2:少女フレーの決戦録
「愚かだな……本気で思っていたのか、こんな弱小な奴らだけで村を襲うと」
胸の奥が冷たくなり、首筋に嫌な汗が伝った。今後頭部に突きつけられているのは間違いなくボウガンの、それも爆薬の取り外された先端部分で────さらに犯人は、眼前の二人より明らかに格上の相手だとわかったからだ。
(嘘、でしょ……?)
今まで潜伏していたらしい。気取られぬようフレーの背後に回ったのは、襲撃者のリーダー格の男だった。炎を放つことすら許さぬ、荘厳で殺意のこもった物言いは、フレーを氷漬けにする。
「力を持ったガキは往々にして驕るもんだ。周囲を上回るが故に、誰にでも勝てると思い込む」
体を震わせながら、フレーはそれを悟られまいと拳に力を込めた。しかしボウガンだけでなく、彼の言葉もフレーを捉えて離さない。
「俺はなぁ、お前みたいな人間が許せないんだ……最初からある家でのうのうと生きて、おまけに魔力持ちだと? 今まで苦労無しに生きてきたんだろうなぁ!?」
違う、と言いたかった。今までの人生は、そんな風に楽なものではなかったと。
けれど言えなかった。生々しい鉄の感触がフレーの全てを制するのだ。先ほどあれだけの啖呵を切ったのに、今は動くことすら許されない自分が、信じられないほど情けなかった。
「お前にはここで死んでもらう。体を貫かれても死なないんだってな? 楽しみで仕方ねえよ」
「…………ラン・フレイ────んっ!?」
望み薄とわかってはいながら、一か八かで背後に手をかざしたものの、結局途中で口を塞がれた。息苦しさに集中を乱され、今度こそ恐怖で体が動かなくなる。身体能力の差も歴然だ。
もはや打つ手は残っていなかった。
(負ける……? 私が、こんな奴らに……)
「フレーちゃんっ! そんな……!!」
団員の嗚咽交じりの嘆きを聞きながら、フレーはそっと目を閉じた。敗因は明らかである。
独りだったからだ。敵を倒して慢心した自分の背中を守ってくれる……そんな誰かがいなかったから。
フレーも、本当は伝えたかったのだ。面と向かって頼むのが怖くて、まずは認められようなんて強引な考えの元で行動したが、やはり真っ先に言うべきだった。
ザンとエーネに、ただ一緒に来てほしいと。
(……ごめん、二人とも……)
「さあ、くたばれ!」
男が叫ぶと同時に、フレーの頬に涙が伝った。全てが無に帰す、まさにその瞬間。
「あーーーーーーーっっ!!」
聞き慣れた甲高い声が耳に届く。フレーは思わず目を見開いた。
エディネア・モイスティの大声は絶妙なトーンで、急に聞こえるといつも驚くのである。
「あ、あ、あれ! あれって、『ハンガーズ』!? こっちに向かってきてます!」
「なっ……!?」
ハンガーズ。その言葉に、男は明らかに慌てた声を出した。しかし動揺の大きさでは、フレーも負けてはおらず、それは自警団の面々も同じだったらしい。
「え……エーネちゃん!?」
幼馴染のエーネは、一部が焼けた屋根に仁王立ちしながら村の外を指差していた。先ほどの言葉は男の注意を逸らそうとしてくれたものだろう。問題は彼女の顔色である。
遠目でもわかるほど真っ青だ。足をピンと伸ばしているが、恐らくそこから動けないのだろう。
(ど、どうやって登ったの……!?)
何にせよ、彼女がくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない。フレーは力の緩んだ男の腕から抜け出し、全力で走り出した。
エーネがああ言うのなら、向かうべき場所は────
「しまった! おいお前ら、撃つぞ!」
「え、で、でもあっちには……!」
殺気を感じて体勢を少し変えると、フレーの耳をボウガンの矢が掠めた。しかし部下たちが撃たないのを見る限り、やはり逃げる方向は正解だったようだ。
フレーの視線のずっと先には、泣く子も黙るかの大都市があるのだから。
「ハンガーズが来たら終わりです! に、逃げましょう!」
「ハッタリだ! ホメルンと『ビートグラウズ』が提携を結んだなんて、聞いちゃいねえ!」
振り返ると、部下の男が負傷した仲間を担ごうとしていた。リーダーは矢の装填中らしい。
そんな男たちのさらに背後に、「彼」の姿を見とめた時。フレーはついに心身ともに解放された。
「そうさ、ハッタリだ」
「っ!? まだ新手が……!」
白銀に光る刀を構えたザン・セイヴィアは、やぶれかぶれで放たれた矢を手早く真横に斬り払う。負傷した部下が自力で起き上がろうとしたが、突如として彼の足元に、大きな水溜まりが出現した。
「よ、よしっ……!」
再び転倒する男に視線だけ向けながら、高所恐怖症のエーネは浅い呼吸を繰り返している。
「来る場所を間違えたな?」
ザンは鋭い声で告げた。たゆまぬ鍛錬で磨かれた彼の太刀筋は、あまりにも美麗だった。
「こっちの隠し球の方が、上手だったってわけだ!」
ザンが言い終えるのと、肩を叩き斬られたリーダーの男が倒れ伏すのは同時だった。団員たちの歓声が上がる。いよいよ泡を吹きそうな彼の部下に、ザンは険しい表情で凄んだ。
「そいつらを連れてさっさと出て行け! そして二度と戻ってくるな!」
大の男二人を運ぶのは酷だろう。それでも部下の男はフレーに見向きもせず、二人を引きずるようにしながら村の出口の方へ逃げていった。
きっともう、ここに来ることはないだろう。
「フレー、無事で何よりだ」
自警団の面々に祝福されながらフレーが元の場所に戻ると、刀を鞘に戻したザンがそう言った。
命拾いしたにも関わらず、動悸と気まずさで喋りにくい。結局最初に出てきた台詞はこうだ。
「あの人……殺したの?」
「峰打ちだ。けど、これが人に攻撃する感覚か……慣れそうにもない」
それきり、場を沈黙が支配する。フレーが次の言葉を探していた時だった。
「ザンっ!!」
青白い顔をし、へっぴり腰のエーネが家の影から飛び出してきた。何とかあの屋根から降りられたらしい。フレーが口を開く前に、彼女はザンに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「危なっ……お、おい、刀収めるまで寄るな!」
「何故です! わ、私が囮役って……絶対逆だったでしょ!? 見てください、あの高さ! 肩車されるだけでも怖かったのに……!」
号泣寸前のエーネに、ザンは珍しく狼狽していた。
「す、すまん……でもお前じゃ背後から一撃で倒せないだし、適材適所だろ……?」
「そ、そんなことなっ……いや、でも、確かに……で、でも!」
まるで緊張感の無い光景。自分がこの会話に加わっていないことを除けば、これぞ日常だ。
死にかけた余韻で冷えていた体が、徐々に熱を取り戻していくのを感じた。
「え、エーネ……大丈夫?」
「うぅ……大丈夫じゃないです! まだ足が震えてるし……!」
「悪かったって、今度何か奢ってやるから……! すまんフレー、それで?」
エーネが落ち着くのを待ってから、フレーは両手を腹の前で組み、厳かに礼を言った。
「ありがとうね……二人がいなかったら、死んでたよ」
「……そうだな。間違いない」
「間に合ってほんっっとに良かったです……!」
ザンとエーネの返事を境に、再び沈黙が流れる。たびたび生まれる気まずい空気に耐えきれなくなって、フレーは思わず口にした。
「……言いたければ、言ってもいいよ。遠慮せずに」
二人は目を瞬かせたが、口は開かない。どうやら自分から話すしかなさそうだった。
「私に外に出るなんて、無理だって思ったでしょ? あいつの言う通り……私、馬鹿だった。力があるから調子に乗って、結果ああなった。こんな調子じゃ旅なんて……」
二人は神妙な面持ちだった。かける言葉に迷っているような雰囲気を感じる。
フレーは強く拳を握る。思わず熱くなった目頭を拭って、一際大きな声を張った。
「でも私……それでも行くよ。王都に」
ザンが顎を引いた。エーネは目を瞑り、スカートの裾を掴んでいる。
「村が襲われて実感した。こういう時いつも受け身なんだって。外に出ないと、私は変われないよ。目的を達成して初めて……私は強さを証明できるの。そうしなきゃいけないんだよ」
「……奴らなんて目じゃない、どんな強敵がいたとしてもか」
「うん、さっき言いそびれちゃったけど、ほんとはさ……い、一緒に来てほしいんだ。二人に」
伝えたかった本心を、真心を込めて話す。二人が何も言わなかったことで、フレーはかえって気持ちがスッキリしたような気がした。
「でもやっぱり無理強いはできないし、したくない。二人には二人の人生があるから」
目を拭っても涙声までは抑えられない。自警団もいつしか三人の会話に耳を傾けていた。
「エーネ」
フレーはまず、昔から変わらず泣き虫な少女に呼びかける。
「エーネが村に来てから楽しいことばっかで、最高だった。怖がりなのはずっと変わらないね」
「ふ、フレー……」
「それと、ザン」
フレーは義理の兄に向き直った。不思議と彼に対しては、滑らかに言葉が出てこない。
「えっと……最後に、もう一回くらいこう呼ぶべきかな? お義兄ちゃん、って……な、なーんて、似合わないよねっ! 冗談だよ、えへへ……」
何だか恥ずかしいことを口走った気がする。慌てて取り繕い、フレーは二人に背を向けた。
「……フレーちゃん、本当に出ていくのかい?」
「うん……出発は明け方にする」
団員の問いに穏やかに応える。幼馴染たちは無言のままだ。もう、ここに留まる理由も無い。
「二人とも。どうか、楽しみにしててね」
(この先きっと訪れる……偉大なる世を)
少女は歩き出した。その影は、今は存在しない英雄を思わせる。
少なくとも、ザン・セイヴィアにはそう映った。
「あいつ、負けやがった」
ザンは、その重苦しい事実をゆっくりと咀嚼する。エーネは既に涙を流していた。
「あのフレイング・ダイナが、ゴロツキに。まだまだだ、あいつ。油断しやがって……!」
「……ザン」
「何が王都だ。何が、『偉大な存在』だ……そんな風で何か成せるわけが────」
「ザンっ!!」
エディネア・モイスティが掠れ声を上げる。気弱な少女の瞳は、それでも切実だった。
「フレーは言ったんです。私たちに付いてきてほしいって。でも、自分一人で行くって。きっとすごい勇気を出して……もう決めたみたい。ザンの本心は? 今、どう思ってるの?」
「……お前は良いのか、エーネ」
「は、はっきり言って、嫌です。怖いし……フレーのことも心配だし。でもッ……!」
それでもかつて、フレーたちと共に生きると誓ったのだから。エーネはか細い声でそう言った。
────ザン、君にしかできない。どうかフレーを……僕たちの大切な女の子を、頼んだよ。
「俺は……」
今朝、エーネと二人で彼女を拒絶した。その後フレーは無様な敗北を喫した。本来なら、諦めるに足る理由のはずなのに。それでも彼女は決断してしまった。
もう、変えられないというのなら。
このまま黙って送り出すくらいなら。
この剣で、報いることができるのなら。
「フレー!!」
ザンは声を張り上げる。既に遠くにいた少女はしかし、村全体を震わせるような大声に歩みを止めた。
「え、えっ?」
「お前がこれをチャンスと捉えるなら……そうだな、俺も内なる声に従うことにした」
ザンは徐にそう言い、一歩踏み出す。それだけで、フレーとの距離が随分縮まって思えた。
「俺も行く、王都へ。お前の夢を果たす手伝いをする」
「…………!!」
「こっちも果たすべき使命があるんだ。そしてやはり……俺はお前と共にいたい」
「ふ、フレー、私もですっ!」
次いで、エーネが声を張り上げた。二人が意味するところをようやく理解し、フレイング・ダイナは思わず口元に手を当てる。
「私は二人みたいに強くはなれなかったけど……せめて、この魔法で助けたい。大事な時に、ずっと隣にいたいから。それがきっと、『恩返し』になるから!!」
三人が思い浮かべる記憶は一つだ。だから、と一泊置いて、幼馴染たちは同時に手を差し出す。
「一緒に行こう、フレー」
胸が詰まり、フレーはしばらくものも言えない。気恥ずかしさと嬉しさで顔が段々熱くなった。
「……ふ、二人とも。ほ、ほんとにありが────」
「いや、礼なら良いんだ。それよりずっと価値のある提携があるからな」
感謝を口にしようとした瞬間、ザンがそれを遮る。見たことのないニヤケ顔を披露され、フレーはきょとんとして目を瞬いた。
「また呼んでくれるんだってな? 『お義兄ちゃん』って」
「…………え」
「フレー、私も嬉しいですっ! 昔お泊まりの時、夜一人でトイレに行けなくて私に泣きついてきたことも、全部覚えててくれるんですよね? 一番恐れ知らずなのに、お化けだけは苦手で」
全身が熱を帯びる。今度は嫌な感覚だ。こんなに自分の発言を後悔したことはない。
「これからも私が付いてってあげます。何なら、ザンでも良いんじゃない?」
「そうだな、何たって俺は、お前のお義兄ちゃ────」
「ううっ、うううるさいよっ! エーネだって超ビビりの癖に……そ、それにザンこそっ……へ、変な顔しちゃってバカみたい!!」
「変な顔はしてない!」
見たことのないニヤケ顔を披露してきたザンに、精一杯反論する。
結局最後まで締まらなかった。茹でられたように赤くなりながらも、いつもと変わらぬ光景に安心しきっている自分もいる。
この日、フレイング・ダイナとその二人の仲間は、世界を変える旅に出た。
幸福と苦難の入り混じった、少女だけの決戦録。全てが終わったのち、彼女をよく知るホメルンの人間たちは、その旅の結末を涙交じりに語ったという。
そう、あれはまるで────




