3:宙を走れ
「通して、すいません、通してっ!」
人の流れに逆行し、掻き分けて進むのは大変な作業だった。
多量の熱気に揉まれたせいで、ようやく人ごみを抜けたフレーの髪はボサボサになっていて、体は汗ばんでいるという有様だった。特に見せる相手もいないが、格好には多少なりとも気を遣っている身としては、かなり辛い状況である。
それでも、今目の前で起きていることを認識すれば、誰だって自分の容姿のことなど忘れてしまうだろう。
「な、何……これ……」
複数の家屋が崩れていた。人的被害は無さそうだが、何らかの爆発物が使われたのは明確だ。
そして、その犯人が誰であるかも。
「何度言えばわかる! 若い奴ら全員縛り上げて、今すぐここに連れてこいっつってんだ!」
「話にならん……この村から出ていけ。さもなくば、お前たちに明日は来ない」
「あぁ!? ジジイに用はねえ! 自警団とやらにも中年のやつしかいねえし、この村の若者はどこにいるんだ!」
まさか全員戦いにいったんじゃねえだろうな、と男が怒鳴る頃には、周囲にいた者たちは、全員フレーの存在に気付かぬまま逃げ果せていた。
残っているのは二十代とおぼしき武装した男二人と、日々この村を守る自警団の面々だけだ。
「お、おい、本当にこの方法で合ってるのか……? あの情報だけじゃ、戦うといってもどうすればいいのかさっぱりだ」
「けどよ、これしか方法は無いだろ。この腐った国で、俺たちが成り上がる唯一のチャンスだ……」
男の一人がそう言って、自警団員にボウガンを向けた。先端には見慣れぬ球体が取り付けられていて、それが爆発の原因となっているらしかった。
(悪い夢でも、見てるみたい……)
話の流れで、フレーはこの出来事の全容を理解した。あの貼り紙の情報が限られているという点に置いてのみ、同意が可能だということも。
それ以外の彼らの言動に、納得できる部分は何も無かった。私利私欲のために、無関係の人を巻き込んだという事実は……理不尽極まり無い。
「随分とお楽しみじゃん」
フレーが一歩前に踏み出し、声を張ったのは、それが理由だった。
「その武器、自警団の人たちのより強そうだね。ここでは……この限られた時間と場所の中では、最強ってこと?」
「……へぇ、活きの良いのがいるじゃねえか」
二人のボウガンが、真っ直ぐにフレーの額に向けられた。彼らとフレーとの距離は、家二つ分の直径に満たない。
「フレーちゃん、何をしてるんだ!? 早くここから離れて!」
驚きのあまり、しばし言葉を失っていた団員から大声で呼ばれたが、フレーは彼に一瞥をくれただけで、その場からは退かなかった。
むしろ、悠々と歩きながら、少しずつ二人に距離を詰めていった。
「少し考えたらわからないかな? こんな方法で目的が達成できるわけないって。私に会えたのはたまたま……普通は逃げてるよ」
「あぁ? 黙って手を上げな! 腕が立ちそうには見えねえが、何かしたらすぐさま撃つぞ!」
「そっちこそ、気をつけたほうがいいよ」
フレーはやがて、男たちの目と鼻の先にまで迫る。
この異様な状況に、自警団の面々は真っ青な顔で成り行きを見守っていた。
「何に気をつけるって? 俺たちのこれが目に入らねえのか?」
「質問を返すみたいで悪いけど……誰に武器向けてるの?」
フレーが目を細めた瞬間、その橙色の髪がやや逆だった。威嚇していてそれに気付かない男に対し、彼の相方らしき人物は、何かを察知したように後ずさる。
「教えてあげるよ……私は、この村で一番強い人間。だから、好きにはさせない。絶対に奪わせない……」
フレイング・ダイナは、かつて学んだ。戦うことを。守ることを。
そして、負けてはいけないということを。
「仮にこの身を貫かれても、私は決して倒れない」
「ちっ……たかが村娘がっ!」
「よせっ!」
もう一人の制止を振り切り、男が引き金を引く……その一瞬前。
フレーは腕を前方にかざし、全神経を研ぎ澄ませた。身体の芯から熱を感じながら、高らかに叫ぶ。
「ラン・フレイム!」
周囲の空気を焼き尽くす音と共に、フレーの手のひらから真っ赤な波が放たれた。それが炎であると男が気付いた時には、彼の右肩は既に撃ち抜かれていた。
「ぐっ……うっ……!?」
その名の通り宙を走る炎は、彼の神経までをも焦がし、瞬く間に再起不能に追いやる。
地面に伏した男を見つめながら、フレーは敵を仕留めたことを実感し、肩で息をしていた。
フレイング・ダイナの特異な点の二つ目は、その類まれなる炎の力だった。
この国で「魔法使い」は珍しく、そうなれるかどうかは、体内の魔力の有無で決まる。無論、上手く扱うには鍛錬も必要だ。
フレーが本格的に力を扱うようになったのは八年ほど前であるが、幸運なことに、その実力はめきめきと伸びていった。
この村で他に力を持つ者は、エディネア・モイスティただ一人である。
フレーは「炎」のみを操るのに対し、彼女は「水」と「治癒」の二つの魔法を扱う。魔法使いは王都に近づくほど多いとされ、少なくともホメルンとその周辺では、他の使い手の噂は聞いたことがない。
普段は、村の数少ない子供を楽しませる道具でしかなくとも……これは紛れもなく、フレーの唯一にして最大の武器だった。
「……わかったでしょ? その程度じゃ、私には勝てないよ」
ショックで武器を取り落とし、その場で膝をつくもう一人の男を見据えながら、フレーは低い声で言った。
激しい動悸がする。けれど怖気付いてはいけない。
今からしようとしていることは、間違いなく自分の夢の糧となるのだから。
「さよならだね。今すぐその体を焼き切っ────」
「フレーちゃん、後ろっ!」
その時だった。団員の怒号が飛び、無防備となった自分の背中に、並々ならぬ気配を感じたのは。
「動くな、小娘」
「……えっ」
後頭部に冷たい感触が生まれた。何かを擦り付けるようなその仕草に、少なからず痛みを覚える。
「愚かだな……本気で思っていたのか、こんな弱小な奴らだけで村を襲うと」
「あ…………」
胸の奥が冷たくなり、首筋に嫌な汗が伝う。今自分の頭を圧迫しているのは間違いなくボウガンの、それも爆薬の取り外された先端部分で────さらにそれを行っているのは、目の前の二人とは明らかに違う、より上位の相手だとわかったからだ。
(嘘、でしょ……?)
今まで潜伏していたらしい。気取られぬようフレーの背後に回ったのは、襲撃者のリーダー格の男だった。
まず、彼の声の質からして異なっていた。こちらが炎を放つことすら許さぬ、荘厳で殺意のこもった声色は、フレーを氷漬けにする。
「力を持ったガキは往々にして驕るもんだ。周囲の人間より強いが故に、誰にでも勝てると思い込む。多勢に無勢でもお構いなしだ」
「…………っ」
体を震わせながら、フレーはそれを悟られまいと拳に力を込めた。ボウガンの先端だけでなく、彼の言葉もフレーを捉えて離さない。
「綺麗な髪だなぁ、珍しい色だ。顔も悪くない。王都に首を送りつけずとも、奴隷として売っぱらったらさぞ金になるんだろう……」
手を出すに出せない自警団員たちの喚き声も、救出に安堵した部下二人の感謝の言葉にも耳を貸さず、男はフレーの髪を弄ぶ。
「だが……」
一見余裕のある仕草の中からはしかし、隠しきれない怒りを感じた。
「俺はお前みたいな人間が許せないんだ……最初からある家でのうのうと生きて、おまけに魔力持ちだと? 今まで苦労無しに生きてきたんだろうなぁ!?」
違う、と言いたかった。今までの人生は、そんな風に楽なものではなかったと。
けれど言えなかった。生々しい鉄の感触が、フレーの全てを制するのだ。先ほどあれだけの啖呵を切ったのに、今は動くことすら許されない自分が、信じられないほど情けなかった。
「お前にはここで死んでもらう。体を貫かれても死なないんだってな? 楽しみで仕方ねえよ」
「…………ラン・フレイ────んっ!?」
望み薄とわかってはいながら、一か八かで背後に手をかざしたものの、結局途中で口を塞がれた。
息苦しさに集中を乱され、今度こそ恐怖で体が動かなくなる。身体能力の差も歴然で、ここから相手を組み伏せられるほど、フレーは強靭ではない。
もはや打つ手は残っていなかった。