16:友のための魔法
全身から血の気が引いて、フレーもザンもその場から微動だにできなかった。仮にこの時すぐにでもドアの奥に飛び込んでいたら、騒ぎが大きくなることはなかったのかもしれない。
「やば、い……」
掠れた声でそう言うのがやっとだった。全身を舐めまわすような、夥しい視線を感じる。
「いたぞ、あの二人だ!」
「ひいッ!?」
雪崩の如く殺到するハンガーズ。迫り来る危険を感じながら、フレーは渾身の力で数日前と同じドアノブを回した。しかし────
「開かないっ!? 開かないよっ!」
「フレー、熱を加えろ! 最大火力だ!」
口から心臓が飛び出そうなのを堪え、力を放つ。赤く変色したノブを、ザンが一刀両断にした。
「こじ開けるぞ! せーのっ!」
一斉に体当たりをし、フレーに至っては後方に噴射まで使い、強引に中に入る。恐ろしすぎて後ろは振り返れないが、すぐそばにまで追手が迫ってきているのが分かった。
「恐らく出口は無理だ、上に逃げるしかない!」
二人で駆け出す直前、先ほど破壊したドアの残骸が目に入った。
(鉄でできたドア……それをあんなにしっかりロックして……)
グレイザーは本気で三人を殺すつもりだ。こちらの動きは、何もかも読まれていた。
(ゼノイさん、見誤ったの……?)
「逃すな! 必ずここで仕留めろ!」
「っ……!!」
階段の場所はわかっている。しかしその先は闇だ。追手をある程度迎え撃たなくては、追い詰められた瞬間に一巻の終わりである。
「フレー、下がれ! ここは俺が……!」
ザンが鬼気迫る声を発したと同時に、狭い通路の中に、突如として淡い光が浮かび上がった。
村で何度も見た光景だ。この場では彼女の力は、唯一の遠隔攻撃として無類の強さを誇る。
「何よこれっ、ねえちょっとマキウ────きゃあああっ!?」
「ローリー!?」
再び駆け出した二人の背後で、巨大な水流のうねる音と、それに戸惑うハンガーズの悲鳴が聞こえた。
水の魔法が、届いたのだ。
「な、ナイス……!!」
「戦闘向きじゃないあいつのことは心配だったんだがな。杞憂だったみたいだ」
余裕を持って階段を上る。追手の気配が消えたことに安堵しながら、ザンが息をついて言った。
「やる時はやるな、エーネ」
─────────────────────────
「……そうか。気付いていたか、グレイザー」
「そんな……!? 援助に行きましょう、ゼノイさん! このままではあの子たちが!」
「それはできない。今私たちが出ても、やれることはあまりに少ないからね」
「ですが! もしかして、こうなることを予測していたのですか……?」
仲間の怒号を浴びても、ゼノイ・グラウズは表情を変えない。ただじっと人気の無い場所から、騒ぎの起こっているノーブルタワーを見つめていた。
「五分五分だったがね。ただ私は何一つ、偽りは告げなかった。最高の作戦……私はそれを提供したよ。あの方法でしかチャンスは無い。逆に言うと、こうなったのなら、奴に勘付かれない手段は全く存在しなかったということだ」
「だからって……ならせめて警告してあげれば……」
「不安を煽るだけだっただろう。それにね、私は賭けたのだよ。彼女たちに……あの燃え盛る想いを秘めたダイナ嬢に。あの強大な男を正せるのは、我々のような老骨ではなく、若く素直な未来の担い手なのだ」
拳を握り締め、ゼノイは在りし日の街を思い浮かべる。再びその光景が現実となった中で、笑っているのは誰か。
「始まってしまったね……彼女たちの初陣にして、群都市の存亡をかけた決戦が」
─────────────────────────
「はあっ、はあっ……!」
エディネア・モイスティは、騒然としたパーティ会場に真っ青な顔で立ち尽くしていた。通路から押し返されるハンガーズを見ながら、今にも逃げ出したい衝動に駆られる。
(さ、作戦が、全然意味なかったっ……!! でも……)
想定とは違う形だが、フレーたちはハンガーズから逃れた。上で何が待ち受けているかは何となく想像がつくが、もはや信じることしかできない。
むしろ問題なのは、今の自分に残された仕事の方だった。
「溺れさせる……この部屋に渦を作って、ハンガーズを全員……!」
エーネの力はフレーとは大きく異なる。彼女が手のひらからしか炎を出せないのに対し、こちらの水は遠隔から操作できるのだ。
警戒態勢を敷くためか、何人かは既にエーネの横を抜けて外へと出て行った。しかし今ならまだ、多くは会場にいる。エーネが水流を生み出せば、かなり長いこと足止めをすることが可能なはずだ。
「私がやるんだ。私が、やらなきゃ……っ」
わかっている。わかってはいるのに。
(みんな、怪我しますよね……。確かに私なら治せるけど……皿が割れたら破片が危ないし、水で回されたら吐いちゃう人だって……)
多くの市民を巻き込みながらグレイザーから逃げ延びたあの日、本当は罪悪感でいっぱいだった。切り開くべき道とは無関係の人々まで押し流したのだ。あの後怪我人はいなかったのだと聞いても、しばらくは心が締め付けられるような思いがしていた。
また、その悲劇を繰り返すのか。
────「無事に村に帰ったらまたお泊まりしようね、エーネ」
「…………!!」
いや、悲劇がなんだというのだ。
大切な幼馴染が危機に陥っている。やらねば全てを失う。こんな自分を受け入れてくれたあの二人を。居場所をくれたあの村を。
ならば今こそ、勇気を……
────「ああ、愚かなXXX……君には無理だってわかっていたよ」
「…………あ……」
まるで『彼』がすぐ近くにいるような気がして、エーネは背後を振り返る。しかし荒れ狂うハンガーズ以外、そこには誰もいない。
その事実を認識した時、ふと気持ちが緩んだ。
(そうだ……私は、私の道を行く。そう誓ったはずです)
掲げかけていた腕を下ろす。少し涙がこぼれ、それを拭いながら、エーネは自分に言い聞かせた。
「だから、無理で良い。私はあの人とは違うんだから」
フレー、ザン。ごめんね。
心の中で謝罪し、エーネはウィッグを取り外す。
やはり自分にはできない。皆を押し流すことなんて。どれだけの人が怪我をするかわからない災害を巻き起こすなんて。
それならば────
「ストーーーーーーーーップッッ!!」
全身全霊をかけて叫んだ。腕を上げ、必死に存在をアピールする。
足は恐怖で震えていても、友を想えば頭はクリアだ。
「みんなして、どこ行くんです?」
精一杯挑発的な声を作る。自分でも聞いたらイラッとするだろうな、なんて、他人事のように思う。
「本当は、みんなを水で押し流しても良かったんです。でも、気が変わって」
会場の全員が自分を見ている。その瞳に込められているのは、ほとんど確信に近い疑念だ。
「指名手配犯がすぐ近くにいるのに、放置して上に行こうとするもんだから……相手をしてあげたくなっちゃいました」
「あぁ……?」
一人が剣先を向けるのに連動し、数多の殺意がこちらに向けられる。泣き出したくなるのを堪え、エーネは不敵な笑みを作ってみせた。
「やる気ですか? 確かに私は援助担当……けど私を倒さなきゃ、上へはいけない。何せ、この魔法の力で足止めしてますから」
「何……? そうか、こいつ……!」
「あの一番弱そうなやつか! しかし腐っても魔法使い……!」
「仕留めなければ……グレイザーと、俺たちの明日のために!!」
腕を掲げ、水を纏う。
気弱な魔法少女は、会場全体に向けて声を張り上げた。
「みんなに捕まえられる!? 私はエディネア・モイスティ、未来の治癒師です! ハンガーズが最強の軍隊だっていうのなら……この私一人くらい、一瞬で仕留めてみてくださいっ!」
出口に向けて水流を放った。半ば溺れながらその波に乗り、エーネはパーティ会場を後にする。背後に、無数の追手の息遣いを感じながら。
(二人とも、どうかお願いします。私だって死にたくないから)
誰もが覚悟を決めた夜の街を駆け抜けながら、エーネは戦いの最中にいる仲間たちに願った。




