17:懐刀
「フレー、罠だ!」
「うっ、わ危ない……! ありがとう、ザン」
グレイザーはどこまでも苛烈だ。追手を撒かれた場合に備え、通路に罠まで仕掛けてあるとは。ザンがいなければいつ死んでいてもおかしくなかった。
彼だけではなく、エーネが欠けていても……
「追手、来ないね」
「……ああ」
「エーネの……馬鹿。何で、あんなこと」
彼女の魂からの叫びは、既に数階上にいたフレーたちにもしっかりと届いた。きっと今も街中を逃げ回っているのだろう。こちらに向かってくるはずだったハンガーズを、軒並み引き連れて。
「大丈夫だ、きっと。運動音痴だが、逃げ足だけは速いやつだからな」
「…………」
「行こう。俺たちは目的を果たすんだ」
「……うん。そうだね!」
フレーたちは進む。壁から飛び出しくる槍、上から撒かれる毒物。時に傷付き、時に庇い合いながら、上を目指して歩み続ける。一階ごとの移動幅が少なかったのは幸いだった。
それからどれほど登っただろうか……ふと広い場所に出た。最下層の講演場よりは規模が小さいが、天井までの距離はかなりある。
それはまさに、おあつらえ向きの場所だった。
「今回が初めてです。私が彼に、真っ向から反対したのは」
透き通るような柔らかい声が聞こえた。部屋の四隅にあった照明が淡く光り出すと同時に、寂しげな顔をした青年がフレーたちの前に姿を現した。
「彼女が死んだ時も、私は彼に強く言えなかった。彼と共に在ろうと決めていたから。だからこそ、今回に限ってこのような事態になったことは……残念でもあり、嬉しくもあるんですよ」
「……そうか。まず、あんたなんだな」
「はい。数日ぶりですね」
ぴっしり着こなした背広姿で、彼は恭しくお辞儀をした。
「改めまして。ビートグラウズの守護者、グレイザーが補佐。エルディード・レオンズと申します」
エルディードことエルドは顔を上げると、予め手に持っていた小瓶を二つ、片手でこちらに放り投げた。
「あっ!」
「大丈夫、落としても割れない仕様になっています」
キャッチできずに床に落としたが、傷一つ無くてホッとする。一方で上手く取ったザンは、訝しげに中の液体を眺めた。
「一応聞くが、これは?」
「解毒薬、でございましょうか。散布された毒は直接浴びずとも、粒子を吸うだけで効果が現れます。あと、切り傷等にも効きますよ」
「はっ、そんなの誰が信じると……っておい! フレー飲むな!」
「えっ!? ご、ごめん、実はさっきから頭がくらくらして……」
はっきり言って味は微妙だ。しかし一口飲んだだけで頭が晴れ、体が軽くなるのがわかった。れっきとした薬のようだ。
「疑り深くて困ります。彼の罠は苛烈でしょうから、ほんのオアシスにと善意で提供したまでなのですが」
「……どういうつもりだ」
「深い意味は。ただ、そうですね……私はこう見えて、正々堂々を好むタチなのです」
ザンが刀に手をかける。フレーも、彼に対する言いようのない違和感に気付いていた。
先ほどからどこか、狙いを定めているような────
「私は傷付いたあなた方なんて……相手にしたくありませんから」
(…………ッ!?)
エルドの笑顔が歪んで見えた。それが殺気によるものだとわかった時、彼はどこからともなく円盤のようなものを二枚取り出し、腕をクロスしてこちらに投げつけた。
ザンが刀で弾き、フレーが横跳びで回避すると、円盤はその軌道を狂わせることなく再びエルドの両手に収まる。
「流石、数多の罠を退けただけはありますね」
「っ……それがあんたの武器ってわけか」
「ご名答。チャクラムをご存じでしょうか。それを改良したものです」
円盤の外側についた鋭利な刃は、触れたらタダでは済まないだろう。
フレーは彼を警戒しつつ、睨めつけるようにしながら語りかけた。
「どうしてエルドさんが戦うの! グレイザーに反対なんじゃないの?」
「反対ですよ。今だって……本当は、別の方法を模索したい」
「だったら────」
「だからこそ。それを言葉ではなく武力で捻じ曲げることは、私が許しません。私がここにいるのは、武を持ってそんな異物を制すためです」
再び円盤が体を掠める。また二人とも狙われると思いきや、二投目もフレーの方に飛んできた。今度は避けきれず、掠った腕に血が滲む。
「んっ……!」
「フレー!」
「彼ほどのスピードは無くとも、範囲が広く取り回しが良いのが強みです。せっかく薬を渡したのに、新たな傷が出来てしまいましたね」
エルドが近づいてくる。決して激痛では無かったが、慣れない痛みに戸惑っている内に、すぐに彼の間合いに追い詰められてしまった。
「炎の使い手フレイング・ダイナ。ここで投降してください。リーダーたる貴方が屈すれば、外で逃げ回っている彼女も大人しくなるでしょう」
命は助けるよう掛け合います。そんな風に話すエルドの目は、もう全く笑っていない。どこかゼノイに似た柔和な表情の奥に、どれだけ複雑な葛藤があったのか、今フレーは身をもって知った。
「……お断りだよ」
それでもフレーは負けじと凄む。
「私はグレイザーを止める。そっちができないなら、私がやるだけだよ」
「それは……あなたの仕事ではない」
エルドの語気が強まる。その静かな怒りを感じ取ると同時に、エルドの投擲がフレーのもう一方の腕を目掛けて行われた。この距離では避けきれない。
痛みに備えぎゅっと目を瞑ったその時。軽快な金属音が暗闇に響き渡る。
「……範囲だか取り回しだか知らないが、やはりグレイザーより遅いのは、致命的な欠点だ」
「……ほう」
「俺を差し置いてフレーと遊ぶとは、随分と余裕だな?」
どこか確信を持って目を開ける。視線の先には、円盤を刀で弾いたザンが仁王立ちしていた。
年を経るにつれて、少しずつ自分より大きく頼もしくなっていく背中。その後ろ姿からは、もはやかつての面影は感じられない。
「ザン……!」
「行け」
冷たく鋭いその言葉に、心臓が跳ね上がる。一瞬意味がわからなかった。
「そ、そんな……っ、ダメだよ、ザンがいなきゃ……!」
「残念だが、エルドがいる限りそれは難しそうだ。でもお前は先に進まなきゃいけない。相性的に……俺では多分、奴には届かないんだ」
彼の衣服が緊迫した空気に揺れる。その背中越しにエルドが嗤う。
「だからこいつは俺が仕留める。フレーは、奴を。グレイザーを倒せ」
ザンがウィッグを放り投げた。エルドが無言で円盤を投げる。今度は二投同時だ。
風を切る音が聞こえる中、フレーは弾かれたように走り出した。
「困りますね、私の任務はあなた方の足止め。この先には────っ!?」
「どこを見ている? エルド!!」
部屋の奥……初めにエルドがいた場所の後方に、小さな入口が見えた。
真っ直ぐにそこを目指すフレーを庇うようにして、ザンが彼に斬り掛かっている。
「流石のお前も、近づかれちゃ形無しだろっ……!」
「ふっ……峰打ちとは、あなたこそ随分と余裕なんですね」
エルドはザンの刀から体を離すと、ふわりと宙を舞い、フレーの真上に移動した。当然このまま行かせる気は無いようだ。
「うっ、あ、あと少しなのに……!」
噴射を使うことも考えた。しかし、突撃した先に罠があったらどうなるかわからない。
残るはもう自分一人なのだ。ザンもエーネも、グレイザーの元へは来られない。これ以上の怪我は命取りだ。
「逃しませんよ。あなたは今ここで────」
「どいつもこいつも、飛び道具が盛んな街だな……! 受けてみろ、お前の技!」
地上にいるザンが、大きく腕を振りかぶる。その手には、先ほどからエルドが投げていた円盤が握られていた。
「! あの時僕から……!」
「落ちろッ!!」
ザンの渾身の一投が、真っ直ぐにエルドを目掛けて進む。彼が真下のフレーを傷つけるよりも早く、その円盤は彼の左肩に命中した。
「ぐっ……!?」
「今だ、行け!!」
「ザン、絶対無事で……また後でねっ!」
フレーがドアを潜り抜けると、空中で攻撃を受けたエルドが落下する音が聞こえた。義兄の安心した表情を最後に、フレーは孤独な暗闇に包まれる。
守護者の気配は、もうすぐそこだ。
「……取り逃しました、か」
「痛そうだな。ほら、これ」
肩を押さえて顔を顰めるエルドに、ザンは先ほどもらった小瓶を投げた。一切口をつけていないそれには、フレーが飲んだものと同じ液体が入っている。
「……あなたの方こそ、どういうつもりです」
「正々堂々、なんだろ。フレーはもういない。向こうもこっちも一対一ずつ……状況は互角だ」
もちろん本気でそう思ってはいない。フレーとグレイザーではあまりに戦闘経験の差がありすぎる。
それでもザンは、彼女に賭けた。あの臆病なエーネがそうしたように。
「それではいただきましょう」
「……本当に薬だったのか」
「ええ。私は補佐ですが、謀略を巡らせるのは彼一人で十分です。私はいつだって公平でありたい」
薬で痛みが引いたのか、エルドが立ち上がって姿勢を正す。自分とそう変わらない年の男を静かに見つめ、ザンは再び口を開いた。
「エルド、あんたは何故グレイザーに仕える? 不満があるなら、自分で指導者になることだってできたんじゃないか」
「そう定められたから、でしょうか」
彼は懐かしそうな顔になる。ザンがフレーのことを考える時と少し似ている気がした。
「幼い頃から共に在り、彼と過ごすのが当たり前でした。私はあなたとは違い弟分でしたが……いずれにせよ、家族のような愛情を持っているつもりです」
「なら、なおさら止めるべきだ。家族の暴挙を見過ごすのか」
「あなたこそ、どうして彼女をここへ? 心配ではなかったのですか。初めは止めたのでしょう」
ザンは小さく微笑んだ。フレーが鉄の饗炎の知らせを持ってきたのが、つい先ほどのことのように思い出せ必ず
「当然止めた。だが、聞くようなやつじゃない」
「私も同じですよ。いつだって一直線。それがグレイザーという男です」
「そうだろうな。けど、俺たちには相違点もある」
穏やかな時間は終わりだ。微笑の奥に確たる決意を秘めた従者を見据え、ザンは再び剣先を向けた。
「あんたは恐れている。あの男を、本当の意味で捉え切れてはいない」
「ご冗談を。それこそ、私たちの共通点でしょう」
「見方によってはそうかもな。だがもしフレーが道を踏み外したなら……あんたと違って、俺は必ずあいつを止めるさ。這いずってでも、やめさせて見せる」
かつて、誓ったのだ。たとえこの身が燃え尽きても、必ず彼女を守り抜くと。
「さあ……始めるとしよう。あいつの道を阻む者は、何人たりとも逃しはしない」
「では、全力を持ってお相手致します。ビートグラウズと、我が友のために……!」




