18:決戦 守護者グレイザー
(聞こえる……)
罠は無かった。孤独で静かな道筋の中、フレーはじっと耳を傾ける。
(ザンの戦いの音。逃げてるエーネの呼吸。私の守らなきゃいけない、大切なものが……頭の中に響いてくる)
これはきっとただの思い込みだろう。そんな実感が湧くくらい、全身が研ぎ澄まされているのだ。
最後のドアはそれまでよりも少し大きかった。ノーブルタワー最上階。生まれて初めての高所に、空気すら少し薄く感じる。
奥に一際強い気配がした。フレーがドアを開けると、それは思いの外スムーズに開く。
自分を待ち受けていたのは、この十六年の人生で見てきたどの部屋とも違う、異様な光景だった。
「な、何これ……!?」
壁のあちこちに青色の液晶が浮かび上がっている。一度も目にしたことのない……のちに知った言葉で表現するなら、電子的で機械的な何か。一目で、その技術がどこからもたらされたのかわかる。
そして部屋の中央。震える足で歩く自分に対し、こちらに背を向け、微動だにしない男が一人。薄明かりに照らされた長髪を揺らし、決戦の時を待つ姿がそこにはあった。
「ポイズン・ガールズ」
振り返らぬまま、彼は口を開く。聞き慣れない言葉に、フレーは足を止めた。
「王都出身の科学者にして、シュレッケンの現支配者たちの呼び名だ。ふざけた呼称だがな」
「……え?」
ごくりと唾を飲む。
こんなところで。いや、ついにと言うべきだろうか。
「俺とそう年の変わらねェ女どもだ。言うまでもなく、政治上の手腕は無に等しい。畑違いの人間が上手くやれるほど甘い世界じゃねェ」
「…………」
「それこそ、超常的な代物でも生み出さない限り。不可能だったんだ……ちょうど、一ヶ月前までは」
ビートグラウズの長は、重苦しい動作で体をこちらに向ける。幾度となくフレーの命を狙った男の顔は、怒りと悲しみに満ちていた。
「あの日奴らは、完成させた毒物をシュレッケン全土に散布した。そしてわずか数刻で、市民の半数以上を物理的に洗脳した」
洗脳。常識の世界で生きてきた自分にとって、それは言葉によって行われるものだった。フレーは理解が追いつかず、ただ口を半開きにして固まる。
「神経に作用し、自我を奪う猛毒。空気感染で広がり、一定量が蓄積すれば脳波までをも支配する。予め毒に組み込まれた奴らの遺伝子により、脳は主を認識するように仕向けられ……そこから先は、お前でもわかるだろう」
「そ、んな……」
「幸い、人から人への感染はなく、空気中の毒もすぐに効力を失うと判明している。だが奴らがその気になれば、いくらでも新品を散布できる。職業柄毒物に明るい俺たちでも、到底理解の及ばねェ未知の劇薬……」
フレーは身構えた。目の前の敵に対してではなく、今もかの街で暗躍する恐るべき支配者に対して。
「近隣の村も次々と侵され、いよいよ魔の手はこの街に迫りつつある。そんな状況下に突如として現れたお前は……数多の罠を掻い潜ってここまで来たわけだ。それも最終的には一人で、な」
守護者グレイザーは、ふと口元を緩ませる。右手を宙にかざしたのを見てフレーも臨戦体勢に入ったが、
「えっ……」
予想に反し、パチンと指を鳴らす軽快な音がした。
次の瞬間訪れた、破裂するような機械音。立つのもやっとな振動。
パニックになるフレーをよそに、不敵な笑みを浮かべるグレイザーは大声で言い放った。
「焦るな、フレイング・ダイナ! 案内しているだけだ、俺とお前に相応しい頂にな!」
「な、何してっ、グレイザー、話を……!」
言いかけて息が詰まる。自身を取り囲んでいた多くの液晶が、壁ごと下に下がっていくのが見えたのだ。
そしてフレーは思い出す。今自分が、このタワーのどこに位置しているのかを。
「ははは……ハッハハハハハハッ!! あァ、俺は試されているらしい! お前たちという障害を除き、晴れて計画を開始できるかを!」
「バカ! なんでそんな大事なことを言ってくれなかったの! 私たち最初から……!」
「御託は要らねェ! 見てみろダイナ、この街の景色を……未来永劫輝く、俺たちの最強の街を!」
天井が下がり切り、全身が外気に晒される。いざ頂上にいるという自覚を持つと、そこはもはや立っているのすら恐ろしい高度だった。
そんな中、先ほどより少し強くなった雨は……互いの髪を濡らし、どこか悲哀を感じさせる世界を作り出す。
「き……綺麗……」
グレイザーに言われた通り、フレーは辺りを見回した。視界いっぱいに広がる群都市の明かりを始め、奥にまばらに見えるのは、ホメルンを始めとした小さな村の数々だ。向きを変えると、かろうじてシュレッケンらしき街も見えた。
目に映る全てが、ほんの数日前までなら考えられないものばかりである。
「無論だ」
フレーの素直な感想に、常に猛禽類のような目をしている彼が、ほんの一瞬頬を緩ませた。本当は誰とここに来たかったのか……言われるまでもなく理解できる。
「もし晴れていたら……今日は星がよく見える日だった」
ガコン、と鈍い機械音がする。残されたふちの柵の奥から、巨大な銃器が次々と飛び出してきた。
銃口の向く先は明白だ。グレイザーが再び手を掲げると、いつの間にかその指には多くのナイフがあった。
「覚悟は良いか? 魔法使いは俺の世界には必要ない……今ここで殺す。俺の強さの所以たる、この刃にかけて」
「…………殺す、か」
随分と自信満々らしい。フレーは目を伏せ、静かに息を吐く。
「魔法使いでも、体の仕組みは普通の人間と同じだろう。そうでなきゃ、あんな風に銃弾から逃げたりはしねェ」
「…………」
「ならば後は技量の差だ。そうだろう、フレイング・ダイナ?」
「ふっ……ん、ふふ……」
フレーが思わず笑い出すと、グレイザーの動きがピタリと止まった。一切変わらぬ表情で、彼は静かに問いかける。
「聞かせてもらおうか。何がおかしい?」
「ううん、別に……グレイザーって、本当に自信に溢れてるね。羨ましいな」
「ほォ……そう言うお前は何か策があるのか? 折角の機会だ、教えてもらおうか」
「何も無いよ。自分の力は信じてるけど、作戦はもう結構失敗してるし。エーネのこととか、ほんとに心配で気が気じゃないし……」
でも、と小さくこぼし、フレーの独り言は続く。
「でもそっか、これから私を……ふふっ。ならさ、グレイザー」
「…………?」
「試シテミル?」
「────────っ!?」
グレイザーは反射的に一歩後ずさった。雨とは違う液体が首筋を伝い、自身の心臓を指し示す少女に視線を釘付けにされる。
(なん、だ……? 今の……)
フレイング・ダイナ。炎の魔法使い。生まれながらに魔力を持ち、それに驕る未熟な存在。
そう信じて疑わなかった。仮に彼女が謙虚だとしても、さしたる違いはなかった。
そのはずが今は……彼女が到底普通の人間には見えなかった。まるで何かに取り憑かれたような、全てにおいて自分を超越するような……
「私ね、あんまり自信は無いんだけど……何故か負ける気はしないよ。頭にボウガンを突き付けられてるわけでもないし」
目つきの変わったグレイザーを見据え、フレーははっきりと宣言した。そこでようやく彼に普段の表情が戻る。
フレーが力強く両腕を振るうと、ノーブルタワーの頂上が恐るべき業火に包まれた。同時に、数多の銃器が稼働する。
「……話は終わりだな」
「なら……やっちゃおうか」
風が吹いている。偽りの被り物が吹き飛ばされ、フレーの橙色の髪が露わになった。
「完全にたまたまだけど、グレイザーだって『武術に秀でた若者』だもんね……」
今こそ証明する時だ。もう、負けることなどありはしないと。
「殺しに来るなら、こっちも容赦しない……その首を焼き切って、テンメイ王へのプレゼントにするよっ!!」
「上等だ……お前が何者かなど、もはやどうでも良い。類まれなるその力も、守護者の前には無力と知れッ!!!」
ここまでお読みいただきありがとうございます。ビートグラウズ編、いよいよクライマックスです!!




