14:共に最強の街を
辺境の村に生まれた少年グレイザーは、幼少の頃よりあらゆる分野で才覚を発揮していた。同じく一目置かれていた一歳下の親友エルドと共に、将来村を導く存在なることを、誰もが信じていた。
彼自身もその気だった。それはちょうど、テンメイ王への代替わりが行われた時期。十二、三歳で既に長の風格を備えていたというのは以前エルドが語った話だという。
そう、全てが順調だったそうだ。村が突然、野盗に焼き払われるまでは。
「……あまりに急なことだったよ」
地方に基地を置かない王国軍は、当然救援には訪れなかった。代わりに出動したのは、当時既に名を馳せつつあったビートグラウズの小規模な軍だ。
しかし辿り着くころには、ほとんどが手遅れであった。グレイザーが導くはずだった村はものの一瞬で壊滅し、住民の半数以上がその日のうちに死亡した。救い出された彼らは、せめてもの後処理を買って出たこの街にて保護されることとなった。
────今日からここを君たちの家だと思うが良い。私はゼノイ……この街の市長だ。ようこそ、ビートグラウズへ。
新たなる門出。為政者の卵となったグレイザーは、それは目覚ましい成果を見せたという。
故郷の滅亡を悼むよりも、復讐の念に囚われるよりも、自分にはやるべきことがあると勉学に励む毎日。その才はやがてゼノイをも凌ぎ、エルドと共に政務を手伝うようになる頃には、ほとんどの市民に認知されるようになっていた。
「そんな折だった。彼に恐らく、人生で最後の友人ができたのは」
彼女の名はリアン……街中のとあるパン屋の看板娘だ。グレイザーとは同い年で、出会いは二人が十五の時だったそうだ。
時の人となりつつあったグレイザーのことを、何と彼女は知らなかったのだという。
「なまじプライドが高い彼は、それが気に食わなかったようでね。気晴らしに彼女の店に訪れた際に、『疲れてますね、士官学校帰りですか?』なんて聞かれたものだから、すぐさま問いただしたそうなんだ」
なんともグレイザーらしい話だとフレーたち全員が思った。
────お前にはこの街で生きる自覚が足りねェ! 俺のことばかりか、市長のファーストネームも知らねェとはどういう了見だ!
────な、何ですか! あんただって、パンの絶妙な焼き加減とか知らないでしょ!? この二つのパンの違いわかります? 生きてる世界が違うのよっ!
────あー、今日もですよ、ゼノイさん。どうします?
────全く……頼みたいことがあったんだが、またパン屋で政治を説いているのか。エルド、悪いが仲介してきてくれないか?
────……いえ、面白いので、このままにさせてください。
忙しく前進するしかなかった生活の中。それはグレイザーにとって、エルド以外に初めて出来た気の置けない話し相手だった。
そうでなければ、わざわざ文句を言いに足繁くパン屋に通いはしない。
────ん? おいリアン、何だこのパン。
────新作です。いや、その……政務にしか脳がないあんたに、うちの新メニューの味を思い知らせてやろうと思ったのよ。
────ハッ……それで開店前から待ってたっけわけか。ご苦労なこった。
────あんただってわざわざこんな時間に来てるでしょ。しつこい男は嫌われるわよ。
────言ってくれるじゃねェか。だが……良さそうな出来だな。二つとも頂いていこう。
────あっ、違いますから! 片方はエルドの分だから! 全く……あんたも少しは彼みたいにおおらかさを……
知り合って一年も経つ頃には、二人の関係には明確な変化が訪れていた。
喧嘩相手から友人へ。友人から、無二の親友へ。
────こんな夜更けに急に呼び出したかと思えば、星見だと?
────ふっふっふ……毎日お疲れのあんたたちに、優しいあたしが癒しを教えてあげようと思ってね。
────あのー、リアンさん? 僕、明日も早くから仕事が……
────あー、もう! 今日はビートで星が一番綺麗に見える日なんです! 文句言わずに付き合って!
────お前が行きたいだけじゃねェか。あと略すな。
「グレイザーはあんな態度だったがね。私は本当に嬉しかったんだ」
やがてリアンの方も、グレイザーたちの政務室に差し入れに来るようになった。どこか殺伐としていた空気が一気に華やぎ、彼らは人生で最も幸福な時間を過ごした。
────前々から思ってたんだが、お前のその奇妙な喋り方は何だ? 上からなのか下からなのかよくわからん。
────奇妙って……ああ、確かに変わってるかも。自分でもよくわかりません。昔からパン屋の手伝いはしてたけど、お客さんに愛想よくする一方、裏ではうちのダメ親父にかなりきつい物言いしてて。いつの間にか敬語とタメ語が混ぜ混ぜに……
────おかしな話だな。だがリアン……親は大切にしろよ。
────ふふ……グレイザーも、皆と仲良く政治するのよ?
他愛の無い話から、
────リアン。お前、夢はあるのか?
────急ですね。あんたはどうなの?
────俺にはある。ガキの頃から変わらねェ。強く、安定した最強の街を作る。俺の手でな。
────やっぱり……ああ、でもそれには、もっと政治に取っ付きやすい感じにしないと、全員は理解してくれないかも?
────以前のお前のようにな。
────むっ……これでもちょっとは勉強しました! あ、じゃあ、もっと格好良い感じにするのはどう? 講演の時にパフォーマンスとかつけて、豪快に! こう、バーンって感じで!
────ハッ……何だそりゃあ、やるわけねェだろ。だが構想はあってな。技術さえあれば、権力の象徴として、お前の好きな星が近くに見えるほどのでかいタワーを………
将来についての会話まで。
────あたしもあるわよ、夢。このパン屋を広げて、王国中の人に私の作ったパンを食べてもらうの。ありきたり……って思うかもしれないけど。
────ありきたり、か。上等じゃねェか。それにはやはり、宣伝効果を狙える街づくりは欠かせない。俺たちの夢は繋がってるってわけだ。
────中々良いこと言いますね。じゃあこれからも、協力し合っていかないと!
────そうだな……ったく、まさかお前とこんな関係になるとは。
────頑張ろ、グレイザー! いつか三人で、最強の街を作るんです! あなたと、エルドと、あたし! 楽しみね!
それはまるで、水が下流に流れるかの如く。そうなって当然だと言わんばかりに。
グレイザーの人生に再び暗雲が立ち込める。ちょうど、王都で新たに就任したこの国の軍務長官が、街の視察に来る頃だった。
「リアンが病にかかった。それは今でも治すのが難しい、驚異的な大病だった」
グレイザーは信じた。ただひたすらに、大切な友の回復を。しかし彼の想いとは裏腹に、リアンの体調は悪くなっていくばかり。
軍務長官の率いる軍が野盗一味を制圧したという情報が入った。
それはかつてグレイザーの故郷を滅ぼした者たち。周辺地域が力を持たないがために増大し手がつけられなくなっていた所を、一気に叩き潰されたそうだ。
彼が十七になったばかりのその日。仇敵と友とが、同時に命を落とした日。
────なんて顔、してるんですか。この街を、導くんでしょ……?
────ああ、どうして……
────リアンッ…………!
────信じてます、二人とも。あんたたちなら、きっと……
痩せ細ったリアンの手に、グレイザーはそっと自分の手を添えた。弱々しく動く彼女の頬に、誰にも見せたことのなかった滴が落ちる。
────ふふっ……あの時の星空……最高、だったわ。
動き出していたはずの時が、再び止まる瞬間だった。
────またね。応援、してます……
その日は雨だった。傘もささず、グレイザーは街を出る。
ヤケになったからではない。掃討の後始末を終えた軍務長官が挨拶に来るとのことで、市長であるゼノイの代理として出向いたのだ。
グレイザーはわかっていた。自分はどこまでも人を導く存在だ。だから慟哭も押し込め、こうして外交の場に赴く。傘を刺さなかったのは、万が一の涙に備えるためだ。
────グレイザー・ザ・フェンダー殿。この度はわざわざ申し訳ない。失礼ながら、傘は……?
────必要ありません。お初にお目にかかります、軍務長官殿。噂に違わずお若い……聞けば、私とそう変わらないとか。
────まだまだ若輩の身。これからいっそう、精進する所存です。
────……いや。もう十分完成されているかと。
グレイザーの瞳には、長官の後ろに控える数多の軍勢しか映っていなかった。右を見ても左を見ても、男も女も屈強な者ばかり。
これで野盗を滅ぼしたのか。
こうして、弱者は淘汰されるのか。
これが、力か。
────私にも、彼らがいれば。
────……フェンダー殿?
────この場所からでも、戦えたか? 最強の街……俺は、この五年間何を……?
────失礼。具合が悪いと見受けられるが、良ければ我が軍医を……
────あァ……長官殿。俺はあんたが羨ましい。その齢で、これほどの力を得ているあんたが……!
グレイザーは軍務長官を見据えた。向こうも同じように彼を見ている。
そこに相容れない何かを感じ、部下から声がかかるまで、二人は微動だにしなかった。
街に戻ると、グレイザーはすぐさま動き出した。
────グレイザー、どう言うことだ? この政策要項は何だね?
────何度も説明はしねェ。この街には最も必要なものが足りない……それすなわち、有無を言わさぬ武力。自ら状況を動かす力だ。
────良いか、君は事を急いている。頻発する野党被害……確かに大きな軍の存在は、その大きな抑止力になるだろう。しかし各地の村では自警団が作られつつある。我々だって、小規模だが街を守れるだけの軍が……
────それじゃ足りねェんだ! 何故わからんっ!?
「私は恐怖した。自分の知る利発な子が、肉食獣に変わる様を見たからだ」
────ぬるい! あまりにぬるい! 事が始まってからは全てが遅いんだ! 今回の遠征は軍務長官の独断だそうだ。イカれた現国王は、俺たちのことなんか考えちゃいねェ!
────急すぎると言っているんだ。大規模な徴兵など人はついては来ない。君はまだまだ青い。考え直すんだ。
────いや……そいつは、あんたが決めることじゃねェ。
「そして、市長選が始まった。獣となった愛弟子は、恐るべき手腕で支持者を獲得していった。弱冠十七歳……その年齢で、あらゆる方法で現状の危機を訴え、取り憑かれたように力の必要性を説き……気がついた時にはもう、私の居場所はなかった」
────私を……今までの政務関係者を、軒並み追放するだと……!?
────ああ。あんたはもう、街の中枢には必要ない。あとはこの新市長に任せるが良い。
────待ちなさい! それがこの街のためになるにならば、私は喜んで身を引こう。しかしそのやり方では、いつか必ず身を滅ぼす! 思い出すのだ、あの子を……リアンの笑顔を! あの子が守りたかった、君たちの未来を!
リアンは誰かに殺されたわけではない。自ら死を選んだわけでもない。ただただ不幸だっただけで、それでも最期は笑顔だった。
グレイザーたちが好きだったから。
死ぬその時まで楽しかったから。
自分を責めないでほしい。グレイザー、君には幸せに生きる権利がある。修羅の道に入り誰も顧みずに歩き続けるなんて、そんなのは君の仕事ではない。
「私の訴えは遂に……届かなかった」
これはリアンが望んだことだ。最後に彼はそう言った。本当は違うのだと、自分でもわかっているはずなのに。
「そこから先は、君たちもある程度知る通りだ」
市長となったグレイザーは、短期間で様々な改革を行う。目を見張るべきだったのは、自身の街のみならず若者が多い周囲の村からも有志を募り、更には一定の徴兵も行う大規模な軍事変革だった。
当時フレーたちはまだ幼かったが、思えばホメルンにも募集が来ていたことがある。
圧倒的得票数で当選したグレイザーに対し、反対意見は少ない。しかしそれでも異を唱える者には、容赦の無い制裁が与えられた。殺されはせずとも徹底的に痛めつけられ、二度と歯向かうことは許されなかった。フレーたちにそうしたように、何かしら特別な才がある者に対しても矛先を向け、問答無用で追放した。
当選から一年を待たずして、グレイザーの管理する軍人の数はゆうに一万を超えていた。彼に心酔し、平和と闘争の両方に飢えるその倒錯した集団は「ハンガーズ」と名付けられる。
グレイザーが肩書を改めたのもちょうどその頃だった。今や王国内で有数の影響力を誇るようになった群都市。その街を統べる者に、市長という呼び名は少々物足りない。
民衆は口々に言った。彼無くしては、この街の平和は成り立たないと。それに呼応するように、グレイザーはこう名乗るようになったのだ。
最強の街を造り上げ、それを守り続ける……絶対的な力を持った、「守護者」と。




