28:ぶら下がる少年
────ラン・フレイム!
────ら、らん・ふれいむ!
自身満々な掛け声に対し、次に続いたのは舌足らずな声だ。若干戸惑っているようにも聞こえる。
────ダメだよフレー、気合が足りない。もっと力を込めて叫ばないと。
────で、でも……これいるの……?
────当たり前だよ! 必殺技なんだから名前がついてないと。かっこいいでしょ?
────う、うーん……かっこいいけど……
今思えば無意味な会話だ。別に格好良さなんて二の次である。
大事なのは、「技名を言うこと」自体なのだ。だって、彼が言っているのだから。
────それにしても、僕が本当に魔法を使えたらなぁ!
────まほう使えたら、いだい?
────ううん、使えるだけじゃダメ。でも確実に近づくと思うよ。
少しずつ鮮明になっていく。幼いフレーがそこにいて……話し相手は少年だった。
彼は満面の笑みで、懐から何かを取り出した。
────架空の技で気持ちよくなるのはこの辺にして、そろそろ練習に戻らないとね。
────それ、なぁに?
────これはダガーだよ。こう見えて、僕は武器の扱いはすごいんだよ?
────だがー! すごい!
フレーは無邪気に手を叩く。彼はそんな自分の頭を優しく撫でた。
────フレーにもいつか教えてあげるよ。ザンはさ、これよりももっとでかい剣が良いって言うから……
────じゃあ、フレーがだがーならう! すごい強くなる!
────あはは、ありがとう。それにしても、君の髪は本当に撫で心地が良いね。
名残惜しそうに手を放してから、少年は柔らかく言った。
────しかも僕と同じ色で、親近感湧くなぁ。
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「はっ……!」
広いベッドの中心で、両腕を広げた状態で目を覚ます。ふんだんに体を伸ばしているにも関わらず、何となく心地良くないのは先ほど見た夢のせいだろう。
ビートグラウズの宿でも似たような夢を見た気がする。あの時の記憶は曖昧だが、今回ははっきり覚えていた。
目尻に浮いた涙を拭う。あの声を、あの感触を。フレイング・ダイナは知っている。
「そろそろ朝かぁ」
あれから適当な宿に忍び込み、とりあえず一夜を明かしたのだった。リスクを減らすため全員で一部屋である。野宿を経て、ザンの隣で寝ることなど気にならなくなっていた。
フレーは体を起こして伸びをし、外から差し込む光に身を委ねた。昨日の絶望的な暗がりが消えることを思うといくばくか気分が良くなる。
(晴れてますように……)
その時、ふと風を感じた。アルガンド王国の気候は基本的に温暖だ。それこそ夜でも外で裸になれるくらいの気温である。
だからフレーは、しばらく気付くことができなかった。元々閉め切っていたカーテンが開いていること。それどころか、窓までが開けられていること。
そしてその窓から、一人の少年が……真顔で穴の空くほどこちらを見つめていることに。
「……………………」
フレーの思考は完全に停止した。五感が現実を受け入れることを拒否している。
窓際で、まるで彼女の性格を表すように縮こまって眠るエーネを見た。顔だけ振り返って、刀を握りしめて死んだように横たわるザンを見た。
そしてもう一度、正面にいる少年を認識する。
彼は逆さだった。上から覗き込むようにこちらを見ている。
真っ黒な髪。病的なまでに白い肌。生気の無い作り物のような瞳。そして一切表情の変わらない、所々にひび割れのごとき線が走る顔。
「ねえ」
その少年は────もはや人と言って良いかわからない、人間離れした様相の彼は────どこか濁った高めの声で言った。
「君は、まともな人間?」
「────き」
すんでのところで何者かに口を押えられなければ、フレーは街中に響き渡る悲鳴を上げていたに違いない。
声を出せなくなった瞬間、心臓が跳ね上がって失禁しそうになったが、すぐにそれがザンの手によるものだとわかった。得意の察知能力で尋常ならざる空気を感じ取ったのだろう。呼吸もできないフレーの横で、窓際の少年を見とめたザンは短く息を呑んだ。
「ビビりー」
少年は真顔のまま、そんなひょうきんな台詞を言い放つ。それからカラカラと奇妙な瞳を動かして、フレーとザン、未だに眠るエーネを順々に見た。
「いけないよ。捕まったらいけないよ。支配される。自分自身を奪われちゃう」
「────!!」
「ポイズン・ガールズは、君たちの全てを手に入れるよ。捕まったら最後、最後だよ……」
少年はそう言い残すと、音も無く顔をひっこめた。そよ風が二人の髪を揺らし、後には静寂だけが残る。
ザンの手から力が抜け、フレーは解放された。もはや悲鳴を上げる気力も無い。
数秒経つと、ザンが聞いたことのないような掠れた声を出した。
「バレた、のか……? 俺たちのこと」
フレーはまるで弾かれたようにエーネに飛びついた。そのまま渾身の力で彼女の体を揺する。
「エーネ、起きて! 起きてっ!!」
「んぅ……違います、ザン……フレーも、刀を口に入れちゃ……ダメ……」
「そんなことしたことない! どんな夢見てんの!? ねえっ!!」
事が事なので、愚かな寝言を言う年上を引っぱたきたい衝動に駆られたが、当然我慢だ。しかし本当にもう時間が無い。
「エーネっっ!!」
「っ!? な、何、どうしたのフレー!」
「気付かれたッ……! ポイズン・ガールズに気付かれたの!!」
寝起きのエーネの顔が、みるみるうちに真っ青になっていく。グレイザーに追われた時と同じ……言いようのない恐怖が場を包み込む。
「そ、そ、そんな……」
「ま、まずは外の確認だ。いきなり本体が来るはずない。お、落ち着いて状況を把握するぞ」
三人で這うように移動し窓に張り付く。そして再び、恐怖の塊がフレーの胸を冷たくした。
昨夜は一切の生気が無かった街は一点、人で溢れかえっていた。無論ビートグラウズほどの規模ではないけれど……夥しい量の人間が宿の周辺にたむろしている。
その全員に、意思のようなものは感じられない。まるで壊れてしまったかのように、虚ろな瞳で移動を続けていた。
「逃げ場が……!」
「あ、ああぁ……」
エーネが涙声になる。
「だ、ダメです……こんなのもう……やっぱり三人で挑むなんて、最初から……」
「…………っ」
いつも安心をくれるザンも、険しい顔のまま何も言わない。ここから攻撃を仕掛けようにも、彼らは不憫な一般人に過ぎないのだ。肝心の敵がどこにいるかは不明のままである。
「でも、あの人たちに殺されるとしても……傷つけるのは嫌です……」
「ああ……例えそれが偽善でも、俺は……」
「待って」
希望を失いかけていた二人に、じっと外を観察していたフレーは待ったをかけた。
「よく見て、あの人たちの動き」
「ん……?」
「全然こっち見てない。ウロウロしてるだけだよ」
フレーの言葉通り、操られた市民たちは規則的な動きをしているだけだった。決められたタイミングで左右を見て、また移動をするという作業の繰り返し。
「つ、つまり……? グレイザーの話と合わせて考えると、見つかった時点で敵に伝わるはずですよね?」
「うん。だからそもそも、見つかってない……?」
「……そういえば」
カーテンを閉めたザンが顎に手を当てる。
「あいつはえらく流暢に喋ってたが、よく考えたら、あれは警告……?」
「あいつ……? だ、誰かここに来たの!?」
フレーとザンは、先ほどの出来事をかいつまんで説明した。
二人とも気が動転していたが、冷静になって思い出してみると……芝居がかった話し方ではあったものの、あの少年は敵意のある言葉は一切発していなかった。
一旦落ち着くために、全員で着替えて荷物を整える。その間、宿が襲われたり何らかの毒物が散布される気配は無かった。
「すまん……俺がバレたとか言ったせいだな。早とちりした」
「な、なるほど……じゃあ私は、実際危険は無いのに、敵に見つかったって叩き起こされたわけですか……」
「ほ、ほんとごめん。怖がらせたよね……」
エーネの真っ青な顔を思い出し、申し訳なさでいっぱいになる。しかし意外にも、彼女はさわやかな表情で首を横に振った。
「確かに怖かったけど、良いお知らせもありますよね」
「え?」
フレーが疑問符を浮かべると、エーネは胸の前で手を組んで嬉しそうに言った。
「警告しに来たってことは、その人は味方で確定! 正気かどうか聞かれたんでしょ? きっと私たちと同じで少人数で敵を倒しに来たんです」
「…………」
「な、何その反応……」
ザンと顔を見合わせ、目だけで語り合う。議題は「どちらが言うか」だ。
大変話しにくいが、最初に接触したのはフレーなのだし、ここは自分が伝えるべきだろう。
「エーネ、あのね……味方かはわからない。もし味方なら心強いことこの上ないけど……敵だったら怖すぎる」
「怖い? 男の子なのに? 思えばザンだって、初めて会った頃は可愛かったですよね。今は筋骨隆々に────」
「人外なの」
懐かしむような顔だったエーネが、そのまま固まる。ちょうど、先ほど窓の外を目撃した際の自分のようだ。
「多分、人外。あの顔は……人間じゃない」
「じ、ん……がい? ふ、フレー、きっと寝ぼけて……」
「目の動きもやばかった。逆さまだったし……思い出すだけで漏らすレベル」
エーネはすがるような面持ちでザンを見たが、彼は諦めたような顔で首を横に振る。
「肌もすごい真っ白だった。体も細くて……」
「……!! か、髪色は!?」
「え、く、黒だよ。でもあの髪だって、本物かどうか……」
「く、黒なら違う……そっか、そもそも小さい男の子で……ああでも、それなら本当に人外……!」
エーネは何やら混乱しているようだった。
それも無理はないだろう。これほど恐ろしい街で、人間でない生き物までいると判明したら、冷静でいる方が難しい。
「ザンはどう思う? もし悪い子じゃないなら、話くらいは────って、ザン?」
義理の兄は明後日の方向を見つめていた。その瞳はいつになく潤いを帯びていて、動揺の色がありありと浮かんでいる。
「なあ、フレー。お前あの顔に────」
そう言いかけてザンは口をつぐむ。まるで何かに気を遣うように、言いたいことを抑え込んでいるようだ。
しかしフレーの方も、実は思い当たる節があった。心の片隅にあった程度だが、あの様相に違和感を抱いていた。
「逆さまだったし、私もはっきり見えたわけじゃない。けど……」
「…………」
「な、何の話? それより二人とも……!」
焦りに焦ったエーネが、上ずった声でフレーたちに呼びかけた。
「今するべきなのは、グレイザーと合流することじゃないですか? そ、それができないのならもう、私……」
「落ち着いてエーネ。わかってる……でもとりあえず、今はここにいた方が良い。あれだけ人がいるんなら、怖いけど行動は夜がいいよ」
「……とはいえ、基本的に見張りはどこから現れるかわからん。今日は街全体の状況を────!!」
「何!? どうしたの!」
ザンが目を細め、カーテンの隙間から窓の外を見ている。フレーとエーネも目をやると、更に驚くべきことが起きていた。
大勢いた外の人間たちが、一斉にある方向に向かって移動を始めていた。あたかも何かに導かれているようである。
「これは……」
「集合がかかった、ってこと?」
三人で顔を見合わせる。不運な知らせ続きだったが、ようやく光明が見えた気がした。
「二人とも、準備はできてる?」
「だ、大丈夫です」
「すぐに追うぞ、あの人たちに続いていけば────」
ザンは祈るように、そして自分に言い聞かせるように拳を握った。
「ポイズン・ガールズの本拠地に辿り着けるはずだ!」




