインドの返答で気を取り直したマニーは、話を再開する。
「あたしたち姉妹はね、生まれつき天才と呼ばれてたわ。自慢じゃないけど……いえ自慢だけど、幼い頃から幅広い学問を履修して、結果科学の道に進むようになったの」
「う、うざ……」
「王城にも出入りを許可されて……それであの人と出会ったのよ。あたしより二歳年上の、ライウ王子に」
それはフレーが想像だにしていなかった、王都よりきたる魔物の恋物語だった。
「一目惚れだったわ。卓越した頭脳に整った顔立ち……決して穏やかな性格ではないけれど、人を惹きつける魅力があった。魔法の才もこの国随一だわ」
「やっぱり……魔法使いなんですね」
「王族はみんなそうよ。それで、あたしは頑張ったわ。毎日勉強して学会にも通って、国の最先端技術を扱うアメノ王立科学研究所────そこに配属されることとなった時。既にそこの研究者だった彼に、勢いで告白したの」
「わぁ……!」
フレーは顔を赤らめて口元を押さえた。その反応を見て、マニーは少し悪戯っぽい表情になる。
「やっぱり女子は食いつくわね。男子も、目ざとくいかないともてないわよ?」
「余計なお世話だ」
「そ、それで、どうなったの!?」
「恋人だったって言ったじゃない。結果はOK……あの日から、もう七年になるわね」
そこからは順風満帆の日々だった、とマニーは語る。
「憧れの人と一緒に研究して……出張で会えない時にも、恋文を送り合って。毎日が輝いてたわ」
「お姉ちゃん、毎日のろけて、面倒だった」
「良いでしょ別に。それで……あたしは気付けば、研究所のナンバー2になってた。当時彼はもう長官で……あたしが副長官になることに、異を唱える者はいなかったわ」
「ちなみに、私も天才だけど、ヒラの研究員。正直、不満しかない」
「……あんたは協調性が足りないのよ」
しかし、楽しい話はここで終わりだ。
「ある時あたしは、王の命令で新薬の開発に取り掛かったわ。『他人の意思を媒介して神経を活性化させる薬』……用途は、機人ではなく人間の兵の強化ね。機人もだいぶ増えてきたけど、まだまだコストもかかるし、未だ人間の力は大事だから」
────これを完成させれば……もしテンメイ王に認めてもらえたら、あたし……!
────お姉ちゃん、頑張って。私も、全力で手伝う。
────ええ! 絶対にライウと結婚するんだから!
「寝る間も惜しんで研究を続けて、あたしはついに薬を完成させた。それを王に献上した翌日……信じられない知らせが届いたわ」
「……まさか」
「そう。あたしを副長官の任から解き、遠方の地へ出向させるという知らせよ」
────何……何よ、これ。
────お姉ちゃん、これは何かの間違い。私、殴り込みに、行ってくる。
────やめてっ! 間違いなわけないじゃない! だって、だってこれ……!!
「差出人は……ライウ本人だったわ」
フレーたちは絶句した。ただ一人、マインドだけが首をかしげる。
「おかしい。王国での出来事はデータにあるはずなのに、僕はその話を知らない」
「それはそうよ。あたしたちに関してあんたが記憶する個別具体的な出来事は、ピューレの実験体として目覚めてからのものだけ。あたしがそういう風に設定したのよ。余計な情報を与える必要が無いからね」
「……そっか」
フレーは酷く悲しい気持ちになった。
マニーは元から歪んでいたわけではない。倫理観が危ういピューレも、姉が幸せならばまともなままでいられた。
「一度だけ……飛ばされる前にあの人に会ったわ。彼は悪びれもせず、シュレッケンでも頑張れとだけ言った。でも王の方針で、王都の技術は基本的に地方に持ち込めないようになってるの。あまりにも交渉がしつこかったグレイザーは例外……だからあたしは事実上、研究者という立場も失ったのよ」
「そんな……」
「最後に一言『すまない』とだけ言われて、あたしは捨てられた。ピューレには命は下らなかったけど、付いてきてくれることになって……出立直前、ランドマシーネに寄る頃には、あたしは今回の計画を思いついていたわ」
フレーたちは無言になる。場の空気を察したのか、マニーは冷ややかな笑い声を上げた。
「言いたいことはわかるわ。それは、シュレッケンの人たちを巻き込む理由にはならない……そうでしょう?」
「その通りだ。マニー・エーション、お前には同情するが……」
「それでも……街の一つや二つ巻き込むくらいじゃないと、あの人たちは────ライウとテンメイ王は、見向きすらしないのよ!! 支配は楽しかった……それは認める。でもずっと、虚しさの中で苦しんでもいたわ!」
額を押さえながらマニーはいきり立つ。握られたもう片方の拳には、彼女の悔しさが滲んでいた。
「あたしだって信じたいわよ、あれがライウの本心じゃないって! でも彼は……彼以上にあの王は、本当に何を考えてるかわからない……! 見るだけで寒気がするような人だわ! ライウは今、次の王位を第一王女と争ってる……あたしは平民の出だし、あたしと恋仲だと不利になるとか、きっとそんな理由で……!」
「お姉ちゃん」
「……ごめんなさいね、取り乱したわ。憶測で語るなんて、研究者としてあるまじき行為なのに」
マニーはすっと息を吐いて、フレーの瞳を正面から見据えた。
「いずれにせよ、あんたたちが何を言おうとあたしのポリシーは曲がらないわ。マニー・エーションは、利用できるものは何でも利用する。それがたとえ街だろうと、前後のわからない子供だろうと」
「マニー……」
「……あんたたち、基本的に善良なのね。こうして話をしてると心が痛まないこともないけれど……ふふ、まあ良いわ」
フレーはその瞬間、とてつもない違和感を抱いた。
これが戦いに敗北して野望を捨てる人間の目だろうか。既に勝負は決した。ここからどうしようと、彼女たちの逆転はありえないと言うのに。
そう、それこそ第三者の介入でも無い限り────
「…………」
マニーは無言でフレーを指差した。その意味がわからぬまま、不審に思い一歩後退するや否や。
最初に「それ」に気づいたのは────いつだって仲間たちに気を配り、誰よりもその身を案ずる少年だった。
「フレー、危ないっっ!!」
ザンは倒れ込むような姿勢で、フレーの眼前に身を投げ出す。何が起こったのか判然としないまま、息を呑んだ次の瞬間。
ザンの体に、小型の何かが直撃した。それが銃弾だと気付く頃には、彼は体勢を崩して地面に転がっていた。
「…………え……」
「あーあ、外しちゃったじゃない」
聞き覚えの無い、甘く緩い声が避難豪にこだました。残念そうな、それでいてどこか愉快そうな声色だ。
「違う人に当たっちゃったけど……これで良い? マニーさん」
「うーん、本当はフレイング・ダイナを狙ってほしかったけど……こっちはこっちでOKよ」
衝撃的な光景にマインドさえ身動きが取れない中、マニーは立ち上がり、斜め上方へと笑顔を向けた。
「よくやったわね……『ロベイン』」
焦点の合わない瞳を、彼女と同じ方に向ける。
そこにいたのは、美しい金髪を頭の後ろで結い、片手に小型の銃器をもった少女。
年の頃は……十四歳ほどだろう。
「あなたがダイナさん? 私も自己紹介するわね」
少女は銃を下ろし、スカートの端を持ち上げながら恭しくお辞儀をした。
「初めまして、ペトレ・ロベインです。この街の元市長、レイティの娘────現在は、ポイズン・ガールズの一員よ!!」




