29:毒を纏う者
「……すごいデジャヴだ」
数多の被害者たちを尾行し、街の中枢へと向かう。三人が行きついた先は、横幅と奥行きのある大きな建造物だった。
「シュレッケン音楽ホール」……ここはそういう名前だそうだ。
「これっていわゆる、講演場的なあれだよね?」
「語彙力が気になるけど、多分そんな感じ……」
身を潜めていると、全員が建物の中に入ったのを確認できた。フレーたちも慎重に後へと続く。
入ってすぐに階段があった。どうやら地下に向けて進まなければいけないようだ。
「うう……」
「大丈夫だエーネ。今すぐ戦いに行くわけじゃない」
「う、うん……」
先ほどからエーネの精神状態が少し心配だ。この状況に緊張しているというよりは、何か根源的な恐怖に怯えているような……
(エーネ、もう少しだけ耐えて。きっとグレイザーがどこかで……)
明るい展望を切に願っていたところで、ようやく開けた場所に出た。
壁に設置された多くの明かりで目が眩む。ノーブルタワーのような機械的なものではないらしいが、十分な明るさを誇っていた。
しかし部屋の中心部分には光が及んでいない。それほどまでに、斜め下に向かって広がるホールは巨大だった。
(はぁ、ほんとに……)
規則正しく並ぶ、外で見たのとは比べ物にならない数の市民たちを後方から眺めながら、フレーは目を伏せる。
(これから正面に立つ人がグレイザーだったらって……すごく思うよ)
ノーブルタワーで彼が立っていたのは、その場の誰よりも高い場所だった。対して「彼女」が現れたのは、ホール最奥のどこよりも低い部分である。
しかし誰もが、その顔を認識できた。フレーがタワーの最上階で見たあの液晶パネル────それを何倍も大きくしたようなものが、天井部分に設置されていたからだ。
画面全体に、その自信に溢れた表情が映し出される。
「王都の科学者……当然持ってるよな、ランドマシーネの技術……!」
ザンの憎々しげな呟きに続くように、彼女は両腕を広げて声を上げる。
それはホール全体に響き渡る、この世の全てに楽しみを見出したかのような声だった。
「ボーイズ・エン・ガァールズ!!」
どうか嘘であってほしいと思っていた。だが現れた敵は本当に、若者と言って差し支えない女性だった。
丁寧に巻いた薄紫色の髪を肩まで垂らし、赤みがかった瞳を煌々と輝かせる。天井のパネルには顔しか映ってはいないものの、奥に立つ彼女のスタイルは、遠目に見ても整ったものだとわかった。端正かつ妖艶な顔立ちも相まって、きっと普通の状況なら男性の目線は釘付けになってしまうのだろう。
それらの魅力を帳消しにする恐るべき科学者は、満面の笑みで自身の奴隷に語り掛けた。
「東組のみんな、元気にしてるかしら!? ポイズン・ガールズのリーダー、マニー・エーションよ!!」
市民たちは全く同じタイミングで、一斉に腕を振り上げる。しかし誰も声を発しない。静まり返ったホールの光景があまりにも異様で、フレーは背筋に鳥肌が立った。
「反応が無いのは悲しいわねぇ……でも安心して、ちゃんと薬を改良したら発声も可能にしてあげるわ」
今度は皆が一斉に手を叩く。横目で見ると、ザンもエーネも不快感を露わにしていた。
ここから不意打ちすることも考えたが、外した際のリスクが甚大だ。どんな武器を隠し持っているかわからない。
「それよりもっと残念なのは、このちゃちなホールしか使えないことだわ。東西南北で分けた四組……果たしてこの街にいる十数万人が、全員であたしの話を聞ける時は来るのかしら?」
マニーと名乗った女は、そう言ってにやりと口元を歪める。誰も疑問を投げかけない空間で、彼女は独り自答した。
「答えは、イエス! そう、まもなくあたしたちは、大いなる戦いを始められるわ!」
「…………!」
「ビートグラウズ……かの地の軍の人口をついにこちらの主力が上回ったのよ! これでようやく屈服させられる……ここ一帯を牛耳る、あの守護者とやらをね!!」
マニーの口ぶりから、重大な事実が判明した。
グレイザーは未だ、ポイズン・ガールズに接触することはできていない。この街のどこかに潜んでいるのか、あるいは……
「恐怖とは平等なもの……愛と同じように! 奴の真似事だとかいうこの演説も、じきにあたしだけのものになる! そうでしょ? シュレッケンと、有象無象の村の皆!」
誰も何も言わない。話すことすら許されない。彼らに未だ思考が残っているのか、それとも意識すらないのかフレーにはわからないことだけれど……
一つだけ確かなのは、グレイザーの時と違い、誰も心から望んで彼女に従っているわけではないということだ。
「ぐ、グロいです……!」
エーネがめったに使わない言葉で感情を吐露した。フレーは無意識に彼女の背中に手を置く。
何より醜いのは、この集会自体には何の意味もないという点だ。これまでの市民たちの行動を見る限り、彼らはどう考えても遠隔から命令を下されている。マニーがこれまで話したことを、わざわざ人を集めてまで言う必要は無いのだ。
なら何故こんなことをするのか。答えは単純である。
マニー・エーションはこの状況を楽しんでいる。自由を奪われた大量の市民の一か所に集め、自らの思うままに操るこの時間を、心から楽しんでいるのだ。
「なんて奴……!!」
「怒るのは後だ。どうにかして奴の後をつけるぞ。必ず研究所のようなものがあるはずだからな」
三人で動き出せる態勢を取る。しかし既に終わったかに見えていた演説は、思わぬ形で続きが始まった。
『……お姉ちゃん。お姉ちゃん』
どこからともなく聞こえてきた気だるげな声。それは、ちょうど話題に上がったグレイザーが拡声器を使っている時と、同じ声質だった。
「……? なぁにピューレ。今気持ちよくなってたところなのに」
『新たに情報入った。数日前解除したけど、最近まで私が操ってた、下僕から。あの男……グレイザー・ザ・フェンダーについて』
フレーははっと息を呑んだ。心臓が高鳴るのがわかる。
ついにアクションを起こしたのか。そう思った矢先────
『行方不明。グレイザーは、どこにもいない。ビートグラウズにも、この街にも』
「…………は?」
最奥のマニーと、フレーたちの声が重なった。
『まず少し前、何者かに襲撃されたっぽい。敵は魔法使い。橙色の髪の、炎の少女……』
「魔法使い……」
テンションの高かったマニーの声色に影が混じる。
「あの人と同じ……!」
『ノーブルタワーが、破壊されてる。現指導者は、ゼノイ・グラウズ及び、エルディード・レオンズ。でも、グレイザーの死亡は……確認できない』
焦ってはいけない。そう簡単に情報が伝わってたまるものか。彼は隠れているだけなのだ。
そうに決まっている……
『ここから私の予想……まず彼は街を出て、ここに向かった。でも先日、実験体にこの街の生体反応、調べさせて……反応無しだった。だからきっと、また襲撃された』
「またって何よ。その魔法使いに?」
『違う。『奴』に────お姉ちゃん、私たち、関わらない方が良い……』
「……なるほど、ねぇ」
マニーは舌なめずりをした。くつくつと含み笑いをし、それはやがて高笑いへと変わっていく。
「あはっ、ははははは!! いいわねぇ、最高よピューレ! 良い情報を持ってきてくれたわね!」
『うん』
「あの男にもついに焼きが回ったというわけね。ま、子供に負けるようじゃ『奴』に仕留められるのも時間の問題だったわね。てかあんた、そういう大事なことはもっと早く言いなさいよ!」
『ごめん、めんどくさくて』
フレーはせり上がる激情を必死に抑え、幼馴染に目配せをする。ザンは信じられないという様子で額を押さえており、エーネは────
「え、エーネ!?」
「はあ、はあ、はあっ…………!!」
エディネア・モイスティは、汗だくで顔面蒼白だった。ビートグラウズで死にかけた時よりも、先ほど敵に気づかれたと勘違いした時よりも……かつてないほどに怯えていた。
「違う、違う……違う違う違うっ……グレイザーは……負けない、負けたりしない……あいつはここにいない、絶対に、絶対にっ────」
エーネは頭を抱え、何かを振り払うようにしながら早口でまくし立てる。
「エーネ、落ち着け! 大丈夫だ、ここにいるのは俺たちだけだ!」
「ほ、ほら、深呼吸、深呼吸して……」
フレーはしゃがみ込み、彼女を抱くようにした。過呼吸気味になっていたエーネは、地に手をついて激しく喘いでいる。まるで何かのトラウマを呼び起こされたように……玉のような脂汗を浮かべ、口の端から涎を垂らし、何度も何度も瞬きをしていた。
そんな彼女は突如、物凄い勢いで首を捻り、フレーの肩を鷲掴みにする。
「フレー、お願い、お願いですっ! ホメルンに帰ろう、今すぐ……今日発つんです。孤児院のご飯が食べたいっ。あそこなら、あそこなら安全で……!」
「な、何言って……シュレッケンを見捨てるの!? わかるよエーネ、怖いよね。でも私、絶対エーネを守る。大丈夫、魔法使いだもん。ザンだっている。だから────」
「ううううっ、ちが、違うんです……あ、あいつは、ば、化け物です。人外なんです。あの時、あの時私は、私は…………ッ」
エーネは今にも叫び出しそうだった。より強く抱きしめ落ち着かせようとするが、彼女はうわごとのように同じ言葉を繰り返すだけだ。
フレーも段々冷静さを失っていき、泣き出しそうになっていたその時。
「あっ────」
エーネが短く声を上げた。そのまま、がくりと腕の中で脱力する。
彼女の首を手刀で叩いたザンは、歯を食いしばりながら肩で息をしていた。
「……!! ご、ごめん、ザン、そんなことさせて……」
「参ったな……」
ザンは壁にもたれかかり、呻くように言った。
「何が、どうなってるんだ……」
「というわけで、手筈は整ったわね」
事態が落ち着くと、再びポイズン・ガールズの会話が耳に入ってきた。
「もう恐れる必要は無い。ビートグラウズを落とせば、王都の南側一帯は私たちの手の中よ」
『お姉ちゃん、お姉ちゃん。実は本題、まだ』
「は? 今のより大事な話があるっていうの?」
ピューレと呼ばれた人物は、独特な口調で事務的に報告する。
『実験体────『CODE:704』が、昨夜から行方不明。探させて』
「まーた見失ったの? 繋いどけって言ったでしょ!」
『無理。あいつ、弱い方だけど、鎖は破壊する。今日は終わり、休憩って言ったら、長い休憩を始めた』
「……ん? そういえば……」
マニーは首を傾げた後、何かに合点がいったかのように手を叩いた。
「情報があったわ。街の入口付近の宿に、あいつが上からぶら下がってるのを何人かが見てる」
『お姉ちゃん、あんぽんたん。放置しないで』
「誰があんぽんよ! 脳波の管理は楽じゃないの!!」
ため息をついたマニーが踵を返すと、市民たちが一斉に動き出した。所詮は操り人形、演説の終わりには趣も何もない。
「や、やばい……! こっち来るよ!」
「隠れてやり過ごすぞ!」
フレーはいち早く物陰に移動し、エーネを背負ったザンがそれに続く。
見えなくなるギリギリまでマニーを注視していたところ、どうやら彼女は入口とは逆方向に移動し、街の中枢の方に向かったことがわかった。
「……行ったね」
無人になったホールの中で、再び脱力する。マニーを姉と呼ぶもう一人の仲間も、既に通信を終えていた。




