14:侵略の守護者
向かう先は、ランドマシーネ。
一切の澱みなく守護者は言い切る。まるでさざ波のように、群衆に波紋が広がった。
「ランドマシーネ……って、あの……!? シュレッケンじゃなくて……?」
「ま、待てよ。待ってくれ! そんなの現実的なわけ……」
背筋に冷や汗が伝い、フレーはたまらず二人を見た。ザンは目を見開いて絶句しており、エーネは口元に手を当てて冷や汗をかいている。
訳がわからなかった。しかし一つだけはっきりしていることがある。
グレイザーは何の理由も無しに、このようなことは言わない。
「聞けェ! お前らァ!」
その一言で、場は水を打ったように静まり返った。
「王都と密接な関係を結ぶ、あらゆる技術の源たる軍需都市。この街にも、かの地の技術による恩恵が至る所にある。この拡声器をはじめ、炎の噴き出る装置、自動で動く床、いつまでも明るい電球……だが皆、気づいているはずだ。所詮『その程度だ』と」
人々の息遣いから、同意の意思が感じられた。ダメだ……とフレーの頭で再び警鐘が鳴る。昨日よりも、ずっと強く。
「連中は本格的な技術は一切秘匿している。外国はおろか、国内でもそれを扱えるのは契約関係にある王都の連中のみだ。ランドマシーネが誇る切り札……人型の破壊兵器である、『機人』に携われるのはな」
「…………!」
機人。のちにフレーは知ることとなる。それは個々に意思を持ち、一人で十人をも凌ぐ力を持つ、アルガンド王国が誇る最強の対人兵器であると。
「俺たちの目的は、この『機人』たちの手を借りること。そのために、大軍を差し向け交渉を行う。当然一筋縄では行かねェだろう……恐らく、何らかのいざこざが起きるはずだ。それを制し、シュレッケンの奴らを叩き潰す力を手に入れる。それができれば……炎の宴の幕開けだ」
どこかで聞いたことのある言い回しだ。群都市を見捨てた王がしたためた言葉だったか。
住民たちの反応は様々だった。いきり立つ者、泣き出す者、動揺して震え出す者……
そんな群衆に、グレイザーは優しく語りかけた。
「お前らの不安はもっともだ。言うまでもなく危険な行為で、留守中シュレッケンが動かないとも限らねェ。だが俺の見立てによれば、連中は『主力のいないこの街』には興味を示さないはずだ。それにお前ら……本当にこのままでいいのか?」
再び場を支配する静寂。グレイザーは続けた。
「このままシュレッケンに攻め込む……そのプランも考えた。だが、それが何の解決になる? 地方での戦いを制し、それが俺たちにどんな恩恵を与える?」
「……それは……」
「せいぜい元の生活が取り戻せるだけだ。当然、多くの者がそれで良いと思っているだろう。しかし、忘れちゃいねェか? ビートグラウズがここまで強くなった経緯を。この街が、周辺の全てを牽引する『群都市』と呼ばれる所以を」
ゼノイの話が思い起こされた。グレイザーがどのような過去を歩み、そして何を成し遂げたのか……
今のフレーたちは知っている。
「ランドマシーネの技術をもってすれば、この先様々なことを有利に進めていける。腐敗したシュレッケンの立て直しにも、国を差し置いてこちら側から介入できる。それは武力による脅しだと、人は言うだろう。しかし今の俺たちには、確固たる大義名分がある」
「大義、名分……」
「ピンチをチャンスに。今日の敗北を、明日の勝利に。王都にすら見捨てられたこの逆境……利用せずしてどうする?」
(だ、ダメ……こんなのって、ダメなのに……)
徐々に高まっていく周囲の熱を感じながら、フレーは頭を抱えた。
「ランドマシーネから帰還し次第、愚かなるシュレッケンの現指導者と交渉を開始する。今度こそ武力衝突も辞さねェ。遠回りに思えても、これが俺たちの……この街やシュレッケンの、未来のためだと信じている」
ランドマシーネは。そして王都は。自分の夢の地だけは、ダメなのだ……
「さぁ、手を貸してくれる者は名乗り出ろ! これは単なるパフォーマンスじゃねェ。未知の敵をも相手取り、安寧と発展を掴み取る……」
フレーは帽子を取り外し、グレイザーを見据えた。敵意を携えた眼差しで、力強く、魂を込めて。
「ビートグラウズに、新たなる夜明けを────」
「ダメにっっ……決まってるでしょーーーーーーーーッッ!!」
辺境の村ホメルン。その人口は、この街とは比べ物にならないほど少ない。全ての人が顔見知りで、狭く穏やかなコミュニティだ。
だからこの瞬間まで、フレーは知らなかった。不特定多数……それも文字通りの大群衆に、奇異の目で見られる居心地の悪さを。
「フ……レー……ッ!?」
「な、何をっ…………!」
数少ない味方二人の声も、可哀想なくらいに掠れていた。グレイザーに呼応し、今にも拳を振り上げんとしていた民衆の視線からは、もはや憎しみさえ感じる。
ただ彼だけが。当の本人であるグレイザーだけが、その表情に動揺を映さなかった。
「そうか、そこにいたか……帽子で隠れるとは考えたなァ」
猛禽類のような目で、彼は怒号を放つ。
「この街に何の用だ? フレイング・ダイナ!」
「いっ、い、言わせてもらうっ、けど……!!」
流石に緊張してしどろもどろになりつつも、フレーは決して顔を逸らさない。
「私も王や鉄の饗炎のことは、正直よくわかんない……この街が今危ないっていうのも、それはそうだけど……でも! グレイザーが今やろうとしてることは、ただの『侵略』だから!」
「…………!」
「ランドマシーネの人は、この街についてどう思うの!? はたから見たら、シュレッケンと一緒じゃないの!?」
彼らは全く関係ないのに。フレーがそこまで言い切ると、グレイザーの瞳から光が消える。
自分でもわかっていた。この主張は正しいけれど、ただの綺麗ごとだと。彼が複雑な思考を経て、この選択が最善だと判断したことを。
しかし今は、叫ぶしかないのだ。自分自身の夢を守るために。
「……随分な言い草じゃねェか。故郷を捨てたやつの発言とは思えんな」
「……っ……」
「ここでお前と語らう気はねェ。俺は俺なりに、この街を預かる身として決断した。口を挟むってんなら、相応の覚悟を見せてもらおうか」
群衆が各々の意見を口にする。グレイザーの肩を持つ声は多かったが、フレーの意見に同調する者も多少はいた。
「フレー、もうやめろ! あいつのことだ……何をされるかわからん! 昨日の話を聞いただろ!」
「ごめんザン、私引けないよ……たとえ今日帰る身だとしても、絶対に……!」
「お前……!」
フレーは服の裾を握り締め、深く息を吸った。
「覚悟なら、あるよ……!」
「何……?」
「ランドマシーネは。そこと繋がる王都だけは、侵させない! まだ何も考えてないけど、これだけは言える……!」
偉大な存在になる。そう誓ったのだ。この程度の試練、乗り越えられなくてどうする。
「私の全部を賭けて、グレイザーを止める! 絶対に、そんなことさせないからっ!」
グレイザーは無言になった。風に吹かれる蒼色の長髪はどこか幻想的で、しかしその様子からは、少なくとも納得した様子は感じられない。
「ハハ……そう、だったのか……」
肩を揺らし、グレイザーはくつくつとくぐもった声を上げる。
何が可笑しいのだろう。心無しかゾッとして、落ち着かない気分になった時。彼は顔を上げた。
「魔法使いだな? お前」
彼の瞳には、昨日のあの時をも凌ぐ憎悪が宿っていた。まるで怨敵を見るような、その相手に全てを奪われてしまったかのような表情。
「奇妙だとは思っていた……武器も持たず、そのくせ俺に啖呵を切る。昨日の侵入も、あの位置からどんな術を使ったのかと疑問だったが、そういうことか」
昨日は力の使用を見られないよう意識はした。しかしそれは、彼との強引な接触の手段だったからだ。「魔法使いであること」自体を、フレーは特に秘匿する意思はなかった。
「え……? だ、だったら何────」
そこまで言い掛けた途端、力強く腕を掴まれる。驚いたフレーが振り向くと、涙目になったエーネが物凄い勢いで首を小刻みに動かしていた。
「やばい」、とその顔が訴えている。
「魔法使い……王都近辺で稀に確認される、魔力を宿した人間。そんな奴が、この街に潜り込んでいたとはなァ」
尋常ではない殺意。駆け巡る悪寒を感じ、一歩後ずさったその時。
「────ッ!? フレー、伏せろ!!」
「なっ……!!」
反射的に頭を屈めた瞬間、頭上で耳をつんざく金属音が響く。目を開けた先では、歯を食いしばったザンが刀を構え、その手を震わせていた。
次の瞬間、いつの間にか群衆が離れ、三人だけで孤立していた地面に、恐るべき凶器が突き刺さる。
これを見るのは初めてではない。おかげでフレーは、いち早く状況を理解できた。
(今、私を……!?)
目にも留まらぬ速さでグレイザーが投げたナイフ。それは一切の狂いなくフレーの額を目掛けて進み、すんでのところでザンに弾かれたのだ。
「ぐっ、なんて力だ……!」
「ザン……!」
「問題ないっ……受け切れて良かった」
衝撃の余韻で未だ震えの治まらぬザンが、何とかそう言ってくれる。
「ああ、あァ……そうだよな。どいつもこいつも、精鋭揃いと言うわけか」
グレイザーは髪をかき上げ、歪んだ笑みを浮かべる。
「見たかお前ら、これが現実だ! どこからともなくやってきた、力を持った魔法使いに剣士! そいつらが、俺たちを阻むべく動いている!」
「え、わ、私たちそんなんじゃ……!!」
「この状況を前にして、ただシュレッケンを下すだけで済むと思うか!? 目を覚ませ! 今こそ、俺たちの総力を見せる時じゃねェのか!?」
固唾を飲んで成り行きを見守っていた群衆の間に、形容し難い熱が走る。フレーへの擁護など跡形も無く消え、残ったのは来るべき戦いへの高揚感だけだった。
「そうだ……! 俺たちのリーダーは、グレイザーだけだ……!」
「魔法使いが何よ……機械都市や王都が何よ!」
「どこまでもついていくんだ……俺たちの、未来のためにっ!!」
ここから逃げなくては。本能がそう言っている。
フレーが焦り顔のザンと、号泣寸前のエーネに目配せし、今にも走り出そうとしていた時。
「まさか逃げられるとでも?」
「…………ッ!?」
今度はフレーにもわかった。幾つもの家屋や施設の頂上から、キラリと光る鉄製の何か。先端に穴の空いたそれは、あらゆる角度から三人を捉え……
これも後から知ったことだが、あれらは全て、「銃器」と表現するようだ。
「まずいッ!!」
「フレイム・バリアーーーーッッ!!」
両手に渾身の力を込め、フレーは腕を広げて天に叫ぶ。身を焦がす熱を全身に感じたその瞬間、うねる炎が意思を持ったように三人を取り囲んだ。
ドーム上の膜が形成されたと同時に、聞いたことのない激しい破裂音が全方位から聞こえてくる。一発でも当たったらタダでは済まないことは、誰もが理解していた。
「まさかの炎で防ぐか? 面白い! だが、いつまでも保つとは思わねェことだ!」
「クソっ、何か手は……!」
「わ、私に……私に任せて、二人ともっ!」
顔を涙に濡らしたエーネが、灼熱の膜の中で叫んだ。両腕をある一点に突き出し、仁王立ちして目を瞑る。
彼女は祈るように、切実な声で言った。
「お願いっ……! 押し流して!」
途端に、フレーたちのものではない第三者の悲鳴が多数聞こえた。今や後退りしつつ、三人を取り囲むように陣形を組んでいた群衆のものだ。
バリアに集中しすぎて、今がどんな状況なのか把握することができない。しかし、こちらには号令係の彼がいてくれている。
「フレー、今だ! 解除しろ! 噴射で逃げるぞ!」
「う、うんっ! 掴まって!」
ザンに呼応し、二人が自分の胴にしがみついたのを確認すると、フレーは防壁を消滅させる。そこから一瞬の間も無く、手のひらを後ろに向け、最大火力の炎を噴射した。
「エーネの水流に乗れ! ビートグラウズから脱出するぞ!」
再び外に出たフレーたちを待ち受けていたのは、人々を一直線に押し流す激流だった。
まさかエーネがここまで出来るなんて。腰にしがみつく彼女の弱々しい力を感じながら、フレーは感嘆する。
「逃さん……絶対に逃さんぞッ!」
高台からグレイザーの怒号が飛ぶ。大量の銃器がフレーたちを追いかけるが、その照準を合わせる速度よりも、水の流れに乗る三人の方が速かった。
(いける……! このまま逃げ切れば……)
今は引くしかない。とりあえずここから逃げるのだ。ザンとエーネは無事に村に送り届け、一人になったとしても、今度こそグレイザーを止める。
絶対に諦めるわけにはいかない。
「ハンガーズ全軍に告ぐ!」
拡声器を最大音量にしたグレイザーは、去り行く三人の背中に向け咆哮した。
「決戦前の前哨戦だ! フレイング・ダイナ、ザン・セイヴィア、及びエディネア・モイスティの殺害を命じる! 門を封鎖し、各個警備に当たれ! 総力をもって、奴らの首を取れッ!!」
フレーの運命は、ついに動き出す。