4:決意表明
「フレーちゃんっ! そんな…………!!」
動こうにも、この状況では手を出せないのだろう。団員の嗚咽交じりの嘆きを聞きながら、フレーはそっと目を閉じた。
十中八九、あの知らせを見た者が犯人であろうことはわかっていた。その対処は自分にしかできないと思いここに来たが、結局敵わなかった。敗因は明らかである。
一人だったからだ。敵を倒して高みから見下ろし、慢心した自分の背中を守ってくれる……そんな誰かがいなかったから。
鉄の饗炎の張り紙には、何人で束になっても構わないと書いてあった。フレーも、本当は伝えたかったのだ。面と向かって頼むのが怖くて、まずは認められようなんて強引な考えの元で行動したが、やはり真っ先に言うべきだった。
ザンとエーネに、ただ一緒に来てほしいと。
(……ごめん、二人とも……)
「さあ、くたばれ!」
男が叫ぶと同時に、フレーの頬に涙が伝った。偉大な存在になる、なんて言っておきながら、結局自分の人生は、酷く呆気なく────
「あーーーーーーーっっ!!」
聞き慣れた甲高い声が耳に届いた瞬間、フレーは思わず目を見開いた。反射的にだ。思えば、さっきだってそうだった。
エーネの大声は絶妙なトーンで、急に聞こえるといつも驚くのである。
「あ、あ、あれ! あれって、『ハンガーズ』!? こっちに向かってきてます!」
「なっ……!?」
ハンガーズ。その言葉に、男は明らかに慌てた声を出した。しかし動揺の大きさでは、フレーも負けてはおらず、それは自警団の面々も同じだったらしい。
「え……エーネちゃん!?」
親友のエーネは、一部が焼けた家の屋根に仁王立ちしながら、村の外を指差していた。
先ほどの言葉は、男の注意を逸らそうとしてくれたものだろう。問題は、彼女の顔色である。
遠くから見てもわかるくらいに真っ青だ。仁王立ちなのは、恐らくそこから動けないからだろう。
……まず、どうやって登ったのだろうか。
「っ…………!」
酷く心配になったが、彼女が生んでくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない。フレーは力の緩んだ男の腕から抜け出し、全力で走り出した。
エーネがああ言ったということは、向かうべき場所は────
「しまった! おいお前ら、撃つぞ!」
「え、で、でもあっちには……!」
殺気を感じて体勢を少し変えると、フレーの耳をボウガンの矢が掠めた。しかし部下たちが撃たないのを見る限り、やはり逃げる方向は正解だったようだ。
フレーの視線のずっと先には、泣く子も黙る、かの大都市があるのだから。
「ハンガーズが来たら終わりです! に、逃げましょう!」
「ハッタリだ! ホメルンと『ビートグラウズ』が提携を結んだなんて、聞いちゃいねえ!」
背後を振り返ると、部下の男が負傷した仲間を担ぎ上げようとしていた。リーダーはなおもフレーを見ていたが、どうやら矢の装填中らしい。
そんな男たちのさらに背後に、「彼」の姿を見とめた時……フレーはようやく心身ともに解放された。心から、もう大丈夫だと思えたからだ。
「そうさ、ハッタリだ」
白銀に光る刀を構えたザンは、既に男たちの真後ろにまで迫っていた。彼らがその姿を認識した時には、もう手遅れである。
「っ……!?」
やぶれかぶれで放たれたボウガンの矢を、ザンはそのままの姿勢で真横に斬り払う。
一方、負傷した部下の一人が起き上がろうとしていたが、突如として彼の足元に、大きめの水溜まりが出現した。
「うっ……!?」
バランスを崩し、再び倒れ込む男に視線だけ向けながら、高所恐怖症のエーネは浅い呼吸を繰り返す。
「来る場所を間違えたな?」
刀を振り上げたザンは、鋭い声で告げる。
日々の鍛錬は裏切らない……それを裏付けるかのように、彼の太刀筋はあまりにも美麗だった。
「こっちの隠し球の方が、上手だったってわけだ!」
ザンが言い終えるのと、肩を叩き斬られたリーダーの男が倒れ伏すのは同時だった。
団員たちの歓声が上がる。いよいよ泡を吹きそうな彼の部下に、ザンは険しい表情で凄んだ。
「そいつらを連れてさっさと出て行け! そして二度と戻ってくるな!」
大の男二人を運ぶのは酷だろう。それでも部下の男は、戻ってくるフレーに見向きもせず、二人を引きずるようにしながら村の出口の方へと逃げていった。
ハッタリだと伝えられたにも関わらず怯えたような顔をしていたのは、自分たちの行動がいかに無謀だったか、今更気がついたからか。
いずれにせよ、もうここに来ることはないだろう。
「フレー、無事で何よりだ」
自警団の面々に祝福されながら、フレーが元いた場所まで戻ると、刀を鞘に戻したザンがそう言った。
命拾いしたにも関わらず、動悸と気まずさで何とも喋りにくい。結局最初に出てきた台詞はこうだ。
「あの人……殺したの?」
「峰打ちだ。けど、これが人に攻撃する感覚か……」
慣れそうにもない、と呟く彼に、
「……そっか」
そう短く返事をした。
フレーが男たちの残していったボウガンに視線を落とすと、場を沈黙が支配する。互いに次の言葉を探していた時だった。
「ザンっ!!」
青白い顔をし、へっぴり腰のエーネが家の影から飛び出してきた。何とかあの屋根から降りられたらしい。
フレーが口を開く前に、彼女はザンに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「危なっ……お、おい、刀収めるまで寄るな!」
「何故です! わ、私が囮役って……絶対逆だったでしょ!? 見てください、あの高さ! 肩車されるだけでも怖かったのに……!」
号泣寸前のエーネに、ザンが珍しく狼狽していた。
「す、すまん……でもお前じゃ背後から一撃で倒せないだし……いくら遠隔でも、せいぜい押し流すとか、時間かけて呼吸困難にさせるくらいだし、適材適所だろ……?」
「そ、そんなことなっ……いや、でも、確かに……で、でも!」
本当に緊張感の無い光景だ。自分がこの会話に加わっていないことを除けば、これぞ日常と言って差し支えない。
フレーは死にかけた余韻で冷えていた体が、徐々に熱を取り戻していくのを感じた。
収拾がつく気配が無いので、とりあえず大きめの咳払いをする。
「……もしもし、良い?」
「良くないですっ! まだ足が震えてるし……!」
「悪かったって、今度何か奢ってやるから……! すまんフレー、それで?」
フレーの真剣な表情を見て、エーネも落ち着きを取り戻したようだった。両手を腹の前で組み、フレーは彼らの目を見て礼を言う。
「ありがとうね……二人がいなかったら、死んでたよ」
「……そうだな。間違いない」
「間に合ってほんっっとに良かったです……!」
ザンとエーネの返事を境に、再び沈黙が流れる。たびたび生まれる気まずい空気に耐えきれなくなって、フレーは思わず口にした。
「……言いたければ、言ってもいいよ。遠慮せずに」
「言うって、何を」
わかってるくせに、とまでは言えない。どうやら自分から話すしかなさそうだった。
「私に外に出るなんて、無理だって思ったでしょ? あいつの言う通り……私、馬鹿だった。魔法が使えるから調子に乗って、結果ああなって。この調子で旅になんか出たら、死ぬのも時間の問題。危険しかないよね」
二人は神妙な面持ちだった。かける言葉に迷っているような雰囲気を感じる。
「でも」
強く拳を握る。思わず熱くなった目頭を拭って、フレーは一際大きな声で言った。
「私、それでも行くよ。王都へ」
ザンが顎を引いた。エーネは目を瞑り、スカートの裾を掴んでいる。
「村が襲撃されて実感した。時代が変わってきてるんだって。その中で私は王に会って、この国を動かす人間になりたい。それで、彼に認められたい……そのチャンスは今しか無いんだよ」
既に国中に影響を及ぼしているであろう、この「鉄の饗炎」。そこに身を投じることこそ、全てを変える唯一にして、最大の機会だ。
「……奴らなんて目じゃない、どんな強敵がいたとしても、か」
「うん……さっき言いそびれちゃったけど、ほんとはさ……一緒に、来てほしいんだ。二人に……」
伝えたかった本心を、真心を込めて話す。
二人が何も言わなかったことで、フレーはかえって気持ちがスッキリしたような気がした。
「でもやっぱり、無理強いはできないし、したくない。二人には二人の人生があるから」
目元を拭っても、涙声までは抑えられない。破壊された家々の後片づけに勤しんでいた自警団員たちも、いつしか三人の会話に耳を傾けていた。
「エーネ」
フレーはまず、この村で唯一の女友達に呼びかける。
「エーネにはいっぱい貰った。一緒に魔法の練習したこと、空き家借りて二人きりで泊まった夜……全部忘れないから」
「フレー……」
「それと、ザン」
フレーは義理の兄に向き直った。不思議と彼に対しては、滑らかに言葉が出てこない。
「えーっと……最後に、もう一回くらいこう呼ぶべきかな? お義兄ちゃん……って。それとも、義兄さん?」
「…………」
「な、なんて、似合わないよね! 冗談だよ」
なんだか気恥ずかしいことを口走った気がする。慌てて取り繕いながら、フレーは二人に背を向けた。締まらない形になったが仕方ない。
「……フレーちゃん、本当に出ていくのかい?」
「うん……出発は明け方にする」
今まで黙って成り行きを見守っていた自警団員に、フレーは優しく告げた。親友たちは未だ、無言のままだ。
もう、ここに留まる理由もないだろう。
「二人とも。どうか、楽しみにしててね」
(この先きっと訪れる……偉大なる世を)
少女は歩き出した。その影は、存在しない英雄の影を思わせる。
少なくとも……ザン・セイヴィアにはそう見えた。
「私、初めて見ました……」
エディネア・モイスティが、独り言のように小さな声で言った。ザンが顔を向けると、先ほど青ざめていた彼女は一転、興奮に頬を染めていた。
「フレーの目……今までで一番、真剣だった」
「…………」
「でも、私は……私は、王都への道には……っ」
逡巡するエーネの横で、ザンは目を閉じる。
思い起こされる、これまでの記憶。時に笑い、時に泣き……決して長くはないかもしれないけれど、フレーとの時間は自分の人生の全てだった。
(途切れるのか……ここで)
ここでフレーを行かせれば……もしかしたら、一生後悔することになるかもしれない。
しかし。彼女が新たな一歩を踏み出すのを、ただ待つ事しかできないのなら。
それはザン・セイヴィアにとって、もはや許し難いことだ。
「……それでも、あんな覚悟があるんなら……私も……!」
「このままで良いわけがない、よな」
未知へと進む親友の背中に、表しようの無い衝動を覚えた時。
「……ザンっ!」
「エーネ」
少年少女の声が重なった。