2:少女フレイング・ダイナ
信頼を置く幼馴染からの、紛うことなき拒絶の意思。
フレーはまるで、大切な何かを壊されたかのような気持ちになった。
心を心臓ごと抉られたような、痛くて、悲しい感情……
「信じていないからじゃない。俺は、これがお前の役割であるように思えないんだ」
「っっ…………」
息を詰まらせながら、フレーは無意識に拳を握る。頭の中が整理できず、思い付いた言葉がそのまま飛び出た。
「……ザンなら、理解してくれると思ってたんだけどね。二人が心配してくれてるのはわかってる。でもその上で、私を尊重してくれると思ってた……」
「ふ、フレー……尊重するのと、何でも言うことを聞くのは違います……」
「うるさいっ……!」
噛みつくようにそう言った後、フレーは何だか自分が酷く浮いた存在に思えた。
いつだって諭すような口調で話すザンに、どちらかと言えば感情的になりやすいくせに、今はあくまで理性的なエーネ。
そんな二人を睨みつけることしかできない自分が、普段よりいっそう子供のようで……
「っ、もう、いい」
ザンだって、退屈な村だって言ってたくせに。
エーネだって、ちゃんと夢があるのに。
言いたいことはたくさんあったけれど、言葉が出てこなかった。恥ずかしさと、少し涙を帯びた目元を隠すため、フレーは二人から顔を背ける。
一刻も早くここから去りたくて、早足で出口の方に歩き出した。
「フレー、お前の家はここだ。どこへ行く」
「……関係無いでしょ」
自分でも聞き慣れないぶっきらぼうな言い方で、フレーは吐き捨てた。
「あったかい家で平和な暮らしを守る二人と、外に向かいたい私……そもそも、同じ場所にいるのが間違いなんだよ」
エーネが何かを言いかけたが、話が始まる前に、フレーは玄関を出ていた。
─────────────────────────
フレイング・ダイナが辺境の村『ホメルン』にやってきたのは、今より約十五年前のことだった。
後に育ての親となるザンの母曰く、フレーは星の瞬くある晩、道の一角に捨てられていたのだという。名前は首にかけられたネームプレートに書かれていたそうだ。
セイヴィア家の一員でありながら、フレーは幼い頃から養女であることを明かされていた。よって現在、衣食住を共にする一歳年上のザンが、兄であるという感覚は薄い。
彼は長きに渡りフレーの親友であり続けた。血縁に勝るとも劣らぬ友情は、途切れることは無い。昔はただ付き従い背中を追う対象だった彼は、いつしか対等な存在となり、今に至る。
フレーと同じくホメルン出身ではないエーネについても、同じような関係が築かれつつあった。
こういった境遇にある子供の大半は、実の両親について疑問に思うのが常だ。当時のフレーは幼いながらも、その例に漏れなかった。
しかし結論として言えば、フレーの両親はすでに死亡していた。
父親は、妻が子を産む直前に生活の苦しさから逃亡し、残された母は、心身の疲労で段々と弱っていった。そこで仕方なく我が子を捨てた後、逃げるように訪れた別の村で、あっけない最後を迎えたのだという。父親もその数年後に病死し、フレーの両親は二人ともこの世を去ることとなった。
これらの情報は、ホメルンの一員たるフレーのためにと、有志の村人が資金を集めて近隣の大都市に依頼した結果、得られたものだった。両親の死亡を知った日、フレーは我を忘れて夜通し泣いたが、その時隣にいてくれたのも、ザンとその家族だった。
ついでに言えば、両親の血統に何ら特別なことは無かった。フレーは王家の隠し子であることもなければ、どこかの貴族や古の偉人の血を引いているということも無い。よってほとんどの特徴が、ごく一般的な子供に合致していると言える。
そう。フレイング・ダイナは、「ある二点」を除けば、どこまでも普通の少女だった。
「お姉ちゃん、今日もアレ見せてー!」
「ごめんね、お姉ちゃん今日はちょっと……その、あんまり、元気が無くて」
目を輝かせる幼い少女を前に、フレーは罪悪感を感じつつ、しっかりと断った。
もう昼を過ぎてしばらく経つが、本当に元気が無いのである。数刻前に二人に拒絶されたことは、自分で思っていた以上に堪えることだった。
「えー!?」
「ごめんね、また今度……ね」
やるせない気持ちを押し殺して笑顔を作る。少女はまだ納得していない様子だったが、渋々といった様子で口を開いた。
「じゃあ、お姉ちゃんの髪の毛の色も、真似していい?」
「え?」
「だって、村の中でお姉ちゃんの色がいっちばんカッコいいもん! お日様みたい!」
何と返答すべきかとても迷った。というのも、この綺麗な髪は自慢だが、意図して作れるものではないからだ。例え塗料を使っても、この色合いは再現できないような気がする。
フレーの特異な点としてはまず、その髪色が挙げられた。
太陽を思わせる橙色。国全体で見ても、天然でこの色の髪を持っているのは異端なことだという。出自の情報を見た限り、自分のルーツは別の色だが、ある日を境にこうなっていた。
瞳は茶色であるので、ややミスマッチな感じもする。とはいえ、ザンにこの髪について触れられたことはないものの、エーネにはよく羨ましがられていた。
「それもダーメ」
「えーっ!? 今日のお姉ちゃんダメばっか!」
「だって色まで真似しちゃったら、その髪の良さが消えちゃうでしょ?」
がっかりする少女の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせる。自分と同じミディアムヘアを撫でながら、フレーは穏やかに言った。
「その髪色は珍しくはないけど、すっごい綺麗。それなのに、私の色にしちゃったら台無しだよ」
「でも……私もお姉ちゃんみたいに……!」
「えへへ、そう言ってくれて嬉しい……でも、目に見えるものを真似ばっかりしようとしちゃいけないよ? 自分で考えることも大事なの」
元々は少女の問いをかわすためのものでも、フレーの言葉は本心だった。
保守的なことを好まないフレーは、髪を変えたい少女の気持ちは肯定する。その上で、誰かの真似をするだけでなく、最後には自分で考えられるようになってほしかった。
いつだって決めるのは自分自身なのだ。必ずしも人の意見を仰がなければならないわけではないし、誰かに強制されることなんて、本当はあってはならない。
現在のこの村の人々は……もしかしたら国全体までもが、きっと考えることを放棄してしまっている。フレーだけでも、このことを覚えておかなくてはいけない。
(……ねぇ、そうだよね?)
記憶の彼方の、朧げなシルエットに呼びかける。そうする度に、フレーはいつも胸が締め付けられるような気持ちになった。
「……お姉ちゃん?」
「あ、ごめんね。それで、お姉ちゃんの言うこと、わかってくれた?」
「うん……真似っこできないのは残念だけど、パパもママも、いっつもあたしの髪の毛綺麗って言ってくれるし……このままの色で、もっと綺麗になる! 髪の毛いっぱいあるから、ママに言って上で結んでもらおっかな!」
満面の笑みを浮かべる少女を見て、フレーも顔が綻んだ。鉄の饗炎のことは頭から離れなかったが、こんな笑顔がまた見られるなら、ここに留まる選択肢も悪くないかもしれない。
(何となく二人には子供扱いされてるし、こういうのいいなぁ……)
そんなことを考えていた時だった。
「…………っ!?」
突如として、豪快な破裂音が鳴った。村の中央にある広場……そこより少し離れた場所からだ。
村に一つしかない鍛冶屋が鉄を打つ時も、付近の大都市から物資を携えた馬車が訪れる時も、こんなに恐ろしい音は鳴らない。
そしてフレーは見た。立ち昇る黒煙を……平穏が崩れ去る瞬間を。
「お、お姉ちゃん……!?」
「やばいっ……い、今すぐ家に帰って! 絶対外に出ちゃダメだからね!」
「お姉ちゃんはっ、お姉ちゃんはどうするの!?」
「私は音がした方に向かう……自警団の人たちはもう行ってるはずだし、急がないと……!」
自分の身を案ずる少女を置いて、フレーは駆け出す。奥の方から、村人たちが這々の体で逃げてくるのが見えた。
(まさかとは思うけど、やっぱり……!)
突如として訪れた危機。何一つ無かったこの村にも、饗炎の魔の手が及ぼうとしていた。